7月2日 丙戌 天晴 [明月記]
實持朝臣今夜来たり。五日の御拝賀資雅朝臣供奉すべきの由、殊に示し送るべきの旨
仰せらるるの趣を示し送る。御拝賀何事やの由これを奏す。また云く、関白御慶なり。
驚きながら馳参す。仰せに云く、今日この事定めをはんぬ。来五日殿下御上表、即日
詔書拝賀なり。
7月5日 [百錬抄]
関白上表。左府(教實)を以て関白と為す。即ち長者の印を渡す。
7月9日 癸巳 霽
午の刻御台所御新車始めなり。駿河の前司義村の宅に渡御す。将軍家先ず入御す(御
布衣・御車)。駿州の経営善を尽くし美を尽くす。伶人並びに舞女等を召し終日御遊
興。暁鐘の期に臨み還御す。
7月11日 乙未
二位家の御月忌。南小御堂に於いて仏事を修せらる。導師は求佛房なり。御台所渡御
す。相州・武州参り給う。
7月15日 己亥 霽
二位家の御追善。小御堂恒例の一切経会なり。両国司また以て詣で給う。
7月16日 庚子 晴
今日京都の使者参着す。摂録を左府(御年二十二)に譲り奉らる。去る二日内覧の宣
旨。五日夜に入り拝賀。これ知足院殿の例と。今月天下大飢饉、また二月以来洛中・
城外疾疫流布し、貴賤多く以て亡卒すと。