1253年 (建長5年 癸丑)
 
 

7月6日 戊午 天晴
  寅の刻鶴岡仮殿遷宮なり。
 

7月8日 甲申
  来月の鶴岡八幡宮の放生会、将軍家御参宮有るべきに依って、小侍所に於いて供奉人
  の交名等を書き整う。所謂布衣を着すべきの人有り。直垂を着し帯劔すべきの壮士有
  り。また随兵たるべき者有り。今日先ず布衣の散状を廻らす。その中宿老の然るべき
  者に於いては、宮寺廻廊に参候すべきの由と。
 

7月9日 乙酉
  随兵の事、今日散状を廻らさる。書き様、
   右来八月の放生会に御社参有るべし。各々布衣を帯び供奉せらるべきの状、仰せに
   依って廻らす所件の如し。
   右来八月の放生会に御社参有るべし。各々随兵として供奉せらるべきの状、仰せに
   依って廻らす所件の如し。
   右来八月の放生会に御社参有るべし。各々兼ねて廻廊に参向せらるべきの状、仰せ
   に依って廻らす所件の如し。
 

7月10日 丙戌
  直垂着の供奉人催促、昨日の如しと。
 

7月15日 辛卯 天晴
  鶴岡八幡宮正殿の立柱・上棟なり。
 

7月17日 癸巳
  去る八日以後度々散状等これを取り整え、進奉の人を選ぶ。これを披覧せらると。
  障りを申す輩
   那波左近大夫        筑前の前司(持病更発の間、灸治を加うの由申す)
   嶋津大隅の前司       備後の前司       伊賀の前司
   武藤左衛門の尉(御調度を懸くべきの由仰せらるるの処、灸治の由を申す)
   豊後四郎左衛門の尉(下国) 足立三郎左衛門の尉(所労)
   大泉次郎兵衛の尉(軽服)  東図書の助(散状以前帰国す)
   伊賀の四郎         遠江次郎左衛門三郎   土屋の彌三郎
   土肥左衛門四郎       足立左衛門三郎