*** 子育ち12章 ***
 

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「第 97-01 章」


『子育ちは 私を尊する 私いて』


■子育ち12鍵語■

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『子育ち第1鍵語』

【私】

《まえがき(毎号掲載)》
 子育て羅針盤では,こどもの育ちを6つの方向と2つの領域から考察します。6つの方向とは,「誰が,どこで,いつ,何が,なぜ,どのように育つのか」という問題視座です。また,2つの領域とは,「自分の育ち(私の育ち)」と「他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ち」の領域を表します。6つの方向にそれぞれ2つの領域を重ねた12の論点が「子育て羅針盤」の基本的な考察の構成となります。
 この第97版でも,これまでの流れに沿って,子ども自身や親が育ちの確認をしていくときに,思考を開く鍵となる語を使って育ちの状況を展望していきます。今現在それぞれの育ちの度合いに違いがあってもそれは個性になり,達成度の評価ができるなら,幸せに育っていると考えることができます。子どもの育ちは見えにくいものですが,羅針盤としての全方位を見届けることができることを再確認していただけたらと思っています。

《私とは?》
 私という言葉を使うのは誰でしょうか? 人差し指で自分を指して,「私!」と言っているのは,もう一人の私です。自己紹介をするとき,私は○○ですと名乗ります。名前は他人が呼びかけるときに使うものです。その名前を自分で言うのはルール違反です。自分のことを名前で呼んでいるのは,もう一人の自分なのです。幼児が自分のことを○○ちゃんと名前で呼べるようになったとき,もう一人の子どもが誕生したことになります。私には二人があって,私と呼ばれる私と,呼ぶもう一人の私がいるのです。

 自分のことを,ワタシと呼ぶか,ボクと呼ぶか,その違いによって,もう一人の私は,自分の性を意識するようになっていましたが,今の時代は別の視標があるでしょう。また,名前の一部である名字を同じくする人がいることを認識して,家族の一員である自分を意識します。住んでいるところ,通っている学校,年齢などの個人情報を身にまとっていき,もう一人の私は,自分を一人の人間として認証できるようになっていきます。もう一人の私が自分を意識していくプロセスは,止まることなく追い求められていきます。

 親に愛されている自分,友達に好かれている自分,先生にかわいがられている自分,あるいは,親から邪魔にされている自分,友達から避けられている自分,先生ににらまれている自分,いろんな自分を見つけて,もう一人の私は「私とは?」というイメージを作り上げていきます。そのさまざまな自分の中で最も大切なもの,それは名前を持つ自分であり,親から愛されている自分です。この2つが確固としているともう一人の私が信じていれば,生きていく力が失われることはないでしょう。



 私のことを一番知っているのは私。誰でもそう思っているでしょう。でも,自分では知らない私を他人が知っています。もう一人の私が知っている自分と,他人が知っている自分は違っているのです。このような自分イメージについては,ジョハリの窓という考え方があります。
 私のことを分かっているだけでは,社会生活は成り行きません。自分とは違う他人を知らなければ,共同生活はうまく運びません。そこで見極めるべきところは,違っているところではなく,同じであるところです。その先に私たちという意識が生まれます。逆に違いばかり見ていると,仲違いする方に流されていきます。

★落書き★

 植物は花が咲くのが普通です。では,海の植物ワカメや昆布などは花を咲かせるのでしょうか。海そうには海藻と海草の2種類があり,海の植物でも大きく異なります。海草は花を咲かせますが,海藻は咲かせません。海草にはスガモやアマモなどがあり,繁殖は種子によって行われます。世界には約100種類の海草があります。コンブやワカメ,メカブやモズクなどの海中の藻類は,根・茎・葉の区別がはっきりせず,繁殖は胞子によって行われます。世界には約8000種類もあるそうです。

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