2019年









2019年3月29日
 イギリスの湖水地方に行ってきました。

           



2019年3月
22日
「安全で楽しい登山をめざして」高等学校山岳部指導者用テキスト、スポーツ振興センター刊

 日本スポーツ振興センター(JSCJAPAN SPORT COUNCIL)は、本日3月22日、高等学校登山指導者用のテキストと高等学校登山部・山岳部等で活動する生徒用のハンドブックを発行いたしました。

      


第1編 山岳部の指導者になろう 
 第1章 登山の楽しさと厳しさを教えよう 
 第2章 山岳部の指導者に知ってもらいたいこと 
 第3章 山岳部の登山を支えるチームを作ろう

 
第2編 登山を計画しよう 
 第1章 PDCA サイクルで安全登山

 第2章 高等学校山岳部の活動計画

第3編 登山の技術と知識を身に付けよう 
 第1章 山の特徴 
 第2章 生活技術 
 第3章 歩行技術 
 第4章 読図とナヴィゲーション 
 第5章 危急時対策 
 第6章 ロープワーク 
 第7章 登山の医学 
 第8章 登山の運動生理学とトレーニング 
 第9章 山の天気 
 第10章 積雪と雪崩

 第11章 登山の歴史と文学

第4編 リスクマネジメントに関する総合演習
 第1章 初級演習          
 第2章 中級演習 
 第3章上級演習  









 




















                                                 高等学校登山指導者用のテキストの法的責任に関する部分は私が担当した。
 本を読んで知識を得れば適切な判断力が身につくわけではないが、知識がなければ判断を誤りやすい。知識を得たうえで実践的な経験と訓練が重要だ。登山で得られる判断力は、生きていくうえでも自然災害を防ぐうえでも必要な自律的な判断力につながる。登山に限らず、アウトドア活動を通して自然のリスクを学ぶことは自然災害の防止に役立つ。

       
2019年3月20日
JOC会長の辞任とスポーツ団体のガバナンス
 
JOC会長が退任することになった。これはIOCの外圧によるものらしい。JOCは国際的な世論を見誤ったということだろう。現在、スポーツ団体は政治の動向、世論、営利と無関係ではありえない。特にオリンピックは営利事業であり、企業活動と同じだ。政治的な敏感さが必要なのだろう。
 スポーツ団体のガバナンスは、あらゆる状況に対応できる柔軟性が必要である。日本では、規約やマニュアルの整備、形式的なシステムを整備することをガバナンスと勘違いしている人が多い規約やマニュアルの整備で実体が変わるわけではなく、自己満足、気休めである。言い換えれば、時間の無駄である。時々、規約やマニュアルの整備に没頭する人がいるが、それはほとんどその人の趣味である。日産自動車でも規約やマニュアルの整備、形式的なシステムは整備されていたはずだが、形式的なガバナンスは立派でも、それとかけ離れた実態があったことが問題である。「ガバナンスの実体がどうなのか」が問題なのだ。ガバナンスの実体があれば、規約やマニュアルはどうでもよい。 
 JOCでいえば、高額なコンサルタント料の支払について、なぜ、内部で異論が出なかったのか。JOCが一枚岩の仲良しグループであることが、今回の事態を招いた。オリンピックの誘致に水を差す反対意見が封じられる体質、反対者は理事者から排除される体質が問題だろう。
 同様のことは、各種目団体でも同じだ。オリンピックの推進が錦の御旗になり、それを妨げる異論は排除される雰囲気がある。戦争非協力者を被国民扱いするのと同じだ。その矛盾はオリンピックが終わった時に一斉に吹き出す。オリンピックバブルは一時的なものでしかない。田舎で地域振興と称して実行委員会を立ち上げ、イベントを実施する場合も同じだ。イベントに反対する者は村八分になる。イベントは税金を投入して盛大に行われるが、それが終われば元の過疎地に戻り、イベント費用が自治体の財政を圧迫する。イベントで田舎の人口が増えるわけではない。イベント関連企業は儲けるが、イベント企業の多くは都会の企業である。地元の商店は若干のおこぼれを受けるだけだ。田舎の企業では大きなイベントの集客力がないため、東京のイベント会社が田舎の自治体のイベントを請け負うケースが多い。M市などはそうだ。市民は田舎でイベントを実施したことで、「うちの市も大したもんだ」と自己満足して終わる。



2019年3月19日
成年後見の担い手
 
最高裁は、成年後見人として親族が望ましいという見解を発表した。
 これまで、弁護士の成年後見人に対し、費用がかかる、弁護士の横領事件が増えている、弁護士が身上監護をしないなどの不満が出ることが多かった。そこで、今回の方針転換になったのだろう。弁護士増員政策の理由のひとつに成年後見人になる弁護士の不足が言われていたが、弁護士が増えても弁護士の成年後見人に対する国民の反発が強かった。弁護士を成年後見人する考え方は実態に合わなかった。弁護士や司法書士の業界、マスコミは、弁護士、司法書士の成年後見を推進しているが、国民はそのように考えていない。

 しかし、親族の後見人の成りてがいないこと、親族間の紛争があることから、弁護士や司法書士が扱うことになったのであって、最高裁の考え方ではまったく問題解決にならない。
 資産家の成年後見人は従来通り弁護士を選任すればよいが、そうではない場合が問題になる。
 専門職の成年後見人を、非常勤の公務員、行政から独立した専門職として、裁判所の監督のもとに養成してはどうか。市役所の職員の成年後見人では、役所が優先的に税金を徴収するなどの弊害が生じるので、役所から独立することが必要である。イメージとしては執行官のような報酬制である。成年後見人が国から給料をもらうので財産のない人の成年後見も可能である。現在は、財産のない人の成年後見は無償で務めなければならない。自営業者である社会福祉士などがふさわしいだろう。必要があれば、弁護士を成年後見監督人にすればよい。

 これをするには財源がいる。民生委員の成り手が少ないのは、報酬が少ないからである。報酬が少なければ市民後見人もうまくいかない。無償のボランティア活動を当てにしても、限界がある。有能な人は仕事が忙しく、ヒマな人には問題のある人が少なくない。名誉欲から民政委員になる人には弊害がある。しかし、兆単位の原発の廃炉費用などに較べれば、成年後見専門職の財源は小さいものだ。



2019年3月16日
AIと司法
 
AIが司法に持ち込まれるとすれば、最初に死刑執行があげられるのではないか。死刑執行を誰もが担当したがらない。現在は、絞首刑執行のボタンを5人が押し、誰のボタンが絞首台を落下せるかわからない仕組みである。これを自動化させるということである。これを実施すれば刑務官の心理的ストレスがなくなる。しかし、法務大臣が死刑執行に署名すると、自動的に絞首刑が執行されれれば、法務大臣が執行したのと同じでであり、法務大臣が嫌がる。
 戦争では、敵を殺すことが兵士に大きな心理的ストレスををいやがる兵士が少なくない。爆弾を投下する場所に、多くの女性、子供、老人、学校、病院がいれば爆弾を投下できるだろうか。戦争での殺害をAIが代替すれば兵士の心理的なストレスが減る。しかし、誰かがAIに攻撃の指示をしなければならない。それをもAIにまかせれば、AIが勝手に人間を無差別攻撃し始める暴走が起きないとも限らない。航空機でさえ、AIが人間の意図や指示に反して勝手に動作して、墜落事故が起きることがある。AIは機械なので、確率的に必ず故障する。もっとも、人間も確率的に必ずミスを冒すが。
 パターン化している覚せい剤事件、窃盗事件などの自白事件では、一定の事情を入力すればAIが自動的に起訴の有無や裁判での量刑判断をするようにすることは可能だろう。これらの事件では逮捕された時点で判決内容がだいたい予測できることが多い。裁判は儀式に近い。AIの出した量刑を裁判官が確認すれば足りる。若い裁判官の判断は、AI化、パターン化され、機械的な傾向がある。現在でも、これらの事件はほとんど儀式化しているので、AIの刑は現在とほとんど変わらないだろう。たとえば、覚せい剤の自己使用の初犯は、懲役1年6月、執行猶予3年である。判決は求刑の8割。



2019年3月13日
日本の幼稚な情緒的社会
 
俳優や女優などが事件や問題を起こす度に、出演作品などがすべてされるが、数年で世論が事件を忘れると、いつの間にか復活する。政治家も同じ。一度社会から抹殺された政治家がいつの間にかテレビのバラエティ番組に登場する。社会からの一時的な抹殺の仕方は徹底しており、異常である。俳優や女優が出演する作品をすべてさかのぼって抹殺することは不可能だが、それをあえてしようとするのは世論がそれが要求するからだ。世論は情緒的に0か100かという評価をしがちである。それを巧妙に利用したのがヒトラーだった。日本の政治家も、「改革か、それとも改革への抵抗勢力か」という二者択一を示し、世論に受けた。実に巧妙なやり方だった。
 
しかし、世論の関心は、忘れるのも早い。事件や事故に対する世論の関心は異常であり、やたらと第三者検証委員会が設置され、裁判に対する関心は異常だが、裁判に数年かかり、判決が出るころには世論の関心は薄れている。そこには何が良くて何が悪いのかを冷静に分析し、考える思考はなく、すべて情緒的に反応する世論が支配する日本の社会。この点は韓国も同じだ。小さい頃からものごとの分別を冷静に考える訓練がなされなければ、情緒に流されやすい。
 俳優の事件や不祥事でいえば、現在の仕事や今後の仕事をキャンセルするのは、俳優は客商売なので避けられない。コマーシャルなどはイメージが重要なので、事件を起こした俳優を採用できないだろう。しかし、過去の仕事は別である。俳優としての演技と不祥事は何も関係がない。ドストエフスキーは賭博常習者だったが、それで彼の作品の価値が変わるわけではない。しかし、現在のドストエフスキーがわいせつ罪で逮捕されれば、彼がこれから書く作品はイメージが低下して出版社が出版を引き受けないかもしれない。しかし、過去の作品の価値が変わるわけではない。

 ものごとを冷静に分析して考える力を国民が持たなければ民主政は成り立たない。情緒に流される国はやがて没落する。今のイギリス社会の混乱は、EUに金を払いたくないという素朴なイギリス国民の情緒がEU離脱という選択をした結果である。少し冷静に考えれば、今のイギリスの混乱は容易に予測できたはずだ。アメリカ国民がトランプを選択した結果は、選挙時に容易にわかったはずだ。アメリカではいまだにトランプを支持する国民が多い。イギリスが没落し、今後は、アメリカも、国民が選ぶ政治家のレベルが低ければ没落するだろう。古代ギリシャの繁栄が失われたのはなぜか。古代ローマも没落した。中世まではヨーロッパよりも中国、インドの方が繁栄していたが、中国、インドの発展は頓挫した。
 北欧はかつては未開人が住む不毛の地であり、イラクやパキスタンでは文明が開花していた。現在の北欧と韓国の違いは一人一人の国民の知恵と考える力の違いである。日本の情緒的な文化は韓国に近い。



2019年3月10日
福島原発、汚染水は溜まる一方、廃炉の目処立たず
 
福島原発の汚染水を貯蔵しているが、汚染水タンクが増える一方で、タンク建設の場所がないらしい。除去装置や凍結土の話はどうなったのか。
 これは事故当初からわかっていたこと。雨や流水という自然は致命的な影響力を持つ。
 大量の汚染雨水の一部は既に海に流れているのではないか。野山に堆積した汚染物質は雨が降れば川に流れ出ている。
 汚染水処理の見通しが立たない。今の政治家は、「どうせ自分はあと20年も生きていないので、タンクを作り続ければよい」と考えているのかもしれない。数百年後には日本の国土のかなりの部分を放射能で汚染された水と土(除染した土)が占めるのではないか。なにしろ、汚染された水や土は「処分」しても外国や宇宙に捨てない限り1万年くらい汚染されたまま日本に残る。汚染水を海に捨てれば、放射能を薄めて、世界中に拡散させてごまかすことになる。

 
原子炉の廃炉の目処も立たない。100年後も同じ状況かもしれない。フランスでは原発事故後100年後から廃炉作業をするらしい。ロシアは石棺で破損した原子炉を永久保存するらしい。その方が無駄な廃炉作業に金を使うよりよいのではないか。凍結土でもかなり無駄な金を使った。廃炉したところで、放射性物質は日本国内に保管するので、放射性物質を壊れた原子炉内に保管するか中間施設に永久保管するかの違いでしかない。
 廃炉作業は、廃炉のための無駄な研究費や開発費に税金を投入し、関係者が潤うという面はある。廃炉のためのロボットの開発研究者は研究費をふんだんにもらえる。除染作業では関連業者が税金でかなり潤っているらしい。汚染タンクの建設業者も儲かって仕方がない。
 

 自然は未知である。自然は何が起きるかわからない。地震、津波、火山噴火、落雷、異常気象、洪水、隕石落下などは回避できなことがある。もし、隕石が原発に落下したらどうなるか。いくら確率が低くても、確率の低い万一の事態が福島原発で起きている。
 人間も自然の一部であり、人間のミスも自然現象である。原発がテロの対象になることもありうる。ハイジャックされた飛行機が原発に突入したらどうするか。今の日本では原発作業員が原発で自爆テロをすることは容易だろう。
 「今、予見できないことを考えても仕方がない」というのが合理主義の文化だが、登山では「何が起きるかわからない」ことがリスクマネジメントの前提になる。過酷被害をもたらす原発事故のリスクマネジメントも同じである。人間は自然の未知のリスクをコントロールできないので、原発はすべてなくした方がよい。



2019年3月9日
那須雪崩事故の送検 
 2017年3月27日に登山講習会に参加していた高校の生徒、教師らを巻き込み生徒7人と引率教員1人の計8人が死亡した那須雪崩事故について、教師3人が送検された。
 マスコミ数社から取材があった。
 マスコミは、送検を大きく報道するが、警察が立件した事件は原則としてすべて送検しなければならないことになっているので、送検自体は当然のことだ。
 今後、起訴するかどうかを検察官が判断する。

 起訴するかどうかは、
・民事上の示談が成立するかどうか。
・遺族の被害感情
・起訴できるだけの証拠の有無
・政治状況
などに左右される。


 世論の非難が強ければ、起訴される可能性が高くなる。
 高校山岳部顧問になる教師が少なく、山岳部を維持できない高校が増えている。教師の起訴は確実に山岳部顧問教師を減らすだろう。高校山岳部でクライミングをおこなっており、高校山岳部がなくなることはオリンピック種目になったクライミングを行う高校が減る可能性もある。クライミングはオリンピックで日本がメダルを狙える種目である。あるいは、登山とクライミングを切り離す方向・・・・・山岳部ではなく、クライミング部に名称変更をする可能性もある。しかし、クライミングも一定の危険性があり、顧問教師のなり手がいないことは同じだ。なにしろ、クライミング経験のある教師は少ない。
 部活動では、体罰などの事件では顧問教師が起訴されるが、過失事故について部の顧問が起訴されるケースは稀である。起訴されても執行猶予がつくことが多いが、部活動で事故が起きる度に教師が刑事責任を負わせられるのでは(公立学校では教師の民事責任は原則として免責される)、部活動の顧問になる教師がいなくなる。部活動指導を外部に委託しても、日本では外部指導者と安全管理すべき教師が刑事責任を負う可能性がある。教師を起訴することは、高校の部活動の顧問になることを委縮させ、教育現場への影響を考慮することは政治的な判断である。
 不起訴の可能性や起訴するまでに数年かかる可能性もある。不起訴になれば、検察審査会への申し立てがなされる可能性もある。
 最近は、過失事故に対する世論の非難が強く、過失事故は厳罰化の傾向があり、それがこの事件にも影響する。



2019年3月6日
ゴーンの保釈
 
日本人の場合には、このような方法で保釈が認められたケースはほとんどない。裁判所が国際的な非難を気にした特別扱いである。
 監視カメラや通信機器の制限も、抜け道はいくらでも可能であり、裁判所が「通某の恐れがある」と考えることも可能だっただろう。家族との面会が可能であり、それをすべて裁判所が盗聴して監視するわけではないので外部との意見交換が可能である。ゴーンが外出すれば誰と会うかわからない。ゴーンがGPS監視装置を付けるわけではない。外出先でメモの交換ができる。手書きメモはいくらでも作れる。1日分の監視カメラの映像を見るには24時間かかる。だれが監視カメラの映像をチェックするのか。裁判官は監視カメラの映像をすべて見てチェックすることはしない。問題が発覚したら監視カメラの映像をチェックするが、バレなければ誰もチェックしないだろう。監視と言っても形だけである。やはり、外圧による保釈決定か?と考えるほかないが、前弁護人は外圧を利用できなかったようで、弁護士のメンツ丸つぶれだ。

 これを契機に日本人の場合についても、今後、裁判所の保釈の基準が緩やかになっていくのではないか。外圧から日本の改革が進むのは、ペリー来航、米軍の占領下と似ている。



2019年3月5日
大学の寄付金によるコネ入学は法律で禁止されていない
 不正入試問題を受けて設置された、東京医科大学の第三者委員会は、臼井正彦前理事長が一部受験生の関係者と、合否判定前に文部科学省が禁止している寄付金のやり取りを行っていた可能性があると指摘しました。・・・・・インターネット記事、朝日新聞報道

 国は寄付金による合否判定を禁止しているが、法律的には禁止していない。禁止しているのに禁止していない? このような二重性は日本では珍しくない。国の禁止はあくまで通達と行政指導であって、法的な拘束力がない。しかし、多くの国民は、寄付金による合否判定の禁止違反を違法だと勘違いしている。寄付金による合否判定の禁止違反は違法ではない。違法ではないから、多くの私立大学が行っている。コネ入学も同じ。コネ入学も法律で禁止されていないので、多くの大学で行っている。大学理事者の子弟がコネ入学している。推薦入学はコネ入学を制度化したもの。スポーツ推薦入学はスポーツ選手の大胆なコネ入学である。優秀な人材のコネ入学。芸能人を推薦入学させることも可能。「芸能活動に秀でた者を入学させる」という推薦基準を作ればコネ入学ができる。「高額寄付者の子弟を推薦入学させる」、「著名人の子弟を推薦入学させる」、「大学理事者の子弟を推薦入学させる」という文書化しないウラの推薦基準も可能だ。国立大学も今では独立行政法人なので、学生採用の自由の裁量が大きくなった。国立大学でも、規定さえ作れば一発芸入学や、優秀な人材のコネ入学、推薦入学も可能。
 国による寄付金による合否判定の禁止は、富士山の冬山登山の禁止と同じく政治的パフォ−マンスの面がある。禁止しているのに、違反しても違法ではない・・・・・・これを国民は理解できない。そこに政治のカラクリがある。日本の社会は、法律ではなく、通達と行政指導で動くことが多いが、国民は、法律と通達と行政指導の違いを理解できないず、「上からいわれたことに従わなければならない」と考えやすい。そのため、国が寄付金による合否判定を禁止すれば、それを信じやすい。しかし、実際には法的には禁止していないのだ。
 通達と行政指導による政治は抜け道につながりやすい。知恵がある者が得をしやすく、正直者が損をしやすい
。たぶん、中国や韓国もそんな社会だろう。問題が発覚すれば非難合戦になるが、法律を変えることはしない。

 寄付金による合否判定の禁止を法律で規定すれば、それができなくなるが、そのような法律は日本にはない。なぜ、そのような法律がないのか。大学や政治家が反対するからでしょうね。通達や行政指導のレベルであればいろいろと融通がきくので、大学にとって都合がよい。


2019年3月4日
クレーマー社会と裁判所
 
国会の裁判官訴追委員会が、3月4日に東京高裁の岡口基一裁判官を呼び出すことを決めた。国会の議決がどうなるかわからないが、この呼び出しが裁判官に大きな委縮効果をもたらすことは間違いない。それを狙った最高裁はかなりずるがしこい。さすが優秀な人は知恵がある。

 クレーマー社会の現在、裁判がある度に裁判官個人を激しく非難する当事者は無数にいる。そういう人が裁判の内容や裁判官の個人的な行動についてクレームを出すと裁判官は懲戒処分を受け、弾劾裁判でクビになる可能性がある。裁判官の再任拒否は10年に一度しか可能性がないが、懲戒処分や弾劾裁判の可能性は常時ある。裁判官もいつリストラされるかわからない時代になったということだ。裁判官のかわりはいくらでもいる。
 弁護士も、最近は、市民からの苦情申し立てが多く、弁護士会も弁護士の規律を強化しており、弁護士はいつ懲戒処分を受けるかわからない。弁護士会に迎合する弁護士が増えているが、弁護士は弁護士会からクビになることを恐れていては何もできない。



2019年3月3日
日本の司法は世界の非常識
 
日本たばこ産業(JT)は2日、喫煙が健康に与える影響の説明が不十分だったとして、カナダの子会社が、同国ケベック州の住民らに起こされていた訴訟の控訴審で、同州控訴裁判所から約17・7億カナダ・ドル(約1480億円)の損害賠償の支払いを命じられたと発表した。JTは「判決内容を精査し、上告も含めてあらゆる手段を検討していく」としている。判決は現地時間1日付で、支払いを命じられたのはJTの子会社「JTI―マクドナルド」。1998年に、「たばこの製造と販売で健康被害を受けた」として、訴訟を起こされていた。2015年の1審判決では、裁判所は住民らの主張を認め、損害賠償の支払いを命じたため、控訴していた。JTによると、同様の訴訟はカナダのほか、南アフリカやイスラエルなど世界で約20件が起こされ、そのうち18件がカナダの案件だという。・・・・・インターネット記事より

 日本で、同じ裁判が起こされれば、おそらくJTが勝訴するだろう。裁判を起こした人は、「金が目当て」として世論からバッシングを受け、奇人、変人扱いを受ける。日本と欧米で法律はそれほど異ならないが、日本と欧米では裁判の仕方や裁判官の考え方が異なる。それがこのような結論の違いになる。日本では危険性やリスクの表示が軽視され、リスク表示を怠ったことが仮に裁判で違法とされても、裁判所が命じる損害賠償額は多くても100万円程度である。裁判所は経済活動に配慮する。経済優先の考え方が裁判官を含めて日本人全体に浸透している。それは小さいころからの学校・社会教育の成果だろう。
 そのような考え方は発展途上国では珍しくないものの(中国、北朝鮮よりは日本はマシだが)、先進国の中では日本特有の考え方である。経済活動はグローバル化しており、日本固有の考え方で世界で活動すれば、この判決のような事態が今後も多く起きるだろう。日本の常識は世界の先進国の非常識である。「欧米の方が正しいとは限らない」、「日本には日本のやり方がある」という意見があるが、世界の潮流は欧米が牽引しており、それに逆らってもグローバル経済の中で孤立する。欧米が正しいかどうかではなく、世界の潮流がそうなっているということ。ユヴァル・ノア・ハラリが述べるように歴史の流れに必然はないが、現実を直視することがひつようである。
 ゴーン裁判のように、日本の司法は世界の潮流の中で孤立している。被疑者、被告人の長期勾留は日本では当たり前だが、国際的にはそれを人権侵害と呼んでいる。日本と欧米では人権侵害の意味と範囲が異なる。長期勾留はそれ自体が処罰・制裁になっている。勾留はある種の処罰なのだ。それを弁護士は誰でも知っている。裁判官もそれを知っているが、知らないフリをする。「否認すると長期勾留されるぞ」は法律家の常識である。
 今後、世界の要人が日本で裁判を受けるようになれば、日本独自の司法を維持できなくなる。EU加盟国はEU指令に反する司法を維持できない。同様に国連加盟国は本来人権規約を守らなければならないが、日本は守っていない。日本はILO勧告を無視している。日本は国連から、裁判官に人権教育を実施するように勧告を受けている。日本の裁判官には人権がない。日本は、子供権利条約を批准してもそれを守っていない。
 今後、日本の司法は鎖国状態から少しずつグローバル化していくだろう。
 この裁判の結果、JTのカナダ法人は事実上の倒産をした。日本国内でも、裁判で高額な損害賠償を命じられ、解散した体育協会がある。自治体もリスクマネジメントを軽視すると、事実上、倒産して再建管理団体に転落しかねない。


2019年3月1日
野田市のスクールロイヤー制度
 
千葉県野田市立小4年の栗原心愛(みあ)さん(10)が自宅で死亡し、両親が傷害容疑で逮捕された事件を受け、市幹部や有識者らが当時の対応を検証し再発防止策を取りまとめる市の合同委員会の初会合が28日、市役所で開かれた。同日の会合では再発防止策などを協議。弁護士が学校での法的相談に乗る「スクールロイヤー」を来年度中に市内の小中学校に導入することなどを決めた。・・・・・インターネット記事
 
 現在でも、野田市の教育委員会や学校には顧問弁護士がいる。野田市の顧問弁護士が教育委員会や学校の代理人になり、相談に乗っているはずである。以前、公立学校内で起きた事件ですぐに市の顧問弁護士が示談交渉を始め、私は被害者の代理人として交渉したことがある。このため、この事件は新聞に載ることはなかった。スクールロイヤーが各学校の顧問弁護士として、事故や事件が起きた場合に水面下でもみ消しを図ることになりかねない。スクールロイヤーは市の代理人になれないこと、市からの委任を受けることができないことを、被害者の代理人にもなれないことを明確にする必要がある。

 急増した弁護士の業務拡大に熱心な弁護士会はスクールロイヤーを大歓迎だが、各学校に常時弁護士の仕事があるわけではないので(弁護士が毎日学校に出勤するようでは困る)、スクールロイヤーは「飾り」もしくは市長の政治的パフォ−マンスになりやすい。
 スクールロイヤーの人選は野田市ではなく弁護士会もしくは第三者委員会が行うこ、その第三者委員会の人選も野田市が行わないことが必要である。役所は行政寄りの弁護士を一本釣りで選任したがる。「役所が金を出して弁護士を雇うのだから役所に協力してくれる弁護士に頼むのは当たり前だ」という感覚が公務員にある。以前、市の情報公開審査会の委員長を市の顧問弁護士に依頼していた市があり、呆れたことがある。しかし、役人は「それのどこが問題なのか」という感覚だろう。
 行政は、行政の役に立つから弁護士を雇用するのであり、市民と役所が対立する場面では、役所は市民のために(すなわち役所の利益に反して)弁護士を雇用することに消極的である。万一、市が雇用したスクールロイヤーが市の利益に反する行動をとれば、市長や議員から「スクールロイヤーを雇用しても市にメリットがないではないか」という意見が出るだろう。 
 スクールロイヤーとは別に、弁護士の資格を持つ人で高校教師になった人がいる。この人は弁護士であっても高校の職員なので市の顧問弁護士と同じく第三者性がない。一般的に言えば、弁護士が高校教師になる意味はあまりない(なってはいけないということではない)。むしろ、たとえば10年以上弁護士経験のある人を高校の社会の非常勤講師などで採用すれば社会経験を生かせる可能性がある。この点でいえば、銀行経験者を高校の社会の非常勤講師などで採用することも同じ意味がある。

 重要なことはスクールロイヤーが行政から独立した第三者機関であることである。スク−ルロイヤーがいなくても、教育委員会に第三者的な弁護士、もしくは弁護士でなくても法律の専門家(大学の研究者、退職裁判官、廃業弁護士など)がいれば同じことである。適切な判断という点では法律家である必要はない。たとえば、虐待、イジメかどうかの判断は事実の判断であり、法解釈の問題ではない。


2019年2月26日
屋久島協力金の横領
 
「鹿児島県屋久島町や県、国などでつくる屋久島山岳部保全利用協議会(会長=荒木耕治町長)は25日、会計担当だった職員が、登山者から集める入山時の協力金など少なくとも2900万円を着服した、と発表した。職員を18日付で免職処分としており、業務上横領容疑で刑事告訴する方針。」・・・・インターネット記事より
 

・屋久島の入山協力金は協議会が屋久島山岳部保全利用協議会
が徴収しているが、実態は町が行っている。屋久島山岳部保全利用協議会の職員は町の職員だったため、町はこの職員を免職した。徴収した協力金は、町とは別の口座に入っていたのではないか。職員が自由に引き出せるような口座。その口座は町が管理しない。なぜなら、それは協議会の財産であって町の財産ではないから。これが不正につながりやすい。   ・本来、協力金は町
が運営すべきだが、それを協議会という曖昧な制度にしているために、町の議会の調査や町の監査ができず、横領事件につながったのではないか。協力金は町の財産ではないので、議会の承認なしに自由に使える。協議会の財産の使途を議会は調査できない。この点はかつて開発公社などでも問題になった。
 もし、協力金を町の資産として管理していれば横領しにくいが、徴収した協力金は協議会が管理し、町が管理していたわけではないだろう。協議会の職員は公務員でありながら同時に法的に曖昧な協議会という民間団体の職員という曖昧さが職員の管理の甘さを招き、横領事件につながったのではないか。この職員はあくまで協議会に雇用されているのであって、町に雇用されているわけではないので町が指揮命令できない。
・この職員は協力金の会計を自分一人で処理できる立場にあったのではないか。職員が1人しかいなければいくらでもごまかせる。
・協力金支払は任意の寄付金だが、「職員が身体を張って徴収している」という話もあり、事実上、強制しているという批判がある。職員は、「自分が集めた金」だと考えていたのではないか。
・寄付金は収支があいまいになりやすい。政治資金規正法のように厳格な記帳がなされていれば別だが。
屋久島山岳部保全利用協議会の法的なあいまいさ、その職員の地位の法的なあいまいさ、徴収した協力金の管理のあいまいさがこの横領事件をもたらした。協議会方式に問題がある。正面から町の施策として実施すべきだっただろう。
・〇〇協議会という日本的なあいまいな形態はやめた方がよい。町が協力金制度を直接実施し、管理すべきである。町が実施する政策をわざわざ協議会という紛らわしい形態をとるべきではない。日本には、何と〇〇協議会が多いことか。
 そもそも、なぜ、協議会というあいまいな形態をとるのか。それはその方が都合がよいからである。協議会の職員が集めた協力金を飲食費に使っても、町の金を使ったわけではないので住民にわかりにくい。
不祥事が起きれば協議会が責任をとるが、協議会は実態がない団体なので、要するに無責任であり、事務局長のクビを切るか協議会が解散して終わりである。町の責任ではなく協議会の責任ということ。ほとぼりがさめたら別の協議会を作ればよい。このあたりのことは、拙著「登山者のための法律入門」156頁に書いている。
・富士山協力金はどのように運営、管理しているのか。


2019年2月24日
民法懲戒権規定の削除
 
これはほとんど意味がない。政治的パフォーマンスにはなるが。
 民法の規定を変えても親が子供を叱ることは可能であり、その中に一定の罰を与えることが含まれる。暴力はもともと禁止されており、懲戒権規定があってもなくても暴力は違法である。しかし、日本では、しばしば、学校で、「違法ではない暴力もある」、「どこまでの体罰が許されるのか」などの議論がなされる。日本の社会は法律で動いていないので、法律を変えても実態が変わりにくい。
 むしろ、子供の権利条約の内容を徹底させるべきだろう。日本では子供の権利条約の内容が学校で教えられることはない。

 子供の虐待が増えているのは社会を反映しているからである。社会の格差と競争が激しくなると、親のストレスが増し、子供の虐待が増える。野生動物を飼育しストレスを与え続けると、子供を食い殺すケースが増える。野生動物は子供に対し自然な対応をするが、人工的な飼育環境ではそうではない。人間もそのように飼育されれば、子供を虐待するようになる。


2019年2月23日
政府「毎月勤労統計の改善に関する検討会」への圧力
 
「統計不正調査問題で、安倍官邸、そして安倍首相の関与を示すさらなる証拠が出てきた。それは、厚労省が同年6月に調査方法を見直すため発足させた「毎月勤労統計の改善に関する検討会」(以下、検討会)で座長を務める中央大学・阿部正浩教授に対し、厚労省側が2015年9月14日に送ったメールだ。そのメールで厚労省側は、阿部座長に対して「委員以外の関係者から『部分入れ替え方式を検討すべきではないか』との意見があった」と伝えていた。この2015年9月14日というのは、結果的に最後の検討会となった第6回会合が開かれる2日前のこと。同年8月7日におこなわれた第5回会合では、阿部座長は「検討会の方向性としては、総入れ替え方式で行うことが適当であるということにさせていただければと思います」と従来通りでいくことをまとめていた。つまり、こうした検討会の方針に対して、賃金を上昇しているようにみせる「部分入れ替え方式を検討すべき」と露骨な圧力がかけられたのだ。結果、9月16日の第6回会合では、前回にまとめられた方針から一転、“引き続き検討する”と方針を変更。ちなみにこの日、阿部座長は会合を欠席している。では、この「委員以外の関係者」とは一体誰なのか。昨日の衆院予算委員会で、首相の側近である中江元哉首相秘書官(当時)だったことが判明した。」・・・・インターネット記事より

 国や自治体が設置外部委員会・審議会・検討会などに対し、国や自治体から意見がなされることは多い。委員会の事務局は国や自治体の職員が務めており、事務局から意見が出ることもある。「・・・としてはどうでしょうか」など。委員会の座長・委員長・審議会長などをその意向をくんで妥協案を出すことが多い。国や自治体が設置外部委員会・審議会などの委員の人選は国や自治体が行っており、委員会との委員、特に委員長は国や自治体の意向を尊重する。もともと、委員会などの委員長はそのような人が選任されている。要するに、通常、国や自治体と友好的な関係を築ける人、国や自治体に気配りのできる人が委員長に選任される。この点の人選は非常に慎重に行われている。したがって、国や自治体の忖度はほとんど無意識のうちに行われる。そのような人たちは、自分では忖度したとは考えていない。ただ、「国にや自治体の考えを無碍に断るのもどうか」といった程度の配慮であることが多い。そのような配慮が国や自治体との円満な関係蜜月状態を維持する方向の委員会の意見につながりやすい。しかし、上記の阿部座長は、国の意向がよほど意にそわなかったのか、気分を害したのか、自分の保身からなのか、消極的な抵抗からなのか、意見変更を決定した委員会に欠席したのだった。
 このような気配りのできない人は、国や自治体から「あの人はダメだ」と評価され、次からは、国や自治体から声がかからなくなり、国や自治体関係の「要職」、「公職」に就けなくなる。



2019年2月19日
「児童相談所と弁護士が連携」というマスコミ報道の???

 これは、児童相談所と弁護士が連携して虐待防止に当たるという話だが、ある新聞記事に引用されている事例は、市の常勤弁護士が対応に当たるケースだった。その常勤弁護士は市の担当課長だった。弁護士の資格を持っていても市の職員であり、弁護士が市の方針に忠実である点は同じであり、その職員の判断に中立性、第三者性はない。弁護士である市の職員は市の方針から独立して判断できるわけではない。行政の代理人の弁護士行政に忠実に行動するが、市の職員の弁護士は、代理人弁護士以上に行政への職務忠実義務がある。
 虐待対応に関して「行政は信用できない」というのが現在の世論であり、第三者的な公平な判断が求められている。市の職員である弁護士は行政の方針に忠実に行動し、第三者性はない。市の外部の第三者的な機関が必要である。その委員は弁護士であってもよいが、市の職員であってはならない。外部の有識者であれば弁護士である必はない。弁護士であっても市と契約して報酬をもらう顧問弁護士などでは中立性に欠ける。

 外部の第三者機関とは別に、行政が適切な判断をすることも求められている。行政の日常業務を常に第三者機関に諮問することは非常に効率が悪いからである。そのために弁護士を雇用する自治体が増えているが、本来、弁護士を雇用しなくても、市の職員が法律を勉強すればそれは可能なはずである。日本の大学の法学部が機能していないこと、自治体の職員が法律を勉強しないことに大きな問題があるのだろう。また、法曹の資格を持つ自治体職員(元弁護士など)であれば、適切な判断ができるかと言えば、それは人による。自治体職員が適切に判断することは、自治体の体制やシステム、自治体の方針、自治体の政治性などに左右される。自治体職員である弁護士は自治体への忠実性が求められる。法曹資格があるだけで適切な判断ができるわけではない。
 知識の点では、法曹資格者は民法や刑法の知識はあるが、行政法を勉強してない者も多く、自治体職員になった弁護士は行政法の基本から勉強しなければならない場合も多い。その点で言えば、法曹資格を持たない自治体職員であっても法律を勉強すれば法曹資格者と同程度の知識を得ることが可能である。
 また、法律の知識があることと的確な判断がすることは全く別のことである。知識と判断は別である。原発の専門家であっても、原発事故を防ぐことができなかったのは、専門的な知識があっても的確な判断ができなかったからである。法律を知っていれば、虐待の有無の判断が的確にできるわけではない。学校でのいじめについても、学校の顧問弁護士が的確にいじめに対処できるかどうかは何とも言えない。学校の顧問弁護士は、学校の意向に沿っていじめを隠蔽する方向で動く可能性もある。
 法曹資格がなくても、虐待について的確な判断は可能である。重要なことは判断力であって、法律の知識の有無ではない。弁護士の経験があれば、的確な判断ができるわけではない。社会福祉士の資格があれば
的確な判断ができるわけではない。判断の経験と訓練がなければ、的確な判断はできない。この点は山岳事故を回避する判断力と同じである。
 問題は判断権者の判断能力にある。最近の若い弁護士は、判断マニュアルを欲しがる。形式的な判断は得意だが、難しい判断ではマニュアルや理屈に頼る傾向がある。その点では公務員と同じである。公務員になった弁護士も同じだろう。これは小さいころから判断をする訓練をせず、マニュアル的な判断しかできないからだ。マニュアル的な判断では人間の行動を判断できない。

 自治体が外部の弁護士と提携することが増えているが、行政から金をもらう弁護士は行政に忠実に動く傾向がある(その典型が行政の顧問弁護士)。行政に対し批判的な弁護士は行政が敬遠し、依頼しないことが多い。行政追認型の弁護士が行政から歓迎され、行政と提携する傾向がある。弁護士は、行政から仕事をもらう立場に立つと行政に無意識のうちに迎合しやすい。経済的競争の激しい現在、自営業者である弁護士は「経済的安定性の誘惑」に弱い。第三者機関である外部委員会の委員になる弁護士ですら、行政が一本釣りをして選任すれば、行政に都合のよいい人選になりやすい。第三者機関である外部委員会の委員の人選を行政が以外の第三者機関が行うシステムが必要である。
 
 児童虐待については、欧米のように、近隣から通報があればすぐに警察が親を逮捕するような方法が有効ではないか。欧米では弁護士は行政の厳しい姿勢に対し親の立場を擁護する仕事になるのであって、行政に協力するイメージではないようだ。学校でも事件や事故があれば、直ちに警察に通報する必要がある。欧米では幼児を家に残して一人で留守番させても、すぐに警察に通報されるらしい(ベビーシッターを雇えということ)。アメリカでは夫婦喧嘩でもすぐに近隣から通報され、手錠をかけられるらしい。法律を毅然と執行するには弁護士が必要ということではない。


2019年2月18日
八甲田山「八甲田ルール」について
 八甲田山では、ダイレクトコースとフォレストコースは圧雪しないコースとして安全管理し、それ以外は安全管理しない方針を定めた。

・これは八甲田山スキー場の定めた規定であり、スキー場の利用者への契約上の効力はあるが、一般人を拘束する法的効力はない。
本来、バックカントリーは危険な自然状態のエリアを意味するが、ダイレクトコースとフォレストコースについて、スキー場が安全管理することを宣言したことはかなり大胆なことである。今後、この2つのコースでのバックカントリースキーについてスキー場の安全管理責任が問われる可能性がある。標識の不備、道迷い、雪崩事故、樹木との衝突事故など。今後は、視界の悪い時や悪天候時には、この2つのコースを閉鎖すべきことになるのではないか。韓国の安全管理された登山道のように。
・それ以外の場所でのバックカントリースキーは、従前同様、自己責任であることに変わりはない。そこでは事故が起きてもコースの安全管理責任が問題になることはない。ただし、スキーツアーでは引率するガイドに注意義務がある。これはルートの安全管理とは別の問題である。
・本来、バックカントリースキーは自然の中で行うべきものであり、バックカントリーを安全管理しても中途半端に終わりやすい。バックカントリースキーは利用者の自己責任に委ねた方が賢明である。安全管理しなければ管理責任は問題にならない。自然状態のバックカントリースキーではコースの安全管理責任は問題にならないが、安全管理したコースでは責任問題が生じやすい。
・安全管理された遊歩道では事故が起きれば安全管理責任が生じやすい。多くの登山道は整備されているが、「安全管理」はしない。もし、登山道の安全管理をすれば遊歩道に近づく。日本では登山道が遊歩道化する傾向があり、問題が生じやすい。
・利用客を増やすために安全管理をするのだが、それがクセモノ。もともとバックカントリースキーは安全管理になじまず、それを営利の対象とすることに限界がある。
・一般に、管理の強化は、安全管理責任につながりやすい。大学で学生の安全管理を強化し、大学生を高校生のように管理すれば、事故や事件に関して大学の責任が生じやすくなる。日本の社会全体が、管理責任が生じやすくなるように管理が強化される傾向がある。国民は、管理されることをますます歓迎するかのようだ。これは管理する側にとっても賢明な方法ではない(管理業務が長時間労働につながり、管理責任も生じるので)。
・従来、バックカントリースキーでは、コースの安全管理責任は問題になりえなかったが、八甲田ルールはバックカントリースキーで2本のコースの管理責任を認めた点が注目される。


2019年2月14日

2019〜2020年に施行される相続の新ルール
●遺言/自筆証書遺言の財産目録がパソコン入力でもOKに(2019年1月〜)
・・・・公証人の仕事が減る。従来、財産目録を」自筆で書くのが大変だったので公正証書遺言を利用していた。

●特別の寄与/相続人以外の親族が、故人の介護など「特別の寄与」をした場合、相続人に金銭支払いを請求できるように(2019年7月〜)
・・・・従前の寄与分の制度では十分ではなかった。ただし、「特別の寄与」であって、介護の労働の対価の請求はできない。どんなに介護をしても、遺産がゼロであれば「特別の寄与」は0円である。介護料を請求できるわけではない。

●遺産分割/20年以上結婚している夫婦で、亡くなった夫から妻に自宅の土地・建物が遺贈された場合、遺産分割の対象から外される(2019年7月〜)
・・・・・従前、居住用家屋の生前贈与が行われていた。いずれは親子間の相続が生じるので、親子間では最終的にはそれほど重要な違いは生じない(被相続人の親が再婚していた場合などが問題)。

●配偶者居住権/同居していた妻が、夫の死後に所有権を取得することなく自宅に住み続けられる「配偶者居住権」の創設(2020年4月〜)
・・・・・・・従前も、配偶者は所有権がなくても居住できたが、住居が売却される場合などに」違いが生じる。

●遺言/自筆証書遺言の法務局での保管が可能に(2020年7月〜)
・・・・・・・弁護士の仕事が減る。

※週刊ポスト2019年2月15・22日号から


2019年2月13日
なぜ遺産争いが生じるのか
 
相続人間の遺産争いは、財産が欲しいから生じると考えやすいが、そうではない場合も多い。もともと、遺産にはそれほど関心のなかった相続人でも、他の相続人の一人が遺産を隠し、あるいは、生前の被相続人の遺産を着服し、それをごまかそうとしたために、疑惑と不信を招き、無用の紛争が生じるケースが少なくない。もともと遺産に執着しない人でも、他の相続人から、金額ゼロの預金を示されて、「これで遺産分割しよう」と言われれば、預金口座の取引履歴の開示を求めたくなる。それなりの収入のあった人の預金残額がゼロということはありえないからだ。他の相続人のゴマカシがあまりにひどい場合には、紛争が生じやすい。
 痴呆症の親の預金口座から金を引出した場合には、「金が必要だったので使わせてもらった」と言えばよいのだが、「親からもらった」などと強弁すると紛争になりやすい。このような弁解が実に多いのだが、それはダメなのだ。痴呆症の親からの贈与は法的には無効である。「親からもらった」などと強弁すると裁判になりやすい。かりに贈与が有効だとしても特別受益として遺産分割で考慮される。生前贈与によって預金額がゼロになれば遺産分割で有利になると考えるのは、子供騙しの幼稚な発想である。法律はそれが通用しないようになっている。また、かりに贈与が有効であれば贈与税が課されるので、結果的に大損をする。贈与納得しない相続人の一人が税務署に「情報提供」すれば、大変なことになる。税務署の相続の調査と贈与の調査はセットである。これは自らの行為によって紛争を招く行為であり、もっとも賢くない行動だ。しかし、そういう賢くない人の何と多いことか。 
 遺産相続では関係者の人格と知性のレベルがよくあらわれる。遺産相続は家族の人間関係を反映する。権威的な家庭、厳格家族では遺産紛争が生じやすい。権威的な家庭の例、貴乃花の家族など。長嶋茂雄の家族は権威的ではなかったようで、遺産紛争も生じない。弁護士の仕事が増えるので権威的な家族関係を歓迎する弁護士が少なくない。

 成年後見人制度が利用されないのは、成年後見人がつくと、被後見人の世話をする親族が自由に被後見人の預貯金を自由におろすことができなくなるからだ。認知症の親の親族世話をする親族は親の預貯金や収入を親名義の口座から下ろして自分名義の預金にしたり、自由に使うことが多いが、成年後見人が選任されるとそれができなくなる。成年後見人を選任しない場合に、同居する家族が本人の口座から預金を引き出すと、必ずと言ってよいほど紛争が生じる。


2019年2月12日
動物虐待の摘発の強化はペットの殺処分の増加をもたらす
 動物の虐待は法律で禁止されている。この摘発を強化すると、ペットを保健所に持っていって殺処分してもらう数が増える。殺処分は合法的な動物虐待の最致たるものだ。死刑や戦争での殺害行為が合法的な殺人であるように、法律は違法行為を合法的にする。

 情報公開の徹底は、重要な情報の「非情報化」、「非文書化」をもたらす。役所では、重要なことはメールや文書を作らず、口で言うようになる。逆に、役所では、口で言えばすむことでも文書を作ることが多い。これは問題が起きた時の責任回避ためである。これが生産性の悪さをもたらしている。
 
 学校でのイジメの責任問題が増えれば、学校でイジメを見て見ぬふりをしたり、イジメを隠蔽する傾向が強まる。
学校でイジメがあったことがわかれば、教師と学校の責任問題になるからである。
 
 山岳事故の責任を問う裁判がマスコミで大きく取り上げられるので、国や自治体は登山道を管理しない傾向が生じている。
登山道をうかつに管理すると、事故が起きた場合に責任を問われかねないと考えるからだ。



2019年2月11日
「地域おこし協力隊」の問題性
 
自治体が都会居住者から募集し、給料を支払う。給料は全額国が負担する。その額は年収200万円。私は、時々、協力隊員から法律相談を受け、協力隊員の置かれた不安定な冷遇を聞くことが多い。
・給料年収200万円。これはブッラク企業並み。飢え死にはしないだろうが、まともな雇用ではない。しかし、田舎の役所の非常勤職員の給料はだたいそんなもの。税込みで月収16万円程度。自治体が不安定雇用を最大限に活用している。
・専門的な技術のある者は年収200万円では応募しない。意欲はあるが、都会で生活できない人が応募する傾向がある。高校を卒業したばかりの何もできないが意欲だけはある未熟者は応募するかも。意欲だけでは3年間では何もできないことが多い。3年は見習い期間のようなもの。
・雇用期間は3年。3年たつと放り出される。再契約の保証はないが、再契約するとしても雇用条件が悪くなる。自治体が交わす契約書がずさんなので、トラブルが生じやすい。そのようなトラブルが弁護士に相談がなされる。
・協力隊員に応募できるのは、都会居住の若者に限られる。都会の定年退職者は対象外。なぜ都会居住者なのか?若者を田舎に定住させて、人口を増やし、住民税を徴収するのが目的だから。税金支出のかかる高齢者は断固お断り。
・地方居住者は応募の対象外。たとえば地方の隣町居住者は応募はダメ。
・協力隊員は都会的センスでアイデアを出すイメージがあるが、なぜ都会居住者でなければならないのか。田舎者にはアイデアが出せないという偏見。都会に対するコンプレックスもあるが、都会居住者を田舎に移住させる目的の政策だから。田舎に正職員の仕事を増やせばよいのだが、そうではなく不安定雇用の典型の3年の短期雇用。3年間の間に自分定職を見つけなさいという政策。
・この政策は、9年間に約10億円の税金を使って1396人の地方定住者を増やした計算になる。経済的には「得」とは言えないのではないか?
私は都会から人口3万人の町に移り住んだが、重要なことは田舎に仕事があるかどうかだ。田舎には仕事がないために人が来ない。協力隊の制度自体が田舎での仕事を増やすわけではない。自治体は仕事の創出にもっと知恵を使うべきだ。「協力隊」は非常に安易な制度。そのような一時的な制度ではなく、そこに定住できるような仕事の創出が必要だ。それがなければ若者は田舎に住めない。田舎は、仕事がなく、保育料、水道料金などが都会よりも高い。年金で生活できる高齢者は田舎に居住できるが、それでは自治体は税収を得ることができず、むしろ支出が増えるので高齢者を歓迎しない。
・中央官庁を地方に移すこと、地方分権は人口の都会集中を防止する。しかし、消費者庁の一部が徳島市に移転する際、多くの弁護士が反対した。消費者事件を手掛ける弁護士のほとんどが都会に居住しており、消費者庁は東京にある方が便利だからだ。得か損かで考え、経済活動の地方への移転に消極的な弁護士。弁護士はタテマエはいいことを言ってもホンネは得か損かで行動し、視野が狭い。ドイツの最高裁判所は人口30万人の都市にある。
 徳島市は地方と言っても都会である(東京から見れば田舎の一部だが。東京人は沼津市や松江市を「田舎」と呼ぶ)。徳島市のような都会ではなく人口数万人程度の小さな自治体に中央省庁の機能を移転させれば地方が活性化するだろう。



2019年2月6日
「ノーマスク推進」は重大な人権侵害
 
「青森県むつ市は、窓口で市民と応対する職員に対し、特段の事情がないかぎりマスクをつけずに接するよう求めている。「不快な印象を与えない」とする窓口対応改革の一つだ。風邪の流行期となる冬場はマスク姿が多くなりがちだが、体調が悪い職員には「窓口対応をさせない」「自宅で休ませる」ことを徹底した上で「ノーマスク」を推進している。」との報道

 マスクをする人は、風邪をひいている人もいるが、むしろ他人から風邪やインフルエンザなどがうつることを予防する場合が多いだろう。親がインフルエンザにかかり、子供にうつるケースは多い。乳幼児や高齢者のインフルエンザ罹患は生命の危険をもたらす。妊婦などはむしろマスクを着用した方がよい。自分と家族の命を守ることは重要な人権の内容に含まれる。自分の命を守ることは、生物である人間にとって生きる出発点であり、自分の命を守ることはすべての人にとってもっとも基本的な権利である。マスク着用を禁止することは自分の生命・健康の安全に対する基本的人権を侵害する。市庁舎は多くの人が集まる場所であり、インフルエンザなに感染する可能性の高い場所である。むつ市の職員がインフルエンザにかかり、その人の乳児や高齢の家族にインフルエンザがうつり(家庭内ではたいてい子供にうつるものだ)、死亡すれば、市長はどのように責任をとるのだろうか。これは、市の職員が勤務中に医薬品を服用するのを禁止するのと同じく、人命を軽視する政策である。市役所内での喫煙の禁止や化粧の禁止、化粧の強制、服装の強制などは、生命の安全にかかわらないが、マスク着用は自己の健康・安全に関わる問題である。
 また、市の職員から住民にウィルスが感染する可能性がある。利用者は、病院や市役所の窓口対応の人がマスクをしている方が安心できるのではないか。
 むつ市の無神経で人権感覚ゼロの政策に呆れてしまった。原発施設を誘致し、マスク着用を禁止するむつ市の政策。それを歓迎する市民の人権感覚のレベル。国民は自分のレベルに応じた政体を持つというトクヴィルの言葉。それを平然と肯定的に報道するマスコミの人権感覚のレベルにも呆れた。
「マスク禁止」を住民サービスのレベルでしか考えない日本のマスコミの知的レベル。
 このように言うと、「マスク禁止は強制していない。あくまで自発的なものだ」、「マナーだ」という行政側からの反論が予想されるが、それは、日本で多くみられる、「自発性という名の事実上の強制」なのだろう。タテマエと実態の違い、言葉だけのゴマカシは日本の行政の常套手段である。

 マスクを着用すると職務を遂行できない職業(芸能人、モデルなど)ではマスク着用禁止に合理的な理由があるだろう。スチュワーデスのマスク着用も雇用主は禁止できない。逆に、マスクの強制は法的論議を呼ぶだろう。スチュワーデスのマスク着用に苦情を言う利用者がいるとすれば(日本では多いかもしれないが)、それは利用者の人権レベルが低いからだ(それは太ったスチュワーデスを解雇するのと同レベルの人権問題だ。欧米の航空会社では太ったスチューワデスは珍しくない)。
 接客業というだけでは、マスク着用を禁止でき
ない。タクシーの運転手、病院の受付、教師などもマスク着用の禁止はできない。
市の職員がマスクをしているかどうかという表面的な問題は、市の政策の中身(原発処理施設の設置の是非など)に較べればくだらない問題だ。
 日本では、全体的に人権無視の過剰なサービスの強要を国民が歓迎し、それが社会的生産性を低下させ、個人の幸福感を失わせる傾向がある。日本で長時間労働、サービス残業、時間当たりの低賃金、人権を軽視する厳しい服務規律、朝礼の強制などの集団行動の重視、短い休暇日数などが日本の過剰なサービスをもたらしている。サービスは「過剰」である必要はなく、「普通レベル」でよい。
 日本のサービスのよさは、人権よりも経済的利益を優先させる日本の社会を反映したものだ。
北欧、スイスなどの幸福度の高い国は日本ほどサービスはよくない。ドイツなどの生産性の高い国も日本ほどサービスはよくない。日本、韓国、台湾などはサービスはよいが、人権が軽視される。日本のサービスは異常に良いが、欧米のサービスは「普通」レベルが多い。発展途上国のサービスは悪い。むつ市の住民の幸福度や生産性はどうだろうか。

2019年2月5日

登山道の法律問題・講演(前橋市)

 
ぐんま県境稜線トレイル活用促進協議会
 トレイル管理運営部会学習会
 
 登山道の現状、形態、種類、登山道と遊歩道は違うのか、登山道は誰が管理すべきか、登山道で事故が起きた場合に誰が責任を負うのか、登山道をどこまで整備すべきか、土地所有権・環境問題・事故防止との関係、登山者の自己責任と登山道の管理責任の関係、過去の裁判例、今後の展望など。約2時間話をした。

 
朝7時過ぎに家を出て、午後11時帰宅。いつものことだが、日帰りは疲れる。


2019年2月4日
スウェーデンの電車から下ろされる妊婦の動画
 スウェーデンの電車から下ろされる妊婦の映像が話題になっている。テレビのワイドショーでは、司会者が、「スウェーデンでは乗車券を見せないだけで警察が来るのか」と呆れていた。

 
スウェーデンでは、駅の改札口がなく誰でも電車に乗ることができるが、電車内での検査で乗車券を持っていなければ逮捕される(ドイツ、スイスなどでも同じ)。改札をしない反映として、不法乗車に対する制裁が厳しい。この妊婦の場合には逮捕することなく強制的に列車から下ろさせた方法が問題である。妊婦でも逮捕は可能だが、一定の配慮が必要だっただろう。

 一般に、日本は、無賃乗車に甘い人が多い。無賃乗車で詐欺罪で刑事裁判になって会社を解雇され、初めて事の重大さを理解する人が多い
。それが、テレビのワイドショーでの、「スウェーデンでは乗車券を見せないだけで警察が来るのか」という発言につながったのだろう。日本では無賃乗車は10年以下の懲役という重い犯罪だが、逮捕は滅多にしない。マスコミがこの事件を大きく取り上げることに驚かされる。


2019年2月2日
第三者委員会のトリック
・事件や事故の当事者である団体、企業、自治体、国が費用を出して設置することが多く、第三者性がない。団体、企業、自治体、国に好意的な委員が多い。
・委員に弁護士が就任する場合、その弁護士は元検察官が多い。なぜ、元検察官が多いのか。検察官は公務員であり、国や自治体の代理人になることがある。そのため、元検察官の弁護士は行政寄りの弁護士であることが多い。一般に、国や自治体の顧問弁護士は元検察官の弁護士が多いのもそのためである。元検察官の弁護士は弁護士の中では行政側の信頼が厚く、国や自治体が選任する第三者委員に選任されることが多い。 元検察官の弁護士でも行政に対し批判的な態度をとる弁護士がいるが、そのような弁護士は国や自治体の選任する第三者委員に選任されることはない。以上の点を指摘すると、弁護士の委員は必ず「厳正に対処する」と述べ、反発する。
・大学の研究者の委員の場合も同じである。大学は国から補助金をもらうので、国にさからいにくい。国や自治体と研究上の協力関係にある大学の先生は多い。行政に批判程な研究者は、間違っても委員に第三者選任されない。 
・委員が適任者とは限らない。たとえば、弁護士会の元会長、裁判所や検察庁の元幹部を委員にしても、その事件や事故の専門家でないことが多い。
・委員が基本的な知識を欠くと事務局主導をもたらす。法律家は法律の専門家ではあるが、その事故の専門家ではない。山岳事故の第三者委員会では登山の知識がなければ、意見を言っても的外れの意見になりやすい。非専門家の意見が意味を持つのは専門性のない範囲に限られる。事故原因の解明やリスクマネジメントは専門性がなければ無理。
・国民は「専門家」という言葉に簡単に騙される。「原子力の専門家」が原発事故に適正に対処できるとは限らない。「原子力の専門家」は原発を推進する側に立つことが多い。
・第三者委員会の事務局は通常は団体、企業、自治体、国の職員であり、第三者性がない。第三者委員会の報告書は事務局が「書く」ことが多い。私はある自治体の第三者委員会の委員をした時には、報告書の原案を自治体の職員が作成したが、私が約100頁の報告書をすべて書き直したことがある。その作業に何十時間もかかり、仕事に支障が生じた。普通はこのようなことをする委員はいない。1日1万円程度の日当で何十時間も時間をかける委員はほとんどいない。
 委員はボランティア的活動であり、時間的余裕がなければ十分に活動できず、事務局主導になりやすい。
 私は国や自治体の第三者委員になったことがあるが、それはほかに引き受ける弁護士がいなかったからである。
・事件や事故の度に第三者委員会を設置することは効率が悪い。常設の第三者委員会を設置すべきである。本来、常設の教育委員会や人事委員
会は第三者性が必要である。行政が行政目的を推進し、あるいは事故や事件に関する国民の批判をかわす手続きが第三者委員会である。



2019年2月1日
数字のトリック
 
厚労省の統計数字の不正が問題になっている。統計数値は調査方法によって変わる。国や自治体は自分らに都合のよい調査方法をとることがある。また、都合の悪い調査結果が出る場合は、調査自体をしないことが多い。調査をしなければ、調査結果を隠したことにならない。隠す前の段階の問題だ。
 「平均」の数字はゴマカシに使われやすい。1人当たりのGDP、1人あたりの貯蓄額なども同じだ。平均は格差を隠蔽する。平均よりも中央値の方が意味がある。大企業は好景気だが、零細企業は不景気である。景気が良いとマスコミが騒いでも、一般の庶民は蚊帳の外である。大企業の社員は好景気を実感しているだろうが、好景気感を実感できない国民が多い。
 日本では幸福を実感できない人が多いが、数字のうえでは日本は豊かな国とされる。
 公共工事を予算化する場合には、その公共工事の必要性を示すデータを役人が一生懸命になって作り出す。データの作出はどうにでもなる。
 
司法改革も数字のトリックのもとに行われ、そのために失敗した。「弁護士の数が少ないから弁護士を利用できない」という考え方など。弁護士の少ない地域では、それ以上に事件数が少ない。弁護士がたくさんいても、金がなければ弁護士に依頼できない。「弁護士に依頼したい」ことと「現実に依頼できる」ことはまったく別のことである。「潜在的に紛争がたくさんあり、多くの弁護士を必要としている」という理屈に基づいて法科大学院が作られた。「潜在的に紛争がたくさんある」、「潜在的には弁護士の仕事はいくらでもある」。「弁護士に依頼したい人がたくさんいる」ことを示すデータはいくらでも作出できる。

 弁護士の年収も、年収の多い人しか調査票に回答しない傾向があるので統計数値に偏りがある。それにもかかわらず、「弁護士の平均年収が1年で数百万円下がった」などのマスコミ報道がなされる。弁護士の格差が拡大し、低所得の弁護士も調査表に回答するようになったのだろう。調査票への任意回答方式の調査は正確なものではない。したがって、参考数値として考えるべきである。
 内閣支持率なども、調査方法があまりにも大雑把なので世論を正確に表示するものではないが、数字が一人歩きしやすい。個別問題で内閣支持率を調査すれば数字が変わる。たとえば、「財務省問題で内閣を支持しますか」、「年金問題で内閣を支持しますか」とい質問では、多くの人が内閣を支持しないだろう。


 数字のトリックは山岳事故をもたらしやすい。たとえば、「この場所は過去に事故がない」ことを信用することは無意味である。事故を起こすかどうかは人によるのであり、事故率が低くても事故が起きやすい人は事故を起こす。一般的な事故率が低くても事故を起こす人には事故率は100パーセントである。
 山岳事故が多いことをマスコミは宣伝するが、山岳事故の死亡・行方不明者数は年間約350人であり、かつて年間の自殺者が3万人以上いたことに較べれば非常に少ない。マスコミ報道の仕方で数字の持つイメージが変わる。
 「過去、数十年間、災害が起きていない」、「数百年に一度の災害」という言葉で安心する国民が多い。福島のげ発事故も事前の数字のうえでは「起こるはずのない事故」だった。裁判所もそれに基づいて原発を容認する判決を出している。
 太平洋戦争の開戦前に、日本がアメリカとの戦争で「勝てる」データはいくらでも作ることができ
ただろう。
 数字は政治目的に合わせて作られる。国民は数字のトリックに簡単に騙される。国民は賢くなければ、自分が不利益を受ける。



2019年1月29日
明石市長のパワハラ

 
「兵庫県明石市の泉房穂(ふさほ)市長(55)が2017年6月、道路拡幅に伴う用地買収が進まないため、「立ち退きさせてこい。今日、火をつけて捕まってこい。燃やしてしまえ」などと担当幹部に暴言を吐いていたことが28日、分かった。泉市長は毎日新聞の取材に対して事実関係を認め、「市長としてあるまじき行為で深く反省している」と述べた。」

 この市長はコンプライアンスを重視し、多くの弁護士を職員として雇用していることで有名だ。明石市はコンプライアンス無視が当たり前になっているので、多くの弁護士を雇用したわけでもあるまい。
 この市長は弁護士である。橋本前大阪市長や故中坊公平も弁護士だった。なぜか弁護士は強権的な人が多いようだ。一般に高学歴の者ほど外面はよいが組織内で専制君主になりやすい。「豊田様」のように。弁護士は事務所内で専制君主になりやすい。

 橋本前大阪市長や故中坊公平
も組織内では強権的な権限行使や違法行為を行ったが、それでも市民から大きな支持を受けていた。このパワハラ行為だけで市長の適格性がないと思うのだが(もともと性格的にリーダーに向かないのではないか。そのような政治家が何と多いことか)、市民の支持は大きいようだ。多くのパワハラや学校での体罰、親の子供への体罰はもっともな理由に基づいて行われる。しかし、動機に関係なく暴力は違法である。学校で、「どこまでの暴力であれば許されるのか」と悩むことは、「状況次第でパワハラ、セクハラも許される」というあいまいさにつながる。動機や人柄を考慮して違法性を判断する情緒的な法文化が日本の社会に浸透しており(刑法の人格責任論などもそのひとつ)、それが違法かどうかをあいまいにしやすい。日本では違法かどうかが情緒や世論に流されやすい。日本では、政治すら、政治家の人柄で判断する有権者が多い。
 トランプやプーチンは強権的だが、それぞれアメリカとロシアで大きな支持を得て大統領になった。ロシアは資本主義経済体制になっても対外的な政策はあまり変わっていない。強権的なプーチンは国際ス赤井では評判が悪いが、ロシア国内では国民の支持を得ている。ヒトラーはドイツ国民の絶大な支持を得てドイツ総統になった。日本の国民も戦前の体制を支持する人が多かったことが戦争につながった。国民はそのレベルに応じた政体を持つというのはトクヴィルの有名な言葉だ。イギリスのEU離脱のように民主主義は賢明な選択をするとは限らない。人間はそれほど賢明な存在ではないことを歴史が教えてくれる。明石市長のパワハラを容認するかどうかは国民次第。



2019年1月28日

弁護士の廃業と引退
 
1年間に弁護士の廃業者が400人くらいいるらしい。「弁護士の廃業」というと、うだつの上がらない弁護士が「ただの人」になる負け組のイメージがある。しかし、欧米では、法曹資格を持つ者が役所や企業に勤めるのは当たり前である。ドイツでは法曹資格者の優秀な者が公務員になる。ドイツでは司法試験に受かった者は弁護士よりもキャリア官僚の方が人気がある。オランダでは警察署長も法曹資格が要求される。日本風に言えば、オランダの警察署長は弁護士?ということになり、ガラパゴス化した日本的発想では理解できない。ドイツの法曹資格は、弁護士の資格ではなく、「裁判官になることのできる資格」とされる。アメリカでは大学に法学部がなく、その代わりをするのがロースクールである。そのためアメリカで法律を勉強した学生はすべてロースクール卒業生である。
 フランスでは法曹資格者が公務員や企業に就職するのは当たり前だが、組織内弁護士が禁止されている。役所や企業の法曹資格者は弁護士としての活動ができない。役所や企業の法曹資格者は弁護士としてではなく、職員、会社員として法曹の仕事をする。ドイツでも同様のようだ。しかし、日本では、役所や企業の法曹資格者は弁護士会に登録してもしなくても組織内弁護士と呼ばれている。組織内の法曹資格者は、裁判官や検察官出身者でなければすべて弁護士とされる。ここに概念と言葉の混乱がある。日本では、国民の意識のうえで、弁護士、裁判官、検察官をしない「法曹資格者」の居場所がない。それ故、弁護士を「廃業」、「引退」すると「無」「タダの人」とみなされる。
 英語のlawyer やjuristは弁護士会登録の有無にかかわらないが、日本語では、弁護士会に登録していない法曹資格者を弁護士と呼ぶことはできない。弁護士会に登録していない法曹資格者を弁護士と呼ぶと、裁判官や検察官で役所に出向している人も弁護士と呼ばなければならないが、彼らは、「出向中の裁判官、検察官」と呼ばれている。弁護士会に登録していなければ、弁護士業ができないので、弁護士登録していない法曹資格者は弁護士ではない。しかし、日本では、組織内の法曹資格者や弁護士登録していない法曹資格者を弁護士と呼ぶ人が多い。法曹資格者のうち、裁判官と検察官ではない者をすべて弁護士とみなす考え方が混乱をもたらす。
 日本でも、法曹資格者をさす言葉が必要だが、日本語にそれがない。たとえば、法律家という言葉があるが、法曹資格の有無を問わない。法律学者や簡裁判事は法曹資格を持たなくても、法律家である。司法書士は法曹資格はないが、街の法律家として宣伝している。言葉がないということは、その観念の欠如を意味する。明治の初期、権利という言葉がなかったことは、当時の日本人に権利の観念がなかったことを意味する。福沢諭吉はrightの訳語として「権義」という言葉を造語した。西周はphilosophyの訳語として「哲学」を造語した。mountain climbingの訳語として日本語の「登山」、「クライミング」を当てたが、「登山」はwalking やhikingを含むので、mountain climbingと「登山」は同じではない。mountain climbing=クライミングでもない。日本語の「ハイキング」は「登山」の一種なので、ハイキング=hikingではない。これらの混乱は、もともと日本にright、philosophy、mountain climbingの観念がなかったことから生じた。

 法曹資格者という言葉は、日本に根付いていないので、法曹資格者を「ローヤー」と呼んではどうだろうか。司法書士はlawyer 、juristであるが、法曹資格者ではないので「ローヤー」ではない。しかし、司法書士は簡裁で弁護士の仕事をしているので、簡裁代理権を持つ法科大学院で養成し、司法試験の対象とすべきだろう。法テラスも司法書士を弁護士と同様に扱っている。簡裁で弁護士業ができ、法律相談を行っている司法書士を法科大学院で養成しないのは明らかにおかしい。国際的には司法書士は権限を制限された弁護士とみなされる。必要があれば、司法試験を1種試験と2種試験に分けてもよいだろう。司法書士試験を2種試験とするなど。フランスでは弁護士の周辺資格を弁護士の資格に含めてきている。現状では、司法書士は弁護士業を行いlawyerであるが、法曹資格者ではないので「ローヤー」ではない。
 
 日本では、いったん弁護士になると、死ぬまで弁護士をするのが当たり前だとされてきた。60歳以降に弁護士をやめるのは引退と呼ばれるが、60代で引退する弁護士は少なかった。40代、50代で弁護士登録を抹消することは廃業と呼ばれることが多く、マイナスイメージがある。
 
しかし、弁護士の仕事以外にやりたいことを持つ法曹が弁護士登録をしないことは、今後いっそう増えるだろう。なにしろ、弁護士会に登録するだけで月額約5万円の会費がかかるので、日本では法曹資格者が弁護士会に登録したままで、多様な分野で仕事をすることがしにくい。弁護士登録をせず、大学にも勤務しない、法曹資格を持った在野の研究者は日本では受け入れれられない。


2019年1月24日
韓国最高裁元長官逮捕
 
日本では考えられないことだ。裁判所は一体となって組織を守るからだ。韓国で法曹一元を実現したことが関係しているのだろう。日本は世界の中で依然として孤高を守り、裁判所はピラミッド構造を維持し、組織の掟を守る限り安泰である。ただし、出る杭は打たれる。日本の官僚組織も同じ。

 日本は、裁判所に限らず、組織に人々が群がり、組織を中心に動く傾向がある。組織の陰で個人が自立しない。たとえば、フランスには弁護士会はあるが、日弁連のような巨大な組織ではない。フランスでは弁護士のうっかリミスの過失行為では弁護士会は処分しない。日本では弁護士の期限徒過などは処分対象である。弁護士の交通事故も処分対処である。もともと、日本は人間のミスに対し厳しい国の反映である。山岳事故に対する非難なども同じ。アメリカでは裁判官がビールをコップに1、2杯飲んでスピード違反をしても処分されず、マスコミもとりあげない。ドイツの裁判官は昼食時に裁判所の食堂でワインを飲む。もちろん、飲む量は仕事に影響しない程度であるが。仕事に影響しなければ問題ではない。日本では裁判所の食堂にアルコール類は置いていないし、裁判官が少しでも飲めば、世論とマスコミが大騒ぎをし、処分対象になる。日本では教師が休憩時間に学校の敷地外でタバコを吸っても大問題になる国だ。それなら、会社員が仕事中にトイレでタバコを吸うのは仕事をサボることになるのだろうか。日本は實に窮屈で息苦しい国だ。これが創造的な活動を阻害する。日本では大胆なことや冒険ができず、それが発展を妨げる。

 これに対し、「ここは日本である。日本には、日本のやり方がある」という意見が多い。これが日本のガラパゴス化を招いている。日本のガラパゴス化は、それが日本に経済的損失をもたらすと、ようやく問題視される。


2019年1月23日

勤労統計不正問題の背景

 
この問題の根底に閉鎖的な組織の問題性がある。これは、年金問題、森友学園問題、加計学園問題、企業の不祥事などの問題と同じ問題がある。欧米の組織であれば、早い段階で内部告発がなされ、問題が表面化するだろう。日本の組織は閉鎖的なので互いに隠蔽し合う構図がある。
 
 このような問題を起こさないためには、 
・終身雇用制ではなく、組織の人の入れ替えが必要
・そのためにはピラミッド型の賃金体系ではなく、職務に応じた給与体系が必要である。役所の課長職を公募し、課長の給与は職務給とする。裁判官を法曹資格者から公募し、裁判官の給与は年数に関係なく定額とする。所長になれば、若干の手当がつくだけ。日本の企業や役所の細かい給与体系は管理のためのシステムであり、これが組織を閉鎖的にする。
・個人の自律性。これには学校教育を通して実現に何十年かかかるだろう。50年? 日本では自律性をコントロールしようとするのでうまくいかない。
・多様性を認める社会。これにも実現に時間がかかる。
・法の支配。これも時間がかかる
。役所や企業、市民は法律で動いていない。そのため日本では弁護士の仕事が少ない。法の支配。これも時間がかかる。50年くらいかかるのではないか。


2019年1月22日

JOC会長の贈賄事件

 もし、これが日本の捜査であれば、被疑者を逮捕し、長期間勾留して自白させようとするのではないか? フランスの制度ではそれはしない(できない)。
 日本では被疑者を逮捕し、長期勾留しようと思えば可能であり、現実にいつもやっている。ゴーンの長期勾留のように。ゴーンの事件よりも贈賄の方がよほど重大事件だ。犯罪の嫌疑があれば逮捕できる。日本では否認していれば常に罪証隠滅の恐れがあるとみなされ、保釈を認めず長期勾留できる。逮捕、勾留しなければ証拠隠滅のおそれがあると言葉のうえでは何とでも言える。勾留するかどうかは捜査機関の考え次第。裁判所は検察の判断を尊重する。


2019年1月21日

三浦雄一郎氏のアコンカグア挑戦の意味
 
高齢者の高所登山はひとつの冒険であり、それが成功すれば画期的なことだろう。しかし、マスコミが大騒ぎするほどの冒険ではないのではないか。たとえば、乳幼児がどれだけ高所に耐えることができるか、人間を1万メートルの高度で酸素吸入をしない実験を実験室で行うことが可能だが、それは人体実験にほかならない。裸の人間がどれだけの寒冷に耐えられるかも人体実験的な冒険行動である。人間を過酷な状態に置くことに際限はない。人間の行動範囲に制限を課して危険な状態に置けば、冒険行動になる。それらも冒険ではあるが、それほど意味のある冒険ではない。
 高齢者であっても他人の援助を受けることなく、自力で登山を行うことが冒険の前提ではなかろうか。冒険は、人間の生の能力を発揮する点に意味がある。周囲の支援を受ければ受けるほど冒険性が薄れ人体実験の様相を帯びる。スタッフや、最新の機器、ヘリの利用、万全の支援体制に囲まれて行う登山は、最初から冒険的登山を回避している。医師の立場では冒険的行動を回避する方向の判断になりやすい。もともと87歳で登ること自体が負担が大きすぎる。メスナーのエベレスト無酸素登頂も、当時、「不可能」というのが医学の常識だったが、独力であれば冒険になる。
 冒険が利権と結びつくと冒険の堕落が起きやすい。今の冒険は利益をもたらす。芸能人のヒマラヤ登山など。現在では冒険は演出の対象であり、危険性は「作る」ものなのだ。それがヤラセを生み出す。今回の登山もテレビ放映、本の出版、登山後の講演などによる利益が期待されている。スポンサーは投資した分以上の利益を上げたいと考えるのが当たり前だ。営利事業なのだから。植村直己が有名になった後あたりからこのような冒険の堕落が始まった。



2019年1月20日

日本の社会のいくつかのタブー
・リスクについて触れるのはあくまでタテマエであって本気でリスクを考えてはならない。リスクを指摘する者は嫌われる。
・自己責任という言葉はもっぱら相手を非難する用語として使われる。
・義務的なことを遂行した結果としての事故や失敗は同情されるが、自発的な行動の結果としての事故や失敗は非難される。
・収入の差が格差をもたらすことを指摘することはよいが、人間の能力と意欲の差が格差をもたらすことは言ってはならない。
・人間の価値に差がないという考え方が人間の能力に差がないという宗教をもたらしている。
・人間の能力差を認め能力に応じた扱いをすることは、日本では「差別」とみなされる。
・日本では、「がんばれば誰でもできる」というフィクションが好まれ、がんばらない人間は否定される。がんばって失敗すれば失敗が正当化されやすく、同じ失敗が繰り返されやすい。
・知恵を使うことよりも、がんばることの方が評価される。
・皆と同じことをして失敗すれば是認されるが、皆と違うことをして失敗すれば世論から叩かれる。何かをして失敗するよりも、何もしないで失敗する方が望ましいとされる社会。


2019年1月18日

那須雪崩事故の捜査
 2017年3月27日に登山講習会に参加していた高校の生徒、教師らを巻き込み生徒7人と引率教員1人の計8人が死亡した那須雪崩事故について、間もなく送検されるようだ。これは事件が検察庁に送致されるということ。捜査は政治が関係するので、事故から2周年を目途に警察が動く。
 今後は検察庁が事件を捜査をする。検察庁も政治で動く面があり、世論の動向を見ながら起訴するかどうかを決めるが、起訴まで数年かかる可能性がある。起訴される前に、民事裁判が先行する可能性がある。民亊裁判については被害者が現在検討中のようだが、いずれ裁判が起こされるだろう。民事裁判で和解などが成立すれば、刑事事件は不起訴ということもありうる。起訴するかどうかは、被害者の動向と世論・政治の動向次第。2006年10月に4人が亡くなった白馬岳のガイド登山事故では、民事裁判で和解が成立せず、事故から8年近く経過して事件が起訴されて刑事裁判で有罪になった。
 また、引率教師1名が亡くなっており、これが公務災害になるかどうかの問題がある。これも公務外の認定に対する行政訴訟が提起される可能性がある。民亊訴訟は被害者の高校生らが県を相手とする国賠訴訟(教師は被告にならない)、公務外の決定の取消訴訟は公務災害補償基金を相手とする行政訴訟であるが、刑裁裁判では教師が被告人になる。民事裁判では「被告」、刑事裁判では「被告人」と呼ぶ。このように裁判の仕組みは国民にわかりにくい。最終的には、数年後に、亡くなった教師は公務災害、県は損害賠償責任を負うことになるだろう。教師の刑事責任については、起訴されれば有罪になるだろう(起訴されない可能性もある)。
 栃木県では、一部の山を除き高校山岳部の冬期の登山を雪の有無に関係なく原則禁止にするようだ、スポーツ庁の通達の運用の仕方は自治体によって異なる。
 高校生の冬山登山を国が禁止する国は、先進国では日本だけだろう。これは、他の先進国では国が教科書の内容に細かく介入しないのと同じ。日本は行政が国民の行動を細かく管理、統制する国である。裁判官自体が、その生活と行動を細かく上から統制され(「裁判所の正体」、瀬木比呂志)、国民も同じ。岡口裁判官の問題も同じ。ゴーンの保釈の問題や冤罪も、根は同じ。これが生きにくさをもたらすが、それを当たり前だと考える国民が多い。


2019年1月10日
国立登山研修所・専門調査委員会(東京)

                          


「登山の法律学」、溝手康史、東京新聞出版局、2007年、定価1700円、電子書籍あり

                                 

               
  
 「山岳事故の責任 登山の指針と紛争予防のために」、溝手康史、2015
        発行所 ブイツーソリューション 
        発売元 星雲社
        ページ数90頁
        定価 1100円+税

                                 

                      
  
 「真の自己実現をめざして 仕事や成果にとらわれない自己実現の道」、2014
        発行所 ブイツーソリューション 
        発売元 星雲社
        ページ数226頁
        定価 700円+税
                                


                                

「登山者ための法律入門 山の法的トラブルを回避する 加害者・被害者にならないために」、溝手康史、2018
       山と渓谷社
       230頁

      
972円