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落葉館[
★第弐話:地上げ屋の脅威
〜或いは絶対にお勧めしないメニュー〜
和田好弘
からんからん。
扉に付けられたカウベルが、耳に馴染んだ音を立てた。
すっかり葉の落ちた街路樹の並ぶ道を、身を丸めるようにしてこの喫茶店にやってきたのは、すっかり常連になったルナだ。
「こんにちは〜」
「いらっしゃいませ〜」
だがそのルナを迎えたのは、どう見ても小学生か中学生くらいの女の子。
「え〜と……」
ルナが言葉につまり、カウンターの中のウェイトレス、御鈴を見つめた。
「みずきちゃんですよ」
御鈴がにこやかに答える。
「えへへへ。あ、あの、歌手のルナさんですよね。握手してもらっていいですか!?」
「みずきちゃん、ルナさんはプライベートなのよ」
「うん。だからサインじゃなくて、握手くらいならいいかなって思ったんだけど。……その、迷惑でしたか?」
「あはははは。いいわよ」
本職は女優なんだけれど……
みずきの手をしっかりと握り締めながら、言葉に出さずにつぶやく。
歌手としての知名度が高くなりすぎてしまったがための悩みである。
「御鈴さん。彼女、随分若いみたいだけれど……。まぁ、私も人のこといえないけれど……」
「えぇ、若いですよ」
「鈴科みずきです。13歳です!」
みずきの元気な答えに、ルナは目をぱちくりとさせた。
「じゅ、13歳!?」
「えぇ、中学1年生ですよ」
事も無げに御鈴が云う。
「でも、中学生がアルバイトっていうのは、マズいんじゃない?」
「えぇ。法に引っかかりますよ。アルバイトなら」
御鈴があっさりとルナに答える。
「みずきちゃんはお客さんです」
「え、でも、それはそれでいろいろうるさいんじゃないの? 学校が」
「違いますよ、落葉館のお客さんじゃなくて、私のお客さんです。お友達なんです。
ね〜」
「ね〜」
互いに首を傾けて御鈴とみずき。
そのふたりの関係に、ルナの胸になんだか悔しい気持ちが湧き上がってくる。
「ま、本当はいけないんですけれどね」
「うちに帰っても誰もいないし……」
あ〜、いわゆる鍵っ子ってやつか。私は芸能界に入ると同時に家をでちゃったからなぁ。
「なんだか公園で寂しそうにしてたんで、誘ったんですよ」
「……もしかして、こないだの私と同じ?」
ルナが思わず自分を指差した。
「さぁ、どうでしょ?」
御鈴はいつもの笑みを浮かべるだけだ。
みずき、キョトンとして二人を交互に見つめる。
「それで、今日はどうしたんです? なんだかいつもの覇気がありませんけれど」
「わ、わかる?」
いきなり御鈴に言い当てられ、ルナが苦笑いを浮かべた。
「えぇ、なんとなく。みずきちゃんへの接し方が大人しいですもの」
ぴんと人差し指を立てて美鈴。
相変わらず侮れない人だな。
ルナが視線をややそらしてほほを掻いた。
「実は、困ったことになっちゃってるのよ……」
そういってコートを脱いでカウンター席の椅子に乗せると、その隣の椅子に腰掛けた。
★ ☆ ★
「ストーカー……ですか」
「やっぱり、アイドルともなると、いろいろ大変なんですね」
みずきの言葉に、ルナは苦笑いを返した。
冗談じゃなしに切実だ。
「御鈴さん、なにかいい方法ないかな? いい探偵さんとかいたら紹介してくれないかなぁ」
「探偵さんですか? でしたら、隣のビルの二階に探偵事務所がありますから、行ってみたらどうです? そこのマネージャーさん、ウチの常連で、毎朝ケーキを買いにくるんですよ」
「……その、信用できるかな?」
「大丈夫ですよ。でなかれば、紹介しませんよ」
御鈴がにっこりと微笑む。
「明日もおいでになりますから、よろしければお話ししておきますけれど。どうします?」
「あ、それじゃお願いします。でも、とりあえず連絡は……」
「はい、私が承りますよ。明日の夜にでも、電話してください」
「よかったぁ。これでひと安心」
「まだ何も解決はしてませんよ」
「でも、これでもんもんと悩むことはなくなるじゃない。なんとか、対抗する手段が見つかりそうだわ。
よし。それじゃ私はいつもの」
ルナがコートを畳んで、となりの空いた席に置きながら注文した。
この落葉館の日替わりのケーキは、もはや彼女のお気に入りだ。
だが、彼女の注文を受けるや、御鈴はみずきと顔を見合わせて苦笑い。
はて……?
「あれ? どうしたの?」
その様子に目をぱちくりとさせて、ルナが尋ねた。すると御鈴が困ったような顔で、入り口に掛けてある小さな黒板を指差した。
そこにはいつも、日替わりのケーキの名前が書いてあるのだが……
「……『本日のメニュー:お勧めできません。』……なに?」
黒板に書かれた文字を読み上げ、ルナは御鈴に視線を戻した。
「ど、どういうことかしら?」
「読んで字の如くです」
うんうんというように、みずきが御鈴の言葉に合わせてしきりに頷いている。
「ゆうべ、オーナーが突然……ここのマスターなんですけれど、来たんですよ。
『究極のお勧めできないメニューができた!』とかいって」
「はぁ?」
この店のマスターはかなりの変わり者と御鈴さんから聞いてはいたけれど、なんだってそんなものを……
ルナ、とりあえず困ったように苦笑い。
「わたし、見ました。凄かったです」
「食べ物の匂いで気が遠くなる経験なんて初めてでしたね」
御鈴とみずきが同時に頷く。
「き、気が遠くなるって、どういう代物よ」
「だから、凄いんです、ルナさん!」
みずき、胸元で拳を握って力説する。
本当に食べ物なの? それ?
そうルナが思った直後――
がらららしゃんしゃんしゃんしゃん!
すさまじい音を立てて扉が開けられた。
扉のガラスに入った見事なひび割れが、どれだけ乱暴に扉が開けられたかを物語っている。
「ったく、あいかわらずしみったれた店だなぁ」
どこからみてもチンピラにしか見えない、アロハシャツにスーツというわけの分からんいでたちの、ガリガリな小男と、グレーのスーツにきっちりと身を包んだがっしりとした体格の男が店に入ってきた。
だが、御鈴はいつもの「いらっしゃいませ」の言葉もなく、つかつかと入り口にまでいくと、扉の前に屈みこんで割れたガラスの辺りを仔細に調べ始めた。
やがて御鈴は立ち上がると、自分よりせの低いチンピラを睨むように詰め寄った。
「ドアの修理代、後ほど修理業者からそちらに請求させていただきますので」
「なんだと? 客に対してなんだその態度は?」
「お客様にはお客様のルールというものがございます。あなたの今の行動、お客様として認めるわけにはまいりません」
「ぅんだと、この女ァ!」
チンピラが御鈴の胸倉を掴んだ直後――
ぼごっ!
「サブ! なんてことしやがるんだ!!」
スーツの男の拳が容赦なくサブの脳天に振り下ろされた。
サブ、頭を抱えてうずまって身悶え。
「ロンさん、相変わらずですのね」
「すいません、御鈴さん」
スーツの男の名はロン・トラボルタ。このあたりを仕切っているトラボルタ・ファミリーというマフィアの御曹司である。
ちなみに今ボコされたサブは、ロンの舎弟である。この男、ロンが御鈴に惚れているということに、かけらも気づいていない阿呆である。
「さて、今日こそは返事を聞かせてもらうぜ」
サブ、立ち直るや御鈴に凄みをきかせる。
「なに? あの人たち」
ぼそぼそ。
「地上げ屋さんです」
ひそひそ。
「地上げ屋? いまだにそんなのいたんだ……」
ルナ、もの珍しそうなものを見るような目で、ふたりを眺めた。
「あ、残念でしたね。マスター、夕べ来たんですよ。そのときでしたら直ぐに話がついてんでしょうけれど。あ、でも、この件については、私が一任されましたから」
「それなら御鈴さん、いい加減に諦めて立ち退いてもらえませんか?」
「イヤです。私、ここが気に入っていますから」
あっさりと返事を返す御鈴。
「兄貴、こんな女になにもそ――」
ばきっ!
「オレのすることに口出しすんじゃねぇ」
ロンの容赦ない一撃がサブの脳天に炸裂した。
「やっぱり、もう駄目ですか」
「残念だが、時間切れだ。これ以上は親父が黙ってねぇんでな」
ロンがやや苦労しながら丁寧な言葉使いに努める。
これも惚れた弱みというところか。
「それじゃあ勝負しましょう!」
「勝負?」
「そのほうが手っ取り早え。うらぁ――ら?」
サブがまたいきなり御鈴に掴みかかってきた。が――
サブ、宙を舞って背中から床にたたきつけられた。
御鈴が投げ飛ばしたのだ。
「うわぁ。御鈴さんすごい〜」
みずき、思わず拍手。
「あ、相変わらず侮れない人ね。なにしたの?」
「祖父が合気道を嗜んでおりましたので、見よう見真似ですわよ」
ルナの問いに御鈴が答える。
「見よう見真似って、どうして? 習ったんじゃないの? どうして?」
「そんなの決まっているじゃないですか。武術の有段者だったりしたら、ちょっとした争いごとですぐに傷害罪になってしまいますもの」
いや、確かにボクサーとか武術やってる者の拳とかは凶器扱いになるけど……
つ〜か、お前、誰かをコテンパンに負かすことを子供の頃から考えてたのか?
「なんて汚ねぇ女――」
ばきっ!
「サブ、それ以上云ってみろ、このオレが容赦しねぇぞ」
ロンがサブをブン殴って睨みつけた。
「早とちりしないでください。なにも喧嘩で勝負しましょうなんていいませんよ。ホラ、よくあるじゃないですか。お饅頭100個食べられたら1万円とかいうのが。あれ、やりましょう」
御鈴の言葉に、ルナとみずきが顔を見合わせた。そして、二人の顔に、なにやらいやらしい笑みが浮かぶ。
そう、御鈴はあの『お勧めしないメニュー』を出すつもりなのだ!
「メニューはこちらで用意しますわ。というより、今日のメニューをお出しします。そうですね、丼一杯で勝負しましょう。もし、食べ切れたなら、ここを立ち退きましょう」
丼一杯。この言葉にサブがあっさりと受けてたった。そしてロンも。
もはや彼は、立場上もう後が無いところに来ているのだ。
そして待つこと暫し。
御鈴が蓋付きのトレイを手に、店の奥からカウンターにまで戻ってきた。
そしてトレイをロンとサブの前に置く。
「これが本日のメニューです」
御鈴の言葉を聞き、ふたりは蓋を外した。
直後、店内に漂う、なんともいえない異臭。
悪臭。という類のものではない。だが、いい匂いでは決して無い。
そして丼の中身は、なんだか得体のしれない、やや黒っぽい斑色をしたゲル状の代物。
「な、ななな、なんだコレは! 食い物をださねぇとは、どういうつもりだ、えぇっ!」
サブが椅子を蹴倒して御鈴を怒鳴りつけた。
いまにも丼を投げつけそうな勢いに、ミズキとルナが思わず一歩後退さる。
だが御鈴は涼しい顔でニコニコと。
「これは食べ物です。れっきとした。ただし、これは本日の『絶対にお勧めしないメニュー』です」
御鈴はそういって入り口の黒板を指差した。
「なにが『お勧めしないメニュー』だ! ふざけるな!」
「これは当店のマスターが開発した、究極の不味いものです。もし、これを残さず全部食べられましたら、ここを立ち退きますよ。お約束ですから。ですが、食べられなかったら、ここの地上げの件は諦めてくださいね」
御鈴は動じずにこやか笑顔。
「サブ。騒ぐんじゃねぇ」
「けどよ、兄貴……」
「約束は約束だ。大人しく座れ」
「はい、さっさと隣に座った座った。そ〜だ! どうせなら制限時間を付けましょ。普通の丼一杯分だから、30分もあれば十分よね」
ルナ、有無を言わせずに決定。
「なんだとぉっ!」
「だって、時間を掛けたらどんな料理だって食べきれると思うわよ。たとえば、ドラム缶一杯のラーメンだって、三日も掛ければ食べきれるんじゃない?」
なんかまたもの凄い例えだな、そりゃ。
「サブ、騒ぐんじゃねぇ。何度言わすつもりだ?」
「けどよ、兄貴!」
「ドリアンだと思え」
ロンの言葉に、サブ、なんとも情けない顔。
「……兄貴、オレ、ドリアンなんて食ったことねぇスよ」
サブが情けない声を上げた。
「それじゃ、スタート!」
ふたりのついたテーブルに置いたキッチンタイマーのスイッチを、御鈴が入れる。
デジタル表示がカウントダウンを開始。
それを確認し、二人はいっせいに最初の一口をスプーンに掬い、口へ運ぶ。
直後!
ロン&サブ、硬直。
やがて、喉をごくりと鳴らすように、口に入れたものを無理矢理胃に落とす。
口当たりは甘辛い。甘辛いが、喉を通る時に、周りを全て溶かして胃に落ちていくような感覚が走る。
おまけに、わずか一口で全身を襲う異常な寒気。そして、何故か首から上だけは激辛のカレーでも食べたかのように紅潮し汗が噴出し、更には舌までなんだか痺れている。
い、いったいこれはなんなんだ!? どうすればこんな代物が作り上げられる!?
「ねぇ、御鈴さん。あれ、食べて本当に大丈夫なの?」
みずきは二人の様子に、なんだか心配になってきた。
「とりあえず、悪いものはなにも入っていませんよ」
しれっとした調子で御鈴。
「……材料、なんなの?」
そしてルナに材料を耳打ちする。
ルナ、その材料を聞き目をぱちくり。
「ば、バナナなの? あれ?」
あのでろでろに溶けた、怪しげなゲル状の代物を指差し思わず口に出した。
「そうですよ。れっきとしたバナナです。バナナの煮付けですよ。醤油と酒とダシで煮込んだ一品です」
「ほ、本当にバナナなのかい!? こいつぁ……」
ロン、ショックで硬直。
バナナはロンの好物のひとつなのだ!
それが……こんな味に変貌するなんて!!
恐るべし、姿を見せない謎のマスター!!
「バナナですわよ。もちろん」
ふふふふふ。と御鈴。
「早く食べちゃわないと、時間がなくなるわよ」
ルナの言葉に、赤いんだか青いんだかわかんない顔色の二人が再び恐怖の丼に向かう。
5分経過――
………………
10分経過――
………………
15分経過――
………………
から〜ん……
サブの震える手からスプーン落ちた。
「あ、兄貴ぃ……もぉ、駄目だぁ」
サブ、白目を剥いてリタイヤ。
「……こうなるともう、この食べ物は殺人的ね」
「……食べ物っていっていいんでしょうか?」
ルナのつぶやきに、思わずみずきがツッコミ。
「食べられなくもないもの。ということにでもしておきましょうか?」
御鈴のお答え。
だが、ロンはそんな言葉が耳に入るような常態ではない。
20分経過――
ロンの息が荒く、異様に全身に力を入れたまま硬直している。
25分経過――
ロン、無理矢理中身をスプーンで掬い、口に運ぶ。
だが、なかなか飲み込むどころか、口に入れることすらできない。
「はい、残り1分!」
ルナの言葉が無情に響く。
だが、丼にはまだ半分以上残っている。
「こうなったら……」
ロン、匙を投げ捨てるや、丼に両手を掛けた。
「勝負だ!」
ロン、一気のみ開始!
ごっきゅ、ごっきゅ、ごっきゅ……
「うわ……」
「すご……一気のみなんて……」
みずきとルナが目を瞬いて感心する前で、ロンは一心不乱に丼の中身を胃に流し込んでいく。
が――
ごっきゅ、ごっ――ぶばっ!
うわ、ロン、噴出しちまった。流石に一気のみできる代物じゃなかったか!
ピピピピピピピピ!
「はい、時間で〜す」
「食べきれませんでしたね。勝負アリです。この土地は諦めてくださいね」
「ふざけんな。これで終りになんかしねぇぞ……」
死に掛けのサブがうめく。
「なによ、往生際が悪いわね。いい加減に諦めなさいよ」
「そう簡単に諦められるかってんだ!」
「黙らねぇか、サブ。負けは負けだ。ここからは手を引くぞ」
ロンがサブを一括する。だが、その声にはもはや覇気はない。
「けど兄貴、親分には……」
「ちょっとよろしい?」
御鈴がロンとサブの間に割って入った。
「ロンさんのお父様にも、学生時代はありましたでしょう? ということは、同級生も当然いますわよね」
御鈴が突然そんなことを口にした。
「どういうことですかい?」
「いえ、マスターのお母様の同級生に、ヤクザの大親分がいてですね、以前ここに見えてお墨付きとやらを置いていったんですよ。ヘンなチンピラに絡まれないようにって。ただマスター、そんなの飾っておくとかえって面倒になるかもしれないからといって、掛けてませんけれど。ちなみにですね……」
ボソボソと御鈴がロンに何事かを耳打ちした。
「わかりやした。確かめて見ましょう。ですがその話、ウソじゃありやせんよね」
「私、紳士的な方にはウソはつきませんわよ」
御鈴のその言葉で、ロンは顔を(気分は最悪だろうに)ほころばせると、サブを引きずるようにして店から出て行った。
「ふぅ、これで一安心ですわね」
「あの、御鈴さん。あの人に何をいったんですか?」
みずきの素朴な疑問に、御鈴は謎めいた微笑を浮かべてこう答えた。
「ひみつです。そうそう、昨日の残りでよければ、チーズケーキが残っていますけれど、いかが?」
そういって御鈴はいつものようににっこりと微笑んだ。
〜第弐話 終〜
本日のお客様。
アイドル歌手のルナさん(17)。プレイヤーは
稲葉架那
さま。
中学1年生の鈴科みずきちゃん(13)。プレイヤーは日柳悠希さま。
地上げ屋のロン・トラボルタ氏(29)。プレイヤーは本山アキラさま。
以上のお三方でした。
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