現今の三崎町 町の東西十町、南北一里五丁、最近の調査に依る戸数一千六百、人口約九
千七百、多くは漁民にして毎年の漁業収穫凡そ三十万円に上る。漁港としては極めて便利
な港で、啻に此付近の漁獲物のみに止まらず、伊豆七島の海産物の集散地になって居るの
で稍や漁獲の多い時は非常に殷盛になる。港の口は城ヶ島を以て自然の防波堤をなし、船
舶の碇泊するもの四時絶えず。漁歌款乃岸頭の人語と呼応して、宛乎たる海上の別乾坤で
ある。町の東方の入江を北條入江と云ふ、渡舟を呼んで対岸向が崎に渡り、試みに大椿寺
に立って東に望めば、海を隔てて遙かに房総の諸山あり、眼下に横たはる城ヶ島の一角に
は白色の燈明台の、油絵の如く屹立せる辺り、鴎飛び、舟動きて、港頭に櫛比せる人家と
濃淡疎密の彩色を刷いたに異ならぬ。若し夫れ転じて兜島に立てば、白扇倒懸の英蓉峰霊
気奕々として神州の精鋭を発揚し、近くは網代、諸磯の海浜より鎌倉、江ノ島の翠巒を望
み、遠くは雨降、箱根の連峰をさへ模糊の間に髣髴する事が出来る。之を要するに、東西
遠近の展望は筆舌の境を越えた一大勝区にして、著者の如きは逗子葉山の名区よりは遙か
に此の勝景を嘆美する者である。

○町の区域 三崎町の字は日の出、入船、中崎、花暮、海南、西野、宮城、西浜、二町谷、
   東岡、諸磯、原、小網代、宮川、向ヶ崎、城ヶ島等
○官公衙 三崎町役場(東岡)、三崎町警察分署(西野)、郵便局(中崎)
○学校基地 三崎小学校(字陣屋山)、浦賀銀行三崎支店(入船)、
      東京大学臨海実験所(小網代)
○神社、寺院 三崎町の鎮守海南神社(郷社)を主なものとす。寺院は永昌寺(禅)、
   本瑞寺(禅、所謂桜の御所)、光念寺(浄土)、大乗寺(日蓮)、最福寺(眞)、
   眞福寺(眞)、浄称寺(同)、圓照寺(同)、大椿寺(禅、所謂椿の御所)、
   見桃寺(同、桃の御所)、長善寺(眞)、海蔵寺(禅)
○交通 浦賀まで四里四丁、毎日二回馬車の便あり(四十二銭)、汽船は東京湾汽船会社
   の第二十五号、第二十六号の二隻及び三崎運輸汽船会社の第三三盛丸の都合三隻、
   毎日二回午後十時及び十一時に出帆す。浦賀を経て東京へ、及び東京、房州へ。又
   小網代より大崩れ古戦場を経て葉山方面へ赴くには人力車に依らざる可からざる
   も、三浦郡の中央を貫き長井、初声、衣笠等を過ぎて横須賀へ出でんには三崎より
   長井まで人車、長井より横須賀までは毎日数回馬車の便がある。
○産物 鰹、鮑、海老等を上品とす。又海草も頗る多く、中に就き神馬藻は最も多く産す。
○旅館 三崎町の旅館には岬陽館(宮城)、和田屋(同)、又五郎(花暮)、
   紀伊国屋(入船)、青柳亭(日の出)、温泉亭(同)、生洲館(向ヶ崎)であるが、
   毎年六月から九月までは東京其他から絶えず八百人位の避暑客が入り込むので以上
   の七軒では収容し切れず避暑客は普通の民家を借り住むのが常である。
○別荘 夏涼しく、冬温かに、風景に富み、古跡多く、殊に肺病患者の療養に適して居る
   が、今の処、交通が不充分な為め余り別荘杯も出来ぬ。故山田伯の別荘くらいが主
   なる者であろう。地価も今の内なら廉い、交通も次第に便利となるので、目の早い
   ものはすでに地所買〆に着手して居るさうである。早晩見違える様な別荘地になる
   と思ふ。
○海水浴場 西が吹けば多少荒れるが夫でなくば静かな海、安全な海、太平洋から遮る者
   なく寄せて来る新らしい潮の、何処は好い悪いと云ふ事もないが、遠浅になって女
   子供にも面白いのは二町谷海岸である。下は美くしい砂、所々には腰をかけて甲羅
   を干すに適当な岩がある紅白だんだら染の海水服や、涼しげな浴衣に淡紅色の扱帯、
   海水帽を編笠の様に冠って緋の蹴出しから、白い素足をホロホロとさせる。都ぶり
   の君が、あらあらと云って珍らしげに波がしらを追って居る。げに、夏は天女の群
   れて遊ぶ二町谷は此世のパラダイスである。
○花街 日の出の町外れ、入江の奥の諏訪と云ふ所に小ぢんまりと一廊を為して居る妓楼
   は近江楼、金太楼、三国楼の三軒、芸妓の数は七名。
          (その他、古跡等は略す)