秋も深まり、この時期は実に良く眠れる。十一時過ぎにベッドに入ったが、すぐに眠りに落ち、ベッド脇に置いた携帯のバイブレーションが、この心地良い眠りから蘇らせた時、どんな夢を見ていたかさえも覚えていなかった。
 誰だ? こんな時間に・・・・・・。まだ夢見心地の中、放っておけば治まると思ったが、一向に切れる気配がない。苛々しながら俺は勘を頼りにベッド脇の携帯を探す、何度目かのトライで手にした携帯のフリップを開くと、応対に出た。
『すみません古泉ですが、もうお休みでしたか?』
 誰かと思えば古泉の奴か、思わず当たり前だろという言葉が出た。
『申し訳御座いません。でも緊急事態が発生しました』
 何が緊急事態だ。どうせハルヒのせいで閉鎖空間とやらが発生したんだろう。頑張って青色の怪獣退治に励んでくれよ。そんなことに俺をもう巻き込むな。
『それがそういうわけにはいかないです。あなたに来ていただかないと、それこそ取り返しが付かなくなります』
 時計を見ると深夜零時を過ぎている。こんな時間にふざけたことを言う奴だ。俺はいい加減にしろと言いたかったが、
『長門さんのマンションです。出来るだけ早く来ていただけませんか。朝比奈さんもお待ちです』
 何? 朝比奈さんも一緒だと、一瞬で目覚めた。古泉と機関タクシーで深夜のドライブなら断ったが、長門と朝比奈さんが一緒となれば話は別だ。俺はグレーのトレーナーにGパンを穿くと、妹に気付かれないように音を潜めて玄関へ向かった。こんなところをあいつに見られたら、嫌でも付いて来られるに決まっている。
 音を立てないように玄関のロックを外しドアを開ける。そして自転車を家の前の道路まで押すと、跨ってペダルを漕ぎ始めた。深夜だから信号など関係ない、長門のマンションまでは二十分もあれば充分だろう。
 人通りのない道を全力で自転車を漕ぐ。もし警察官にあったら間違いなく不審者として職務質問されるだろう。そんな出会いがないことを祈りながら俺はペダルを漕ぎ続けた。
 秋の深夜は肌寒く、もう一枚上着を羽織ってきた方が良かったと後悔した。身体を温めようと必死にペダルを漕いだせいで、随分早く長門のマンション前に到着した。
 マンション入口脇の駐輪場に自転車を置いて、玄関前で部屋番号を間違えないよう慎重に三桁の数字を押す。するとインターホンから『入って』という長門の声がして、入口のドアが開いた。そのままロビーに入り、奥のエレベーターに乗り込む。
 七階に到着し、長門の部屋の前まで来て入口の呼び鈴を押す。すぐドアが開き、そこには鶴屋邸で見たままの制服姿の長門が玄関に立っていた。
「来て」長門に誘われるままに部屋の中へ踏み込む。カーテンすら掛かっていない、いつもながらの殺風景なリビングだ。広々した部屋の中央にぽつんと置かれた炬燵テーブルに、古泉と朝比奈さんが向き合い俯いたまま座っている。鈍感な俺でも部屋の空気の重さを感じる。何か嫌な気配がするぞ。
「おい、何事だ?」俺が神妙に座る古泉に声を掛けると、切実な表情で俺を見上げる。
 今日は何度もこいつの弱り切った顔を見させられる。そろそろ演技じゃないかと勘ぐりたくなってきた。
「大変なことになりました。今夜世界は崩壊します」
 台詞まで大袈裟な物を用意してやがった。古泉の焦眉の迫ったような表情に俺は思わず笑い出しそうになった。さすが文化祭の舞台で準主役を演じるだけのことはある。
「冗談ではありません。とにかく座って聞いて下さい」
 いつぞの長門のように意味不明な話を長々と聞くのはご免だぞ。でも夜中にせっかく長門のマンションまで来たんだ、少しくらいなら聞いてやっても悪くない。
 俺が炬燵テーブルの前で胡座をかいて座ると、すかさず朝比奈さんが、俺の前に湯飲みを置いて煎茶を注いでくれた。何故か手が小刻みに揺れて、明らかに動揺している。朝比奈さんもこんなところで演技しなくてもいいんですよ。
「涼宮がらみか」俺はお茶を一口飲んで尋ねた。
「ええ、その通りです」古泉は答えた。
「あの閉鎖空間というのが、またどこかに現れたんだろう。青色の化け物の退治はお前の仕事だ。俺には関係ないぞ」
 無慈悲だとは思ったが妙なことにこれ以上巻き込まれたくはない。今晩だけ乗り切ってくれれば気は進まないが、明日登校したらすぐにハルヒに詫びを入れてやる。それで一件落着だ。
「この次元で進行していることなら、何としても僕達は阻止するのですが、今回は別の次元で起こっている問題が、この世界に影響を与えているのでお手上げです」
 おいおい、別次元なんかあるわけねえだろう。大体目の前で起こっていることすら俺にはどうすることも出来ないんだ。別次元とか言われて俺の手に負えるわけがない。それこそ物理学者かSF作家に相談しろ。俺には知り合いはいないが、お前の秘密結社ならコネがあるだろう。
「勿論その手の方の知り合いは幾らでもいます。でも今回は彼等ではどうすることも出来ないんです」
「なら諦めるんだな」辛辣だとは思ったが、これ以上妄想癖のある奴と付き合うつもりはない。こりゃ話がややこしくなる前においとました方が良さそうだ。
「あなたに以前お話をしたと思いますが、ロボットが戦う世界のことを覚えていますか」
 ああ、覚えているよ。この前聞いたリモコン操作の鉄人28号が闊歩する世界のことだろ。そんな作り話をまた持ち出すとは、全くお前はネタの少ない芸人と変わらないな。
「今回もその世界に神人が現れて暴れ回っています」
「それなら前みたいに、そこの人にロボットで退治してもらえばいいじゃないか」
 いい加減腹が立ってきた。もうこいつの妄想癖には付いていけない。俺は席を立とうとした。
「キョンくん、古泉くんのお話をもう少し聞いてもらえないかしら。お願い・・・・・・」
 意外なことに朝比奈さんが俺にそう言った。縋るような目を見ていると、立ち去るのが辛くなる。「うむ・・・・・・」俺は唸ると、仕方なくもう一度座り直した。
「僕の仲間がその世界を確認に行ったのですが、神人の数が膨大でとても退治出来ないんです」
 俺の頭の中にあの海坊主のような神人が無数に暴れ回る姿が思い描かれた。確かにぞっとする絵柄だが、そんなことは俺に関係のない話だろう。
「いえ、それがあなたにも大いに関係あるんです」
 ねえよ。余り馬鹿なことを言うなら俺は帰るぞ。本気で腹が立ってきた。
「まず最近判明した興味深い現象について説明をする必要があります」
 なんだ、その学者か先公のような口調は・・・・・・。益々気に入らん。
「宇宙には僕達が住む空間だけではなく、同じような次元空間が無数に点在していることが分かってきました。そしてその次元空間が、それぞれ見えない力で作用しあっていることも。つまり僕達の身の周りで起こっていることは画一的な現象ではなく、その見えない力によってもたらされているのです」
 お前は何が言いたいんだ。理解出来んことを説明されると、馬鹿にされているみたいでむかつく。でも古泉は俺の気分など全く介せず話を続けた。
「例えば重力ですが、宇宙物理学的に考えて重力がこんなに小さいわけがないんです。光を屈折させる程大きな質量を持った物質にへばり付いている僕達が、こうやって簡単にコップを手で持ち上げることなど本来出来ないはずなんです」
 古泉は目の前の湯飲みを右手で軽々と持ち上げて、元に戻した。
「これはつまり、重力が別の次元に漏れている証拠なんですよ。きっとこの漏れた重力は別の次元空間に何らかの影響を与えています。良くも悪くもね。通常こういった力はあらゆる方向へ拡散して作用するんですが、この世界の力がある一点の次元空間にのみ作用している特別な例が観測されたんです。こんなことは物理的には絶対にあり得ないことなんですが・・・・・・」
「で、何でそんなことになる?」
「涼宮さんです」
「また涼宮か、あいつがデススターみたいに、どっかの星でもぶっ飛ばしたか?」
 皮肉の一つでも言いたくなる、俺は湯飲みを手にしてお茶を啜った。こんな時でも朝比奈さんの淹れてくれるお茶は滅茶旨い。
「その程度なら良いんですが、このままでは宇宙全体を破壊しかねないのです」
 宇宙全体だと! 驚いて俺はお茶を零しそうになった。
「ハルヒも大したもんだな。宇宙を破壊出来るのかよ」
「あちらの世界は今大変なことになっています。もしもその世界が崩壊すると、間違いなく僕達の世界にも大きな影響が現れます。今双方の次元空間は繋がっているのですから、最悪僕達の世界も消滅する可能性があります。そして今まさにあちらの世界は閉鎖空間に覆われ消えようとしている」
「しかしどうしてそこの次元空間とだけ繋がっている」俺は下らない質問だと思いながらも一応訊いてみた。
「あなたですよ」真顔で古泉は意外な回答を返してきた。
 俺? また俺か・・・・・・。何でそうなるんだ? 俺に何の関係がある。あるわけねえだろ。
「今からあなたに大変重要なことを伝えなければなりません。気を落ち付かせて聞いて下さい」
 大袈裟なことを言う奴だ。今まで宇宙人に命を狙われ、青白い巨大な化け物に襲われた。未来から来た色気のある朝比奈さんに会った時は嬉しかったが、得体の知れない出来事を散々経験した俺が今更動揺するようなことなどあるものか。
「長門さん、説明していただけますか」
 俺の向かいで背筋を伸ばして正座している長門の無表情な顔の奥の双眸が俺の顔をじっと見つめた。なんでこいつが話を引き継ぐんだ? 俺は疑問だった。
「私のいた次元空間平面は、使徒という未知の生物により人類絶滅の危険にあった。そこで私達はエヴァンゲリオンという人造ロボットを製造し、十七体の使徒を殲滅した。神の啓示によれば、本来使徒は十七体しかなく、それを殲滅すれば全てが終わるはずだった。しかし突如別の未知の生物が現れて、私達の世界を破壊し始めた。三体のエヴァンゲリオンを動員し、二体を破損しながらもその生物を殲滅することが出来た。その生物の正体は不明。またいつ現れるかも分からない」
「その未知の生物が神人であると思われます」古泉が横から補足説明をした。
「今から三年前、私達の世界に地球外生命体と思われる知的生命体が現れた。それは生き物の形ではなく、小さな赤い光を発していた」
 ”赤い光?”いつか見たことがあるぞ。それって古泉が変身した後の姿のことじゃないのか?
「気が付いていただけましたか。僕達超能力者ですよ」古泉は苦笑しながら両手を広げて、「それは僕じゃない別の超能力者ですが」と言った。
 長門のSFロボット物大作ストーリーは続いた。
「知的生命体はその問題の答えを持っていた。宇宙で頻繁に発生する異常な情報フレアの爆発。それは様々な悪影響を宇宙全体に与える。在る場所では時間を歪め、在る場所では空間その物を飲み込んでしまう。私達の世界に現れた未知の生物はその悪影響の産物。そしてその生物を生み出していたのが涼宮ハルヒ」ハルヒの名前を告げる時、長門の黒い双眸から鋭い視線が発せられた気がした。
「異常な情報フレアは、涼宮ハルヒの精神状態が不安定になると発生する。つまり彼女の精神活動を観測すれば、次に未知の生物が現れる時期を予測出来る。逆に涼宮ハルヒの精神活動を平穏に保てば生物の発生を抑えることが出来る。知的生命体は涼宮ハルヒが宇宙人と接触したがっていることを伝えた。我々の世界のトップが首脳会談を開催し、私が涼宮ハルヒを監視する任務に選出され、この次元空間平面へ送り込まれることになった」
 この宇宙人は一体何を言い出すんだ。今までも妙な話ばかりされてきたが、今回のは特別だ。もうお前の話には付いていけない。
「なあ長門、お前いた世界が大変なのは良く分かった。でも俺には関係ないだろう」
 俺は意味不明のことを話し続ける長門を宥めるようにそう言った。
「あなたはこの件に直接関係がある」
「はあ? ねーよ」
「ある。あなたは過去の記憶を全て消されて、この時空間平面体に私と一緒にやってきた。それはあなたの望んだこと。私は涼宮ハルヒを観察する為に、あなたは過去を捨てる為にこの任務に就いた。その時点で双方の利害関係は一致していた。しかし一年前あなたが涼宮ハルヒに選ばれたとにより、事態は大きく変化し始めた。私も涼宮ハルヒを観察するだけの任務が、彼女を平穏無事に過ごさせることに変わった」
 突拍子のないことを言い出す奴だ。お前と俺が同じ世界からUFOにでも乗ってお手々繋いでこの世にやってきたとでも言うのか? それに何で俺が過去の記憶を消されなきゃならんのだ。人間の記憶ってそんなに簡単に消せるのか? その後の長門の説明はいつもの読経のように抑揚のない口調で長文なものだった。余りにも長いSF大作物なので、掻い摘んで話を説明するとこうなる。
 ちょうどその頃俺はエヴァンゲリオンという巨大な汎用人型決戦兵器という物で使徒とかいう化け物と戦っていたらしい。何か憧れるじゃないか、それって。まるで戦士だよ俺、格好良い、痺れるね。しかしそのエヴァンゲリオンで戦うことに俺は疑問を感じて、自分の殻に閉じこもってしまった。何でそんな格好良いことをして引き籠もりになるんだ。ここでハルヒに顎で使われるよりは遙かにマシなんじゃないか。何しろ格好良い戦士なんだし。
 俺をこの世界に送り込むのに過去の記憶が邪魔になると、”陽子電磁法”とかいう記憶除去装置を使って俺の記憶を消したそうだ。仕組みは知らんが、もしそんな簡単に記憶が消せるのなら、ハルヒと出会ってからの俺の記憶を綺麗さっぱり消してもらって、その前の自分に戻りたいね。宇宙人に、未来人に、超能力者に会う前のまともな自分にね。
「あなたの本当の名前は碇シンジ」
 は?・・・・・・。もしもし長門さん、これ以上あなたは何を言い出すのですか? 何で俺がそんな変な名前なんだ。冗談がきつ過ぎてもう笑うことも出来やしない。こいつは訳の分からん小難しい本の読み過ぎで酷い妄想症になったんだ。今の名前もSF小説か、ロボットアニメにでも出てくる登場人物に違いない。長門はSF作家にでもなった方が良い。きっとこいつならヒューゴー賞や、ネビュラ賞とかを授賞出来る作家になれるだろうよ。
「おい、おい待ってくれよ。記憶を消されたなんていっても俺には昔の想い出があるぞ」質問するのが馬鹿みたいだったが、一応訊いてみた。すると、
「あなたの家族は我々機関のメンバーです。あなたをこの世界に順応させる為に我々が用意した仮の家族です」と、古泉が滅茶苦茶なことを言い出した。
 おいおい、いい加減にしろよ。お前ら妄想癖が強過ぎるぞ。悪いことは言わない、明日にでも医者に診てもらった方がいい。
「馬鹿言うなよ。過去の記憶はどうなんだ。俺にはちゃんと今の家族との記憶があるぞ」いい加減呆れてきた。
「この隣の部屋で時間跳躍をしたことを覚えている?」
 長門の疑問文なんか初めて聞いた。ああ、覚えているさ。あれは確か朝比奈さんと三年前の七夕の夜に戻り、あの方がTPDDとかいうタイムマシンを無くして大騒ぎした時だ。
「あの時、あなたの脳に過去の記憶を移植した」長門は言った。
「ごめんなさい。三年前にここへ連れて来たのは偶然じゃないの」朝比奈さんがすまなそうな顔をして呟いた。
 朝比奈さん、何を突然言い出んですか・・・・・・。
「あなたの記憶を消した陽子電磁法は未来では頻繁に行われている精神治療法の一つなの。それから次元を越える装置も未来では完成しているんです」
 朝比奈さんあなたまで・・・・・・。俺は唖然として落胆した。あなただけはまともだと信じていたのに・・・・・・。でも朝比奈さんの泣きそうな表情は今話していることが事実であると信じる気持ちにさせるのも事実だ。この不器用な人が俺を騙せるとは到底思えない。
 長門が過去の記憶を俺に移植したという話は、ハルヒが消えてしまった時、こいつが皆の記憶を改変してしまったことを思い出させた。
 待てよ、すると本当にこれは仕組まれていたというのか? 宇宙人と未来人と超能力者がグルになってこんなことをしでかしたのか? いやそんなこと絶対にあり得ない。でもこの話を信じたとしても大きな疑問が一つ残る。何故俺なんだ?
「あなたは涼宮さんと出会ったのが偶然だと思いますか?」古泉が訊いた。
「そんなの偶然に決まっているだろう」
「初登校の日、あなたは涼宮さんの前の席に座った。その時既に涼宮さんの力が働いていたんです」
「馬鹿言うなよ」
「あなたは涼宮さんがクラスで行った自己紹介を覚えていますか?」
 ああ、あれは人生史上もっとも印象的な自己紹介だった。忘れろと言われても忘れられる物じゃない。あの時ハルヒは”ただの人間には興味ありません。この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら、あたしのところに来なさい”あいつは確かにそう言った。俺の大脳の長期記憶回路に石碑のように深く刻み込まれている。
「私達を見て下さい。何か気が付きませんか?」興味のあることを古泉は言い、皆に目配せした。
 俺は三人を見渡した。長門有希=宇宙人。朝比奈みくる=未来人。古泉一樹=超能力者。異世界人=?。俺はハタと気付いた。
「涼宮さんは四種類の異人を指名したのに、今まで三種類しか登場していないのはおかしいと思いませんでしたか?」
「まさか・・・・・・」
「そう、あなたがその異世界人だったんですよ」
「ちょっと待ってくれ。長門は俺と同じ世界から来たと言っただろう、それなら何故長門が宇宙人で、俺が異世界人なんだ」
 こいつら俺を無理矢理変人の仲間にしようとしているのか?
「肉体の組成が違う。あなたは生殖活動により誕生したが、私はクローン」長門が説明した。
 クローンだと? お前は確か有機生命体コンタクト用ヒューマ何とかじゃなかったのか? もう意味が全然分からない。それともそれがお前の世界ではそれがクローンなのか?
「涼宮さんは幼少の頃に見た映画の影響で、宇宙人はクローン生命体であると考えているんです。だから長門さんが宇宙人で、別の世界からきたあなたが異世界人なんですよ。現れた場所が問題ではなく、涼宮さんの望みだけによって我々は選出されているんです」
「訳が分からん。朝比奈さんは知っていたんですか?」俺は隣でモジモジとして俯いている朝比奈さんに尋ねた。
「はい」朝比奈さんは下を向いたまま頷いた。
「信じて・・・・・・」長門の無機質な黒く大きな双眸が、じっと俺を見つめている。
「分かった。百歩譲ってこの話を信じたとしてもだ。何故今まで隠していたんだ」俺は尋ねた。
「我々は既に自らの使命が分かっています。だから涼宮さんと接する時にどうしても畏怖の念が生じてしまいます。何しろ彼女の偉大な力を知ってしまっているわけですから。あなたに普通の地球人として涼宮さんと接してもらう為に、我々はあなたには自らの存在を伏せていたのです」古泉は説明した。
「それなら何故今それを教えた?」
「外ならぬ事態が発生したからです」
 外ならぬ事態? 頭の中が混乱して何が何だかさっぱり分からない。
「あなたには今から元の世界に戻っていただきます」
「は?」
 元の世界に戻る? 古泉は何を言っているんだ。朝比奈さんのTPDDを使ってそこへ行くのか? それとも長門が駐車場にUFOでも待たせているのか? ひょっとしてこのマンション全体が宇宙船になっているとか。それもあり得ないことではなさそうだ。長門ならやりかねない。
「来て」長門は立ち上がって俺を催促した。
 こうなったらこいつらの与太話に最後まで付き合ってやるか。どんな結末を用意しているのか関心が出てきたしな。出来ればハッピーエンドにしてくれよ。
 長門には浴室に案内された。ごく普通の風呂場だ。浴槽には既に水が風呂桶から溢れる程注がれている。
「服を脱いでお風呂に入って」感情のない口調で長門が言った。
「ち、ちょっと待ってくれ。ここで俺が裸になってこの風呂に入るのか?」俺は焦った。
「そう」
 突然裸になれと言われて、ホイホイと他人の前で服を脱げるかよ。そんなことを平気でする方がおかしい。
「大丈夫、私はあなたの裸を見ても欲情などしない」
 ああそうですか。どうせ俺の身体は貧相でお前の関心など惹かないよ。
「さあ早く、長門さんの言う通りにして下さい」
 おい古泉、お前も俺の裸を見る気じゃないだろうなあ。猜疑の目で俺は古泉を睨み付けた。
「すみません。僕達は隣の部屋にいますので」照れ笑いをして古泉が浴室から姿を消した。
 無表情な長門と俺が浴室に残った。確かに長門なら男の裸など関心あるまい。それに存在感の無いこいつの前なら服を脱ぎ捨てても何故か恥ずかしさを覚えない。
 止むを得ん。俺は覚悟して、言われた通りにTシャツとGパンを脱ぐと、少し躊躇ってからパンツを降ろした。湯船に足を入れると、とても温い。
「それは体温と同じ温度で、体液と同じ比率の塩化マグネシウムの液体」長門が説明した。
 首まで浸かると、全身にヌルヌルとした気持ちの悪い感触がする。
「頭の先まで完全に潜って」
 この液体の中に潜れだと。でも今更躊躇しても仕方ない。諦めて長門の言う通りにしよう。なるようになるさと、息を吸い込むと鼻を抓んで、湯船に頭の先まで沈み込んだ。お湯が溢れ出たかと思ったら、いきなり風呂蓋が閉じられて真っ暗になった。
 しまった、嵌められた。そう思い焦った。今更気付いてももう遅い。慌ててここから出ようとしても、風呂蓋は大きな重しが載っているようでビクともしない。俺は奴らの秘密を知り過ぎた。だから宇宙人と未来人、超能力者に消されるのだ。いやそうではない、これは悪い夢だ。俺は今悪夢を見ているのだ。早く目覚めるんだ。さあ早く・・・・・・。
 呼吸が出来ない。苦しくって藻掻き苦しんだ。目眩がする。朝比奈さんに過去へ連れて行かれた時に覚えた目眩とは違う、もっともっと大きな揺れが襲い、意識が次第に遠のく。まるで洗濯機の脱水槽に放り込まれて掻き回されているような・・・・・・。
 お父さん、お母さん、俺はあなた達より先に旅立ちます。先立つ不幸をお許し下さい。俺はそう詫びながら深い、深い、意識の底へと落ちていった。