青、赤、緑、黄と次々と現れる蛍光色の世界。これが天国へ通じる道程なのか? 天国へ行く時は、全身を柔らかな光に覆われ、周りを天使に囲まれて天空へと誘われる。そんなロマンチックな情景を想像していたが、実際は少し違うようだ。まあどんな形であれ天国へ行けるのなら、その過程は関係ない。間違いなくそこへ導いてくれるのならば良しとしよう。ただ間違って地獄へだけは行かないでくれよ。俺はそれだけを祈った。
 背中が妙に冷たい。天国っていう場所は温かな楽園じゃないのか? 怖々目を開けてみると、コンクリート打ちっ放しの天井が見える。それがゆっくりと右に回っている。床で頭を打ち付けたのだろうか? 酔っぱらったみたいに頭がクラクラする。
 しかし天国というのは噂に聞いていたのとは違って、実に殺風景な場所だ。前もってこんなところだと知っていたら、少しは死ぬことを躊躇ったのに。でも今更後悔しても仕方のないことだが・・・・・・。
 でも本当にここは天国なのか? 妙に寒い。肉体が無いはずなのに気温を感じるなんて、そんなことがあるのか? しっかり観察してここがどこか確かめる必要がありそうだ。俺は両目を開けると、首をゆっくり動かして部屋の様子を見渡した。見ると壁も全てコンクリートの打ちっ放しだ。
 窓のカーテンが閉じられていて、隙間から僅かな明かりが射し込んでいる。壁際にパイプベッドが設置され、畳まれた毛布が上に置かれているのが見える。これじゃまるで囚人の留置場みたいじゃないか。
 俺がもっと良く確認しようと背中を起こそうとした時、何かが自分の身体の上に落ちてきた。鈍い音がして柔らかいが重い物体だった。俺は再び後頭部をコンクリートの床に強打した。目から火が飛び出し、思わず両手で頭を押さえ付けて、苦しそうに呻いた。
「うう・・・・・・死ぬ」考えてみると既に死んでいるのに、そんな言葉が出てくるとは我ながら笑える。でも本当に死ぬかと思う程痛かった。
 顔を顰めながら頭を押さえて俺は上体を起こした。片目を開けた時、自分に激突した物体が見えた。透けるように真っ白い背中。それは一糸纏わぬ女の背中だった。俺は目を疑い、心臓が止まりそうになった。やっぱりここは天国なのだ。
 振り向いた相手の顔を見て、俺は度肝を抜かされた。何とそれは長門だった。戸惑う俺は彼女が全裸であることと、自分も何も身に付けていないことを知って狼狽えた。慌ててパイプベッドの上の毛布を手にすると、身体に巻き付けた。
 慌てふためく俺をよそ目に、長門は身体を起こして立ち上がり、そのまま隣のバスルームへ入っていった。すぐにシャワーの音が聞こえ、しばらくして長門が白いバスタオルで身体を拭いながら出てきた。
「あなたも身体を洗った方が良い」
 長門にそう言われても、何で俺までシャワーを浴びる必要がある? こいつ何か企んでいるのか? 思わず疑念の念を抱いた。
「塩化マグネシウムの液体が身体に付着しているから早く洗い流した方がいい」
 なるほどそういうことか。俺は納得して毛布を巻き付けたままバスルームへ駆け込んだ。
 しかし一体どういう事なんだろう? 俺は温水を浴びながら考えた。ここは天国とはとても思えない。それに他に誰かいるのだろうか? もし長門と俺だけの世界だったら、えらいことになる。何せ長門は原稿用紙一行分に満たない会話しかしない奴だ。きっと退屈過ぎて頭がおかしくなってしまうに違いない。
 俺がバスルームから出ると、ベッドの上に下着が用意されていた。”何でこんな物が?”理由が分からない俺は首を傾げた。
 長門は既に着替えを済ませている。不思議なことにこいつはここでもセーラー服を着ている。少し色形は異なるが、余程セーラー服が好きなんだな。
 長門がクローゼットを開けると、何着もサイズ違いの白いカッターシャツが並んでいた。同じように黒いズボンも。長門はその中の1セットを手にすると「これも着て」と言った。
 言われるままに俺は下着を着て、カッターシャツを羽織った。白いカッターシャツに黒いズボン、何だこれも学生服じゃないか。
「なあ長門、ここはどこなんだ?」俺は尋ねてみた。
「来て」
 長門は何も答えずに玄関へ歩いていく。俺はその後に付いていくしか手がなかった。
 玄関の外はどんよりと曇った世界が広がっていた。ドアが閉まって振り返ると、ここは古いマンションのようだ。表札に”402号室 綾波”と書いてある。
 足早に階段を降りていく長門の後を追いながら、外の風景を見ると、どこまでも広がるこの灰色の世界に覚えがある。まさかと思ったが、切れ目なくどこまでも灰色が続く空や、この空気の澱みはここが閉鎖空間であることを伝えていた。
 突然目の前に低く怒声を放つ巨大な青い怪物が現れて、俺はその場に立ち尽くした。それは二度と会いたくなかった化け物、神人だった。まさかこんなところでこいつと遭遇するとは思いもしなかった。
 神人は大きな腕を振り上げて一気に振り下ろすと、俺の前のビルを一撃で破壊した。凄まじい轟音と振動、砂塵が舞い上がる。目の前に見えたビルだったが、実際は距離があるようで、瓦礫や破片は俺のところまで飛んで来なかった。神人の余りの大きさに目の前に存在しているかのように思えたのだ。
「長門、どこかに隠れよう」俺は早足で長門に追い付き、肩を叩いて促した。
「大丈夫。もうすぐだから」長門は止まることをせず、ただ前だけを見て歩き続けている。
 俺達が歩いている向きと平行して、神人はビルをなぎ倒していく。突然道路上に何かが現れた。何もなかった道路からいきなり聳えたってきたといった方が良いかも知れない。
 赤色の胴体、手足、まるで西洋の甲冑を被ったような頭部。その生き物も巨大な大きさがある。俺は腰を抜かす程驚いてその場にへたり込んだ。
「大丈夫。これは味方」長門は俺を見下ろしながら、安心させる様にそう言った。
 味方? 何故それがお前に分かる。この巨大な人型の生き物が、この世界の住人なのか。こんな奴とこれから暮らしていくのか? 俺にはとても仲良くやっていく自信がない。
 赤色の生物が青く光る神人へ向かっていく。赤い生物も巨大ビル一個分はあると思ったが、神人はそれより数倍の大きさがあった。
「あれはエヴァンゲリオン」長門はそう言うと、俺の手を取って立ち上がらせ、先を急がすように顎を杓った。
「何? そのエヴァンなんとかって」俺は聞き返した。
「汎用人型決戦兵器・人造人間エヴァンゲリオン」
 糞長い名前を長門はすらすらと言った。俺の脳には”人造人間”程度しか入らない。
「あれには惣流・アスカ・ラングレーというパイロットが乗っている」
 また長門は糞長い名前を言った。ここは何にでも長い名前を付けているのか? 確か今パイロットが乗っているって言ったな、つまりあれを操縦している奴がいるのか?
「そう」長門は頷いた。
 中からどんな生物が出てくるのか考えると怖いが、ここの住人は巨大な生き物ではなさそうだ。ちょっとだけ安心した。
 人造人間が、カッターナイフのような武器を手にして神人を切り刻んでいく。神人は足首を切断されて、バランスを崩した。高さが同じになったエヴァの手が神人の首を切り落とす。切断部から青い気体が舞い上がる。その様は古泉が赤い光となって飛び回りながら切り刻んでいく様子と全く同じだ。
 俺の視界にもう一体の青く光る神人が姿を現した。その右にも左にも、奥にも神人は幾つも現れて、それぞれが狂ったように腕を振り回し、ビルを破壊している。こんなに沢山の神人がいては、どれだけ倒してもキリがない。道理で閉鎖空間が簡単に消滅しないわけだ。
「急いで」長門が俺の耳元で言った。
 長門の言葉の意味はすぐに分かった。神人は俺の行く先でビルを破壊し、その瓦礫や残骸が飛び散っている。小さな破片でも数メートルはあり、直撃されようものなら致命傷になるだろう。足が竦んだが、怖がっている暇はない。
 目の前に破片が落ちて更に細かく砕け散る。その飛礫を払い除けながら俺は走った。正面に建物の入口が見えて、そこに長門が駆け込んでいく。俺も急いでそこに飛び込んだ。同時に背後で巨大なコンクリートの塊が道路上に落下した。そこは俺が数秒前に走り抜けた場所だった。
「これを」肝を冷やす俺に長門が一枚のセキュリティ・カードを差し出した。何か分からないが俺はそれを受け取った。
 長門が駅の改札機のような装置にカードを通すと、07とナンバーリングされた眼前のゲートが上部へ開き、彼女が吸い込まれるとすぐに閉じられた。俺も同じようにカードを改札機に通し、開いたゲートから中に駆け込んだ。
 ゲートが閉まると外の喧噪が嘘のように建物の中は静かだった。時折ビルが破壊される振動が伝わってくるが大方無音だ。やっと少し落ち着ける場所に入れて俺は安堵した。
「なあ長門、ここはどこなんだ?」俺は尋ねた。
「特務機関ネルフの施設」
「何だ、そりゃ? 秘密結社か」俺は冗談で言ったつもりだったが、長門は頷き「国連直轄機関」と、言い直した。
 こ、国連だと? 何でこんな訳の分からんところに俺が来なくちゃならんのだ? もう疑問を通り越して、謎だ。
 永遠と下るエスカレーターに乗る。到着地点が全く見えない。まるで地獄の底に向かうみたいだ。俺の前に立つ長門は当たり前のように前を向いてじっとしている。こいつはここがどこなのか分かっているのか?
 しかしこれは現実なのか? どう考えても夢としか思えない。でも夢にしてはやけにリアルだ。早く目覚めて欲しいが、目覚めたら長門のマンションにいるんだろう。それはそれで困ったことなのだが・・・・・・。
「なあ、長門これからどこへ行くんだ?」俺は動揺を隠すことが出来ない。
 長門が振り返り、低い位置から俺の顔をあの無気質な目で見つめる。不思議なことにこいつの瞳がルビーのように赤い。何故なんだ?
「地下1000メートルにあるネルフ司令本部」
「何!」
 おい、おい、地下1000メートルなんて、そんなに穴って掘れる物なのか? 温泉どころか、下手すらマグマが吹き出してくるんじゃないのか?
 あらゆる外敵から生命の根源を守る為に、これだけの深さに司令本部は設置されている」
「何だよ、その生命の根源って? まさかハルヒが埋まっているってことじゃないよな」俺は冗談混じりで言ったつもりだったが、長門は表情を崩さなかった。
 まあ、こいつに冗談は通じないわな。でも本当だったら怖ろしい話だ。こんな場所で絶対にハルヒには会いたくない。あいつならこの状況をきっと楽しんでしまうだろうし。
「ここでのあなたの名前は碇シンジ。忘れないで」
 ああ、分かったよ。長門はどうしてもその妙な名前を使わせたいらしい。でもどんな名前でも、ここで俺のことを知っているのはこいつ以外にいないから、どう呼ばれようが問題はない。
「ここの人達は私のことを綾波レイと呼ぶけれども、戸惑わないで。出来ればあなたにもそう呼んで欲しい」
「面倒だな。長門じゃ駄目なのか?」俺は顔を顰めた。
「郷に入っては郷に従え」長門はそれだけ言うとまた前を向いた。
 確かにこいつの言う通りだ。俺が碇シンジで、長門が綾波レイか・・・・・・。でもどちらかというと、ジョン・スミスの方がまだマシな気もする。
 そんなことを考えていると、エスカレーターが地下に到着した。降りると長門は構わず、さっさと先へ先へと歩いていく。俺は追いかけるのに精一杯だ。
 お前は慣れているかもしれないが、俺はここ初めてなんだ。手を繋いでくれとは言わないが、もう少しこちらにも関心を持ってくれよ。
 まるでビル地下の機械室のように天井をダクトや配管が縦横に走っている。その通路を長門は歩いていく。
「長門、お前、目が赤いが、何かあったのか?」
 俺は気になることを訊いてみた。
「何も問題はない。光のスペクトルがこの星は違うだけ」
 どういうことだ、全然意味分からんぞ。
「ということは俺の目も赤いのか?」
「大丈夫、あなたの目は黒いまま。私はメラニン色素が少ないので、その星の光の波長による瞳の色の変化が大きい。ここでは赤色。髪の色も少し薄いはず」
「そ、そうなのか・・・・・・」俺は戸惑いながらも分かったように頷いた。
「それから、重力の関係で身長と体重が変化するので気を付けて」
「どういうことだ?」
「この星の質量は少し小さいので、あなたの体重は減少するはず。身長も時間が経てば少し伸びる。でも安心してすぐに慣れるから」
「慣れるって言われも・・・・・・」
 思い出してみると、この建物の入口に飛び込んだ時、思った以上に遠くへ飛べたような気がする。さっきから戸惑うことばかりで頭が付いていかない。でも今自分がとんでもない経験をしていることだけは事実だ。
 通路の先に開けた部屋が出現した。通路の脇の窓から大型映画館ほどもある巨大な空間が見える。正面の大きなビデオスクリーンの方を向いて二階に配置された机の前に、白い制服を着た何人もの男女がせわしなく働いている。その生物の姿はどう見ても俺達と同じ人間に思えるが、やはり宇宙人なのか? 奴らと言葉は通じるのだろうか? 俺はその人型生物に会うのが心配だった。
「ここがネルフ本部司令室」長門は言った。
 長門が入口前で立ち止まり、セキュリティカードをドア脇の解錠機の溝に通すと、ピッという音と共に扉が開いた。中の慌ただしい様子が耳に伝わってくる。長門が中に入って扉が閉まるとまた無音になった。
 俺は手にしたセキュリティ・カードを同じように解錠機に通した。扉が開いて中に入り、長門の横に立った。すると慌ただしかった部屋が急に水を打ったように静かになった。部屋の誰もが俺達の方を驚きの表情で見つめている。
 これはやっぱりマズかったんじゃないか? 俺は速攻で捕らえられて牢獄へ入れられ、未知の生物として生体実験や解剖をされるに違いない。ヤバイ、これは早く逃げなければ・・・・・・。しかし不思議と俺を見る奴らの視線は敵対心がない気がする。それどころか旧友に街角で突然再会したような喜びを感じる。
 レイとシンジの姿を見てミサトは愕然とした。自分の願いが神に届いたのかと思わず天を仰いだ。
「まさか、こんなに都合良く現れるなんて・・・・・・」リツコも戸惑いの表情を隠せない。
「こちらへ来て」長門に促されるまま、俺は困惑し立ち尽くす二人の女の前まで連れて来らされた。
「綾波レイと碇シンジ、今戻りました」長門がそう告げた。
 ここでは俺達の世界の言葉が通じるのか? それとも翻訳機でもあるのだろうか?
「こちらが、葛城ミサトと赤木リツコ」長門が二人の女を紹介した。
 俺の顔をじっと見つめる、赤いジャケットを着たミサトという女の表情が崩れて、瞳から一条の涙が頬を伝った。何で俺を見て泣くんだ。この人は俺のことを知っているのか? でも俺はあんたのことなんか知らんぞ。
「お帰りなさい。大きくなったわね・・・・・・」ミサトは確かに俺達の言葉を話した。そして静かに俺の首に手を回すと、俺を抱きしめた。
 ここで俺はどういう態度を取れば良いんだ? 決して悪い女じゃないから嫌な気はしないが、やはり戸惑う。
 ミサトに強く抱きしめられながら俺は一つの確信を持つことが出来た。彼女達は得体の知れない生き物ではなく、ごく普通の人間であることを。俺と同じ感情を持った人間であるということを・・・・・・。