*******  2 1 世 紀 に 語 る 夢  *******

〜 人 を 幸 せ に す る 衣 は 文 化 〜

【 序 】
 「夜寝るときに,朝起きるのが楽しみな人は幸せである」という言葉があります。一日に疲れて「寝るだけが楽しみ」という場合は,不幸せというわけではありませんが幸せでもありません。明日を楽しみに生きていくことが幸せの条件であるとするなら,夢を抱くことが幸せになるための前提です。
 人は考える葦と言われていますが,一方で下手の考え休むに似たりという庶民感覚があります。考え過ぎることの戒めです。「考え過ぎるな」と言うときには,物事のマイナス面に思考が傾いている場合です。考えるとは本来可能な道を見つけようとすることであって,どんな失敗があるかもしれないと不安を数え上げることではありません。不安にあたる部分は夢の下肥としてそっと埋め込んでおけばいいのです。
 明日に向けて活動をするとき,目的と目標を掲げることがあります。この二つの言葉は意外に曖昧な使われ方をしています。目的とは矢を射る場合に的の中心に的中した状態であって,結果のイメージです。夢と言ってもいいでしょう。目標は矢が弓に番えられているときに,風を読み飛程をイメージして矢を向ける中空に想定する標です。目標に向けて放たれた矢が的に当たるかどうかは運任せです。飛んでいる矢はどうしようもありません。努力目標とは言いますが努力目的とは言わないのは,人が思い通りにできることは目標を定めることまでだからです。それなのに目的達成に努力を傾けようとする傲慢さが,生き方を窮屈にしているようです。曰く「努力が足りない」と。
 明日は明日の風が吹きます。今日の風を読んでも矢が的に届く明日の風はどうなるか分かりません。その風任せを楽しめるときに夢が広がっていきます。風はいたずら好きですが,人智の及ばない領域を残すことが楽しむ秘訣です。すべてが思い通りになるところには夢は住めません。予期できなかったよい風が吹くことへの期待を忘れないことです。

【1】 21世紀へのトンネル
 20世紀初頭の万国博で描かれた世界が,世紀末には普通の世界になりました。例えば電気の世界,旅の世界,生活の世界は絵空事がまさに実現しています。近くはマンガで垣間見た夢いっぱいのブロンディの生活が手中にあります。夢は叶ったのです。しかしここまでに辿らなければならなかった道は紆余曲折でした。時代の風が巻き起こす悲劇と苦難の道でもあったことを忘れられません。
 システムをシュミレーションするとき,よい結果が出る前にはシステムはいったん悪い状態に入ることがあるそうです。必ずしも順風満帆のプロセスではないのです。つまり良い状態と悪い状態を併せ持つからこそ,そのバランスは確固とした安定性を生み出すもののようです。トンネルを抜ける勇気があってこそ,目の前に輝かしい風景が現れます。
 20世紀は文明主導の時代でした。豊かさが実現されたと語るとき,それは文明の繁栄世界の話です。それなのに豊かさが一向に実感できないという直感は何を意味しているのでしょうか。さらに次世代である子どもたちの不可解さが社会に対して牙を剥いてきました。文明の豊かさに逆風が吹いています。こんなはずではなかったと風の気まぐれを恨みたくなります。このトンネルを何とか抜けなければなりません。
 長寿を実現した医術世界では臓器移植が珍しくなくなりつつあります。その中で脳死という新しい概念が創出されて,戸惑いという波紋が広がっています。死という概念の細分化が行われようとしています。つまり死にもいろいろな段階があるというわけです。これは文明を担ってきた科学技術の世界が事象を分けることで分かってきたことの宿命です。細かく定義付けをすることで理論体系を組み上げ技術化してきました。人の死という精神世界の根元に矛先が突きつけられています。ここにもトンネルが開かれました。
 文明は力を備えています。高い文明世界は低い文明地域を吸収してきました。豊かさという即物的な力による開化を迫ってきました。20世紀末は地球規模で文明開化が終了しつつあると見なすことができます。文明の力が向かっている開拓先はどこでしょうか?

【2】 目的としての文化
 「ものの豊かさ」から「心の豊かさ」へと社会的本能が嗅ぎ分けています。その底流にある洞察は文明に対抗できる文化の構築を課題として抽出しています。文明が文化を押しつぶそうとしているという危機感があります。生きるとは文化なのです。
 神が死んだと宣言して以来,文化はブラックホールに吸い込まれているようです。心の空虚さを埋めようとする人がカルトに魅せられていくのは,文化が極貧状態にある兆候です。腐りかけたものでも食べなければならないところまで追い込まれています。文化は人を生かしている精神の糧です。
 何も21世紀のキリストや釈迦,21世紀のベートーベン,21世紀のダ・ビンチの再興を求めようというつもりはありません。それは彼らが持っている文明に対して最もふさわしく生まれたカウンターバランスとしての精神文化だからです。
 文化財といえば古いものというイメージがありますが,その発端では最新のものであったはずです。本来文化財は今生きている人が自分の手で作り出しているものでしょう。文化という言葉に古色蒼然としたイメージを張り付けていることがすでに,文化を失っている自覚症状の現れと診断すべきでしょう。
 生涯学習の機運が誕生した背景には文明の発達に追従しなければという焦りが幾ばくかうかがえました。しかし散見する実体はどちらかというと文明よりも文化にウエイトが置かれているようです。人は本能的に今必要なことに手をつけるものと考えれば,文化に飢えていると診断できます。20世紀末における生涯学習の端緒が古典文化を学ぶことから始まっていますが,それは21世紀に新しい文化を生みだそうとする必然でしょう。
 文明が内包する刃の一つは効率化です。限定された基準で有益と無益を峻別し,無益を無駄として抹殺します。文明世界は唯我独尊性を信条とし,廃棄物を生み出します。文明の落とし子である会社という仮想社会も要らなくなったものを当然のように放逐します。豊かな文明の陰から公害などの不合理が人間社会にむけて浴びせかけられたのは,閉鎖的システムとしての宿命でした。それに対するカウンターが環境問題という至って文化的なテーゼです。自然は無駄なものは作らないという命題で切り返し,リサイクルという道を開拓し始めました。文明は力で選別し,文化は心で包括しようとします。

【3】 文化のビッグバン
 文化とは人を幸せにする衣です。その衣が文明ブランドに席巻されて粗末になり,その無機質性に肌がかぶれています。着替えなければなりません。そのためには新しく文化の布を織ることから始める必要があります。人に優しいとは文化の中心テーマだからです。もちろん素材としての糸は先人がたくさん紡いで残してくれています。
 仮に文化にも発達という変化が可能であるとすれば,さしあたってそれは規模の拡大という形で現れてくるでしょう。文化には地域性という制約がありました。部族,民族,国民といったまとまりが醸し出す精神的な統一性です。20世紀の文明によって一つにねじ伏せられた地球は,21世紀には地球規模の文化を生みだしていることでしょう。情報化や国際化という流れは文明世界の現象ではありますが,そこに人が幸せになりたいという意志を働かせるなら,それは21世紀にふさわしい文化を創出するはずです。
 文明に浸食された文化が心の豊かさや平安を取り戻すためには,さしあたって言葉という道具を整えることが肝要です。地球規模で言えば,古の文明によるバベルの塔の傲慢さが招いた言葉の壁を取り除かなければなりませんが,21世紀の翻訳機械の普及がそれを可能にしてくれることでしょう。またこれから急増する人の往来も贖罪としての新しい文化の創造にはプラス要因として働きます。すでに人はトンネルを歩み始めています。
 文明のビッグバンに煽られて文化という衣を失った裸の王様は,優雅な暮らしのなかで満たされない不遇さにとまどっています。単純に個人的な小さな幸せを寄せ集めたら大きな幸せになるとは限りません。懐の深い大きな文化が必要です。対抗できる文化のビッグバンを起こさない限り事態は奈落の淵に吸い込まれていくでしょう。こうした先行きの不安を肥やしにしようと楽天的に構えたとき,それは夢に昇華します。
 21世紀には文化のビッグバンが起こるであろうことを夢見ています。その目的に向けて私たちにできる努力目標は本当の意味での「考える」という営みです。