6月1日 己卯 陰
寅の刻、左金吾江島明神に御参り。この次いでを以て相模河辺を逍遙せしめ給う。当
国の御家人等群参し、狩猟・射的の勝遊有り。今夜大磯に到り止宿せしめ給う。遊君
等を召し歌曲を盡くさる。
6月2日 庚辰 晴陰、常に小雨灑ぐ
今朝金吾大磯宿を出でしめ給う処、遊君愛壽俄に以て落餝す。これ去る夜数輩の中、
一身恩喚に漏れるに依ってなりと。その顔色太だ花麗、傍輩等これを妬み、名字を隠
密するの間、その召し無きの処、忽ち出家を遂ぐ。金吾殊に御歎息有り。仍って数多
の纏頭を賜う。これを領納せず、高麗寺の仏陀に施入し、即ち逐電すと。戌の刻に金
吾鎌倉に御帰着。
6月28日 丙午
藤澤の次郎清親囚人資盛姨母(坂額と号する女房)を相具し参上す。その疵未だ平減
に及ばずと雖も、相構えて扶け参ると。左金吾その躰を覧るべきの由仰せらる。仍っ
て清親相具し御所に参る。左金吾簾中よりこれを覧玉う。御家人等群参し市を成す。
重忠・朝政・義盛・能員・義村以下侍所に候ず。その座の中央を通り簾下に進み居る。
この間聊かも諂う気無し。凡そ勇力の丈夫に比すると雖も、敢えて対揚を恥ずべから
ざるの粧いなり。但し顔色に於いては、殆ど陵薗妾に配すべしと。
6月29日 丁未
阿佐利の與一(義遠)主女房を以て申して云く、越州の囚女すでに配所を定めらるれ
ば、態と申し預からんと欲すと。金吾御返事に云く、これ無双の朝敵たり。殆ど望み
申すの條所存有りと。阿佐利重ねて申して云く、全く殊なる所存無し。ただ同心の契
約を成し、壮力の男子を生み、朝廷を護り武家を扶け奉らんが為なりと。時に金吾、
件の女の面貌宜しきに似たりと雖も、心の武を思わば、誰か愛念を遺さんや。而るに
義遠が所存、すでに人間の好む所に非ざる由、頻りに嘲哢せしめ給う。而るに遂に以
て免し給う。阿佐利これを得て甲斐の国に下向すと。