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2022年
                                            溝手康史







2022年30日
JMSCA上級夏山リーダー資格のUIAA承認
JMSCA(日本山岳スポーツクライミング協会)の上級夏山リーダ資格がUIAA(国際山岳連盟)の承認を得た。
JMSCA上級夏山リーダー資格の検定講習会を、UIAAの担当官のスティーブ・ロング氏が来日して審査し、JMSCA上級夏山リーダー資格がUIAA認定資格として承認された。
従来の日本夏山リーダー資格は、リーダーにロープによ安全確保技術を必要としていなかった。
しかし、UIAAのリーダー資格は、リーダーにロープによる安全確保技術を必要としている。これが世界ではスタンダードだが、日本ではそうではない。
これまで、日本での夏山縦走のリーダーに簡単なロープ技術が必要だという考え方は、山歩き中心の山岳会にはなかった。


2022年12月22日
「山の法律相談所」、岳人への連載
雑誌「岳人」に「「山の法律相談所」のタイトルで連載をすることになった。
2023年3月号~
初回の記事は、「テントを張ってはいけない場所はある?」の予定


2022年12月16日

「ツアーガイド・引率者の責任」、講演
沖縄、大宜味村
オンライン


那須雪崩事の刑事裁判インタビュー(NHK)
平成29年に起きた那須雪崩事故の刑事裁判は始まったばかりだ。
現在、冒頭陳述がなされている段階のようだ。

(このインタビューの放映)
1221日(水)1830分〜
NHK 「とちぎ630
ただし、栃木の県域放送

那須雪崩事故の裁判のニュースの中で短時間、インタビューを使うのだと思う。


なお、この裁判の起訴状について
・引率教師11人中、3人だけが起訴た。1人は雪崩で死亡。
・負傷者40人中、5人が起訴の対象となっている。
・起訴状は、引率教師3人がミーティング時に安全措置義務を負い、そのうち2人は、さらに事故現場で自分が担当する班の生徒に対し安全確保義務と他班の生徒に対する情報共有義務を負うという構造になっている。
・死亡者8人中、1人は引率教師である。教師が教師に対し安全措置義務を負い、それで刑事責任を負うことが可能なのか。このような義務を認めることは前例がない。
・過去の事例
2009、トムラウシ事故、ツアー登山、8人死亡、不起訴
2006、白馬岳事故、ガイド登山、4人死亡、執行猶予付禁錮刑
2004、屋久島沢登り事故、ガイド登山、4人死亡、執行猶予付禁錮刑
1969、朝日連峰事故、高校部活動、3人死亡、、無罪
1966、青井岳キャンプ事故、中学校行事、8人死亡、無罪
1961、臨海学校事故、中学校行事36人死亡、無罪
1952、芦別岳事故、高校部活動、2人死亡、罰金
・かつては、無罪判決がけっこうあった。
 30~50年単位で考えれば、過失処罰の範囲の拡大、厳罰化傾向がある。
 山岳事故は有罪の場合でも、すべて執行猶予がついている。
・社会の安全度が増すと、過失事故が「あってはならない事故」という国民意識が増す。そのような社会的意識が裁判所に反映される。なぜなら、裁判官はそのような社会環境で育つからだ。その結果、過失処罰の範囲の拡大、厳罰化傾向が生じる。


2022年12月3日
サッカーの戦術と心理
今、行われているサッカーのワールドカップでは、アジア勢が格上のチームを破って決勝トーナメント進出を果たすケースが目立った。
これは、戦術と心理面が大きく関係している。
日本は、前半と後半で別のチームのように変化した。
心理面では、冷静な諦めない気持ちや自信が重要だ。
「絶対に勝つ」という「意識がなければ勝てない。
しかし、気持ちだけではダメで、それを裏づける技術や経験が必要だ。

この点は、裁判や登山にも当てはまる。
困難なクライミングでは、「絶対に登る」という闘争心がなければ、登れない。
しかし、気持ちだけではダメで、それを裏づける技術や経験が必要だ。
闘争心やがんばるだけでは、遭難は防げない。冷静な諦めないや気持ちや自信が必要だ。これはそれまでの経験、知識、技術、訓練がなければ生まれない。


2022年11月25~27日
JMSCA上級夏山リーダー講習会のUIAAの審査
神戸市、神戸セミナーハウス周辺で実施されたJMSCA上級夏山リーダー資格の検定講習会を、UIAAの担当官のスティーブ・ロング氏が来日して審査した。
この審査に合格すれば、JMSCA上級夏山リーダー資格がUIAA認定資格になる。
JMSCA上級夏山リーダー資格講習は、リーダーにロープによる簡単な安全確保技術を必要としている点やリーダーの判断に関する講習を含んでいる。
UIAは、アマチュアのハイキングリーダーであっても、ロープによる簡単な安全確保技術が必要だと考えている。
この点は、従来の日本の登山界になかった考え方である。
従来、日本での登山界では、ハイキングロープは不要と考えていた。しかし、穂高岳周辺の登山道で、初心者の岩場での通過の補助、ハイキング中に道迷いをした場合、転落した仲間を救助する場合などにロープが必要になるので、リーダーはその技術が必要である。





2022年11月23日

賢明な人と賢明ではない人
多くの事件や紛争を通して、「賢明ではない人」に出会う。
専門家の目から見て客観的に最善の解決方法があっても、それを理解できず、その解決方法を拒否してしまうのだ。
そのような人は、「もっよい成果を得られるはずだ」と考えるのだが、その見込みはほとんどない。
「もっよい成果を得られるはずだ」と考えるのは、願望や紛争の相手方に対する敵意に基づいている。
「もっよい成果を得たい」という願望は、現実の状況を理解できないことから生じる。現実離れした願望である。
また、紛争の相手方に対する敵意がある場合には、「この程度も成果で相手を許すことはできない」などの感情が合理的な判断をできなくさせる。
「現実」を理解しない人、感情にふりまわされる人は、このような不合理な判断をしやすい。
そのような人は、弁護士の意見を聞くことなく、自分の考えに固執する。過去にこだわり、「現実」に対応する判断ができないので、前に進めない。たいてい仕事もうまくいかないか、あるいは、同じことの繰り返しになる。進歩せず、何をやっても達成感がなく、不幸になる人が多い。自分の人生、周囲の人間、社会を呪いながら人生を終える。
もったいないことだ。考え方次第でいくらでも幸福になれたはずなのに。

他方、「現実」を理解し、感情にふりまわされない人は、問題に直面した時に、自分の考えに固執しない。弁護士の意見を聞いてすぐに方針を変換する。過去にこだわらず、現実的な判断ができる。そのような人は前進し、進歩し、先進的な活動ができる。
人間は幸福になるためには、phylosophyが必要だ。

「現実」を理解することは、言葉で言うのは簡単だが、実際には簡単なことではない。
登山などの自然とのかかわりは、自然という未知の存在がもたらすさまざまな問題や困難を解決していく過程を通して、現実に対応した解決をしていく訓練になる。登山では、自然がもたらす危険性という「現実」を理解し、それに対処しなければ、簡単に命を失うことになる。





2022年11月15日

人はさまざま
人はさまざま、多様である。
生物は多様だ。これは当たり前のことだが、しかし、案外、それに反する扱いが多い。
人間の能力も個性もさまざまなのだが、学校、会社、役所では誰でも同じように扱う。
これが「平等」であり、違いがあれば、それは「差別」だと考える。
学校で出す宿題は全員同じだ。生徒の能力はさまざまなのだが、同じ宿題を出すことが「公平」とみなされる。しかし、同じ宿題でも、できる生徒は10分でできるが、できの悪い生徒は3時間かけてもできない。これは不公平ではないか。

小学生の頃学校のテストで、教師が、「できた者は帰ってよい」と言った。私は反抗的な生徒だったので、テストを10分で適当に答えを書いて教師に提出した。
教師はむっとしてその場で採点した。たしか、85点くらいだった。点数が悪ければ、教師は、「いい加減なことをするからだ」と叱ったはずだが、85点はものすごく良い点数ではないが、悪い点数でもない。これでは叱ることができない。教師は、むっとして、「帰ってよい」と言った。
私は、学校での勉強を「くだらない」とバカにして、このような行動をとったのだ。しかし、できない生徒から見れば、私の行動は傲慢だっただろう。

学校で全員を同じ扱いをすることは、一見、「公平」に見えるが、結果は公平ではない。それがわかっていながら全員を同じ扱いをすることは不公平だ。
学校で全員を同じ扱いをするのは、保護者などの関係者の自己満足と管理する側の都合による。その方が手間が省けて楽だということだ。
音楽の才能、運動神経、審美眼、文学的才能、美醜などもひとりひとり違う。

病気になるかどうか、治癒の仕方も個人差が大きい。
病気で早死にする人と長生きする人の差は歴然としている。
同じ治療方法で治る人とそうではない人がいる。
体格も違う。
仕事の向き不向きがある。
弁護士に向かない者が弁護士をすることは、苦痛でしかない。
日本では、すべての者を同じ扱いをすることが、多くの苦痛と悲劇をもたらしている。特に日本の学校が、そうだ。
同じではないものを同じ扱いをすることは、喜劇であり、悲劇だ。

学校で能力のある者とない者を「平等」に扱うことは、公平ではない。
格差が大きい今の社会で、富める者と貧しい者を「平等」に扱うことは、公平ではない。

登山では、登山者の経験、能力が一人ひとり違うので、同じ扱いはできない。体力のある者は20キロ背負ってもなんともないが、体力のない者が20キロ背負うとバテて、転倒、転落などの事故の原因になりやすい。
ルートファインディングの能力の有無が道迷い遭難につながる。
登攀能力やバランスの違いが岩稜などでの事故につながりやすい。
寒さに強い人と寒さに弱い人がいる。最近、私は、山で手足の冷えを感じることが増えた。高齢者は低体温症になりやすい。
ほとんどの登山者が事故を起こさないからと言って、自分が事故を起こさない保証はない。
道迷いは、「道迷いしやすい場所」で起きることが多いが、「道迷いしやすい場所」で道迷い遭難する登山者は1000人中1人くらいのものだ。「道迷いしやすい場所」であってもほとんどの登山者は道迷い遭難しない。ほとんどの登山者は、間違えかけることはあっても、道迷いはせず、遭難もしない。個人差がある。

街中では人間の能力の違いを無視して死ぬことはないが、山ではそれが死につながることがある。自分の能力、経験に見合った登山をすることが必要だ。

管理する側は全員を同じ扱いをしたがるが、管理される側は、それによって不利益を受けることがあるので、自分に合ったやり方が必要だ。それが「自分の利益や命を守る」ことにつながる。





2022年10月26日
那須雪崩事故の刑事裁判

 2017年3月に登山講習中に高校生ら8人が雪崩で亡くなった事故の刑事裁判が始まった。  被告人の教師は3人とも無罪の主張をした。  他方で、教師らは裁判で謝罪をしており、これは責任を認めることを意味する。  教師らは事故の責任を認めるが、刑事責任は否定する。これは矛盾しない。  民事上は教師らの注意義務違反が比較的簡単に認められるので、教師らの過失はあるだろう。したがって、県に損害賠償責任が生じる。しかし、国家賠償法により、原則として教師らは損害賠償責任を負わない。  民事裁判で教師らが被告とされているが、通常は公務員個人は損害賠償責任を負わない。公務員個人も損害賠償責任を負うべきだという考え方はありうるが、法律はそうなっていない。    刑事上の過失は民事上の過失とは異なり、厳格に判断される。そのため民事上の過失があっても刑事上の過失がないということがありうる。  この事故では、雪崩事故の直近にいた教師の注意義務違反は認められやすいが、現場にいなかった教師の判断がどうなるかが大きな問題になる。
 近年、事故現場にいなかった管理者の刑事責任について起訴されるケースが増えている。
 刑事責任を問う範囲は以前よりも拡大している。欧米に較べれば、日本では事故の刑事責任を問う範囲が広いように思われる。
 これは、安全であることを求める世論が強まっていることを反映したものだろう。日本の安全、安心文化は強い。
 また、これまで山岳事故の刑事裁判では有罪になってもすべて執行猶予付きの禁錮刑になっている。白馬岳のガイド登山事故でも4人が死亡したが、執行猶予がついた。
 8人が亡くなった本件事故ではどうなるかという問題もある。







責任とは何か 
 ミスを冒すとか、悪いことをすれば責任を負うべきだと考える人が多いが、法律はそうなっていない。
 法律上は、法律が定める要件を満たした場合に責任が生じる。ミス(過失)がなくても責任が生じる場合もあれば(無過失責任)、過失があっても責任が生じない場合もある(因果関係や損害のない場合)。
 責任を課すのは、社会秩序を維持するための儀式だと述べる社会学者がいる。
 法的責任の判断は社会を円滑に成り立たせるために法律が課す技術的な価値判断である。その点で世論が考える責任との間にギャップがある。
 法的責任を世論が考える責任と一致させると、世論が叩けば有責にすることになり、社会が円滑に進まない。国家賠償法が公務員個人の損害賠償責任を免責するのは、公務の円滑な遂行のためであり、それが世界のスタンダードになっている。日本だけがそれに反する扱いをすることは、グローバル化した社会にそぐわない。  日本人と外国人が日本の内外で共同業務を遂行する場面、多くの外国人が日本を訪れ日本で働く時代、多くの日本人が外国にでかけ外国で働く時代には、日本国内の責任のあり方と欧米での責任のあり方が大きく異なることはさまざまな摩擦を生む。日本国内の責任のあり方もグローバル化が必要である。
 このグローバル化は、正しいかどうかという問題ではない。ある歴史学者が述べるように、歴史の発展に「正しいかどうか」はない。正しいどうかに関係なく、欧米の考え方が世界のスタンダードになっているので、日本もそれに合わせる必要があるということだ。  公務員個人の損害賠償責任を免責する国家賠償法の規定は、それが「正しい」からそうなっているわけではない。歴史的に、その必要性があったので、そうなったにすぎない。これは、かつては、「お上は責任を負わない」という考え方だった。欧米では、国王の免責、日本では「国家無答責」の考え方がたがあった現在は、公務の円滑な遂行のために公務員が免責される。が、将来、この規定が変更される可能性がある。
 日本には固有の安全安心化があり、それは欧米の文化とかなり異なる。そのため、日本での法的責任の扱いを欧米的なものにすると、国民から大きな反発を招きやすい。不法行為法、国家賠償法、営造物責任、工作物責任などは欧米から移入した制度であり、もともと日本固有の安全安心文化とは一致しないが、さらにこれらの運用が日本的にアレンジされて、日本固有の責任文化がある。




2022年10月15~17日
沖縄、大宜味村、現地調査・ミーティング
 大宜味村、同観光協会
 村内にる沢や登山道の管理責任、管理責任、ガイドの責任などについて現地調査、ミーテイング
 ター滝は易しい沢歩きのコースだが、繰り返し事故が起きている。
 沢の危険性は低いが、一定の危険性がある。また、増水時には非常に危険だ。
 このコースの危険性にふさわしくない人が歩けば事故が起きやすい。
 このような沢は管理されていないことが多いが、ここは自治体が管理している。
 このコースは管理しているが、遊歩道などは整備されていない。整備しない自然状態を楽しむコースだ。このようなコースはプ欧米では珍しくないが、日本では多くない。日本では、管理=整備と考える人が多い。そのため、日本では自然を管理すると、とたんに自然がつまらないものになることが多い。


 ター滝


 沢遊び


  沢歩き


 2022年8月の増水時の死亡事故の場所。ここは車道のすぐ傍だ。


 ネクマチヂ岳山頂。やさしいハイキングコース。



今後、日本でも欧米のようにアウトドア活動がさかんになるだろう。
ドイツ・・・・・・・世界一のアウトドア活大国
アメリカ・・・・・キャンプ大国
ニュージーランド・・・・アウトドア天国のような国
北欧・・・・・・・・自然を自由に利用できる権利が確立されている
ノルウェイ・・・国民の80パーセントが登山をすると言われている。
スウェーデン・・・・国民の多くが自然の中にサマーハウス(山小屋)を持っている。
デンマーク・・・年金生活者の多くが別荘を持っている。500万円くらいで別荘が持てるらしい。
イギリス…・・フットパスや自然アクセス権利の保障

しかし、日本では、自然の利用に関して法律は無関心であり、どこまで自然を利用できるかあいまいなことが多い。
アウトドア活動のさかんな国は、国民の幸福度が高い。







2022年10月11日
「山の事故と法律Q&A」、岳人、905号、2022年11月号
私が岳人の編集者からインタビューを受け、編集者がそれをまとめた。


2022年10月9日
大山、三の沢
 9月に大山、三の沢で48歳の男性が沢登中に遭難死亡した。滑落と思われる。
 広島居住者だが、広島に単身赴任中だったということだ。登山歴は1年程度。
 報道では、運動靴だったこと、ヘルメットを被っていなかったこと、登山届を出していなかったことが問題視されている。
 しかし、登山届を出し、ヘルメットを被っていても、滑落は防げない。
 運動靴よりも靴底の凹凸の大きい登山靴の方が、スリップしにくい。
  
 この事故の後、三の沢を登ってみた。積雪期は付近を何度か登ったことがあるが、無雪期は初めてだった。
 ネットでは、三の沢コースは登山ルートとして記載され、登山記録が記載されている。コンパスの登山地図では、このコースは剣が峰往復コースとして実線で記載されている(破線ではない)。これでは、一般の登山道だと考える登山者がいてもおかしくない。ガイド登山も行われているようだ。少なくとも、登山地図には破線で記載すべきだろう。

 大山は崩壊が激しいので、数年でルートが変貌する。数年前の登山記録と現状は違う。大山では、年々、確実にほとんどのルートの危険性が増す。登山地図の記載は10年前はそれでよかったのかもしれない。ネットの情報を当てにすると、とんでもないことになる。
 冬は、沢心を避けて沢の右手の尾根を登る。3月頃は、自由なコース取りができるが、無雪期はルートに忠実に登るほかない。

 この日、このコースで見かけた登山者は4名。そのうち2人は、「朝4時頃から登り始めた」と言い、下山中の彼らに出会った。この日、天候悪化の予報だったからだろう。賢明だ。私は6時40分から登り始め、天候が悪くなれば下山する予定だった。
 若干、迷いやすい箇所があったが、沢を登るので、基本的な方向を間違えることはない。
 それなりの経験さえあれば、このコースはそれほど難しいルートではない。しかし、登山歴1年程度でこのコースを単独で登るのは、無理がある。
 
  大山南面。

  沢のガレ場を登るのだが、トラバースして右手の草付きに入る箇所がわかりにくい。ガレ場を上まで登り、「おかしい」と思い、引き返してトラバース地点を見つけた。トラバース地点にリボンをつけさせてもらった。

 稜線が近づくと不安定な足場の急登になる。下山時、特に降雨時や降雨後は滑落する危険があるだろう。
 9月の事故の被災者は、槍が峰の下で発見されたそうなので、雨天時の急登箇所でスリップしたのかもしれない。 
 剣が峰までの不安定な稜線のトレイルは、風が強いとバランスを崩しやすい。降雨後はトレイルが崩壊しやすい。

 ネットには、縦走路を含めて、いかに自分が危険なことをしているかを自慢するような記事が散見される。
 危険個所を登る動画をユーチューブにアップしてアクセス数を稼ぐ人がいる。
 大山の縦走路の記録などがその例だ。今にも落ちそうになり、命からがら通過したとか、引き返したなど。
 私は、長年、冬山登山や岩登りをしたが、いかに危険性を回避するかを心がけてきた。クライミングは危険だが、クライミング技術とロープを使用することで危険性を回避する。それに対し、無雪期の大山縦走は、ロープを使っても確実な安全確保ができず、運まかせの危険な登山になり、魅力がない。積雪期は、アイゼン、ピッケル、滑落停止、ロープなどによる安全確保が可能なので、それを使うことで登山を楽しめる。
 登山では、自分の知識、技術、能力を使う過程が面白いのだ。

 この日は、天気が下り坂で稜線は風が強かったので、天狗峰から引き返した。冬に何度も登った剣が峰に、今さら悪天候の中をあえて登りたいとは思わなかった。事故のあった槍が峰までのルートを調べるのが今回の登山の目的だった。
 ついこの前まで冬の大山通いをしていた記憶があるが、その記憶は20年くらい前に停止したままだ。時の経つのは早い。その間に大山はかなり崩壊し、私も歳をとった。

 稜線。天狗峰、剣が峰

 数年前に66歳で冬の北アルプス・横尾尾根で遭難死した名越実氏は、20代の頃も66歳でも同じような登山を続けていた。8000メートル峰に登ったことがある山下きよし氏も九州の山で65歳で遭難死した。40年の間に確実に体力が落ちており、60代で20代と同じことをすれば無理が生じる。しかし、人間の意識と意欲は変化しないことが可能なので、そのギャップが遭難をもたらしやすい。60代で遭難死した登山家は多い。高見和成氏は51歳で大山で遭難しした。亡くなった山仲間があの世から見守っている。気をつけねば・・・・・と自戒する。 
 稜線から三の沢への下降点まで戻ると、私は、「安全圏にたどり着いた」と思い、休憩し、行動食を食べた。下降点の下は急な斜面だが、稜線に較べると危険性のレベルが違う。 三の沢は風がなく、下るだけなので、悪天候でも急斜面をミスさえしなければ、「安全」なのだ。ミスをすれば、それほど危険ではない箇所でも事故が起きる。
 稜線で悪天候につかまると、高齢者は強風のために低体温症で動けなくなることがもっとも恐い。高齢者は簡単に低体温症になる。67歳の私は強風下の稜線でずっと寒かった。
 自分の技術や能力でコントロールできるリスクは「安全」だが、雨、風、年齢、体質などがもたらすリスクは自分ではコントロールできないので、「危険」だ。
 もし稜線で動けなくなれば、どうやって一晩過ごすか。ツェルトは持っているが、今夜は稜線は大荒れだ。ヘリは飛べず、動けない人間をここから搬出するのは大変だ。落ちれば早いが、以前、冬に南壁に落ちて助かった人がいる。当時、山岳会の仲間と、「落ちるのであれば、北壁側ではなく南壁側にしろ」などと冗談を言ったものだ。それは冬の話だ。
 こんなとりとめもない物想いにふけりながら、下山した。山歩きは、亡くなった友人たちへの鎮魂の場でもある。

 午前中のうちに下山した。
 午後から雨が降り出した。

   


 登山口の表示がない。これはできるだけ登山者に登らせないためかもしれないが、ネットの登山地図などに登山ルートとして記載されているので、登山口をわかりにくくしても意味がない。
 現在は、ネットに登山情報があふれているので、経験の少ない登山者が自己流で登る点が問題だ。
 登山口に「このコースは標識がなく、迷いやすく、滑落の危険あり。過去に死亡遭難事故が起きている。熟練者以外は登るな」などの表示をすべきだろう。

 

2022年9月30日
2022年8月の大峰山系遭難のテレビ放送
 8月上旬に大峰、弥山付近で登山者2名が道迷いし、救出された遭難について、9月29日にNHで放送された。
 下記のアドレス、見ることができる。
 私へのインタビューも放送された。

 「相次ぐ山岳遭難「道標」で道を間違えるケースも」、NHK WEB NEWS
  https://www3.nhk.or.jp/lnews/nara/20220929/2050011828.html
 
 NHKから電話での取材があり、その後、オンラインでインタビューを映像を撮った。
 記者が、「〇〇の点について述べてください」と言い、私がそれ関して5分くらい述べる。それを繰り返したが、「おいおい、講演の録画かよ」と思った。
 記者が、「今のは音声がうまく録音できなかったので、もう一度やってください」などと言い、何度も映像の撮り直しをさせられた。
 私は文句ひとつ言うことなく、注文に応じた。
 計2時間くらい拘束されが、結果的に、私の「講義」内容は番組の趣旨に合わなかったようで、録画のほとんどがカットされた。
 マスコミのわがままな注文に振り回されることはよくあることだ。以前、深夜1時頃、寝ている時に記者から取材の電話がかかってきたことがあった。 
 ボランティア活動ではよくあることだ。ここでいうボランティア活動とは、登山道の問題性を世論に訴え、改善していく活動である。テレビ局は番組を放映したら「オワリ」だが、活動はそうではない。

 私がNHKの記者に述べたのは、以下の点である。
・分岐点の標識は適切なものではなかった適切なものに変える必要がある。
・登山者は、標識だけに頼るのではなく、地図、コンパス、GPSなどでルートを判断する必要がある。
・日本の登山道は管理者が不在、あいまいな場合が多い。登山道の管理者がいなければ、標識も管理されない。
・登山者は、管理されていない標識が多いことを知っておく必要がある。
・登山道の管理者を決める必要がある。

 この遭難は不適切な標識が直接の原因ではない。遭難の原因は、地図とコンパスで確認をしなかったこと、引き返さなかったことにある。
 分岐点で勘違いをしても、しばらく進んでコンパスで方角を確かめれば、間違っていることに気づくはずだ。さらに、そのコースでも間違えて、コースを外れて沢に下りている。また、遭難者は作業小屋を見つけ、そこで何日か過ごした。テレビ映像に映っていた作業小屋の周囲はよく手入れされた植林地だった。これを見れば、植林地を下れば人里に出ることができることが容易にわかる。一般に植林地の中は藪がなく歩きやすく、必ず作業用のふみ跡がある。実際に、作業小屋から林道まではそれほど距離はなかった。
 作業小屋から救助を求めて北に向かったことも理解しがたい。なぜ植林地を下らず、北側の尾根を登ったのか。北側の尾根に登り、たまたま携帯電話がつながったのは運がよかった。もし携帯電話がつながらなければ、救助されなかっただろう。
 この番組は、不適切な標識ー間違ったコースー不明瞭な箇所ありー道迷いという流れであり、標識と遭難と結びつけたがっていた。私の述べた内容は、番組制作者の意に沿わなかったので、私へのインタビューのほとんどをカットしたのだろう。

 日本では、登山道の管理者が不在、あいまいであり、標識が管理されないことが多い。登山道の管理者が不在であれば、適切な標識が設置される保証がない。登山者は、標識に頼るのではなく、地図とコンパスで確認することが必要だ。
 登山道の管理者を明確にすること、自治体は山岳団体に委託して標識を設置することが必要だ。まちがっても登山に不慣れな一般の業者に登山道の整備を委託してはいけない。
 
           
2022年5月28~29日
JMSCA上級夏山リーダー講習会
神戸市  神戸セミナーハウス周辺

          講義 


          ナビ講習

         
2022年5月25日
「ボランティア活動の「責任」出版
共栄書房
1870円

内容はアウトドア活動に関する責任が中心である。
これは、これまでボランティア活動で裁判になったケースのほとんどが、アウトドア活動中の事故に関するものだからだ。
意外なことだが、福祉、介護関係のボランティア活動で裁判になったケースはほとんどない。これらの分野でも、事故がないということではないだろうが、重大な事故が少なく、紛争になりにくいのだろう
これに対し、自然の中では、重大な事故が起きやすく、紛争になりやすいのだろう。
ボランティア活動で裁判になったケースは、キャンプ、ハイキング、川や海での水遊び、登山中の事故がほとんどだ。
この本もアウトドア活動に関する本になっている。


目次
第一章 ボランティア活動には責任が伴う
第二章 ボランティア活動とは何か
第三章 ボランティア活動の法的責任
第四章 ボランティア活動と法的リスクの実例
第五章 ボランティア活動のリスクマネジメント
第六章 ボランティア活動が社会を発展させる

            
 


2022年5月18日
事務所移転
 前事務所建物が改築計画があるため、下記の場所に法律事務所を移転しました。
     安芸高田市吉田町多治比3239番地26
     みぞて法律事務所

 電話番号、FAX番号に変更はありません。

           
2022年4月1日
「新・高みヘのステップ」、(1、2、3部)発行
   日本スポーツ振興センター発行

  私も一部執筆した。
   4部と5部は来年度発行予定
   「高みへのステップ」の改訂だが、中身はまったく別の本である。
   発行部数は3000部、500部が市販ということだが、市販分はすぐに売り切れるのではないか。
   
 旧版は、文科省の登山研修所が発行したということで、長い間、裁判などでしばしば引用された。登山関係の本は多いが、国が発行した登山のテキストは本はこの本だけであり、裁判所は、国が発行した本を重視する。
 役所が発行する本は、特別な意味が与えられるのが現実だ。
 しかし、旧版は内容が古く、今では適切とはいえない内容もあった。

 新版は、内容を一新した。
 同じ登山研修所の発行だが、現在は登山研修所は独立行政法人の機関になっている。それでも文科省の外郭団体なので、以前と同様の権威を持ち、今後、山岳事故の裁判などで引用されることになるだろう。


           
2022年3月
「山岳地帯へのアクセスの制限の問題」
  日本山岳文化学会論集19号掲載

                  
2022年2月12日
日本のリーダーと欧米のleaderの違い
 JMSCAの夏山上級リーダーの資格に関して、欧米のleaderとの違いが問題になった。
   JMSCAの「夏山リーダー」資格・・・・・・・・ロープ技術は不要
   JMSCAの「夏山上級リーダー」資格・・・・ロープ技術必要
   UIAAの夏山リーダー資格・・・・・・・・・・・・ロープ技術必要
 の3つの資格の関係が問題になる。

 UIAAの夏山leader資格では、leaderが法的責任を負うことが想定されている。そのような責任を負う者がleaderである。
 しかし、日本では、山岳会やハイキングクラブのリーダーは原則として法的責任を負わない。日本の山岳会やハイキングクラブのリーダーは仲間間のとりまとめ役に過ぎず、他のメンバーに対して法的に特別な立場にはないので、法的な安全確保義務を負わない。
 欧米では、登山(mountain climbing)は、対等の立場に立つ個人と個人の結びつきによって遂行される。そのため、1人が他の仲間をひっぱる(leadする)関係がないことが多い。つまり、leaderがいないことが多い。この場合の登山は個人的な関係で成り立つ。しかし、登山(mountain climbing)ではなく、wallking やhikingでは、leaderが必要とされる場合がある。日本の登山の多くがwallking やhikingに相当する。mountain climbingはクライミングや登攀である。
 他方、日本では、登山は、個人と個人の結び付きではなく、団体、組織が主体となって行われる。登山パーティーという組織が登山を遂行すると言う発想があり、集団行動なのだ。集団行動なので、リーダーが必要とされる。その場合のリーダーは、参加者を引っ張る人もいれば、とりまとめ役もいる。さまざまなリーダー形態があり、形だけのリーダーも多い。これは、、欧米でいうleaderではない。
 日本の集団行動中心の文化が、日本特有のリーダー像を作った。それが登山にも反映している。
 欧米では、leadするかしないかのどちらかしかない。これはわかりやすい。
 しかし、日本のリーダーは雑多な関係を含み、leadする場合もあれば、そうではない場合もある。日本ではあいまいなことは多い。ものごとをあえてあいまいにした方が都合がよいと考える人が多いが、それが多くの紛争をもたらす。
 欧米では、leaderは特別な地位と権限を持つが、日本人が考えるリーダーは欧米で考えられるleaderよりも範囲が広く、形式的であることが多い。欧米人から見ると、日本の企業や政治のリーダーがleaderとみなされないことがあるのは、そのためだろう。
 したがって、日本語のリーダーをそのままleaderに翻訳すると混乱や誤解が生じる。UIAAの担当者が日本に来て、JMSCAの夏山上級リーダーの資格付与講習をUIAAの資格講習として認定するかどうかの審査の際にこれが問題になる。
 JMSCAの「夏山上級リーダー」をUIAAの夏山リーダー資格とし、JMSCAの「夏山リーダー」は、UIAAの夏山リーダー資格のベースとなる資格という位置づけをすることになる。
 同様の問題は、日本語の登山、クライミングと、欧米のmountain climbingの間でも生じる。

           
2022年2月10日
那須雪崩事故・・・・刑事事件の起訴
2017年の那須雪崩事故について3人の教師が起訴された。
この件で、マスコミから、7,8回、取材の電話やメールがあった。

調停で話し合いがまとまらなかったことで、検察庁が起訴したと思われる。
今後、被告人が、起訴事実を認めるかどうかで手続が変わる。起訴事実を争えば、判決までに2,3年かかるのではないか。
これまで、山岳事故に関して有罪になる場合でも、すべて執行猶予付きの禁錮刑になっている。
しかし、この事故は、8人が亡くなったこと、学校の部活動での事故であることから、仮に有罪になった場合に、執行猶予がつくかどうかわからない。

教師が起訴されたことで、今後、部活動の顧問をする教師がいっそう減るだろう。実態は無給なのに、重い責任を負わされるのであれば、顧問になる教師がいなくなるだろう。
最近は、外部指導者に委託する自治体が増えているが、①外部指導者に払う報酬の問題、②外部指導者に委託しても顧問教師の負担が減らないなどの問題がある。

この事故の背景として、登山経験の豊富な教師が、山岳連盟などで行うような感覚で講習会を実施したことに問題がある。
山岳連盟などでは、講習会は講師の裁量と判断にまかせて実施し、講習会の責任者が細部まで安全管理を指示することはしていない。
講師は自分の経験的な感覚に基づいて判断することが多い。それを間違えると事故になる。

学校の部活動としての講習では、基本的なことだけを行い、それを超えることは、学校を離れて山岳会などで行う必要がある。
山岳会での活動は高校生の場合でも自己責任である。生徒の安全管理をするのは親などの保護者である。


           
2022年2月3日
那須雪崩事故の民事裁判
2017年の那須雪崩事故について、遺族が県と教師を相手とする損害賠償請求訴訟を起こした。
県は責任を認めていたが、教師個人が損害賠償責任を負うかどうかをめぐって対立した結果、訴訟に至ったようだ。
国家賠償法では、公務員に過失がある場合に、原則として公務員個人は損害賠償責任を負わず、代わりに役所が損害賠償責任を負うことになっている。
したがって、この種の事故でh、通常は、教師が損害賠償責任を負う扱いにはならない。
裁判でも、いずれは、それを前提にした和解を裁判所が勧告するのではないかと思われる。
刑事責任については、民事裁判の成り行きを待って検察庁が処分を判断すると思われる。

この事故は学校の部活動に関するものであり、民間人の営利的な講習会、ボランティアで実施される講習会とは異なる。
しかし、これらの講習会で同種事故が起きれば、同様に講師の過失が認められる。
また、教師の刑事責任に関する扱いは、民間人の活動にも影響する。
欧米では山岳事故が刑事責任の対象になることはほとんどないが、日本では、それは珍しくない、という違いがある。
日本は、ミスや過失に対し世論の目が厳しい国であり、それが裁判所の判断に影響する。

           
2022年1月25日
学校部活動の外部指導者制度
 学校の部活動の指導を外部指導者に委託する方向になっているが、外部指導者を商業的なガイドに委託すると日当の問題が生じる。外部指導者がボランティアであれタダですむが、タダで引き受けるボランティアはほとんどいない。そこで若干の手当を支給するが、商業的なガイドはそれでは仕事にならないと感じるだろう。ボランティア的な指導者は安い日当でも引き受けるが、指導者の質が問題になる。JMSCAの夏山上級リーダー資格は、この外部指導者をすることができる資格として想定している。
 他に、山岳連盟の山岳インストラクタの資格、ガイド協会の登山ガイドの資格などがあり、これらの資格が学校の外部指導者になるために必要な資格とされるだろう。
 その場合に、外部指導者の種類により、日当の金額に差をもうけるのかどうかが問題になる

 さらに、外部指導者制度の法的責任の問題がある。
 部活動を外部指導者に委託しても、部活動を学校の管理下に置くので、顧問教師、学校の責任に変わりはない。
 国賠法により、自治体が責任を負い、顧問教師、外部指導者は原則として責任を負わない。外部指導者は学校の履行補助者である。
 国立の学校では、独立行政法人が責任を負う
 私立学校では、外部指導者、顧問教師、学校法人が連帯して責任を負う。私立学校では、外部指導者、顧問教師は賠償責任保険に加入する必要がある(個人賠償責任保険は適用なし)
 
 部活動を学校の管理下に置くので、顧問教師は外部指導者にすべてまかせることができず、「顧問教師の負担が減らない」、「外部指導者に委託すれば、かえって手間が増える」という笑い話のような状況があるようだ。
 高校の登山部の宿泊を伴う活動では、顧問教師が外部指導者と一緒に山について行くそうだ。これは、「何かあったときに、自分に責任が生じる」という不安からだろう。これでは、外部指導者に委託しても顧問教師の負担は減らない。
 外部指導者に任せた場合に事故が起きると、「学校は何をしていたのか」という世論の非難が生じる。それで、外部指導者に任せた場合でも顧問教師は以前と同じように管理をせざるをえないようだ。
 ヨーロッパのように、スポーツを学校外のクラブの管理下に移すのは無理だろう。日本は学校と会社で社会が動いているからだ。学校文化と会社文化が生徒と会社員を24時間支配し、これが死ぬまで支配することがある。90歳近くになっても「元院長」。

 日本では、役所が「丸投げ」することは「無責任」だとして世論から非難される。しかし、これが過剰な管理社会、効率の悪さにつながっている。日本が先進国の中で突出して生産性が悪い理由はそこにある。
 外部指導者が適切な資格保有者であれば、学校は部活動を外部指導者に「丸投げ」してよい。そうしなければ外部指導者制度の意味がない。もし、事故が起きれば責任は自治体が負う。
 素人の顧問教師が部活動を管理しても、管理は無駄であり、ほとんど気休めでしかない。素人の教師は資格のある外部指導者に任せた方がよい。
 日本の社会全体で、責任に対する過剰な不安が無駄な仕事を増やしている。

           
2022年1月22日
毛無山
天気がよかったので広島県の比婆山山系、毛無山(1143m)にスキーで登った。
駐車場で車が雪に埋まりスタックし、以前、岡山県の三国山に行った時に一緒だった「髭じじー」さんに偶然出会い、車を押してもらったが、ビクともしない。
その後、付近にいた人達に手伝ってもらって無事、脱出した。
ありがとうございました。
最近、けっこう雪が降ったので、トレースはなかった。地図でルートを考えながら登るのが面白いのだ。

以前に行った三国山でのスキー登山を思い出すと、必ず大前氏を思い出す。大前氏は髭を伸ばしており、三国山では、しきりに自分の髭を「髭じじー」の髭と較べていた。
大前氏はこの登山の後、間もなくして亡くなった(享年67歳)。
それ以降、多くの友人が亡くなった。
広島山岳会の名越氏(享年65歳)、角崎氏(享年67歳)、田中氏(享年50歳)、亀井氏(享年73歳)。
福岡労山の山下氏も65歳で亡くなった。山下氏は私の広島労山時代の友人だった。
山岳ガイド協会の理事長だった磯野氏も65歳で亡くなった。磯野氏とは、登山研修所の会議や講習会でお世話になった。
それよりも前のことだが、前広島県山岳連盟理事長の上中氏も65歳でチベットで亡くなった。上中氏は私の広島県庁山の会時代の友人だった。
このうち登山中に亡くなった人は4人だ。それ以外はすべて癌だ。
こうしてみると65歳~67歳で亡くなった人が多い。私は、今年、67歳になる。
年月の経つのは早い。

                     


2022年1月1日
氷ノ山での遭難
昨年年末に起きた氷ノ山でのキャンパーの遭難は、山岳事故と言えるのかどうか。
警察庁の事故統計では、おそらく山岳事故に分類されないのではないか。
警察庁の山岳事故統計では、キャンプという項目がない。
氷ノ山で遭難したグループは登山をしていないし、登山目的でもないので、山岳事故ではない。

1980年に富士山で落石により登山者12人が死亡した事故は、統計上、山岳事故ではなく自然災害に分類されている。
2014年の御嶽山の噴火により登山者58人が死亡した事故も、山岳事故ではなく自然災害に分類されている。
これらは明らかな山岳事故だが、自然災害であれば国の見舞金制度の対象になるのでそのように扱われた。山岳事故にはその制度が適用されない。
山岳事故になるかどうかが政治的観点から決定されるのはおかしいが、現実にそのような運用がなされている。
しかし、山岳事故の防止という観点からは、これらの事故も山岳事故に含めて考える必要がある。

今回の氷ノ山の遭難は登山とはまっく関係がない。
これは、キャンプというアウトドア活動の事故防止の問題である。
原野でキャンプ中に大雪が降ったらどうするかという問題だ。

キャンパーは車の傍を離れず、そこでテントを張って救助を待つべきだった。雪の中をラッセルできる装備も体力もなかったはずだ。
キャンパーなので、テントシュラフ、コンロ、食料などを持っていたはずだ。
携帯電話は、林道の一部でつながる場所がある。
ビバーク地で焚き火をして、煙を上げればへりで発見できる。
そうすれば全員無事に救助されたはずだ。
しかし、車を置いて下山中に一人が動けなくなったのだろう。