8月2日 丁酉 晴
式部太郎左衛門の尉京都より帰参すと。
8月5日 庚子 晴、甚雨、申の刻大風
人屋多く以て破損す。戌の刻風休む。地震。
8月6日 辛丑
相模の三郎外祖父卒去するの間、軽服と。
8月7日 壬寅 晴
将軍家赤痢病を煩い御う。仍って相模の太郎殿の沙汰として、如法泰山府君祭を行わ
る。為親朝臣これを奉仕す。御使は狩野四郎左衛門の尉。
8月8日 癸卯 晴
御悩に依って、七口の碩徳を以て七座の法を修せらる。安祥寺僧正・松殿法印・勝長
寿院法印・左大臣法印以下なり。
8月12日 丁未 霽
御悩の事に依って、相模の太郎殿の御沙汰として、一日中に薬師像(将軍家御等身)
を造立せらる。供養導師は尊家法印。また薬師法を始行せらる。今日六波羅に仰せ遣
わさるる事有り。その御教書に云く、
問注以後の追進状の事、證文を進せざるの外、訴陳に於いては、沙汰に及ばざるの
由定められをはんぬ。而るに問注記の具書を進覧するの時、毎度追進状を副え進せ
らるるの條、傍例に違い、沙汰の煩い無きに非ず。自今以後に於いては、證文の外、
訴陳の状を副え進すべからず。もし簡要の證文を備進せしめば、覆問を遂げ、彼の
證文を副え進せしむべきの状、仰せに依って執達件の如し。
文應元年八月十二日 武蔵の守
相模の守
陸奥左近大夫将監殿
8月15日 庚戌 晴
鶴岡の放生会。将軍家御参宮無し。赤痢病の御悩軽からざるが故なり。武州御使とし
て神拝せらる。舎弟左近大夫将監義政並びに相模の四郎・和泉の前司行方・太宰権の
少貳景頼・壱岐の前司基政・縫殿の頭師連・上総の前司長泰等廻廊に参る。
8月16日 辛亥 陰
武州参宮昨に同じ。将軍家御出無しと雖も、馬場の儀桟敷等例の如し。大夫判官行有
・大夫判官廣綱・大夫判官行氏等馬場を警固す。
8月17日 壬子 晴
将軍家の御悩に依って、御鞠の壺に於いて、天文博士為親朝臣如法泰山府君祭を勤む。
鞍置き馬一疋・鎧・弓箭等、相模の太郎殿の御沙汰としてこれを奉らる。御双紙箱(錦
の袋に入る)、御所よりこれを出さる。
8月20日 乙卯 晴
将軍家の御悩聊か減に属かしめ御う。
8月25日 庚申
二所御参詣有るべきに依って、供奉人等その沙汰有り。且つは先日の御点人数を書き
出し進せしむべきの由、小侍所に仰せらる。行方これを伝達すと。宗像の六郎子息の
童形(如意丸と号す)御調度懸けに点じ供奉すべきの由定めらると。
8月26日 辛酉 雨降る
将軍家御除服。為親朝臣(亥の刻)御祓いを勤む。陪膳は讃岐の前司忠時朝臣(布衣)、
役送は近江の前司季實。