1265年 (文永2年 乙丑)
 
 

閏4月7日 乙亥 天晴
  遠江の四郎平政房卒す。
 

閏4月18日 [五代帝王物語]
  左府関白に成給。前殿(二條殿)は大殿とて猶出仕し給ふ。御兄弟の御間は父子の體
  にてもおはしまさず。殊に中あしくおはしましつるに、猶かやうに大殿とておはしま
  せば、是もめづらしき事なり。

[続史愚抄] 丙戌
  左大臣(實経、前の摂政)関白氏の長者等の宣下有り。
 

閏4月20日 戊子
  御所無人の由その聞こえ有るに依って、先ず当番不参衆を注進すべし。罪科に処せら
  るべきの旨、左典厩今日御使を小侍に遣わさると。
 

閏4月22日 庚寅 [続史愚抄]
  関白(實経)奏慶(扈従公卿左大将冬忠已下二人、前駈殿上人蔵人頭右大弁雅言朝臣
  已下八人)。
 

閏4月25日 癸巳 天晴
  殊なる御願に依って、御所に於いて五大尊合行法を始行せらる。若宮の別当僧正これ
  を奉仕す。伴僧十口を率すと。