1220年 (承久2年 庚辰)
 
 

10月11日 丁卯
  亥の刻町の辺焼亡す。南北二町余災す。相模次郎入道行念・大夫の尉惟信等の家その
  中に在りと。
 

10月18日 甲戌 [百錬抄]
  大内の殿舎・門廊等立柱・上棟なり。仍って権大納言通具卿・参議公頼卿・右中弁頼
  資朝臣・右少弁光俊已下行事所に着すと。