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使徒と神人の攻撃が止んだこの三年間で、第三新東京市の人口も増えた。かつては危険を感じてこの街を出て行く住民も多く、首都でありながら過疎化が進んでいた。それは二十世紀に都会に人が集中したのとは、対照的な人口変動の仕方だった。この街は徐々にかつての賑わいを取り戻しつつあった。
第三新東京市のスカイタワー、地上四十五階の展望室からの見晴らしは素晴らしい。特に夜ともなると、多くのカップルが光の洪水のような夜景を見に集まってくる。展望台のカクテルバーは、そんな男女の社交場となっているが、ここにいる三人にはロマンチックな雰囲気など無縁のようだ。
葛城ミサトと加持リョウジ、赤木リツコ。三人が夜景を見渡せる窓際の席に座り、カクテルを飲みながら会話を交わしている。加持の飲んでいるのは青い”ブルーラグーン”、ミサトは赤い”チェリー・ブロッサム”、リツコはメントール煙草をふかしながら、白い”ギムレット”に口を付けている。
「良くこんな着色料みたいな液体飲めるわね」向かいに座りながらブルーラグーンを口に運ぶ加持にミサトが嫌みを込めて言った。
「ブルーラグーン、青い珊瑚礁ってことだな。かつて世界中の海はこんな美しい青い色をしていたのさ」
「今はこんな赤い色だけれどもね」皮肉ぽくミサトはチェリーブロッサムを飲み干した。
「君のハートのように赤く、情熱的ともいえるけどな」
「何言ってんのよ。気持ち悪い」ミサトは顔を顰めた。
ロマンチストさを全面に出す加持と現実的なミサト、二人の噛み合わないやりとりを聞いてリツコは笑いを堪えた。
「リツコもこの馬鹿に何か言ってやってよ」ミサトは隣のリツコに助け船を出すが、リツコは煙草をふかして知らない素振りをした。
「リッちゃんは俺と同じロマンチストさ」
「さあどうかしら。女は元々現実派よ」リツコは言い苦笑した。
「そりゃ寂しいことを言ってくれるね」と、加持はふと外の風景を見た。
リツコが煙草を灰皿に押し付け、「加持くん、教えて欲しいことがあるんだけれども」と加持に言った。
加持はリツコの方を振り向き、「リッちゃんの頼みなら、知ってることは何でも話すぜ」と言い、微笑んだ。
「あらお二人さん仲が良いのね」ミサトが妬いたような声でからかう。
「リッちゃんは誰かさんと違って品が良いからな」
「何よ、どうせあたしは品がありません」ミサトはすぐに膨れて、加持から顔を背けるように窓の外を見た。
「で、何が知りたいんだ?」加持はリツコに訊いた。
リツコは加持の顔を真っ直ぐに見つめ、「SH01について教えて欲しいの」と、言った。
その名前を聞いた加持の顔から笑みが消え、急に険しい表情になった。リツコはどうしてそれを知っているんだ?
「先日碇司令からデータの解析を依頼されたのよ」
加持は警戒するように辺りを見渡した。明らかに狼狽えている様子だ。
「それは忘れた方がいいぞ」
「何故?」
急変した加持の態度から”SH01”が特別な物であることが確信出来た。リツコの研究者としての血が騒ぎ、どうしても知りたい気持ちが抑えられなくなった。
「知っていることを教えて」リツコは懇願した。
「知ると危険だぞ」加持は声を抑えて言った。
「あなたはどこまで知っているの?」
友人のリツコに不審の目で見られ、加持の気持ちは大きく揺れた。リツコとミサトはネルフの幹部だ。この二人にならば事実を話しても問題はないかも知れない。周りを見ると運良く周りは若いカップルばかりで、自分達を意識している者はいなそうだ。
「俺からの情報だと言わないでくれよ」加持は覚悟を決め、リツコに念を押した。
「勿論分かっているわ」
加持は向かいながら座る二人の顔をテーブルの真ん中まで引き寄せると、声を潜めて話し始めた。
「SH01はスズミヤハルヒの最初のサンプルだ」加持は言った。
「スズミヤハルヒ? 何それ」
「俺も詳しいことを知らないが、死海文書にもその名前が出てくるらしい。宇宙を創造した全知全能の神だといわれている」
「神・・・・・・」
「そう神、創造主だ」
「それはアダムやリリスとも関係があるの?」
「それは俺にも分からない。ただそのスズミヤハルヒという者が、汚れた文明を破壊する為に、あの神人という怪物を作り出すらしい」
《神人》それは決して思い出したくない怪物だ。三年前、使徒殲滅後突然現れた不気味に青白く光る二足歩行の生き物。100メートルはゆうにある体躯の腕の一振りで、高層ビルさえ一瞬に破壊する凄まじい破壊力を持つ。
第三新東京市は神人によって、壊滅的な被害を受けた。エヴァンゲリオン零号機、初号機、弐号機の三体が殲滅に為に出撃したが、そのうち二体が完膚無きまでに叩き潰された。アスカの弐号機のみが、怪物をプログレッシブ・ナイフで斬りつけることが出来、何とか殲滅することが出来た。あれは悪夢としかいいようがない出来事だった。あんな物がまた現れたら今度こそ人類は全滅させられるだろう。
神人が何者で、何の目的で現れたのか未だに不明だ。殲滅後の身体はまるで蒸気のように消え伏せ、測定出来る物質が何一つ残らなかった。相手の分析が出来ないようでは対策の取りようがない。
今は神人の発生に備えてエヴァンゲリオン弐号機を待機させている。零号機と初号機は改修が済んで出動出来る状態にあるが、パイロットであるレイとシンジがいない今の状態では、ただの置き物に過ぎない。
「SH01のデータをMAGIに解析させたの、すると人間と全く同じDNA構成をしていたのよ」リツコが言った。
「やはりそうか。俺も人と同じ容姿をしていると情報を得ている」
SH01という神に近い存在が人と同じ容姿をしていると聞き、人間と同じDNAというリツコの疑問の一つが解決した。しかし最大の疑問の答えは出ていない。
「分析の結果、この地球に全く同じDNAを持つ者が存在するのよ」
リツコは疑問の答えを加持が持っていると期待したが、彼もその回答を知らなかった。
「何だって、本当かそれは?」逆に戸惑う加持にリツコは質問された。
「私も戸惑っているわ。それにその人間は・・・・・・」
リツコはそこで言葉を止め、辺りを見渡してからギムレットに指先を浸し、テーブルに名前を描き始めた。その名前を見た加持の顔が驚愕の表情に変わっていく。
「間違いないのか、それは?」
「ええ」
「そのことを誰かに話したか?」
「今日碇司令に報告書を提出して、結果を伝えたわ。でも司令は顔付き一つ変えなかったの」リツコは答えた。
「多分ネルフのトップや、ゼーレの連中にとってそれは既定事項なのかも知れないな」
「既定事項?」リツコが顔を傾げた。
「そうだ」
「ネルフやゼーレは一体何をしようとしているの!」隣で話を聞いていたミサトが急に声を荒げた。
「おい、大声出すなよ」加持がミサトの口を押さえ付けた。
「ご免・・・・・・」加持が手を離すと、ミサトが謝った。
「いずれにしても他の誰にも話すな」加持はリツコとミサトの顔を交互に見ながら念を押した。
「ええ、そのつもりよ」リツコは言い、ミサトは頷いた。
「やっかいなことが起こらなければいいがな」加持は困惑したように顔を曇らせた。
高層階の窓からは美しい第三新東京市の夜景がどこまでも広がっている。この景色がいつまでも見られることを三人は願っていた。