10月7日 丁未 雨降る。戌の刻より子の時に至り大風
御所侍・中門廊・竹の御所侍等顛倒す。その外諸亭の破損勝計うべからず。その棟梁
を抜き、路次に吹き棄つ。往反の類これが為少々打ち殺さると。
[皇帝紀抄]
神祇官顛倒す。また陽明門内の槐木多く顛倒す。また法勝寺九重の塔の九輪いよいよ
北に傾きをはんぬ。珍皇寺新造の塔吹き倒さる。
10月8日 戊申 快晴
後藤左衛門の尉基綱の奉行として、御所修理等の事、武州の御亭に於いてその沙汰有
り。大風洪水の如きの時顛倒の屋舎の作事は、日次沙汰に及ばず。左右無く皆建立す
るの條、常事たるの由これを申す人有り。然れども武州猶御不審に及ぶ。即ち晴賢を
召し、直にこの趣を仰せ含めらる。晴賢申して云く、昔木工寮の屋風に依って顛倒す。
近くは鳥羽殿洪水に依って破損す。共に以て修理に准え、これを立てらるると雖も、
柱棟木の如き事に非ずして顛倒の屋は、吉日を以て建てらるる事宜しかるべしと。
10月9日 己酉 天晴
政所に於いて、竹の御所風に依って顛倒の屋の事その沙汰有り。信濃民部入道行然こ
れを奉行す。
10月10日 庚戌 天晴
将軍家御方違えの為、小山下野入道生西の家に入御有るべきの旨仰せ含めらると。周
防の前司・土屋左衛門の尉奉行たりと。
10月14日 甲寅 天晴
今夜、竹の御所御方違えの為陸奥の四郎政村の亭(本これ故二位殿御所)に渡御す。
女房数輩御共に候すと。
10月15日 乙卯
武州御馬(黒駮)一疋を将軍に進せらる。即ちこれを相具し御所に参らる。平左衛門
三郎盛時をして北向の御壺に引き出さしむ。廂に出御す。その毛興有るの由、頻りに
御感に及ぶ。仰せに依って武州これに騎らしめ給う。この間周防の前司・信濃民部大
夫入道・駿河の次郎・城の太郎・土屋左衛門の尉・籐内左衛門の尉等庭上に跪くと。
今夕、将軍家御方違えの為小山下野入道生西の車大路の家に入御す。御輿を用いらる。
黒駮の御馬御前に牽く。土屋左衛門の尉御劔を持つ。佐原三郎左衛門の尉御調度を懸
く。
供奉人(騎馬、五位水干、六位立烏帽子・直垂)
駿河の守重時 大炊の助有時 駿河の前司義村
相模の四郎 同五郎時直 駿河の次郎泰村
同三郎 足利の五郎長氏 周防の前司親實
加賀の前司遠兼 結城左衛門の尉朝光 同七郎朝廣
後藤左衛門の尉基綱 長沼左衛門の尉 宇都宮四郎左衛門の尉頼業
三浦の又太郎氏村 遠山左衛門の尉 葛西左衛門の尉
東の六郎 加藤左衛門の尉 信濃次郎左衛門の尉行泰
隠岐三郎左衛門の尉 嶋津三郎左衛門の尉 天野次郎左衛門の尉
江兵衛の尉 伊賀四郎左衛門の尉朝行 狩野籐次左衛門の尉
遠藤左近将監 中條左衛門の尉 佐々木左衛門の尉 同三郎
最末 佐々木判官
彼の亭に入御の後、三献を供うの間、相州・武州候ぜらる。越後の守追って参加すと。
10月16日 丙辰
日中以後還御すと。生西御引出物を進す。御劔・砂金・御弓・征矢・御行騰・御馬二
疋(一疋鞍を置く)等なりと。
10月18日 戊午
昨日午の刻、筥根社壇焼亡の由これを馳せ申す。当社垂跡以来、未だ回禄の例有らず
と。これに依って御作事延引すべきや否や評議に及ぶ。助教・駿河の前司・隠岐入道
・後藤左衛門の尉の如き群議を凝らす。風に依って顛倒の屋取り立てらるるの條、そ
の憚り有るべからずと。御侍並びに中門廊無きの條、頗る荒廃の躰に似たり。早く御
造作を急がるべきの由、人々これを申すと。
10月19日 己未 晴
御所並びに竹の御所の中門廊・侍等これを建立せらる。造進の輩各々営作すと。後藤
左衛門の尉これを奉行す。竹の御所の事は、一向政所の沙汰と。信濃民部大夫入道行
然奉行たりと。
10月25日 乙丑 霽
去る二十二日火土相犯の由、天文道勘文を献る。周防の前司・後藤左衛門の尉等これ
を披露すと。
10月26日 丙寅 晴
天変の御祈りを行わるべきの由その沙汰有り。三條左近大夫将監親實奉行たりと。今
夜竹の御所新調の御輿を召し始め給うと。他所に御出の儀に非ず。郭内なり。
10月30日 庚午 天霽
御祈り等これを始行す。
一字金輪法(大進僧都) 八字文殊(信濃法印)
愛染王(若宮別当) 薬師(宰相律師)
北斗(丹後僧都) 土曜供(助法印)
天地災変(親職) 泰山府君(泰貞)
螢惑星(晴幸) 鎮星(晴賢)
太白星(重宗)
等なり。周防の前司・三條左近大夫等の奉行として、面々の供料その沙汰を致す。各
々人々に充てる所なり。