こじんまりとした街ですが第二に世界戦争の戦火から免れ、比較的古い家並みが残されています。 この夜明 けの門から下って行くメインストリートを中心に旧市内は広がっていて、何処の路地を歩いても絵になる風景が 続きます。 教会の数も多く石畳も歴史を誇っているようです。(外面タッチ 路地風景) |
張り込みましたよ! せっかくの古都ロココ調だか何調だか知りませんがお姫様が出てきそうな格調高い食堂 寝るのが心配になる程けばけばしい寝室(あとで、狭くて嘆くことになる) 、料理だって皿が違うでしょ。 |
||
赤い遊覧バス、乗るには乗ったけど日本語の案内がない。 仕方がないので「世界の歩き方」を片手に解った振りをする ことになります。 レンガ作りの教会は非常に興味がわきました。 小さな町ですが上記写真の白い塔の前からバスが でます。 一巡り一時間もあれば十分見て回る事が出来ます。 |
||
右のホテルも相当古そうな佇まいで鎌倉以上に高さの制限がありそうです。 その中にひときわ高い教会の塔が混じる そんな街です。 ビル群は旧市内を外れた郊外に建ち並んでいるのが良く分かります。 |
||
街の中は見事に清掃されています。 何度も鎌倉市にも訴えていますが、最後はマンパワー以外、街を綺麗に保つ 妙手はありません。 写真の通りごみ箱を回収する大型の車両と、塵取りを持って歩く係の人が街を回遊しています。 観光鎌倉も負けずに頭を絞ってください。 |
リトアニアのヴィリニュスを出てラトビアのリガへ向かいます。 今回からレンタカーを娘に禁じられ、足をもがれた 弥次喜多道中はガイド・運転手付きレンタカーを契約し移動することになりました。 大した時代ですネットを駆使 することで日本に居ながらすべての手配が出来るのです。 長生きした甲斐があると言うものです。 |
八月末だというのに冬のジャンバーにエリマキ姿、湖を渡るときには傘なんてすっ飛ばされて役に立ちません。 雨のトラカイ城は思いでの城となりました。 二階三階の廊下は空中に作られ、いざとなれば焼き落として敵を防ぎます。 |
||
生前鎌倉に縁あって住まわれ、鎌倉霊園にお墓があるのは知りませんでしたが、 リトアニア大使だった杉原氏が ナチスドイツに追われるユダヤ人の為に日本通過のビザを書き続け、6000人の命を救った話は今でも親日感情の 基になったと言われています。 記念館となっている元公使館を再建すべく工事が始まっていました。 何の変哲 もない住宅街の一角ですが、日本からの訪問が 続いているそうで、執務室が当時のままに展示されています。 |
||
信仰の力は私たち日本人には理解できないものがあります。 ここはお墓ではなくソビエト時代に地下に潜った 自由の戦士たちが団結を誓って十字架を立てたのが始まりとか、戦時中禁止命令が出されソビエト軍により撤収 されると、次の朝までには前の日以上に増えていたといわれています。 十字架もこれだけ集まると観光資源ですね |