開かれた窓から時折吹き込む風で、カーテンがゆらゆら揺れる。 真っ暗な部屋のベットの上、カーテンの隙間から差し込む月明かりで浮かび上がる小さな帆船を、あぐらをかいて腕を組んだままじっと睨む。 再び組みあがった立体パズルは、穏やかな夜の海を小さな三日月の光を白い幌に映し、ゆらゆらと揺れながら航海している。 とうとう来たのだ、僕の冒険の始まりが。 父も母も、表面上は喜んでくれたけれども、心の奥底に根づいてしまった不安の色は僕に隠せるはずもなく。 未だ僕らに暗い影を落とすあの予言に、心の中で思いつくだけの悪態をついた。 『アタシはもう一緒に行けないけどね。アンタだったら大丈夫よ、相棒』 小さな身体を丸くしていつもの昼寝体勢になってしまったアリシアの背中をそろりと撫ぜる。 「……ありがとう、生涯初めての相棒」 『フン』 そう言って本格的に昼寝を始めたアリシアの横、ばつ悪そうに髪を撫でつけている父にくるりと向き直って、封筒の中に入っていたリストを鼻先につきつける。 「という訳で、未来の大魔法使いに投資をしてみない、パパ?」 「……利益が得れる確立は?」 「ばっちしさ、自分の息子を信じろって」 にやりと笑った僕の頭を、手を伸ばして胸の中へ引き寄せて、ぎゅうと抱きしめてくる。 「勿論だよ、自慢の息子」 「……じゃあ、ついでに箒磨き粉もつけてね」 「なんだ、それは?」 「ママの叔父さんからもらった箒用だよ。入学したらクィディッチをするのさ」 「…ちゃっかり者め」 力強く抱きしめてきた大きな背中に腕を回して、おもいっきり抱きしめた。 「……負けや、しないさ」 暗い海の波に揺れる帆船を見つめながら、何かに言い切るように、独りそっと呟く。 そう、絶対に負けやしない。 何者が相手であっても、膝を折り、屈する事は決してない。 それは僕の誓い。呼吸が止まるその瞬間まで、決して破られることのない僕の信念。 たとえそれが、運命という魔物であったとしても。 吹き込んでくる風が、濡れた頬をひんやりと冷やしていく。 けれども真っ赤に泣きはらして熱を持った眼には、それさえも効果なんてなく、濡らしたタオルをそっと押し付けた途端、また涙が込み上げてくる。 『やっぱりアンタは普通じゃないのよっ!この魔女がっ!いつか火あぶりになっちゃえばいいわっ!!』 『ペチュニア姉さん…』 『やめてっ、「姉さん」なんて呼ばないでよ、この魔女がっ!とっとと行って、二度と目の前に現われないで!』 『ペチュニア、言いすぎだ。リリーに謝りなさい』 『嫌よっ! いつもこの子のせいで…この子が起す奇妙なことで、アタシまで迷惑してたんだから! いなくなるですって?! ハッ、素晴らしいわ、とっととどこにでも行っちゃって!』 『ペチュニア!!』 ぎらぎらと怒り狂った目を向けて、真っ赤になって怒鳴っていた姉が、大声で父に名前を呼ばれビクッと身を竦め、もう一度、燃えるような瞳を向けると階段上の自分の部屋へと駆け込んでいく。 ふうと大きな溜息をついて、くしゃりと頭を撫ぜてくれた後、姉を追いかけて階段へと向かった父と入れ替わるように、両手で顔を覆ってしゃくりあげている私を近づいてきた母がぎゅうと抱きしめてくれた。 『ああ、ほら泣かないの、リリー』 『…ママ……ごめ……さ…』 『誰も、何も悪くないのよ。あの子が私たちと同じ普通なのも、貴方が神様からの授かったギフトを持っているのも』 『…で…も…』 『リリー』 息がうまくできなくてうまく言葉が紡げない自分を、優しく慈愛に満ちた同じエメラルドグリーンの瞳が見つめてくる。 『貴方もペチュニア、二人とも私たちの愛すべき娘よ。ただそれだけ。何も変わらないわ。 ……ただ、ギフトを持つ貴方の喜びと、そして痛みを分かってあげられないあの娘を許してあげてね』 まだ幼くて、世界の殆どが家の中だけだった頃。 外の世界なんて近所の公園くらいしか殆ど知らなくて、朝目が覚めてから夜眠るときまで二人きりだった頃。 優しい声で「リリー」と呼んでくれた、大好きだった姉。 公園までの道すがら、柵の中に放し飼いされた大きなポインター犬の吠える声が恐ろしくて、そこを通るときは必ず反対側を歩かせてくれて、ぎゅっと手を握っていてくれた、強くて優しい姉。 握られた手は、どこまでもそこに在ると信じていたのに。 何がいけなかったのだろう。どうしてこうなってしまったんだろう。 溢れてきた涙をタオルでぎゅうと押さえたけれど、目の奥の熱まで冷やすことなんて出来ない。 引き絞られるような胸の痛み、こめかみはがんがんと痛む。 ずっとずっと、考えていた。 ねえ、もう一度、もう一度だけ。 呼んで欲しいだけなのに。笑って「リリー」と言って欲しいだけ。 でもどうやっても飛び越えられない深いくらい溝が、私と姉の間にはある。 それでもがんばったの。もとより声なんて届かないって頭じゃ十分分かっていたけれど、対岸の縁ぎりぎりに立って手を伸ばし、必死で名前を、姉さんって呼んだの。 止まらない涙に、出窓に座り込んだまま、立てていた膝にぎゅうと顔を押し付けて小さく丸くなる。 変わらない、どうしたって。 一緒にいようと追いかければ、ますます遠くなっていくだけ。 どうしたらいい?どうすればいいの? 泣きはらした目をそっと開け、満天の星が瞬く夜空にぽつりと浮かんだ三日月をぼんやりと見上げる。 草むらから聞こえる小さな虫の鳴き声。他に物音なんて何もなく、ただ独りの夜だということを知る。 このままでは変わらない。 なくしてしまったものは、もうきっと二度と、手にする事はできないだろう。 だったら……。 「……さようなら」 再び溢れ出した涙に視界を滲ませながら、さようなら、ごめんなさいと何度も呟く。 さようなら、さようなら。ごめんなさい、ごめんなさい。 もう、頑張れないわ。あんな風に言われたら、憎しみの目を向けられたら。 でも大好きなの、大好きだったの。今だって好きよ。 ごめんなさい、ごめんなさい。 漏れてくる嗚咽だけは両手で口を押さえて止めようとしたけれど、零れる涙は好きにさせた。 細い銀の三日月が浮かんだ、独りの夜。 ひっそりと静かに、全てに向けてお別れを告げる。 窓辺にうずくまったまま迎えた、涙が出そうなくらいの透き通った蒼い空。 パジャマを着替えて、泣きはらした顔を洗う。 少し目はまだはれぼったいけれど、タオルで冷やしただけあって少しはマシ。 キッチンへ向かって、椅子に座って新聞を読む父、むっつりした顔でかりかりのベーコンを切り分けている姉、紅茶のポットを手にして私のカップに注いでくれている母に向かって背筋を伸ばし胸を張って、きっぱりと宣言した。 「決めたわ。私、ホグワーツに行きます」 「んあ?」 すっかり寝込んでいたはずなのに、突然ぱかっと目が覚めた。 「う~を。何時だ~?」 のそりと寝返りを打って、枕元の秒針が箒の形をしたお気に入りの目覚まし時計を、腕を伸ばして引き寄せる。 まだまだ夜なんて明けそうにない時間に、うんざりしてぽすんと枕の横に時計を落とす。 もう一度寝ようと、居心地のよい体制になるためごそごそとベットの上で動きながら、下腹の不快感にぼんやり気づいた。 面倒なのでいいかと思ったけれど、一度気になるとやっぱりダメで。 「…行っとくか」 のそりと起き上がって、足元の室内履きに脚をつっこみながらベットの脚にひっかけておいたカーディガンに袖を通して立ち上がる。 母の写真を囲んで、3人の大好物ばかり並べためちゃくちゃ豪華で主食ばっかり並んだお祝いのディナー。 特別だからと買ってもらったドイツ産のスパークリングワインは、甘くてけっこう美味しくて、甘いものはまるきりダメなのでめっきり進まない親父に諌められつつ、半分くらい飲むことに成功した。 ひっそりとした廊下。かすかに聞こえる虫の泣き声。 とてとてと階段を降りて、ぱちんとトイレの電気をつけた。 用を足してパタンと扉を閉じて自分の部屋に戻ると、ぽかりと床の上の一箇所だけが明るい。 そこまで歩いていって天窓を振り仰ぐと、空には明るい三日月。 「へ~、綺麗じゃん」 かしかしと眉間を掻きながら窓へと向かい、がたんと大きな音を立てて開け放つ。 ちかちかと小さく瞬く星の真ん中で、うっすら笑うような三日月がぽつり。 「っと」 そのまま身を乗り出して屋根の上にのっかって、少し広い玄関の上のところまで慎重に移動する。 短く切られた黒髪を、暗い夜の中を通り過ぎる風が、時折撫でつける。 よつんばいになりながらなれた調子で緑色の三角屋根に到着すると、むんっと大股を広げて安定をとりながらたち上がり、もう一度夜空を見上げる。 行ったことのない、ホグワーツ魔法魔術学校。 そこから見える星空も、こんな風に綺麗だろうか。 それとも僕が今まで見たことのないような、素晴らしい夜空を見ることができるのだろうか。 「う~~ん」 両腕をまっすぐ伸ばして、大きく伸びをする。 ま、要は行ってみりゃ分かるって事で。 もうすぐ行くんだし、そこで見てみりゃいいって訳だし。 しっかし何だってそんなことを考えるんだ、と小首をかしげてちょっと考える。 もしかして、ものすごく楽しみにしてるのかね? ま、いいけどさ。 「おっしゃーー! どんとこーーい!!」 むんっとガッツポーズをして、声を張り上げる。 夜空には銀の三日月。 聞こえるのは虫の泣き声。 何だっていいさ。 どんな風に時が巡ろうと、どんな場所に行ったとしても、俺が俺である事に代わりはない。 待ち受ける明日には、どんな夜空が待っているんだろう。 「……あの、おばあちゃん」 「なんだい。ちょっとお待ちよ、マイディア?」 3つ並んだガスレンジの上に載せた真っ黒の鉄なべをかき回せながら、向けられたままの背中に向けてぎゅうっと握りこぶしをつくる。 ぱちんと指を鳴らしてを火を消すと、くるりと向き直って視線をあわせてきた祖母に、両目をつぶってせいいっぱい、怒鳴るように大声を張り上げる。 「僕、ホグワーツに、行くよっ」 「……。」 そろりと足音を立てず近づくいてきた祖母が目の間にしゃがみこみ、両手で僕の顔をそっとはさんで上を向かせ、真っ直ぐな瞳で覗き込んでくる。 「行ったところで、何も変わらないかもしれない。私に媚を売る為にそれを選んだなら、よしとくれ」 「っ、ち、違うっ!!」 かあと真っ赤になって、頬に添えられた手をばっと振り払い、一歩退く。 辛辣に言われた言葉に、がんがんと頭が痛む。悔しくて、目の奥が熱くなってくる。 「自分でっ!自分で決めたんだ!! 自分でホグワーツに行くって決めたんだっ!」 今まで見たことのないうような冷ややかな目が、すう、と細められ、目の前にいるのは確かに大好きな祖母なのに、まるきり初めて出逢った他人のようなな錯覚に陥る。 「お、おばあちゃんが反対したって、行くって決めたんだ。ここは好きだけど、きっとずっとはいられない。 ずっとずっと、ここから出たくなんてないけど、そんなのありはしないんだ。だからもう、もう……」 「……『もう?』 なんだい?」 「も、もうっ!」 ぎゅっと手を握り締める。 ぱたぱたと頬を伝って落ちる涙も、こみあげてくる嗚咽も押さえて、冷たく見据える視線をぎっと睨みつける。 負けるもんか、負けちゃいけない。 ---二度と、立ち上がれなくなるから。 「僕はホグワーツに行く。ここにずっといちゃ、ダメなんだ。 きっとこの先も、僕は変わらない。月ごとにくる痛みだって変わりはしないんだ。ひっそり生きなきゃいけないことだって。 でも、でも。もう、嫌なんだ。 村のおじさんも、おばさんも、優しいよ。だけど、僕は友達が欲しいんだっ! きっと全てを話す事なんてできないだろうけど、友達が、愛してくれる、愛せる友達が欲しいんだっ!!」 大声で言い切って、はあははと荒く肩で息をする。 ぼろぼろと零れ落ちる涙。口から漏れてくる嗚咽。 ごしごしと涙を拭っていたら、目の前まで伸びてきている皺くちゃの手に、びくりと身体を強張らせる。 次にくるだろう、衝撃に堪えるためにぐっと両目をつぶって身構えた身体を、温かくて柔らかい何かがそっと包みこむ。 「……Right、My Dear (よろしい、愛しい子) よく言えたね、これであんたは立派な魔法学校の新入生さ」 「おば……」 耳元で優しく囁く声に体中の力が抜け、代わりに胸が熱くなる。 「がんばりなさい」 「お…」 ぎゅうと抱きしめられて、堰が切れたようにわあわあと泣き出した。 両手を痩せた背中に回して、力いっぱいストールを握り締めながら、何度も何度も祖母の名を繰り返す。 労るようにぽんぽんと背中を叩きながら、 「そう、泣きたい時は我慢するんじゃないよ」 優しい呪文のように、そっと呟いた声が耳に届く。 「ディア、お前に私の一生涯全ての力を込めて、魔法を送ろう。ホグワーツでお前が、偽りない真の素晴らしい友情を手にできるよう。 ……偉大なる、お前の祖母を信じなさい」 -------------Yes、My Dear 素晴らしきホグワーツ魔法魔術学校の学び家へと |
なんか、シリウス君だけ暢気です。つーか、ガキ大将?(笑) みんな暗くて、困ったもんだ。 資料用で購入した某すっごく素晴らしい同人様の本を読んで知ったのですが、翻訳書の1巻と2巻でリリー&ペチュニア姉妹の姉、妹が逆になっているそうですね。(原作では只の「Sister」だそうです) しかし、イギリス英語でも「Big」「Old]で書くもんなんですかね?よく知らないんですが。 それにしても。 キドニーパイに、マークス&スペンサー。ひんじドア、SUツインキャブのミニ マークⅠに、おきゃんなライトウエイトスポーツ オープンカーのMG Midget……。(うっとり) あああ、思わず烏龍茶が欲しくなるフィッシュ&チップスにたっぷり塩&ビネガー、ヤックなベークドビーンズ。 体重計のある公衆トイレに、日光浴用のベンチ。 行ってみたいな、モーガン社のあるピッカースレイロードv 旅行にっ、冒険に行きた~い!(号泣) 02.3/22 冬花 |
前章とは打って代わったそれぞれの冒険への期待と不安 姉なのか妹なのかは置いておいて(待て;)旅立ち前のリリー家の家庭の 事情って、こんな感じだったんだろうなぁきっと いやしかし、イギリスへの愛情たっぷり入りまくりな雰囲気がまた良いし だから冬花ちゃん、英語が全く不自由なmisagoを、今度イギリス連れて 行って~!!(他力本願かよ;;) |