散ればこそいとヾ桜は惜しまるれ、春の名残の合戦に散らん此身と覚悟して、死奮の勇
気類いなき楽岩寺の御息女小桜姫、三浦勢が五段の備を物の美事に四段まで打破り、道寸
入道が旗本目がけて無二無三に進む所に、向うより徐々と現れ出でたる一手の精兵、其大
将を誰ぞと見れば、武名関東に隠れ無き三浦家の鬼神荒次郎義意なり、例の十八貫目の鉄
の棒を小脇に抱い込み、駒を陣頭に乗出して屹と此方を睨めたる有様は、勇ましくも又懐
かしく、此合戦の無かりせば、今日は新井へ輿入して此英雄を良人と呼び、又我身を妻と
呼びなされ、楽しき月日を送らんに、結ぶの神も情け無や、夫婦にかわる敵味方、心にも
無き軍して、今日を限りの此対面、二世の固めと取かわす盃ならで交ゆる白刃、落ち行く
先は冥途の道、イデイデ荒次郎殿の御手に掛って潔く討死なさんものと心を決せし小桜姫、
柄も石突も血に染みて、白柄は紅き大薙刀を真甲に振り翳し、味方を離れ唯一騎、遠く乗
り出だして物をも言わず荒次郎に打てかヽる、荒次郎は最前より姫が決死の働きを心に怪
しく思い居たるが、挑まるヽ戦い辞む事もならず、鉄の棒を取直して大薙刀に渡り合い、
駒を馳け寄せ馳け離し、互に日頃の秘術を尽して千変万化に戦いたり、されども荒次郎は
新手なるに、小桜姫は最前より多くの敵を討って身体漸く疲れたれば、次第に薙刀乱るヽ
を跡へは引かじと無二無三に荒次郎に打かヽる有様は、偏に討死を急ぐと知られたり、荒
次郎もこれを悟り、合戦の子細も分らぬに姫を討死させて何かせん、様こそあれと大喝一
声、鉄の棒にて姫が乗れる馬の前足を払いければ、馬は横に倒れ、姫は前にぞ落ちたりけ
り、荒次郎早く馬より飛降り、姫を押えて生捕になさんと腰より縄を取出せば、姫は苦し
き声を揚げ「コハ情けなし荒次郎殿、妾は討死をこそ覚悟したるに、縄目の恥を与えんと
は何事ぞ、一生の御情けに首撃って給われ」と、切なる願いも荒次郎は顧みず「趣意なき
合戦に討死するとは短慮なり、殺して好くば跡で某が討ち申さん、暫く恥を忍ばれよ」と
無理に姫を縄にかけ、郎等に命じて我が陣所へ引かせける、今迄勝誇りたる楽岩寺勢は、
力と頼む小桜姫が生捕られたるを見て勇気忽ち挫けしに、荒次郎は手勢を励まして前より
進み、先に破れし四段の陣卒も、再び備を立直して八方より打てかヽりければ、勝敗忽ち
趣を異にして、楽岩寺勢は後ろの方へ追返され、遂に乱軍となって敗走す、下総守種久血
眼に成って味方を励ませども、鬼神の如き荒次郎に斬り立てられ、再び盛返すべき勢いも
無し、種久大に怒り、小桜が生捕られし上は、我も此場に討死せんと自ら槍を執って、敵
中へ馳せ入らんとなしければ、郎等関団六馬の口に縋りて、種久を諫め「コハ物に狂わせ
給うか、今は我君が討死なし給う時に非ず、一旦金沢城へ御引揚げあって、再び謀を廻ら
し給え、此所は某が踏留って敵を防がん、疾く疾く引返し給え」と力に任せて種久が駒の
頸を後へ廻し、持てる槍にて馬の臀をしたヽかに打ければ、馬は高く嘶きして後ろの方へ
馳せ出せば、団六今は心安しと唯一人敵中へ割って入り、当るを幸いに突き倒して、忽ち
騎馬武者六騎まで撃取ったり、此時荒次郎義意逃ぐる敵を追って此所へ来りしが、団六の
働きを見て駒を乗り寄せ「楽岩寺家の勇士、名を名乗り候え、我は三浦荒次郎なるぞ」と
鉄の棒にて打ちかヽれば、団六も槍取直し「物の数には候わねども、某は楽岩寺種久の御
内に於て関団六盛高と申すもの、イデ御対手仕らん」と槍を捻って立向う、荒次郎優しき
敵の振舞かなと良暫く斬結びしが、一声叫んで打込む棒を団六受損じ、兜の天辺打割られ
て微塵になって失せたりける、斯る折柄、三浦道寸入道は何処までも種久を追駆けて、金
沢の城へ付入にせよやと味方に下知して三千余の兵を進めければ、楽岩寺勢片時も支え得
ず、四方八方へ散乱して、種久が金沢城へ着きし頃は、従兵僅に数十騎に過ぎざりけり、