どこまでも高い清涼な蒼に、真綿をはりつけたように転々と雲を浮かばせた晴天の空。 一羽の白いふくろうが、ポストめがけてまっすぐ急降下すると、ポストにぶつかるその直前ぎりぎりでぐん、と上体を起こし、再び空高く飛び去っていく。 ポストの中には、紫の鑞で封印された一通の手紙。 「 拝啓 魔法使いのたまご殿 」 ホグワーツには、一つの言い伝えがある。 玄関のドア、猫のアリシア用に設けられた出入口よりちょっと右よりの上にある郵便受けから、カタンと白い手紙が一通舞い込んだ。 ふと顔を向けた窓の外、白いふくろう便が戻っていく姿を見つけて、どきりとして椅子から立ち上がる。 その衝撃で、机の上の完成間近の立体ジグソーが少し崩れたのに構いもせず、2階の自分の部屋を飛び出して階段を一目散で駆け降りた。 いつもの通り、床に転がっているなんの変哲もない黄色の封筒を見て、すーはーと大きく深呼吸。 はずれか、当たりか………。 両目を閉じて、じっくり考える。 よし。 フル稼働した頭とめいいっぱい研ぎ澄ましたカンが弾き出した答えは「当たり」。 そしてそして、両手でうやうやしく手にとったそれには、正に求めていた紋章付きの紫鑞の封印。 もう一度、深呼吸。あくまで一回だけ。 そんなもん、何度も繰り返してどきまきするなんて、あまりに幼稚すぎる。 くるっとひっくり返した紙面の上で踊っている流暢なエメラルド色のインク文字は、想像した通りの名前を刻んでいた。 「………やった!」 あくまで平常心を保ちクールでいるつもりだったのに、現実には小踊りしそうなくらいすっかり舞い上がってしまい、思わずガッツポーズしたままくるりと一回転。 ドアに背中を向けた瞬間、カタンと戸が閉まった音がする。 「…なんだよ、アリシア」 「ニャア」 何をやっているんだか、と呆れ顔を向けてきた猫に、ちょっと赤くなった顔を誤魔化すように仏頂面で呟く。 玄関の専用口から入ってきたアリシアは、手に持っている手紙と僕を無言のまま琥珀色の目を細めてじっと交互に見くらべると、ふいと視線を外して奥の居間へと向かっていく。 「アリシア」 何?といいたげにふいと向けられた視線に、念押しするように呟く。 「僕から言うんだから、黙ってろよ」 小さな瞳をさらに細めて、ゆらゆらと長いしっぽを揺らせると、しなやかな動作でまた前に向き直って歩き出し、そのまま細く開かれているドアのすきまにその身体をするりと滑り込ませた。 アリシアを見送り終わると同時、階段を駆け上って自分の部屋に飛び込んで、観音開きのクローゼットを勢いよく開ける。 お目当ての黒い布の固まりをひっつかんで、そのまま駆け足で逆戻り。 生まれてからずっと、冒険の相棒だったアリシアのこと。無論言わないだろうって分かっているけど、やっぱりどうしても気がはやる。 旅立ちのラッパを高らかに吹き鳴らすのは、やはり僕自信でないと。 「…何、あの子ったらバタバタと」 「きっとまた、家小人とでも立体ジグソーのピースを持って、おっかけっこでもしてるんだろう。どうやらあの帆船型は、ことのほかお気に召したようだからね」 口にくわえたパイプからぷかりと紫煙を浮かばせながら、ソファに深く座り込んで新聞を読んでいる男が、がさりとページをめくる。 「でも、一昨日に一応は組み上がったらしいのよ」 「そうなのか?」 「ええ。でも、それがね、」 テーブルの上にあったカップを持ち上げながら、一人がけソファに腰掛けた女性が、くすくす笑う。 「偶然にもひどい嵐だったようなの。落雷は受けなかったんだけれど、すぐ浅瀬に座礁しちゃったんですって」 「それはそれは。あいつ、ついてなかったな」 「全く。そりゃもうじたんだ踏んで悔しがってね。でもすぐ--」 「あきらめた、だろ?」 「ええ、そうなのよ」 新聞の端からちらりと覗いてきた視線に、ふわりと笑う。 ジェームズの11歳の誕生日にプレゼントした、ホプキンズ商会が販売している立体ジグソーシリーズの今年の新作は、さまざまなデザインの帆船型で、完成するとその周囲に小さな海と空ができ、ゆっくりと航海を始める優れた玩具だ。 よりリアルを追求したそれは色々な海と繋がっており、組みあがると実際の天候そのままの状態で航海が開始される。 「全くうちの坊主ときたら、頭の切り替えが早いったらない」 「『一度組み立てられたんだから、次はもっと早くできる』ですって」 「たのもしいじゃないか」 「そうね」 ひとしきり笑うと、ふいに真剣な顔をして独りごちる。 「大丈夫よね、きっと」 「…ああ。……おや、アリシア。散歩からお帰りかい?」 長いしっぽをしなやかに揺らしながら入って来た猫が、きどった声でにゃあと鳴くと、そのままソファの上、肘かけ横のお気に入りの場所にひょいと飛び上がって、すました顔をドアに向けてちょこんと座る。 「どうしたい?今日は昼寝ナシか?」 『どうやら相棒を見送らなくちゃきゃいけないようでね。寂しいけれど仕方ないわ』 「え?」 何だって、と新聞を下ろして横のアリシアへ視線を向けた瞬間、バタンと大きな音を立てて猫の視線の先にあったドアが開いた。 「…ジェームズ」 「……まあ」 お気に入りのおもちゃの黒い三角帽子と、大好きな闇の魔法使いの叔父から貰った黒のローブ。 扉にかけたままの左手には、黄色い羊皮紙の封筒。 パイプを手に持ちながらぽかんと見返してくる父、両手で口元を押さえて目を見開いた母。 どこか誇らし気に胸を張って座るアリシアをぐるりと見回し、帽子の縁をくいと引き上げ片目をつぶり、いつもよりずっとかっこめかしてにやりと笑う。 「諸君、新しい冒険の始まりだ」 「あら、どこからかしら?」 玄関の外にあるアルミ製のポストの蓋を開け、中に入っていた郵便物をチェックすると、切手のない自分宛ての封筒が一通。 まるで中世の手紙のような立派な羊皮紙の封筒は、丁寧に紫色の蝋で封印されている。 ライオン、鷲、熊と蛇に囲まれた「H」のアルファベット文字。 「誰からかしら?」 くるりと表裏を眺めてみるが、書かれているのは家の住所と自分の名前だけ。 住所にはご丁寧にも「2階 南向きの子供部屋」と、自分の部屋の事まで書かれている。 「変な手紙」 でも、嫌な感じはしない。 勿論、知らない人からの手紙というのもあるんだろうけれど、なんだかどきどきする。 薄く開かれた戸をコンコンとノックして、奥にある大きな仕事机に座ったまま顔を上げた父ににっこり笑い部屋に入り込む。 「はい、手紙よ、パパ」 「ありがとう、リリー。おや、そっちは?」 「私宛てなの。誰だかわからないんだけど」 「それはそれは…。見せてごらん?」 「見せるだけよ?」 「ハイハイ、分かってるよ、お嬢さん」 ひょいと片目を上げて尋ねてきた父の顔の前に、笑って黄色の封筒をぶらさげると、少し身をひきながら手にとって宛名チェックをしていたたくさんの封筒を机に置いて、目の前のそれを笑って受け取る。 「ふーむ。羊皮紙とは立派だな」 「そうなのよ、書かれているのはちゃんと私の名前だけれど、心当たりなんてぜーんぜん」 ガラスのペーパーウエイトの横にあったお揃いのペーパーナイフを手にとって、くるりときすびを返して窓寄りの位置にある一人掛けソファーにぼすんと身を沈める。 「『2階 南向きの子供部屋』…?なんだ、この住所」 「面白いでしょ?でも、ちゃんとあってるし」 「そうだねぇ。誰か、手の込んだ悪戯かな?」 「ま、開けてみれば分かるわよ。変な感じはしないし」 勢い良く立ち上がって、顎を片手で撫ぜながらうーむと唸っている父の手からひょいっと手紙を奪って、またソファーに深く座る。 「おいおい、危ないから…」 「絶対大丈夫。変な感じはしないもの。大体、私のカンは絶対当たるんだから」 「…そうだね、マイディア」 困ったように笑う父にちろっと舌を出して、さくりと手紙の端にナイフを差し込む。 中から出てきたのは、分厚い紙の束。 丁重に三つ折りされているそれをゆっくり開いて、住所と同じエメラルド色のインクで書かれた文字を、じっと見つめる。 「誰からだい、リリー?」 「………なんてこと……」 「リリー?」 眉をひそめて黒皮の肘おき付きの椅子から立ち上がった父に、ゆっくりと泣き笑いした顔を向ける。 「リリー?」 「…パパ………どうしよう」 すっかり困惑している娘に驚き、足早に駆け寄ってきた父に手紙を差し出しながら、驚きと、興奮で叫びだしそうなのを必死に押さえ、ひっくり返ったような声を上げる。 「……これは」 「魔法学校の入学許可書よ!! パパ! 凄いわ!! ああ、何てこと!」 「リリー」 「凄いわ、魔法はホントにあったのよ!私はそこに行けるの。ねえ、私と同じような子が沢山いるのよ! ああ、パパ。こんな素晴らしい事が本当に起こるなんて!!」 「あたっ!」 庭先でサッカーボールを蹴っていたら、こつんと頭に何かがぶつかった。 いったーと頭を擦りながら、足元に落ちたそいつを拾い上げて、飛び去っていくふくろう便にぶんぶんと手を振って大声を張り上げた。 「僕はポストじゃないんだぞ!このまぬけ白ふくろうめっ!」 がああっと怒鳴ってみたところで、すっかり遠い空に飛び退った白い点を見送りながら、やれやれと肩をすくめて拾い上げた手紙に視線を落とす。 「……あっちゃー」 がしがしと頭を掻いて、大きく溜息をつく。 ちろりと横にあるボールに目を移して、くいっと宙に蹴り上げてハットトリック。 ぽんぽんとリズム良く膝で、足首のあたりで何度も繰り返し、最後に思いっきり宙に向かって高く蹴り上げる。 青い空、太陽と重なったサッカーボール。 眩しさに手紙を持った手で光を覆いながら、ボールの落下地点を見極める。 空に綺麗な放物線を描いて落ちてきたボールをポスンと左手でキャッチし、腕の中しっかり抱きしめたそれに視線を落とし、やっぱり大きく溜息を一つ。 「シリウス・ブラック選手、ハンドでグランド退場〜〜」 右手を高く上げて、大きく宣言。 ……どうやら僕も、マグルの世界は退場らしい。 くるりときすびを返して、ポトンと地面に落としたボールを蹴りながら、玄関に向かって歩き出した。 「おっ、もう練習はやめか?」 「まあね」 玄関横にある物置の扉を開けて、赤いクリケット用ボールとバットの間に、サッカーボールを転がしてぱたんと閉める。 クリケット選手も結構イカしてたんだけどなぁ。ま、サッカーの方が上手かったんだけどさ。 「何だ、仏頂面して」 「別に〜」 口の端を上げてにやにやと笑う親父の横をすり抜けて、居間を通りこしてキッチンに向かう。 大きな冷蔵庫の扉を開けて牛乳瓶を取り出して、自分のカップに注ぎいれる。 「おっ、父さんは紅茶がいいな」 「自分で入れれば」 「なんだ、ケチくさい奴だな」 「普段、デスクワークなんだから。たまには自分でやらないと、早くじじいになるぜ」 「言ったな、ガキが」 「あてっ!」 テーブルに瓶を置いて一気に飲み干したところで、横までついてきた父にぺしっと頭の後ろを叩かれた。 「いってー!」 「口が減らない息子への、父の愛だ」 「いらないって、んなもん」 「ほれ、お前も飲むだろ?カップよこせ」 「あ、ついでに手ぇ洗いたいから、いいよ。ちゃんと自分でやるって」 「ほんっと、口が減らない奴だな」 「へへへ」 バードケトルをレンジに乗せて、ぱちんと指を鳴らして火をつけた父の横に立って、持っていた手紙を尻ポケットにねじこみ、流しの蛇口をひねりカップを洗う。 「パックのでいいよな?」 「うん。Tetleyの奴なら---」 『2つ』 重なった声にじろりと視線を横に向けると、にやりと笑っている親父が視界に入る。 「よく覚えてるじゃん」 「まあな。休日は自分で茶は入れるし、家族の分まで振舞ってやる寛大な父だからな」 「しつこいおっさん」 きゅ、と蛇口をひねり水を止めて、横にぶらさがっている布巾に背伸びして手を伸ばし、水気を拭いて親父のカップの横に置くと、予め紙の持ち手が2つに切られた紅茶のティーパックが2つ、ぽんと放りこまれる。 濃いめの紅茶、僕の嗜好。 …ホグワーツで入れる紅茶も、濃くできるかな? 「何だ、どうかしたのか?」 「別に、何でもないって。あ、キッチン鋏取ってくんない?」 「おう」 横の引き出しを開けて差し出された鋏をサンキュと受け取って、尻ポケットから引っ張り出した黄色の手紙に鋏を差し込む。 「おっ、手紙がきたのか?この時間だとふくろう便か」 「まあね。ホグワーツ魔法魔術学校の蝋印付き」 言いながらさくさくと分厚い羊皮紙の封筒の端を切り、肩越しに振り返ってシンクの上にカタンと鋏を置く。 あーあと溜息をつきながら、ちょっと力を入れてぱくんと切り口を広げた瞬間--- 「わあああっ?!」 「やったぞ!!! さすが、我が息子っ!!」 「わわっ!あ、危ねぇって!!」 「はっはー!とうとう二代目魔術師ブラックの誕生か!!素晴らしい」 「だーーーっ、あ、頭、ぶつかったって!!」 突然抱き上げられて天井が近くなったと思ったら、そのまま大喜びしてぐるぐる回る親父のせいでバランスがうまく取れなくて、天井から釣り下がっているライトのカバーにがこんとしこたま頭をぶつけた。 「あ、悪ぃ。つい喜んじまったぜ」 「『悪い』じゃないって!いってーーー!」 とすんと地面に落とされて腕から解放されると、ぶつけた所を手で擦っている俺ににかりと笑って、その大きな手を乗せてぐりぐりと撫ぜられる。 「だからっ、押すなってーの!」 「ははっ、まあまあ。固いこと言うなって、魔法使いシリウス」 「『まあまあ』じゃねえ!放せ、親父っ!」 ぶつけた場所をご丁寧にも押してくる腕を振り払い、2、3歩後ろに飛び退る。 「だーーっ、いってーーー!」 「だから、すまんって」 「どこが『すまん』なんだ、クソ親父!」 頭を抱えた俺を見て、楽しそうに笑っている親父をじろりっと睨む。 くくくとしばらく笑っていた親父が、口に手を当ててむんっと顔に力を入れて、至極真面目な顔を作る。 「おめでとう、シリウス。悪いな、勝手に喜んで。魔法使いの道を行くのも、辞めるのもお前次第だ。すまん」 「んだよ、あらたまって」 「ケジメだよ、選択の時を茶化してはいけないからな」 「もう十分、茶化してるって」 呆れて肩をすくめた俺に、もういちどスマンと、困ったように笑う。 「行くよ、ホグワーツに。もう決めたんだ」 「…おい、ちゃんと--」 「ちゃんと考えたんだ。親父も言ったろ、こんなこと冗談で言わないって」 「……そうか」 ゆっくりと、誇らしげに微笑んだ笑みを浮かべ、膝をついた親父が両手を広げる。 ま、ケジメだもんな。 それに1年は、逢えなくなるんだし。 けれどもやっぱり嬉しさで笑ってしまいそうな顔をなんとか堪え、しかめっつらのまま傍により、しっかりと抱きしめ合う。 「どうか、お前の行く先に、沢山の幸せが満ちているよう。がんばれよ、シリウス」 「ありがとう、親父」 ぎゅと固く抱きしめあった俺達の横で、ピーチヨチヨチヨ…とケトルが鳴く。 背中の方でぱちんと指の鳴る音、次第に小さくなる鳴き声。 それでもしばらく抱き合ったままの腕を、どちらからともなくゆっくりと放す。 「紅茶はやめだ。MARKS&SPENCERに行って、豪華に買い物だ」 「やたっ! 俺、久しぶりにキドニーパイ食べたいっ!」 「おう、100個だって買ってやるさ」 「そんなに食べきれないって」 にやりと笑った親父に、呆れた声を上げる。 ごちんと額を押し付けあって、もう一度にっこり笑う。 「じゃ、行くか」 「あ、俺、上着取ってくる」 「おう。じゃあガレージからミニを出して、エンジンかけて待ってるから」 「うん、すぐ行くっ」 ばたばたと互いに動き出して、階段を駆け上がって薄い上着をひっつかむ。 ふと思い出して、尻のポケットから手紙を取り出す。 紫の蝋の封印。 エメラルド色のインク文字で書かれた、自分の名前。 「……がんばるから、母さん」 胸にぎゅっと手紙を押し付けて、机の上で笑う写真ににかりと笑う。 できる事なら一緒に、入学準備をしたかった。 小さい頃からいやという程聞かされた、それは不思議な物語。 9 3/4ホームから出る特急電車、黒い湖の向こう岸、高い山の上にある壮大な城。 とうとうこの目で、見ることができる。 「うしっ! ちょっと預かっててね、母さん」 むんっと気合を入れて写真立ての前に手紙を丁重に置き、勢いよく部屋を飛び出した。 「行ってきます」 かたんと小さな物音が聞こえて、ソファの上、膝をかかえるように深く座り込んで本を読んでいた顔をふっと上げた。 「ディア、どうしたい?」 「なんでもない、郵便みたいだよ」 「そう」 向かいのソファに座り、ラジオから流れる「ハガルのおもしろ魔法学」を聞きながら編物をしていた祖母に、にこっと笑って本を置いて立ち上がる。 そのまま玄関までぱたぱたと駆けていくと、ドアにくっついている郵便受けに、黄色の封筒が一通。 「あれ?僕宛てだ…」 エメラルドグリーンのインクで書かれた、「リーマス・ルーピン」の綴り。 裏側は、「H」のアルファベットとそれを囲む4つの動物の紋章で封印された、紫の蝋封。 差出人の名前は、どこにもない。 心当たりを総ざらい考えたけれど、こんな立派な手紙をくれる心当たりなんてありゃしない。 そもそも、ダイレクトメールと通信教育の手紙以外で届く僕宛の郵便物なんて、本当にありはしないんだ。 「なんだい、誰からだい?」 「僕宛に、知らない誰かから」 「ふうん」 片手を上げてくいと鼻眼鏡を引き上げ、ちろりと視線だけ向けた祖母に答えると、じっとその黄色い羊皮紙の手紙を見つめた視線を、静かに戻す。 「そっちの戸棚にペーパーナイフがあるよ。お使い」 「わあっ、使っていいの?」 「勿論」 指差された戸棚にぱたぱたと駆け寄って、丁重に置かれた銀のナイフにそっと手を伸ばす。 魔法使いの祖母の大切にしているものの一つで、その特別なナイフを使って封を切る祖母の姿は、僕の大好きな姿の一つだったりする。 「…あれ?」 手紙に刃を差し込んでちょっとだけ切ったところで、ふと気がついてナイフを引き戻した。 手紙をひっくり返して、持ち手の部分の柄と見比べる。 「おばあちゃん…」 「おいで、リーマス」 おそるおそる顔を上げた僕に、知らない間に編物を止めていた祖母が膝の上に置いていた右手を上げて、ぽすぽすと自分の横をクッションを叩く。 とてとてと近寄り、ボスンっと隣に座ってぴったりとくっついた僕の髪を撫ぜながら、封を開けるよう優しく促す。 切りかけの部分に再びナイフを差し入れて、ビリビリと紙を切る。 すっかり切り終わると、丁重にテーブルの上に同じ「H」のイニシャルの紋章入りナイフを置いて、中に入っていた分厚い紙の束を取り出し、おそるおそる開く。 「おばあちゃん、これ…」 「そうだよ、リーマス。マイディア」 振り仰いだ僕に、優しい月明かりのような微笑みを浮かべ、謳うように祖母が言う。 「ホグワーツ魔法魔術学校の入学許可書さ。やれやれ、どうやらお前は私の遠い後輩になるようだね」 ぱたんと部屋の扉を後ろ手に閉めると、そのままベットに駆け寄ってボスンとダイブ。 両足をばたばたさせてしばらく泳いでから、ばたっと脚を下ろす。 「……どうしよう」 本当に、どうしよう。 手の中にある、黄色い手紙。 夢なんかじゃない、それはこの異端な僕を受け入れてくれる確かな証拠。 ぐりんっと顔だけ上げて、手紙をじっと見つめて湧き上がってくる暗い想いに自嘲して顔を歪める。 ---そう、『異端』なこの僕を。 幼い頃、狼人間に襲われた僕は、図らずともその暗い運命を継承してしまった。 僕の上げた悲鳴に駆けつけた両親や近所の人々に捕らえられたそいつは、近所に住んでいた気の良い、それでいてどこか怯えた風情のあった青年。 自宅の地下に自分で造ったらしい完全防音の扉の鍵が壊れ、満月のせいで野生に囚われた彼の中の獣は、そこから抜け出し町中を密かに徘徊していたところだったらしい。 「 可哀相に 」 「 運がなかった 」 かろうじて命を取り留めた幼い僕を、周囲や両親は初めは本当に労り、可哀相にと涙を流してくれた。 けれども月が欠け、そして満ちてくると。 それは恐怖と畏怖の視線に変わった。 人狼の呪いは、確実に継承される。 恐怖に襲われた小さな田舎町、息子の孫に訪れた最悪の運命の中を訪れた祖母は、一も二もなく僕を連れ去り、未だ恐怖と傷にぐったりとした僕を古い洞窟の中に連れ込んで、満月が昇るまで、そして欠けた後も、優しく丁重に、看病してくれた。 結局、僕が呪いを受けてしまったことがはっきり立証されたその次の月。 もうしばらくは大丈夫だからと連れて行かれた祖母の家の温かいベットの中、部屋の中に次々と運ばれてきた自分の荷物を、自分でも驚くくらい冷静にじっと見つめていた。 そうして最後、ゆっくりと部屋に入って来た真っ赤に泣きはらした目の母と、突然舞い降りたこの不幸にすっかりやつれてしまった父に、静かに言った。 「僕は大丈夫だから。ごめんね、ずっと愛してるから、パパ、ママ。 -------さようなら」 途端、堰を切ったように泣き出した母の肩を抱き寄せた父は、母を促しながらゆっくりとベットの端に座り、3人固まってぎゅうと抱きしめ合った。 もう、あの町にいられない。 けれども仕事の関係で、両親はここに越してくる訳にはいきはしない。 懐かしい学校、さよならも言えなかった、近所の魔法使いの友達。 そして僕は自分の運命を受け入れて、静かにこの祖母のいる小さな町のはずれに住むことになった。 毎月訪れる、暗い洞窟の僕の檻。 絶対に危険はない、と言い切った祖母を信じ、狼人間だという僕を受け入れてくれた人口15人くらいの小さな小さな町の人達。 そこには大人ばっかりで、僕と同じ世代の子供なんて独りもいない。 それでも二度と再び、あの恐怖に満ちた視線と向けられるる甲高い悲鳴を聞くくらいなら、ずっとずっとマシな日々。 それから月に一度。 満月の1週間前くらいから、僕と祖母はこの暗い洞窟を訪れる。 時には箒に乗って、月明かりに満ちた夜空を。 またあるときは、祖母の愛車の真っ白なオープンカー、MG−Midgetを幌を開けてかっ飛ばし、これから来る暗い夜の闇を吹き飛ばすように、夜のドライブを楽しみながら。 それが今の、僕の生活の全て。 『僕、行かないよっ。後輩になんてならないっ!』 『ディア』 『嫌だ、絶対行かないって! こんな怪物が通える学校なんて、ありはしないんだっ!』 『…よく、手紙をお読み。ダンブルドア校長は「特別」と書いているし、あちらでお前が月に一度、予防措置を取られることには変わりない』 ソファに腰掛けたまま静かに言う祖母に、弾かれたように立ち上がった僕は、遠い町まで届くんじゃないかと思うくらい、大声を張り上げてわあわあと喚き散らす。 『だから何? そうしていつかバレて、またあの視線を浴びろっていうの?』 『……リーマス』 『嫌だ、絶対に嫌だっ!もう、もう二度とあんな風に見られたり、僕の姿を見て泣き叫ぶ人達の姿なんて見たくない! あんなのを繰り返すなら、死んだ方がマシだっ!』 『……じゃあ、死ぬかい?』 頭を掻きむしって叫ぶ僕に、よく通る静かな声で祖母がぽつりと呟いた。 瞬間、凍るような冷たい手で心臓をぎゅっと掴まれたように、びくりと身体が竦んだ。 頭を掻き毟っていた両手をゆっくりと下ろし、のろのろと祖母の方に向き直る。 まるで魔法をかけられたように、ざわざわとあんなに荒れ狂っていた心が次第に落ち着き、耽々と語る祖母の声が耳に、心に届く。 『お前がいまいましい人狼の呪いを受け継ぐ限り、そんなもんずっとついて回るのさ。 生きている限り、そう、私が死んだ後だってね。』 『おば……』 『恐怖に負けて、お前を責める人全てを許せとは言わないよ。でも、お前はそれを受け入れ、立ち向かっていく勇気を捨てちゃいけない』 かさりと紙を折り、手紙をしまい入れた封筒を手に持って立ち上がった祖母が、ゆっくりと近づいてくる。 じっと立ちすくむ僕の右手をとってそれを手に押し込んで握らせると、優しい瞳を向けてくる。 『好きになさい、マイディア。 けれどもこれだけは言っておくよ。私はお前の中に深く沈んでしまった勇気を信じている』 『でも、でも…』 『ああ、分かっているよ、ディア』 小さく笑った大好きな祖母が、そっと唇を額に押し付けてくる。 『目覚めたある日突然、それも大好きだった人達にあんな視線と罵声を浴びせられたんだ。 辛いだろう、お前の気持ちはよく分かってるつもりだよ』 手紙を握った手にぎゅっと力がこもるのに気がついて、ふわりと笑い両手でそっと包み込んでくる。 『けれども私は、お前の代わりにはなれない。できる事は、精一杯愛してあげること、愛していると告げることだけだ。 ディア、私の愛があるうちにどうか、自分から愛を注ぐこと、愛してくれる人を見つけておくれ。 ----さあ、部屋にお戻り。夕食まで、好きにしていなさい』 「…どうしよう」 枕に顔を押しつけたまま、じっと考える。 ぎゅうと目をつぶって、どうしようと繰り返す。 大好きなおばあちゃん。 ここから離れるなんてそんなこと、想像できやしない。 だってここしか帰る場所はない。 ここしか、ぼくを受け入れてくれはしないのだ。 「でも……」 たとえば独りで過ごす午後。 突然振り出した通り雨をやり過ごすため、避難した丘の上の大きな木の下で。 いつだって欲しかった。 もう一度、友達が欲しかった。 けれどもあの日、貼り付けたような強張った顔で笑った友達を見て、僕はここに逃げ込んだ。 あんなふうに歪んだ顔、見たくなかった。 おばあちゃんと過ごす、僕の檻の中。 まだそう危険でない時間、 「子供が心配するんじゃないよ、私は強いんだから大丈夫。要は見極めさ、お前の状態を常に正確に把握するって事だよ。 別にお前がどうなろうと、アタシにとっちゃ恐るるに足りんさ。 アタシの持つ力と、勇気をお信じよ」 そういって一緒に檻の中に入って、からからと笑う祖母に微笑み返しながら、いつも思ったこと。 あの時もしも、僕が逃げ出さなければ。 もしかして、あの友情を失うことはなかったんだろうか、と。 この町にきてからしばらく、ぽつぽつと届けられた手紙。 読みたくなんてなくて、全て燃やしてしまったそれは、近所や昔の同級生から送られたもの。 あの時、ちょっとだけでも勇気を持っていたら。 この手のひらに残るものが、少しはあったのだろうか。 ぎゅうと枕を抱きしめる。 どうか、どうか。 固く目をつぶって、祈るように呟く。 「どうか……お願い」 僕を嫌わないで |
とりあえず、思いついた4人について。(うわっ、多っ!) ちょっと人数が多すぎて、前後に分かれてしまいました。 ああ、がっくし。 帆船の玩具はオリジナル。 「ホプキンズ」とくれば、それはもう……。 はわ〜v レクター博士、かっこいいわ〜(うっとり) そして、リーマスばーちゃんの「Right」という言い方…。 はわわ〜!好き、好き、イギリス英語〜vv ずいぶん前に行ったバースの語学学校で行われた、夜の幽霊めぐりツアー。 典型イギリス婦人のおばあさんとのやりとりで、説明した内容がわかったか、と聞かれ、ほとんど分かりもしないのにYesと答えた私ににっこり笑って 「Right(よろしい)」 もうっ、もうもうっ!イギリス英語ってなんでこんなに素敵なのー!(じたばた) 「However]とか普通に使われちゃうと、もう、ぞくぞく来ちゃいますね(笑) イギリス全土の老婦人は、皆ああであって欲しい… てな訳で、リーマスばーちゃんのイメージは、その時のおばあさんな感じで。 ああ、なんだか旅行に行きたくなってしまいました(笑) 02.3/22 冬花 |
まずは冒険への招待状から〜 いや、何て言うかそれぞれの登場人物達の背景がとってもいい味だしてます(^^) リーマスばーちゃんも良いのだけど、ジェームス一家とシリウスパパリンが 素敵ですvv でもって、レクター博士!!いや、まさかそう来るとはっ!!(大笑) でも、個人的にレクター博士萌えなので、全然オッケー(ぐっ/問題違う;;) |