晴天の太陽の陽射しがとても眩しい。突然太陽が徐々に浸食されて光を失っていく。彩りに溢れた街並が、次第に灰色の世界に包み込まれていく。
「第三東京市、異常な磁場に覆われていきます!」マコトがモニターを見ながら叫んだ。急に司令室内がざわめく。
「何、皆既日食?」その声にミサトが顔を上げて怪訝な表情をした。
「そんな物が急に起こりはしないわ。現在は次の日食まで秒単位で分かる時代よ」
 リツコが立ち上がって正面の大モニターに目をやると、周囲が不気味な重い灰色に染まっていく様子が映し出されている。
「ちょっと何が起こっているのよ?」原因の分からないミサトは戸惑っている。
「何か嫌な予感がするわ」この現象にリツコは悪い胸騒ぎを感じていた。
「あたしもそう思う」
「磁場は拡大、関東地区全域と中部東海地区を飲み込み、更に拡大を続けています」マコトの声が震えている。
「何ですって、一体どこまで広がるの?」ミサトは不気味さを感じていた。
「ヨーロッパ主要都市でも、磁場を確認。既に西ヨーロッパ全域に拡大しています」マコトがミサトに告げた。
 神人が現れる時、磁場が広がる。しかしその範囲はせいぜい半径10キロ位だ。同時に世界中に広がるなんて状況は経験したことがない。
「一体何が起こっているの・・・・・・」信じられない状況にミサトは呆然としている。
「アメリカもニューヨークと、ロスアンジェルス、サンフランシスコ、ワシントンDCに磁場を確認。現在急速に拡大しています」モニターを見ながら報告するマコトも戸惑いを隠せない。
「神人の世界同時攻撃・・・・・・」リツコが茫然としながら正面モニターを見上げている。
「百万人以上の世界都市の全てで磁場が発生しています」震えるマヤの声が響く。
 状況を報告する声が次から次へと発せられて、その情報量にミサトは判断が出来ない。大体こんな世界規模の一斉攻撃に対応した訓練など受けていない。
「すぐに非常事態警報を発令して、地上施設は全てジオフロント内に収納させて」ミサトは取り敢えず妥当な命令を出すことにした。
 ミサトの命令で、東海地区を含む、関東全域に非常事態警報が発令された。タケノコのように地上に乱立していたビルが次々と地下へと引き込まれていき、人々はセントラルドグマの中にある地下シェルターへ向かうトロッコに、すし詰め状態で乗り込み下っていく。
「ミサト、エヴァ起動の準備をした方が良いと思うわ」リツコがアドバイスした。
「分かってる。でもリツコ、プログレッシブ・ナイフの改良はもう済んでいるの?」
「ええ、改良作業は六時間前に終了したわ。でもまだテストを行っていないのよ」
 プログレッシブ・ナイフの改良だけでも済んでいたのは、不幸中の幸いというしかない。後はぶっつけ本番でやるしかないだろう。
「すぐに碇司令の許可を得るわ」
 そう決断をすると、ミサトはすぐにゲンドウのいる司令室へ向かった。
「今すぐ起動が出来るエヴァは弐号機だけか」ゲンドウは机に肘を突き、表情を変えずに訊いた。
「はい」ミサトは直立不動でゲンドウを真っ直ぐ見ながら答えた。
「プログレッシブ・ナイフの改良は済んでいるのか?」
 気になることをゲンドウは質問してきた。ここは完了と答えるしかない。
「一台だけで大丈夫か?」
 これも大きな問題だ。しかしパイロットがいない今、一体だけでも発進させる以外方法がない。ミサトは「零号機、初号機にはダミープラグを装填して待機させます」と、危険は覚悟でもそう答えるしかなかった。
「よし、分かった。準備をしてくれ」
「はい」ミサトはゲンドウに敬礼をした。
 多分ゲンドウも今の状況は把握しているはずだ。例えどんな問題があっても、弐号機を発進させるしかないことも分かっているに違いない。

 エヴァンゲリオン弐号機が、格納庫内で待機をしている。プログレッシブ・ナイフの改良をしたばかりで、隊員が慌ただしく作動状態を確認している。
「パワーは80パーセントまで上げておいて」リツコが隊員に指示をする。
 隊員が「分かりました」と返事をして、プログレッシブ・ナイフに送る電力を通常の80%になるよう、メーターを見ながら調整し始めた。
 アスカが更衣室で赤のプラグスーツに着替えている。左手のボタンを押すと、スーツがすっと身体に密着した。これで準備は万端だ。
 ”もう前のようなミスは絶対にしない”アスカは自分に言い聞かせた。
 エントリープラグに乗り込むと緊張が高鳴る。アスカの肉体と精神状態は、インターフェイス・ヘッドセットを介して、司令室で全てモニターされている。心拍数と血圧が普段よりずっと高い。
「前回の時の不安がまだ残っているんでしょうか?」画面を見ながらマヤが心配そうに訊いた。
「幾ら全快したといっても、もう少しで命を失うところだったのよ。さすがのアスカでも緊張するわ」ミサトが言った。
「アスカ、リラックスして」ミサトはアスカを落ち着かせようとする。
『緊張なんかしていないって』身体に反して強気なアスカにミサトは苦笑した。
 灰色空間は益々拡大していき、今にも全世界を包み込もうとしている。世界中の人々がこの現象に恐怖を感じ、必死に逃れようとしているが、この地球上のどこにも逃げ場所などない。
 突然地面から湧き上がるように、巨大な人型の怪物が低い怒声を響かせながらゆっくりと体躯を起こした。青色に光輝く悪魔、神人だ。
「やっぱり出てきたわね」予想した展開にミサトの心が奮い立つ。
「大変です。全世界の磁場が発生している地点で、神人が続々と現れています」
「何ですって!」高まった気持ちが想定外の出来事に揺らぎ、ミサトの声が震えた。
「神人の世界同時攻撃ね」ミサトと違い、この状況でもリツコは落ち着いている。
「全世界に今何体ぐらいのエヴァがあるの?」ミサトが尋ねた。
「極秘開発中の物を含めても十体ないわ」
 リツコの答えは厳しい物だった。その程度の数では、これだけ多数の神人の対応はとても出来ない。一応各国にプログレッシブ・ナイフの改良申請は出してあるが、全ての改良が済んでいるとも思えない。
 司令室正面の大型モニターには、複数の神人が次々と起き上がる様が映し出されていた。この第三新東京市付近だけでも、既に何体の神人がいるのか分からない位大量発生している。
「一体どれだけ出てくるのよ?」異常な状況にミサトは悪寒を感じた。これ程の戦慄は使徒と戦っていた時にもなかった。
 使徒を全て殲滅してサードインパクトを防ぎ、人類を滅亡の危機から救ってきた。そしてようやく安息の日々を手に入れられたと思っていたのに、それは僅かな時でしかなかった。神は何故こんな試練を私達に与えようとするのだろう? それともどうしても人類を滅亡させたいのだろうか? ミサトは今回ばかりは神を恨んだ。
「ミサト、しっかり指揮をするのよ。例え都市が破壊されても、ターミナルドグマに侵入されない限り、サードインパクトは回避出来るわ。何があってもここを死守するのよ!」ミサトを奮い立たせるように、リツコは彼女の耳元でそう叫んだ。
 神人が第三新東京市に向かって移動をし始めた。無数の神人がゆらゆらと一方向へ向けて歩く様はまるでゾンビの群れのようだ。神人は進路途中のビルを雄叫びを上げながら両腕を振り回し、次々と破壊している。神人の群れが通り過ぎた後には、瓦礫の山だけが残り、ビルは跡形もない。このままでは第三新東京市が壊滅するのは時間の問題だ。
「プログレッシブ・ナイフの性能に頼るしかないわね。あれが予定通りの性能を発揮してくれればいいんだけれども」近づいてくる神人の群れを見ながらリツコが呟いた。
 アスカは発進の時を今かと待っていた。彼女にも攻めてくる神人の様子はモニターされている。”早く戦いたい”アスカの戦闘心が高まっていく。
『アスカ、プログレッシブ・ナイフの改良は済んでいるけれど、実戦使用は今回が初めてよ。今は80パーセント分の電力を増量してあるわ。その状態でまだ神人を切り刻めなかったらパワーを5パーセントずつ上げてみて』リツコの声がインターフェイス・ヘッドセットを介して聞こえてくる。
「OK、分かったわ」アスカは返事をした。
『特にアンビリカルケーブルを切り離した時は気を付けて。活動限界が約半分まで短くなるわ。必ず電源が取れる位置をキープするのよ』
 ”つべこべうるさい、何でもいいから早く戦わせろ”細かい指示にアスカは苛つき出し、文句が喉元まで出掛かった。
「神人との距離、第三新東京市まで10キロを切りました」マコトが報告する。
「いよいよね。エヴァンゲリオン弐号機の状態を報告して」ミサトが高鳴る緊張を抑えながら言った。
「各部正常。電力量100パーセント。全て異常ありません」マヤが答えた。
「さあ、アスカ発進よ。思う存分戦ってきなさい!」
 ミサトはまな板の上の鯉の気分だった。腹を決めたら悪寒は治まった。今はアドレナリンが大量に分泌され、武者震いがするくらいだ。
 次々と安全装置が外されて、エヴァの発進準備が整っていく。それらを一つずつ確認してミサトは「エヴァンゲリオン弐号機発進」と、最後に力強く発した。
 エヴァンゲリオン弐号機を載せた射出台が、長い通路を猛スピードで上昇していく。人類の存亡を賭けた戦いが今始まろうとしていた。