8月7日 己亥 甚雨洪水
大倉新御堂の惣門顛倒す。
[皇帝紀抄]
武士等多く宇治並びに淀・勢多等に向かう。南都大衆の入洛を相防がんが為なり。去
る四日春日の御榊を移殿に移し奉る。
8月13日 丁巳
大夫判官惟信の使者参着す。申して云く、去る四日、南都の衆徒欝訴の事有りと称し、
春日の神木を木津の辺に移し奉る。今日(七日、この使者出京の日)入洛せんと欲す
るの由その聞こえ有るの間、在京の士卒、悉く以て勅定を奉り、これを防禦せんが為
宇治・勢多の両途に向かいをはんぬと。
8月15日 丁未 霽
子の刻月蝕正見(九分)す。今日鶴岡の放生会なり。蝕の間、払暁将軍家御出で。経
会・舞楽早速遂行せらるなり。
8月16日 戊申 晴
将軍家御参宮昨日の如し。
8月29日 辛酉 陰
去る十六日仙洞秋十首の歌合わせ。二條中将雅経朝臣写し進す。将軍家殊にこれを賞
翫せしめ給うと。