11月1日 己未 天晴
前の下野の守正五位下藤原朝臣泰綱(年五十九、時に在京)卒す。
11月2日 庚申 天晴
貢馬・貢金等京都に進発す。
11月3日 辛酉 霽
寅の一点入道従四位上行陸奥の守平朝臣重時卒す(年六十四、時に極楽寺別業に住す)。
発病の始めより、万事を抛ち、一心に念仏し正念に住し終わりを取ると。
11月6日 甲子 霽
寅の刻奥州禅門葬礼と。
11月7日 乙丑 天晴
戌の刻雷鳴。
11月11日 己巳
御祈りの時、大阿闍梨の壇所として宿所を点じ召さるべき事、鞠懸りの樹を召さるべ
き事、定めらる。並びにその人数、
越前の前司 刑部少輔 武蔵左近大夫将監
新相模の三郎 秋田城の介 上野大夫判官
11月12日 庚午 天晴
政所廰屋等上棟。
11月22日 庚辰
押垂齋藤の次郎小侍所の番帳に召し加えらる。武藤少卿景頼これを申し沙汰すと。
11月26日 甲申
明年正月御弓始めの事その沙汰有り。射手等を差さる。相模の太郎殿・越後の守連署
の奉書を下さると。