義明公壮年の頃、人皇七十六代近衛院の御宇久寿二年春二月天子御悩在り為され、この時
安倍泰時勅詔有りてこれを卜して曰く、これ玉藻前の所為なり。明潔鏡に照らす如く秘法
を呪せば、俄に然うして金毛九尾の古狐現れ、刹那に下野国奈須野原に飛び去る。この野
狐は唐土天竺我朝三国に渡来して、何ぞ皇帝の叡慮を誑かし、勿躰無くも玉躰を悩まし奉
るや。これに依って東国上総介廣常、三浦介義明退治の勅命を蒙り、それより両介忽ち狩
衣を整え、下野国奈須野原に馳せ向かう。彼の悪狐駈け出る。時に義明心中に丹誠を凝ら
し霊尊の箭を取り、不動明王に捧げ神道に祈誓するの蕪矢能引いて放つ。過らず難無く金
毛九尾の悪狐を射留む。実に叡慮斜めならず、前代未聞の名誉、その感賞に依って冠号大
の字を賜る。これより以後三浦大介の称号有り。迺ち御霊大明神と崇敬し奉るなり。ここ
に今御霊松と云う大樹有るなり。且つ悪狐迺ち魂変じて石と成り、往来の人これを見れば
自滅せざると云うこと無し。茲に因って殺生石と名づく。その後玄翁禅師得脱すべきの勅
命有って、禅師その所に至り石に向かい打って一偈を唱うれば、直下に解脱して仏果を得
るなり。