23 一大事(起り候)

 今日は嬉しき日なりけり、永正八年四月三日網代新井の城にては三浦家の一族九十余人、
荒次郎義意が婚儀の賀宴に列せんとて、銘々祝い物を人夫に担がせ早朝より参着して道寸
父子に喜びを申述べける、本城よりは小桜姫が出迎いとして菊名左衛門重氏・初声太郎行
重両人国境まで出張す、用意は万端整いたれば、唯小桜姫の来着を待ち受くる所に、菊名
左衛門一人途中より取って返し「一大事の起りて候、唯今小桜姫の御出迎いに長柄の城ま
で出張せしに、子細は存ぜねど楽岩寺種久一千余騎の逞兵を従え、小桜姫を先陣として不
意に長柄の城まで攻め寄せたり、城中の留守居の者も事の不意に驚き防戦の用意整わず、
さるに依て初声太郎城に留まり敵を防ぐ、某は此事を御注進申さん為宙を飛んで馳せ帰り
候」と告げたりける、人々驚き呆れて何と言葉も出でざるに、道寸入道奮然と立上り「扨
こそ種久めが偽りの和睦を為して我等を怠らしめ、今日の油断を計って我が領内に攻め入
りたると覚えたり、種久は初めより和睦なすべき敵にあらぬを、荒次郎の諫めに依り縁組
の約束までして、出し抜かれたるこそ口惜しけれ、如何に長柄大膳、汝は早く城に帰り、
初声太郎に力を合せて楽岩寺勢を喰止めよ、我等直ちに兵を揃えて跡より後詰に赴くべし」
と長柄の城将長柄大膳政元に命じければ、政元畏り、従者を連れて飛ぶが如くに長柄を望
んで馳せ帰る、道寸跡にて諸将に向い「此度こそ楽岩寺種久を討取り、金沢領を奪わざれ
ば止むべからず、諸将各々部下の兵を聚め、大軍を催して金沢勢を破るべし」とそれぞれ
用意を命じける、荒次郎義意は夢に夢見る心地して、事の子細を悟り得ず「父上、種久は
妄に和睦を破るべきものに候わず、殊更今日に迫りての合戦は必ず子細のある事ならん、
某是より敵陣に赴き、子細を質して其上に和するとも戦うとも定め候べし、父上は暫く此
城にて御待ち候え」と申しけるを、父道寸ハッタと睨め「愚なり荒次郎、汝が先に種久父
子に欺かれ、偽りの和睦を許したればこそ斯る不覚を取りたるなれ、小桜姫が色香に迷っ
て、再び敵に欺かれん所存なるか」と叱り付くれば、義意慨然として顔を揚げ「色香に迷
うとは情け無き仰せかな、小田原に早雲と申す大敵あれば、もしや反間の謀を以て両家の
和睦を破らんとなせしに非るか、其謀に乗らば愈々不覚なり、子細を質さんと申せしは是
が為にて候」、道寸「イヤ子細を質すまでも無し、我も初めより好まぬ和睦、種久が破り
しこそ幸いなり、罪を責めて楽岩寺家を滅し、武蔵の地を奪って日頃の本懐を達すべし、
汝も畢生の勇気を振い候え」と頻に兵を聚めける、流石三浦の大族にて、日頃合戦に慣れ
たれば、火急の下知ながら諸将各々手勢を引率して聚り来り、瞬く隙に三千余騎の同勢と
はなりにけり、道寸大に悦び、荒次郎と共に此兵を従えて新井の城を立出でけるが、衣笠
山に掛りし頃い、長柄の方に当って黒烟天を焦して立昇る、扨は長柄も落城せしかと三浦
勢駒を速めて進む所に、向うより長柄の敗卒逃げ来り、「楽岩寺勢の鉾先鋭くして長柄城
の防戦叶い難く、城将長柄大膳殿は城に帰りて討死致され、初声太郎行重殿は深手を負て
初声の城に引揚げられたり」と告げたるに、道寸馬上より声を掛け「して敵勢は今何処ま
で進みたるや」、兵卒「さん候、只今楽岩寺勢青野が原まで出張致して候」、道寸聞も敢
えず味方を顧み「夫れ衆を以て寡を撃つは平場の合戦に如くは無し、青野が原は屈強の戦
場なり、敵が原を越えぬ間に此方より迎えて戦うべし、急や面々」と衣笠山を馳せ降り、
青野が原を望んで押し出す、