4月5日 [北條九代記]
(前右馬権頭)政村陸奥の守に任ず。
4月10日 辛未 晴
武州前刺史禅室の後室禅尼不食所労に依って逝去す(年七十)。相州この事に依って
着服。五十日の御服暇と。
[百錬抄]
大宮院御産(皇子)。太閤已下これに参る。
4月13日 甲戌 晴、未の刻雨降る
陸奥の彌四郎時茂(生年十六)六波羅に候せんが為上洛す。
4月14日 乙亥 霽
新奥州執権の事を奉るの後、政所始めの儀有り。
4月18日 己卯
駿河蔵人次郎小侍の番帳に入る。二番と。
4月27日 戊子 晴
今日陸奥の彌四郎入洛す。六波羅の北亭に着くと。
4月29日 庚寅 晴
三番引付頭人等の事その沙汰有り。今日これを定めらる。所謂武蔵の守朝直は一番引
付頭たり。前の尾張の守時章は二番頭たり。越後の守實時は三番頭。