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落葉館[
★第壱話:町外れの喫茶店
〜或いは変わり者のウェイトレス〜
和田好弘
その日は昨日まで降り続いていた雨もすっかりやみ、お天気はまさに秋晴れというにふさわしい日だ。
私はルナ。もちろんこれは本名なんかじゃない。いまではもうこの芸名が、好きだったのかどうかさえ思い出せない。
職業、歌手。それもアイドル歌手。
業界ではよくある話なのかもしれないが、もともと子役としてデヴューしたのに、いつの間にやらCDデヴュー。いまでは本来の役者の仕事なんてほとんど無い。
今日は久しぶりのオフ。けれど私はどこかに出かけるわけでもなく、学校に行くわけでもなく、只々昼過ぎまで惰眠を貪る。
最後に学校に行ったのはいつだったろう。
いまでは、なんだか気まずい感じがして、どうしても足が向かない。
かといって、このままボ〜っとしてるのは、あまりにも不毛だ。
「出かけよ」
お腹も空いたし。
生憎冷蔵庫も空っぽだ。
特に行く当ても目的もなく、散歩がれらブラっと町に出た。
街路樹の木の葉が舞う中、私はてくてくと住宅街を歩いていく。
さすがに平日のこの時間だと、ほとんど人通りはない。
この通りを真っ直ぐ進んで、橋を渡ると駅前通りに入る。
その途中、私は見慣れない古めかしい建物に気がついた。
「あれ? なんだろう、このお店」
私はその奇妙な店の前で足を止めた。
看板らしきものは見当たらないが、こんな外れとはいえ住宅地に、こんなレトロなアンティークショップもかくやというような建物が、只の個人宅とは思え無い。なにより門がなく、通りに面してガラス扉があるのだから。
とはいえ、ショーウィンドゥのようなものはなにもない。
「お店……よね? ここ……」
小さな窓には、カーテンが掛かっていて中を伺うことはできない。
首を傾げて、不躾とは思いながらも扉のガラス越しに中を覗いて見る。
中はアンティーク調の落ち着いたテーブルと椅子が並び、右側にはカウンターらしきものが見える。
バーか喫茶店なのかしら?
「いらっしゃいませ。ようこそ落葉館へ」
「うわっ!」
私は思わず大声を上げて驚いた。まさか、いきなり後ろから「いらっしゃいませ」などと云われるなんて、誰が想像しよう。
ドキドキする胸を抑えて振り返ると、そこには買い物袋を抱えた、藍色のエプロンドレスに身を包んだ、私とほぼ同年代ぐらいの女の子。
「開店は明日からなんですが、よろしいですよ。ようこそ! あなたがこの落葉館の最初のお客様です。どうぞお茶を飲んでいらしてください」
「え、いや、あの……」
彼女はそういって器用に片手で鍵を開けると、半ば問答無用で私を店内に招きいれた。
暗い店内に明かりが灯されただけで、その外から覗き見ていた時とは雰囲気が一変した。
どことなく、かび臭い感じの古めかしい骨董品屋というイメージがあったのに。
カーテンの開けられた窓から差し込む陽光に鈍い輝きを発する木製テーブル。まるでログハウスのように、天井に剥き出しになっている梁。ちょっと洒落たカンジで、それでも、なんだか気取らずにくつろげる空間が生まれた。
私がカウンター席に座ると、彼女は買い物袋からなにやらプレートを取り出し、扉にすぐさま掛けた。
その白いプレートにはこう書いてある。
『営業中』
ということは、外に向けては『準備中』と書かれた面が向いているのだろう。
「お待たせしました。ご注文はなんになさいますか? といっても、メニューはふたつしかないんですけれど」
彼女は私の前に戻ってくると、まずそう云い、それから細かな説明をしてくれた。
この店にはメニューが存在しない。あるのは、紅茶と珈琲だけ。それとケーキ。だがそのケーキも、このウェイトレスが作ったものをサービスとしてだすというのだ。つまり、料金は珈琲、紅茶代のみ。ということだ。
従って、その日に出すメニューは全て彼女の気分で決まると云っても過言ではない。
とりあえず私は紅茶と大好きな苺のショートケーキ(運良く、彼女が今日の開店のために作っていたのだ。本当は今日開店の筈が、手違いで看板の設置が明日になってしまったため、急遽本日はお休みになってしまったのだとか。)を注文すると、彼女に更に尋ねた。
「そんなんで、商売としてやってけるの?」
すると彼女はこう答えた。
「ここはマスターが趣味で始めたお店なんです。ですから、儲けようなんて考えはまるでないらしいですよ」
いくら趣味といっても、赤字はまずいだろう。
「で、そのマスターって?」
「多分、滅多に来ないですよ。ですからここには大抵私だけです」
はぁ? マスター不在のウェイトレスだけの店?
どういう店よ。そんなんでい〜の?
……ここのマスターって、どんな人なんだろ?
紅茶の薫りが、なんだかほんの少しだけ幸せな気分にしてくれる。
ふと、視線を窓に向けると、通りを学生たちが数人通り過ぎてゆく。
もう、下校時間なんだ……。
なんだか、たちまち気分が黄昏る。
「ねえ、ウェイトレスさん、私の愚痴を聞いてくれる?」
いきなり私がそんな事を言い出して驚いたのか、彼女は目をぱちくりとさせて、紅茶の壜を丁寧に磨いていた手を止めた。
「実は最近、いくつか悩みがあるの。」
紅茶の壜が脇に置かれる。
「一番の悩みは、友達が欲しい……」
「友達……ですか」
彼女が小首を傾げる。
「うん。そう。私は、小さい頃からずっと仕事をしてきた。
確かに仕事関係だったら、友達も知り合いも、たくさんいる。けれど、でもそれって、みんな上辺だけの付き合いなのよね。
もっとこう、真剣に悩みとか恋の話とかすべてをさらけ出して話せるような……。時には時間を忘れて遊んじゃったりとか……。
本当の友達って、そういうものじゃない。
でも、仕事に明け暮れている私はろくに学校にも行ってない。
ねぇ、どうやって友達を作ったらいいのかなあ?」
すると彼女は、人差し指を顎に当てて、どこだかに視線を彷徨わせる。
「そうですねぇ……。一般的なお答えと、楽観的なお答えと、そして、あまりにも現実的な物の考え方であるがために、非常に悲壮になってしまった答えとございますが、どれがよろしいですか?」
「……は?」
私は目をぱちくりとさせた。
「どれにします?」
「そ、それじゃ、一般的なのを」
思わず私は注文(?)した。
「正直な話、私にもわかりませんね。色々話をしてみて、意気投合できるか否かっていうのが、友達になれるかどうかの第一関門みたいな気がしますよ。やっぱり、話をして、親睦を深めるしかないんじゃないでしょうか?」
本当に一般的な答え。
……って、そういったのは私だ。なにを期待してたんだ?
となると、残りの二つが気になるのが、人情というものだろう。
「それじゃ、楽観的なのは?」
「一緒にご飯食べたらみんな友達。おごってくれたら、親友なのさ!」
えらく能天気な口調で彼女。
なんか、いままでの真面目で落ち着いた雰囲気がまるでどっかに吹き飛んでる。
な、なんか侮り難い人だ。
それに、返って来た答えも、本当に楽観的なものだ。
「そ、それじゃ悲壮なのは?」
私は尋ねた。
すると、彼女は突然上目使いで迫ってくる。
「よろしいんですね。その答えを聞いても。後悔、しませんね……」
季節はずれの怪談話でもするかのようなイントネーションで、彼女が私に問い掛ける。
「お、お願い」
私はその迫力に気圧されながらも、答えを求めた。
「結局、人間なんていつも一人なんです。たとえそれが兄弟姉妹、親子、いかな血縁であろうとも、同一ではなく単なる別人であることは、確かな真実です。そして別人である以上、決して誰かが誰かの心情を共有することも理解することも絶対にできるハズはありません。そう、互いに心の底から分かり合えることができていると錯覚することはできても。なぜなら、もし他人の心情を全て寸分違わず理解できているということは、それはその人そのものであって、もはや自分は自分でなくなっているからです。私たちにできることは、きっとあのひとはこう考える、考えているに違いないと、推測するだけなんですよ。そしてそれは、きはめてナンセンスなことなんです。だってそうでしょう、単なる推測でしかないんですもの。所詮、他人は自分と違う別の生き物なんですよ。いづれ、利用価値が無くなれば、切って捨てられる。血縁という絆さえ、時には疎ましく思われるかもしれない。だってそうでしょう。こういった絆が絶対のものなら、この世で誰も、心中とか親殺し、子殺しとかしたりしません。そこに至るまでの動機というのが、裁判では明らかにされるようですが、実際は、単に自らのエゴを満たしている行為に過ぎません。そう、人間という生き物は、自らのエゴを満たすためだけに生きているんですよ。そしてそれに気がつき、人間そのものに恐怖しか覚えなくなった時、誰もがみんな、そのときになってこう思い、こう答えるんですよ。
みんな、死んでしまえばいいのに……って。
それでも、友達だなんて恐ろしいものを作りたいんですか?」
そして彼女はふふふふと含み笑いをした。
可愛らしい顔に似合わず、恐ろしいことを云う。
「なんだか、随分ないいようね」
「所詮は人ごとですもの」
真面目な顔で彼女。
「それじゃ、もっと単刀直入に云うわ。誰かいい人、いない?」
「あのう、私、殿方の販売はしてませんけれど」
どうして恋人の斡旋になるの。私は男を求めてるわけじゃない!
「ど〜して男になるのよ! それじゃなんだか私、欲求不満みたいに聞こえるじゃない!」
思わず怒鳴った。
なんで初対面のウェイトレスにこんなこと言われなくちゃならない!?
すると、彼女はいきなりけらけらと笑い出した。
「あはははは。それだけ怒る元気があれば、大丈夫ですよ。
どういうお仕事をしているのかしりませんけれど、なんでもかんでも打算でのみ考えることを……そうですね、止めろとは云いませんけれど、控えたほうがいいですよ。どんなことでも、ちょっと見方を変えると、いろんなことが見えてきます。良いことも、悪いことも……ね。
そうすれば、おのずから分かってきますよ。今の悩みを解決する方法が。
悩みなんて、解消するためにあるようなものなんですよ。
なにもせず、悶々としているより、解消するための一歩を踏み出すほうが、よっぽどマシです。結果が、どうでようと。そうは思いませんか?」
静かな微笑み。
なんだか、いっぺんに胸の中でつっかえていたものが、消え去ったみたいなきがする。
答えらしい答えは聞いてもいないのに。
どうしてだろう?
「紅茶、冷めますよ」
彼女は、カウンター越しにただにっこりと微笑んでいた。
★ ☆ ★
ふと窓の外をみると、いつのまにかもう真っ暗になっていた。
慌てて時計を見る。
どうも思ったより彼女と話し込んでしまったみたい。
「あ、もうこんな時間。帰らないと」
「あ、御代は結構ですよ」
「え? でも……」
「落葉館の開店は明日からです。それに……」
そういって彼女は言葉を切った。
「それに……なに?」
「お友達にお茶とお茶菓子を出すのは当たり前のことです。でしょう?
また、いらしてくださいね。もっとも、そのときにはきちんと商売させていただきますけれど」
彼女はそういって、にっこりと微笑んだ。
彼女のその言葉に、涙が溢れた。
あ、あれ? どうして? なんで涙が出てくるのよ!?
結局私が落葉館を後にしたのは、泣くだけ泣いて、昂ぶった気持ちが落ち着いてからだった。
今思うと、顔から火がでるくらい恥ずかしい。
初対面の人の前で、あんなふうに泣くなんて。
そして、私が彼女の名前をすっかり聞き忘れていたことに気づいたのは、部屋に帰ってからのことだった。
おみやげにもらったケーキを切りながら、あの落葉館という喫茶店のひと時を思い出す。
今度行ったときに、名前を絶対に聞き出そう。
ケーキのてっぺんの苺を口に放り込むと、生クリームの甘味と、苺の酸味が口いっぱいに広がった。
〜第壱話 終〜
本日のお客様。
アイドル歌手のルナさん(17)。プレイヤーは
稲葉架那
さまでした。
第二話