登山道の管理をめぐる問題

                                               溝手 康史

登山道の所有権、管理権

1、登山道の所有権、管理権
 山岳は、すべて土地所有者がおり、公有地と私有地がある。私有地は、企業、神社、団体、個人な
どの所有である。日本の国立公園の約40パーセントが私有地である。土地所有権は土地の全面的な
支配権であり、土地所有権は登山道にも及ぶ。したがって、土地所有者は登山道の管理権を有する
が、土地所有者が登山道を管理しているとは限らない。山岳には、土地所有者に無断で開設された
登山道や、誰が設置したか不明の登山道が多くあり、それらを土地所有者が費用を負担して維持、
管理するとは限らない。
2、登山道の管理のあいまいさ
 自然公園では、人工物の設置に国や県の許可(特別保護地区、特別地域、自然公園法20条3項
1号、21条3項1号)、届出(普通地域、自然公園法33条1項1号)が必要であるが、これは、登山道
そのものを管理することを意味しない。自然公園法は、「優れた自然の風景地の保護」、「その利用の
増進」、「国民の保健、休養及び教化」、「生物の多様性の確保」などを目的とする法律であり(自然公
園法1条)、「登山ルートはどうあるべきか」という観点に基づく管理は自然公園法ではできない。
 また、自然公園法に基づいて、公園事業として歩道を設置できるが、公園事業として設置・管理さ
れる登山道はほんの一部である。
 国や自治体が費用を支出して整備する登山道もあるが、多くの登山道は、山小屋、山岳団体、地
元有志がボランティアで整備をしている。登山道を整備する者が登山道を管理しているかといえば、
そうではない。日本の多くの登山道が、整備はしても管理責任を負担しない傾向があり、管理体制が
あいまいである。その理由として、登山道の管理費用の負担と法的な管理責任の負担を懸念する点
があげられる。

登山道の管理のあいまいさがもたらす問題
 登山道の管理のあいまいさが、以下の問題をもたらしている。
、登山道に多数の鎖や梯子、橋などが設置されているが、管理体制があいまいであれば、これらが
定期的に点検される保証がない。利用者の多い登山道では、山小屋、山岳団体、地元の有志などが
登山道を整備しているが、彼らは、登山道の管理者ではなく、ボランティアで整備をしている。ボラン
ティア活動は、それを行う義務がないので、ボランティアによる整備は必ず実施される保証がない。ボ
ランティア活動でも、行ったことについては事務管理に基づく注意義務が生じるが(民法697条)、こ
の点が十分に意識されていない。
 「登山道に鎖や梯子があっても信用するな」という言葉がある。しかし、剱岳の別山尾根や妙義山
の縦走路は、クライミング装備を持参しない限り、鎖や梯子を使用しなければ登ることができないルー
トであり、このようなルートについて 「登山道に鎖や梯子があっても信用するな」と言うのはナンセンス
である。槍ヶ岳の頂上直下の真新しい梯子は、安全のために設置されており、これを「信用するな」と
いうのはおかしい。このような登山道では、鎖等が登る手段になっており、定期的に点検、整備される
ことが必要である。
 これに対し、鎖や梯子を使用しなくても登ることのできる登山道では、「登山道に鎖や梯子があって
も信用するな」が可能である。このような登山道に老朽化した鎖や梯子が設置されている場合には、
それを使わずに登ることが可能である。しかし、新品の鎖や梯子が設置されていれば、登山者がそれ
を信用することが避けられない。
 登山道に設置された吊り橋やコンクリート製の橋についても、それに対する信頼が生じやすいの
で、定期的に点検、整備されることが必要である。
 登山道に設置された鎖、梯子、橋などの人工物が、登山に不可欠なものであれば、定期的に点検
・整備する必要がある。それは、ボランティア活動に委ねるのではなく、登山道の管理者が責任をもっ
て点検・整備する必要がある。
 これに対し、鎖や梯子を使用しなくても登ることのできる登山道では、鎖や梯子は必ずしも必要で
はない。そこでは、もし、鎖や梯子が点検されておらず信用できないものだとすれば、「登山道に鎖や
梯子があっても信用するな」と言うよりも、そのような設備が登山道にあることの方が問題だろう。管理
された登山道では、信用できない鎖や梯子は撤去するか、それが無理であれば、危険表示をする必
要がある。それは、「登山道に鎖や梯子があっても信用するな」というあいまいなものではなく、「この
登山道の鎖や梯子は点検・整備がなされておらず、使用するのは危険である」という表示である。
、日本の登山道は、「その登山ルートはどうあるべきか」という観点ではなく、便利さや安全性の観点
から整備される傾向がある。
 自然公園法は、登山道に人工物を設置する場合に、許可や届出を要求しているが、自然公園法
は環境保護と「利用の増進」という目的を持つため、「利用の増進」という観点から、登山道の鎖、梯
子、柵、木道、階段、手摺り、ネットなどの人工物の設置を許可することが可能である。
 便利さや安全性の観点から登山道を整備すれば、登山道が過剰に整備され、遊歩道化する傾向
が生じる。登山道の整備を業者まかせにすれば、街中の歩道のように人工物で整備されやすい。登
山道を整備すれば初心者を含めて登山者が増え、事故も増える。事故が増えれば、さらに整備をす
る傾向が生じる。危険個所に鎖を設置しても、転落事故が起きれば、梯子が設置される。それでも事
故が起きるので、転落防止ネット、落石防止ネット、手摺り、階段、滑り止めなどが必要になる。登山道
の整備には際限がなく、遊歩道化しやすい。登山道を人工物で整備することは、環境破壊であり、際
限のない管理責任をもたらす。
 「その登山ルートはどうあるべきか」という観点から管理することが必要であるが、そのためには、管
理者に登山道管理の専門性が必要である。
、登山道の管理体制があいまいであれば、橋、柵、鎖、梯子、標識などに起因する事故や、落木、落
石事故などが起きやすく、事故が起きた場合に、管理責任の所在が紛糾する。
、登山道の管理は、管理責任の問題とセットで考える必要がある。際限のない整備は、際限のない
管理責任をもたらす。登山道に人工物を設置すれば、管理責任が生じる。登山道の形態を区別し、
それに応じて登山道に設置する人工物を最小限にとどめることが、管理責任の範囲を限定することに
なる。登山道に必要な量以上の人工物を持ち込むことは、環境破壊であり、登山の魅力を失わせ、不
必要に管理責任が重くなる。登山道の形態の区別は、登山者の自己責任の範囲を明確にする。登山
者と管理者の責任の範囲を明確にすることが、登山の自由の保障につながる。

登山道の管理責任
1、営造物責任
 登山道で事故が起きた場合に、「公の営造物」の「設置・管理の瑕疵」があれば、国や自治体に損
害賠償責任が生じる(国家賠償法2条)。「公の営造物」とは、公の目的に使用される登山道・橋・柵・
梯子・鎖・階段などをさす。「設置・管理の瑕疵」とは「通常予想される危険に対し、通常備えるべき安
全性を欠いている」状態をさす。
2、工作物責任
 「土地の工作物」の「設置・保存の瑕疵」があれば、損害賠償責任が生じる(民法717条)。「設置・
保存の瑕疵」は国家賠償法2条の「設置・管理の瑕疵」と同じ意味である。この場合、工作物の占有者
(管理者)が損害賠償責任を負い、占有者が注意義務を尽くしたことを証明した場合には、工作物の
所有者が損害賠償責任を負う。
 樹木の「栽植・支持の瑕疵」がある場合にも同様の責任が生じる。登山道付近の樹木が倒れて事
故が起きた場合などが、その例である。
、登山道は、人工物であり、「公の営造物」、「土地の工作物」に該当する。
裁判例では、管理責任(営造物責任、工作物責任)が生じるためには、管理可能性や予見可能性
が必要とされる。これらの可能性がなければ、「管理せよ」という規範を課すことができない。
 管理者の明確な橋と柵については、裁判例があるが、登山道の梯子や鎖に関する裁判例はない。
登山道への落木事故の裁判例がある。
、日本では、登山道の形態と管理責任の範囲があいまいであり、登山道の整備に際限がなく、管理
責任に対する不安から、登山道の管理が回避される傾向がある。
、「責任」という日本語のあいまいさ
責任という日常用語は、@義務や負担を負うという意味で用いる場合と、A損害賠償責任や刑事
責任の意味で用いる場合がある。責任という言葉のAのイメージから、@についても拒否感を抱く人
が多い。しかし、@の意味の義務や負担は、あらゆる場合に存在する。あらゆる業務が義務や負担を
伴う。人間は、生まれた瞬間から義務や責任の対象となる(日本では、子供が負担する義務と責任は
親が代位して負う。民法714条。アメリカでは小さな子供でも、親から独立して義務と責任を負い、損
害賠償責任を負う)。@の責任を自覚することが、Aを防止することにつながる。

登山道の管理責任の範囲と登山者の自己責任の範囲
、登山道の形態を区別しなければ、管理責任の範囲があいまいになる。遊歩道と山岳地帯の縦走
路では、管理責任の範囲が異なる。遊歩道での落石事故は歩道の管理責任が生じるが、穂高での落
石事故は登山者の自己責任である。しかし、富士山の登山道を過剰に整備すれば、富士山での落石
事故について管理責任が生じる可能性がある。
、アメリカの国立公園では、レンジャーが頻繁に歩道の点検をしている。アメリカでは歩道での事故
の裁判例が多数あり、自然公園内のトレイルの管理責任が明確に意識されている。しかし、日本で
は、この点の自覚があいまいである。
 従来の日本では、歩道の形態の区別がなされず、歩道を誰でも歩けるように整備する傾向があっ
た。また、「登山道ではすべて登山者の自己責任である」と考え、管理責任を意識しない傾向があっ
た。そのため、奥入瀬渓流落木事故のように歩道の管理責任を認める判決が出ると、管理者が困惑
し、歩道の管理者であることを回避する傾向が生じやすい。
、登山道の形態を区別することが、管理者の責任の範囲と登山者の責任の範囲を明確にし、管理
者の管理責任の範囲を限定することになる。現状は、登山道の形態区別があいまいなため、管理者
の責任の範囲と登山者の責任の範囲もあいまいである。

登山道の形態
 登山道は、「歩く登山道」と「登攀路」に区別できる。「歩く登山道」では歩く行為(hiking)が要求さ
れ、「登攀路」ではよじ登る行為(climbing)が要求される。「登攀路」は、日本語の「クライミング」の技
術、装備は必要ではなく、剱岳の別山尾根や妙義山の縦走路のように、手を使ってよじ登るルートで
ある。日本語の登山道は、「歩く登山道」と「よじ登る登攀路」の両方を含むが、クライミングルートは含
まない。
(1) 歩くための登山道
 歩くための登山道は、@遊歩道、A整備されている登山道、B整備されていない登山道、C自然
状態に近い道に区別できる。登山道の分類は、体力、技術、危険性に基づく分類が一般的であるが、
上記の分類は、歩道の管理責任を意識した分類である。 
@遊歩道
 多くの観光客やハイカーが利用する歩道であり、危険性のほとんどない歩道である。奥入瀬渓流の
歩道、上高地付近の歩道、立山の室堂付近の歩道、北八ヶ岳坪庭付近の歩道などがこの例である。
遊歩道で、転落、落石、落木などの事故が起きれば、管理責任が生じやすいので、それに対応した
整備、管理が必要である。
  (清津峡歩道事故)
    年間約10万人の観光客が訪れる渓谷にある歩道での落石事故について、営造物責任 
   が認定された(新潟地裁平成3年7月18日判決、判時1402号100頁、判例タイムズ7272号
   100頁)  
  (奥入瀬渓流事故)
    国立公園内の奥入瀬渓谷の歩道付近の休憩場所で上から落ちてきた木の枝で観光客 
   が負傷した事故について、国や県の歩道の営造物責任、工作物責任が認定された(東  
  京地裁平成18年4月7日判決、判例時報1931号83頁、東京高裁平成19年1月17日   
 判決、判例タイムズ1246号122頁、最高裁平成21年2月5日判決)。
  (十和田八幡平城ケ倉渓流歩道事故)
   多くの観光客が訪れる沢沿いの歩道で、自治体が、「自己責任」の看板を設置し、利用 
   者にヘルメットを着用させていたが、自治体の営造物責任が認定された(青森地裁平成  
  19年5月18日判決)。自治体の担当課長の刑事事件が立件されたが、不起訴になっ   
  た。
A整備された登山道
 定期的に(高山では1年に1回程度)、登山道が手入れされ、標識、鎖、梯子などが点検、整備さ
れている登山道である。登山者は、登山道にある標識、鎖、梯子、階段、柵などを信頼することができ
る。歩いて登ることができるルートであり、鎖や梯子はあくまで補助的なものである。@と異なり、落石、
落木、転落などの山岳固有の危険性があり、これについて管理責任は生じない。
  (尾瀬落木事故)
    尾瀬の歩道での落木事故について、歩道管理者の損害賠償責任が否定された(福島地
裁会津若松支部判決平成21年3月23日判決)。
 登山道に設置された堅固な橋、柵などは、整備された設備としての信頼が生じ、管理責任が生じ
やすい。
  (西沢渓谷事故)
    国立公園内(西沢渓谷)の歩道の柵が折損してハイカーが転落した事故について、歩道
    の営造物責任が認定された(東京地裁昭和53年9月18日判決、判例時報903号2頁、
判例タイムズ377号103頁)。 
  (大杉谷事故)
    国立公園内(大杉谷)の吊り橋のワイヤーが折損して、登山者が吊り橋から転落して死亡し
た事故について、吊り橋の営造物責任が認定された(神戸地裁昭和58年12月20日判
決、判例時報1105号107頁、判例タイムズ513号197頁。大阪高裁昭和60年4月26日
判決、判例時報1166号67頁。最高裁平成元年10月26日判決、判例時報1336号99
頁、判例タイムズ717号96頁)。  
B整備されていない登山道
 定期的に、登山道が手入れされず、標識、鎖、梯子などが点検されていない登山道である。登山
道に設置された標識、鎖、梯子などは点検されていないので、信頼できない。登山者は、鎖や梯子を
当てにせずに登る必要がある。本来、登山道には、信用できない鎖や梯子はない方がよいが、現実
には誰が設置したかわからない鎖や梯子が多数あり、これらが定期的に点検されているかどうかが不
明なことがある。登山道の管理者は、登山道の標識、鎖、梯子などについて、「点検されていない」旨
の危険性の表示をし、登山者は、これらを自己責任で利用する必要がある。
C自然状態に近い道
登山道に人工的な設備がほとんどなく自然状態に近い道である。剱岳の長次郎雪渓や三の窓付
近の道がこれに該当する。山岳の管理者は、自然状態に近い道として管理する必要がある。
(2)登攀路
登攀路は、整備された登攀路、整備されていない登攀路、自然状態に近い登攀路に分けることが
できる。
 剱岳の別山尾根や妙義山の縦走路は、整備された登攀路であり、管理者が定期的に鎖や梯子を
点検することが必要である。これらは、鎖や梯子が点検されている前提で登山者に利用されている。
もし、これらの鎖や梯子が、定期的に点検されていないとすれば、非常に危険である。歩く登山道で
は、鎖や梯子は補助的なものなので、信用できない鎖や梯子を使わないことが可能だが、登攀路で
は、鎖や梯子を使用しない場合には登ることができない(クライミングの装備が必要になる)。
 登攀路には、人工物の設置の仕方によって、その難易度を管理することができるという性格があ
る。槍ヶ岳の頂上直下は、現在、誰でも梯子を利用して簡単に登ることができるが、梯子をすべて撤
去して鎖にすれば、剱岳の別山尾根に近いレベルの登攀路になる。妙義山の鎖をすべて梯子に変
えれば、梯子を登降するルートになり、現在よりも難易度が下がるだろう。鎖を掴んで登るルートと梯
子を登降するルートでは、難易度と形態が異なる。登攀路の難易度と形態は、人工物の設置の仕方
に左右されるので、その管理が重要である。
 登攀路に設置された鎖や梯子は、必ず、管理者が毎年点検していることが必要である。整備され
ていない登攀路に鎖や梯子が設置されていることは危険であり、撤去するか、クライミングルートにす
べきである。
 登山道や登攀路に設置する鎖や梯子は、必要最小限であることが望ましい。なぜなら、登山は、も
ともと人間の持っている能力を自然の中で発揮する過程に本質があり、梯子や階段の登降は登山と
呼べないからである。槍ヶ岳の頂上直下は、現在、梯子を登降するルートになっているが、それでよい
のかという点がもっと議論されるべきである。また、登山道に設置された鎖や梯子の量が増えれば、点
検、整備に要する労力、費用、責任が増す
 自然状態に近い登攀路は、あくまで道であり、クライミングルートではない。槍ヶ岳の北鎌尾根、前
穂北尾根、剣岳源治郎尾根などは、大部分が自然状態に近い登攀路であり、ルートの一部にクライミ
ングルートがある。

登山道の管理のあり方
(1)山岳や登山道の管理者と管理体制を明確にすることが必要である。登山道の管理に専門性が必
要であり、専門的なスタッフが必要である。山岳団体への委託も可能だろう。
(2)登山道の形態の区別が必要である。遊歩道、整備された登山道とそうではない登山道では、管
理方法と管理責任の範囲が異なる。
(3)登山者は、登山道の形態の区別に応じて(すなわち、リスクの程度に応じて)行動する必要があ
る。登山道の形態の区別は、引率登山を実施する場合のルート選択の基準になる。整備されている
登山道では、引率者の安全確保義務は、登山道が整備されていることを前提したものになる。
(4)登山道の整備は、「そのルートはどうあるべきか」という理念に基づいて、必要最小限であることが
必要である。それがなければ、「便利さ」と「経済的利益」に基づいて、過剰な整備になりやすい。登山
道の過剰な整備は、環境破壊と際限のない管理責任をもたらし、登山の魅力を失わせる。
(5)整備されていない登山道・登攀路では、危険性の表示が必要である。アメリカでは、施設の危険
表示の有無が重視されるが、日本の裁判所は、危険表示を重視せず、事故の回避措置の有無を重
視する傾向がある。前記の城ケ倉渓流落石事故では、歩道に落石等の危険があるとの看板を設置
し、利用者にヘルメットを着用させていたが、裁判所はそれを考慮せず、自治体の歩道の管理責任を
認定した(青森地裁平成19年5月18日判決)。
(6)登山道に一定の危険性があることを前提に、整備、管理する考え方は、自然の危険性に応じて
行動できる登山者の自律性が前提になる。それがなければ、すべての登山道が初級者用に整備され
やすい。「差別」を嫌う世論の傾向が、登山者の多様性を無視し、すべての登山道を初級者向きに整
備する傾向をもたらしやすい。登山者の志向と能力は多様だが、登山道をすべて初級者用に整備す
れば、登山者の多様性に対応できず、登山者の自律性を損なう。
 韓国では、登山道の徹底した安全化によって事故を防止しようとしており、登山道の形態別・リスク
別管理の考え方がないようである。2000年2月に12人の韓国人パーティーの西穂・奥穂縦走路での
遭難(1人負傷)、2013年7月の20人の韓国人の中央アルプスでのツアー登山中の遭難(4人死亡)
などは、韓国の登山環境がもたらす弊害を示しているように思われる。日本以上に画一的な韓国の
登山道の安全化の傾向が、韓国の登山者の自律性を損なっているように思われる。
 登山者の自律性は、それに見合った社会的な登山環境によって養われる。登山道の形態を区別
することは、この点に役立つと考えられる。

登山道の利用者間の利益調整
(1)登山とマウンテバイクの対立 
 道路交通法の改正により、自転車は原則として歩道の通行ができなくなったが、登山道が道路の
歩道を構成する個所を除き、登山道は道路交通法上の歩道ではない。
 自然公園の特別保護地区では、道路、広場以外では自転車の使用が禁止されている(自然公園
法21条3項10号)。自然公園の特別地域でも環境大臣が指定する区域での自転車の使用が規制さ
れる(自然公園法20条3項17号)。自然公園の普通地域や、自然公園以外の山岳では自転車の通
行は規制されない。
これらの規制とは別に、土地所有者や登山道の管理者は、登山道で自転車の走行を認めるかどう
かを決定する権限を有する。しかし、土地の所有者や登山道の管理者は、登山道の現実の管理を避
ける傾向があり、登山道でのマウンテンバイクの通行を規制しないことが多い。その結果、現状では、
自然公園法の規制のある場合を除き、登山道でのマウンテンバイクの通行は違法ではない。
 日本では、登山道を走行するマウンテンバイクは、非難の対象になりやすいが、マウンテンバイク
は、山道を走るための自転車であり、山道を走ることができなければ、その機能は不要である。しか
し、かなり傾斜の緩やかな登山道でなければ、マウンテンバイクの走行は無理であり、マウンテンバイ
クと登山が競合する登山道は限られる。
 この問題は、マウンテンバイク利用者のマナーの問題ではなく、登山道の管理の問題である。登山
道での登山者とマウンテンバイク利用者の間の対立は、登山道の管理者がルールを定めれば解決で
きる。アメリカの自然公園は公有地にあり、歩道の管理者が、公園内での自転車使用に関するルール
を定めている。多くの場合、自然公園内での自転車の利用が広く認められている。欧米には、自然公
園で自転車の利用を楽しむアウトドア文化があるが、自転車利用のルールが明確であることがそれを
支えている。
 日本では、登山に限らず、少しでも弊害があれば(あるいは、世論の非難が強ければ)、利用を禁
止する傾向があるが、原則として人間の行動は自由であり、その規制は必要最小限でなければなら
ないというのが憲法上の要請である。したがって、マウンテンバイクの通行の規制は、必要最小限であ
ることが必要である。ハイカーや観光客が多く利用する歩道では、マウンテンバイクの走行は危険な
ので、認めるべきではない。自然環境の保護の必要のある歩道も、マウンテンバイクの使用を認める
べきではない。しかし、登山者の少ない低山や、離合しやすい広い登山道では、マウンテンバイクの
走行を認めても支障がないだろう。登山道ごとに、自転車の通行が可能かどうかを区別し、表示する
ことが必要である。
(2)登山者とトレイルランニングの対立
最近、トレイルランニングのレースが増え、トレイルランナーと登山者や観光客の間の対立する場面
が生じている。
 2015年に、環境省は、自然公園内で実施されるトレイルランニング大会に関してガイドラインを定
めた。その内容は、トレイルランニング大会を実施する場合は、環境保護に注意し、利用者の多いル
ートの混雑期等を避けること、歩道等の管理者、土地所有者、関係行政機関等との事前調整を行うこ
となどである。これは行政指導であり、法的拘束力がない。ガイドラインに違反する登山道の使用を禁
止できない。東京都も、2015年に「東京都自然公園ルール」を定めたが、これも行政指導である。
 トレイルランニングを法律や条例で規制することは、さまざまな技術的制約があり、難しいため、上
記のような行政指導になっている。しかし、登山道の管理者が登山道の利用ルールを定めれば、法
的拘束力がある。登山道の管理者は、ルールに違反する登山道の使用を禁止することができる。
 登山道の管理者がルールを定めれば、この問題を解決できる。一般論としては、登山者が登山道
を走ること自体を禁止できない(下山を急いで登山道を走る登山者もいる。昔から、早駆け登山があっ
た)。登山道の管理者が、環境省のガイドラインのような内容の登山道の利用規定を定めて管理する
必要がある。
(3)登山者間の利用調整
 登山道利用をめぐる対立は、登山者同士の間でも生じる。数十人が参加するハイキングや学校の
集団登山は登山道を渋滞させ、鎖場や梯子で渋滞すれば事故の原因になりやすい。集団登山のパ
ーティー同士が離合する場合には、登山道付近の植生を荒らす可能性が生じる。
 外国では、登山パーティーの人数や入山者数を制限する山域があるが、日本ではこのような規制
がない。登山道の渋滞は、登山者のマナーの問題ではなく、登山道の管理の問題である。登山道の
オーバーユースは、環境を破壊し、快適な登山環境を損なう。
 今後は、「登れればよい」というだけでなく、「快適に登る」ことを重視し、良好な登山環境を実現す
ることが重要な課題になる。国民の文化的要求のレベルが上がれば、登山環境も質的に高いレベル
が要求される。山小屋での宿泊について、「泊まれさえすればよい」レベルから、「快適に泊まる」レベ
ルに登山者の要求が変わる。キャンプ場についても、山小屋の傍に都会の団地並みに区画されたテ
ントサイトがあるが、最悪の登山環境のひとつである。登山道の渋滞や山小屋・キャンプ場の混雑は、
登山の快適さを失わせる。この点を山岳関係者の自主努力、マナー、行政指導などで解決できない
場合には、法的に強制力のあるルールが必要になる。強制力のある入山規制や入山料の徴収は、オ
ーバーユースに対する有効な方法である。
 アメリカの富士山と呼ばれるホイットニーや、ニュージーランドのミルフォードトラックでは、入山者数
の規制によって、快適な登山環境と自然環境を保護している。マッターホルンのノーマルルートでは、
山小屋の定員がルートのオーバーユースを制限している(山小屋は予約制である)。規制がなけれ
ば、ホイットニー、ミルフォードトラック、マッターホルンでは、登山者の大渋滞が生じ、山小屋がすし詰
め状態になるだろう。マッターホルンでは、避難小屋が緊急時以外は使用禁止という原則が維持さ
れ、日本のように、「避難小屋」が宿泊小屋として一般的に利用されることはない(管理人を置いて宿
泊料金を徴収する避難小屋もある)。山岳の先進国では、理念に基づく管理とルールを守る文化が、
良好な登山環境をもたらしている。

登山道の利用料
 富士山では、登山者から入山料を徴収しているが、これは強制力のない「協力金」である。これは、
登山道を歩く登山者が対象であり、登山道以外の場所を登る登山者は対象外なので、実質的には登
山道の利用料といってよい。土地所有者は、登山者から土地の利用料を徴収することが可能である
が、富士山の協力金は、県の要綱に基づいており、土地所有者ではない県が土地の利用料を徴収
することはできない。そのため、強制力のない「協力金」になっている。
 地域自然資産法(2015年4月1日施行)により、自然公園等で「入域料」を定めることができること
になったが、公有地でなければ、強制的に徴収することは難しい。国や県が、私有地にある山の「入
域料」を徴収するのはおかしい。外国では、入園料を徴収する自然公園があるが、そのような自然公
園は、通常、公有地にある。同法は、自然環境の保全等に必要な土地を国等が取得することを努力
義務として規定している。公有地にある自然公園では、入園料を課すことが可能である。
 登山道の利用に税金を課税することは可能だが、その場合には、登山者に限らず、観光客や業務
従事者も課税対象になる。また、登山道に課税するのであれば、登山道以外の一般の歩道に課税し
ないのは不公平である。登山者に課税すれば、海水浴客、釣り客などにも課税しなければ不公平で
ある。したがって、課税方式で登山料を徴収することは、現実には難しい。
公有地にある登山道は、国や自治体に登山道の管理権がある。私有地にある登山道は、国や自治
体が、土地所有者から登山道の管理権の譲渡を受ける必要がある。このような法的な登山道の管理
権に基づいて、登山料を強制的に徴収すれば、実効性がある。

登山道の利用制限
(1)法律、条例による制限
 自然公園法、文化財保護法、災害防止法、群馬県谷川岳遭難防止条例、富山県登山届出条例
などがある。入山料の強制徴収も、条例化すれば、これに属する。
(2)土地所有権に基づく制限
 私有地にある山で、土地所有者が登山道の使用を禁止するケースがある。
(3)法律や条例によるアウトドア活動の規制は、憲法上の自由の制限であり、規制目的に照らし、規
制方法が合理的で必要最小限のものでなければならない。
 土地所有者による登山道の利用制限が権利の濫用に該当する場合には、違法である。
 日本の登山道の管理体制のあいまいさの背景に、日本では、自然の中のアウトドア活動自体が、法
的にあいまいなまま行われている現実がある。日本では、登山道の利用は、無許可行為であるが、黙
認されることが多い(何か問題が生じれば、管理者は、無許可行為だという主張をして責任回避がで
きる)。
 北欧では、誰でも無償でカントリーサイドをレクレーションのために利用できることが法的に保障さ
れている(万民利用権)。スウェーデンでは、自然の中の他人の土地にテントを張ることができ、他人が
所有する水面でボートを漕ぐことができる(ただし、人家の近くでは認められないなどの制限はある)。
ドイツでは、私有林や公有林の中で国民がハイキング等のレクレーション活動をし、販売目的ではな
い果樹等を採取できることが、州の森林法で保障されている。イギリスでは、「歩く権利法」で、カントリ
ーサイドの他人の私有地内にあるフットパスを「歩く権利」が認められている。
 北欧の万民利用権は、人口密度が低く広大な自然のある北欧の自然環境が背景にある。イギリス
の「歩く権利」は、簡単に認められたわけではなく、土地所有者の激しい反対の中で国民が歴史的に
要求運動をした成果である。日本は、自然公園の中に広く私有地が存在し、もともと所有権の保障が
厚いので、北欧、ドイツ、イギリスのようにはいかない。日本と外国では法文化が異なるが、日本の国
土と文化にふさわしいアウトドア活動の法的な保障が必要である。現在は、登山を含めて、多くのアウ
トドア活動が、あいまいな法律関係のもとで、あいまいなまま行われているのが実態である。
 
今後の展望
 登山道に関わる問題は、登山道の管理のあり方が関係する。日本では、自然の管理体制があいま
いであり、それが、なりゆきまかせの自然の整備と利用、利用者同士の対立をもたらしている。
 登山道の管理のあり方と、登山道がもたらすリスクに応じて行動する登山者の自律性は密接な関
係がある。登山道の形態を区別し、形態に応じた危険性の表示をしても、登山者がそれに対応した行
動をしなければ、事故が起きやすい。登山道の利用のルールを定めても、ルールに従った行動がで
きなければ、ルールは実効性を持たない。登山者が登山道の形態とルールに応じて自律的に行動
できず、事故やトラブルが多発すれば、登山道を一律に安全化するか、一律に通行禁止にする傾向
が生じる。登山道の形態を区別してリスクを明示することが、リスクに応じた登山者の行動の実現につ
ながる。



参考文献
「国立公園は誰のものか」、木村英昭外、彩流社、2010
「白神山地の入山規制を考える」、井上孝夫、緑風出版、1997
「日本の国立公園」、加藤則芳、平凡社、2000
「アメリカの国立公園」、上岡克己、築地書館、2002
「アメリカの国立公園法」、久末弥生、北海道大学出版会、2011
「目的地は国立公園」、加藤峰夫、信山社、2001
「イギリス 緑の庶民物語」、平松紘、明石書店、1999
「ウォーキング大国 イギリス」、平松紘、明石書店、2002
「ドイツ林業と日本の森林」、岸修司、築地書館、2012
「マッターホルン最前線」、クルト・ラウバー、東京新聞出版局、2015
「登山道の保全と管理」、渡辺悌二外、古今書院、2008
「国立公園の法と制度」、加藤峰夫、古今書院、2008
「登山道の安全を考える」、信州大学山岳科学総合研究所編・発行、2009
「白馬大雪渓の落石事故から安全対策を考える」、小森次郎、岳人710号、p.147、2006
「登山道を考える」、山と渓谷848号、p.187、2005
「登山道における自己責任」、金子博文、山と渓谷873号、p.92、2008
「妙義山 整備か登山禁止か?」、打田^一、羽根田治、山と渓谷902号、p.162、2010
「山の社会学」、菊地俊朗、文藝春秋、2001
「登山の法律学」、溝手康史、東京新聞出版局、2007
「登山道の管理責任」、溝手康史、日本山岳文化学会論集8号、1010
「山岳事故の法的責任」、溝手康史、ブイツーソリューション、2015
「自然保護法講義」第2版、畠山武道、北海道大学出版会、2006
「大韓民国国立公園管理公団国立公園生態探訪研修院との交流事業に参加して」、柳澤義光、国
立登山研修所、登山研修VOL.31、p.157、2016
「2000年冬季、韓国人パーティーの遭難レポート」、川地昌秀、国立登山研修所、登山研修VOL.1
6、p.12、2000
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(2016年5月22日、登山倫理シンポジウム・東京・日本山岳サーチ・アンド・レスキュー研究機構主催での報告)



「登山の法律学」、溝手康史、東京新聞出版局、2007年、定価1700円、電子書籍あり

                                

               
  
 「山岳事故の責任 登山の指針と紛争予防のために」、溝手康史、2015
        発行所 ブイツーソリューション 
        発売元 星雲社
        ページ数90頁
        定価 1100円+税

                               

                      
  
 「真の自己実現をめざして 仕事や成果にとらわれない自己実現の道」、2014
        発行所 ブイツーソリューション 
        発売元 星雲社
        ページ数226頁
        定価 700円+税