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放課後ハルヒは鶴屋邸ではなく、部室に集まれと命じた。俺は忠実な介助犬のように昼休みになると弁当も喰わず、長門、古泉、朝比奈さんにその旨を伝えた。突然の予定変更に朝比奈さんは顔に縦線を浮かべて怯えた表情をし、鶴屋さんはまたハルヒが面白いことを考え付いたのだと、目を輝かせた。
俺としては鶴屋さんの期待に添えないことを望んだのだが、ハルヒときたら昼休みから教室に戻って来ない。まあどこで何をやっているのかは知らないが、この調子じゃろくなことは起こらないだろう。
結局ハルヒは午後の授業を欠席した。あいつは本能の思い向くまま、好き放題しているというのに、学業成績は抜群なのだから、勉強というのはハルヒの言うように要領なのだろうか? 単純に言って俺は要領が悪いから成績が芳しくない。でも本当にそれだけの理由か? 出席率からいえば遙かに俺の方が上なのに、どうも納得がいかん。
そんなことを考えながら一人歩いていると、部室の前まで来ていた。二年になって教室と部室の距離が近くなり、物思いに耽る時間もそれに比例して少なくなった。授業という現実と、SOS団という半現実への切り換えに、一年の教室と部室までの距離はちょうど良かった。今の距離は楽だが、頭の切り換えをするには近過ぎる。
まあ、仕方ないか。俺がドアをノックをすると『はい、どーぞ』という天使の返答があった。この声も気持ちの切り換えには重要な要素だ。俺はノブを回して異世界へのドアを押し開いた。
いつもの部室の風景。長門が窓際にパイプ椅子を置き、分厚い小説に視線を落としている。朝比奈さんは毎度お似合いのメイド服で微笑んでいる。古泉は長椅子の前に座り、これも涼しげな笑顔を漂わせている。俺は部室に入ると、ドアを閉めて鞄を床に置き、古泉の前にパイプ椅子を開いて座った。タイミングを合わせたように朝比奈さんがお茶を注いだ湯飲みを俺の前に置いてくれる。
「ありがとうございます」
お礼を言う俺に朝比奈さんは微笑んでくれた。ああなんて可愛いい。思わずこちらも見上げて笑みを零してしまう。視線を前に向けて古泉に、
「あいつがまた妙なことを考えてるぞ」と、笑みを殺しながら話し掛けた
「何をしていただけるのかは不明ですが、多分我々の想定内でしょう」古泉は爽やか笑顔を崩さずに答えた。
早朝に見せた取り乱した様子とはまるで違う冷静さを保っている。でもそんな呑気に構えていて大丈夫か? あいつ午後の授業放り出してるんだぞ。あいつが変なことを思い付いた時、凶を引かなかったことはないだろう。もうちょっと構えた方がいいぞ。
「涼宮さんが新しいことを思考されている時は、精神が安定しているんです。我々にとって一番怖いのは、昨日のように妙に落ち着き払っている時なんです。気持ちが活性化しているから見た目には落ち付いているように見えるだけなのですが」
確かにハルヒが飽きないように色々と策略を巡らす必要がある位だからな。でも今回はやばそうな気がするぞ。
「やっほー」
いつぞや聞いたことのあるような登場の仕方。勢いよく開いたドアの方を振り向くと、我が団長さまが目をランランと輝かせて、笑みを放ったまま突っ立っていた。俺には魔性の笑みに見えたけどな。
「めんご、めんご、遅れちゃった」
次に俺の目に映ったのは、死語と化した台詞を発するハルヒが両手に携えた大きな紙袋だった。どこかのデパートの店名が印刷された手提げの紙袋。左右で袋が統一されていないところをみると、そのデパートで買い出しをして来たのではなさそうだ。でも一体何が入っているんだ? また朝比奈さんの新しい衣装か? それならちょっと見てみたい気もするが・・・・・・、でも俺の理性がすぐにそれを抑制する。
「お前、授業サボってどこへ行ってたんだ?」俺は無駄とは分かっていたが、一応訊いてみた。
「うっさいわね。古文みたいな過去の遺物を今更やっても意味ないの。大切なのは今と未来よ」ハルヒはそう言うと、後ろ足でドアを蹴っ飛ばして閉じた。
あっさり言ってくれるよ。でも鶴屋邸の蔵から得体の知れない巻物かなんかが出てきた時、こいつにすらすらと読まれても困るような気もする。
「じゃあああん! 刮目しなさい!」
大袈裟なジングルのように声高々に言い、ハルヒが満天笑顔で紙袋から取り出したのは、緑色のカエルの着ぐるみの頭部分だった。これはどう見ても、あの一万五千四百九十八回繰り返した夏休みにスーパーのアルバイトに狩り出された時、バイト代に化けたアマガエルの着ぐるみではないか。もう一方の紙袋にはカエルの胴体部分が入っていた。
俺はロッカーの上を見やった。そこに出番がなくいつも退屈そうに鎮座していたカエルの頭部がなかった。横のパイプハンガーに掛けてあったはずの胴体も・・・・・・。
「やっとこのアマガエルちゃんにも出番が回ってきたわ。キョン今度のライブではこれを来て演奏しなさい」ハルヒは俺に命令した。
「は? お、俺が着るのか」一瞬俺の中の時が止まった。
「そうよ、キョンがベースを弾くって聞いたから、これが似合うと思って作ってみたのよ」
嫌な予感は的中した、それも俺だけ・・・・・・。
「このままじゃ指は出ないし、顔も隠れてしまうでしょう。手芸部の部室に潜り込んで、改造したのよ」
揚々とハルヒは言うが、手芸部に潜り込んだって、何考えてんだお前。
「だってあのクラブなら道具は全部揃っているじゃない。ミシンまであったから楽勝よ」
ハルヒはしたり顔をして微笑んでいるが、こちらは冷や汗もんだ。不法侵入が見つかったらただじゃすまないぞ。
「大丈夫よ。授業中は部室に人は来ないでしょ。見つかるわけないわよ」ハルヒは簡単に言ってのけた。
でも俺はハルヒが午後からどこへ行っていたのか分かっただけで少し安心した。こいつは中学一年で夜中に堂々と学校へ侵入するような奴だ。ハルヒにとって不法侵入など犯罪行為の内に入らないらしい。どうせ俺が注意しても”誰も使っていない物を使って何が悪い”と開き直られるに決まっている。まあ小柄で可愛いという理由だけで、一年生を異世界人と決め付けて、拉致してこなかっただけでも良しとせねばならん。
「ちょっとキョン、あんたこれ着なさいよ」
ハルヒはアマガエルの頭部を俺の目の前に突き出した。こいつ何という神々しい笑みを浮かべてやがるんだ。これじゃ恐ろしくって断れないじゃないか。長門など既にページから目を離していて俺の方を一心に見つめてやがるし。
「いやあ、いいですねえ。ぜひ着替えて下さい」爽やか少年も裏のありそうな笑みで微笑んでいる。お前は他人事だと思って気楽なもんだな。
「私も見たいです」
朝比奈さん、あなたまでそんなことを仰るのですか・・・・・・。
「あんた恥ずかしがる柄じゃないでしょう。早く着替えなさい」
見事な命令口調だった。
止むを得えん。これは着るしかなさそうだ。気は進まないが、俺は覚悟を決めてハルヒが突き出したアダムスキー型UFOの形をしたカエルの頭部を受け取った。スポンジの柔らかい感触が両手に伝わり、あの無限の夏休みを如実に思い出させてくれる。でも今はそんな感慨に耽ている場合じゃない。
俺は頭部をテーブルの上に置き、まず胴体のツナギを先に着込むことにした。学生服の上着を脱いで、パイプ椅子に掛けると、次に上履きを脱いで、学生ズボンのままツナギの右足部分に足を突っ込む。そこでふと足を止めて周りをみると、俺の一挙手一投足に皆の視線が注がれている。お前らちょっと注目し過ぎだろうが、着替え難くくて仕方ないぞ。これじゃまるで男子更衣室に一人放り込まれた女子の心境だ。まあハルヒならそんな状況になっても、淡々と着替えるのだろうが、俺はお前とは違うんだよ。
「途中で止めないで早く着なさいよ」
やっぱりこいつ分かってねえ。お前にはデリカシーってもんがないのかよ。
ハルヒに急かされ、長門の一心な視線を受け、朝比奈さんのどことなく恥ずかしそうな表情に戸惑いながら、俺は着ぐるみの胴体を着込んだ。親指以外繋がっていた部分を、全ての指が出せるように穴を開けて改造してある。でもこれでもまだ指は動かし難い。
「ううん、まあまあねえ」ハルヒは顎に指を乗せながら一人頷き、納得している。
お前が気に入っても、俺はとても動き難いんだが、その部分はこれから直してくれるのかい?
「さあ早く頭を付けなさいよ」ハルヒは待ちきれない様子で俺を急かした。
テーブルに置いてあるカエルの頭部を手にする。でもこれが両手で掴むのに苦労するほどでっかいんだよなあ。被ってみてすぐ分かったのは今までは顔を覆い、辛うじて前が見えた部分を顔が全て露出出来るようにカットしてある。しかし頭は重いわ、動き難いわ、こんな物を着たままで、慣れないベースギターが演奏出来るものかね。
「うん、いいんじゃない。古泉くんどう思う?」
「結構だと思います」古泉は忠実な執事のように落ち着いた返事をした。
お前、他人事だと思って適当なことをいいやがって、もう腹が立つぞ。
「みくるちゃんはどう?
「素敵です」
朝比奈さん、そんなことを言っちゃ駄目ですよ。
「有希は?」
こっくりと。おいおい、長門頷くなよ。
「みんな気に入ってくれたみたいね」
思惑が叶ったようでハルヒは一人したり顔をしている。ところで俺の意見は訊かんのか、YOU!
「それじゃ、キョンの衣装はこれで決まりね」
やっぱこいつ分かっちゃいねえ。
こうして俺の意見は完全に黙殺され、めでたくステージ衣装はアマガエルに決定した。