1215年 (建保3年 乙亥)
 
 

6月5日 癸亥 霽
  寿福寺の長老葉上僧正栄西入滅す。痢病に依ってなり。結縁と称し、鎌倉中の諸人群
  集す。遠江の守将軍家の御使いとして終焉の砌に莅むと。

[武家年代記]
  栄西相州寿福寺を営む、七五西寂す。勅に千光国師を賜う。
 

6月7日 乙丑
  御台所の御方の祇候人その数を定めらる。今日、御前に於いてこれを結番せらる。容
  儀を撰ばらると。
 

6月20日 戊寅
  今夜子の刻御霊社鳴動す。両三度に及ぶと。