十四日やうやうはれたれと朝霧猶ふかし、あゆひつくろひて出たつ、久比利、八幡、野比
の山里を過て長沢より浜路にいつ、沖浪のたかくたつに大舟とものたゝよふを見て、
三浦かたおきのなころや高からしむや
ひかねたるい□□舟かな
いそへたをつたひ行にいくつともなくならひたてる岩のうへによせくる波いとおかし
浪こゆるあらいそ崎のならひ岩
たゝ白馬のはしるとそ見る
津久井の浜を過て宮田より又山路にかゝりて飯盛、引橋に出たり、これは馬にて行くみち
なり、かちより行は宮田をよそに見て飯盛へかゝらす、引橋迄いそへたを行也。暢はいそ
へたをたとり、おのれは馬路をゆきこゝろむ、おのれおくれたり、いそへたのかたいさゝ
か近きなるへし、引橋より漏磯を経て三崎にいたる、こゝにも会津殿のとりてありて、ま
もらひ人佐藤某もかねてより、名簿おくりおこせたれは立よりぬ、是もあらぬほとにて、
家としにいひ置きあるへし、このとりてにすむ片岸某はひちりきふく人也ときけるからに、
とひ見しを、某は観音崎に行てあらす、子といふも五十に過たるか出あひて、この所のあ
りさまよろつかたらひて、城か島にあなひし聞えんといふに、さらはとてうちつれ行て、
潮のおもて六十はかりのほとを舟にてわたる、岩のたゝすまひ浪の音さまいはんかたなく
をかし、磯きはより長く三十間ほとさし出たる岩によせくる波のうちこするか滝のやうに
見ゆるを、浪のひけは其岩又あらはれいつ、これを見て
あら磯のさし出の岩に浪こえて
おもはぬ滝を海に見る哉
嶋におりて見ありくに、南おもてにとふ火の台をかまへ、大筒八ッをおかる、まもり人
もなみ居儀仗ともゝいとおこそかなり、こゝも観音崎と同しく北のえみしらをおさへの為
にそなへおかせ給ふ也けり、うをみのやといふは西のかたにありて、よなよなかゝりをた
くといへり、嶋よりかへり来て町中なる石井とかいふ屋にとまる、この所のさま、寺多く
して皆をかのうへにありて、町中海のおもて皆ひとめに見おろす所なり、すなとりをわさ
とする物とあきなひをむねとするものとなかはにしてましりすめり、浦賀にくらふれはい
たくひなひたれと、にきはゝしくとめる浦里也けり、こゝの事は三崎志といふものにくは
しけれは、いふへきことともいはてやみぬへし、あしかといふけものを見る、いにしへの
書に見えたるみちといふは是なりとか、まことに海驢とも名つくへきすかたしたるものな
り、しくるゝほとまつよひの月海のおもてにてりわたりてたゝひるのやうなり、かのうを
見のやにたく火のひかりもこよひは月の影にけおされたるこゝちす、
十五日朝霧ふかきに出たちて鎌倉へと杖をひく、足もとより鴫のたつを
今朝はまた浮霧ふかしたつ鴫の
行とも見えぬ小田のくろ道
きのふ来し漏磯、引橋を経て飯盛より西へをれ行こと一里半はかりにて、こみちより浜
路にかゝれは下宮田といふ、こゝに入海あり、東西へ十町、南北へは一里も有へし、この
入海のなか□に、石もてなかき提をつき出してゆきかよふ、中嶋に橋二ッをわたす、金沢
の瀬戸橋にくらふれは、はるかにまされる所のさま也、十五六年のむかしの事なりけり、
狩谷望之かまた高橋真末といひけるをり、あひともなひて此国めくりありきしことありし
に、此下宮田にいたりてもろともに、いとめてたき所のさまやとふかく心とめたりしかは、
こたひも必此道を経んと思ひしに、いつかそのこみち見うしなひて例の馬道といふを行て、
和田、林なといふ村々をふるに、むかしほのおほえしはかりたる道のさまなれは村人にと
ひきけは、下宮田ははやあとになりぬ、そは浜のうち也、馬路よりは近けれとこみちによ
りてはゆきかたしといふ、ねたさいはんかたなし、田舎路はいくかへりもよくあないきく
へきこと也。