15 陣見舞(参り候わん)

 此時荒次郎声を励まし「種久殿は武士の礼儀を知り給わぬか、某が参りしこと全く両家
の為を思えばなり、それを降参せよとは何事ぞ、此たび北条早雲大軍を起して我が領内に
攻入りしは、全く我家一つに仇なすものならず、其志は関東八州を併呑し、天下に覇たら
んとの野心なること明なり、御身の家も我家も共に関東累代の名家なるに、小故を争いて
外の大敵を防がずば、早雲に鷸蚌の利を占められん、早雲は虎狼の人物、人を欺いて小田
原城を奪いしほどのものなれば、もし我家を滅さば続て御身の家を奪わん、されば今の内
に和睦を結んで共に両家の繁昌を祈らんと思いつるに、御身が無礼の言を放ち、飽くまで
合戦を好むならば、先ず御身と雌雄を決して後に早雲に当るべし、人の噂に楽岩寺種久殿
は義勇の武士と聞けるが、扨々物の道理を弁えぬ人かな」と大言を吐き放して席を去らん
としければ、種久俄に押留め「アイヤ荒次郎殿、御身の言葉は理なり、さりながら始めよ
り何の遺恨もあらざるに、宝蔵山にて不意に我等を撃ち給いし子細は如何」、荒次郎「そ
れは家臣共が野心より出でたる事なり、某に於て別心無き証拠は、御身の腰元八重絹とや
らんを生捕り、懇ろに介抱致し置きたり、是を此方へお返し申さん」、種久暫く思案し「道
寸殿の心は知り難けれども、御身の言葉に対し此たびは和睦致し申さん」、荒次郎「確と
和睦を御承知あるか、さあらば今迄の無礼御許しあれ、偽りならぬ和睦の印に某一つの御
願いあり、御身の御息女小桜姫を某が妻に申受けたし、此儀叶い候わば両家の親み万々世
に候べし」と席に直りて物柔に言い出ずる、種久莞爾と打笑い「御身ほどの勇士を婿とせ
んは某が面目なり、されども某は小桜の外に子と申すもの候わず、御身に然るべき兄弟あ
らば一人を某が子に賜り候え、さあらば娘は御身が望みに任せ申さん」と顧みて小桜姫の
顔を眺むれば、斯る折には流石の勇婦も女の情に漏れざりけん、顔紅めて頭を垂れたり、
荒次郎も思いは同じ、「某の弟虎王丸と申すが今年十三歳に候、父道寸に相談致し、此者
を御身が方へ差上申すべし」と、此にて愈々和睦の儀を決し、荒次郎義意は我陣に帰り、
父道寸に種久との約束を物語けるに、道寸も今は拒まん儀無く、然らば小桜姫を貰い受け、
其代りに虎王丸を遣わすべし、尤も今大敵を眼前に控えたれば、早雲を却けて後緩々婚儀
の用意をせよと重ねて使者を敵陣に送り、堅く後日を約して愈々和議を取結びける、荒次
郎は父を促し「楽岩寺家と和睦整う上は、一刻も早く小淘が浜へ馳せ向い、早雲が兵を領
内より追却け給うべし、一城を奪われても我が恥辱、一邑を荒されても我が武門の名折れ
にて候」と忽ち兵を一手に纏め、隊伍を整えて小淘が浜へと馳せ出す、道寸も続て兵を進
めたり、三浦勢三千余騎が田越川の岸に沿い、咲ける桜の花蔭に幡差物をひらめかし、疾
風の如くに馳せ過ぐる有様、勇ましくも亦美事に見えたれば、種久と小桜姫小高き丘に登
りて、此体を打眺め「如何に小桜、流石は武勇鋭き三浦勢が武者振の勇ましさよ、真先に
駆けたる一手の兵はアレぞ先陣の荒次郎義意ならん、続く二陣は大森・佐保田、三陣は菊
名、四陣は初声、五陣は正しく道寸が本陣と見受けたり、此猛威を以て敵に当りなば、早
雲如何に勇なりとも、俄に破らんこと叶うまじ、小淘が浜の合戦こそ世に面白き見物なら
ん」、小桜姫思わず前に進み「父上、早雲は怖ろしき智将と承る、もし三浦勢に不覚あら
ば災延いて我家に及ぼし候わん、和睦なす上は一家も同じ三浦親子、軍陣の見舞として妾
是より小淘が浜へ馳せ向いたし、アワレ一手の兵を貸し給え」と勇んで父に願いける、