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 2023年
                         溝手康史






2023年12月27日
大山での下山遅れ
伯耆大山で、3人が遭難したという報道があるが、救助隊が出動しても、自力下山し、救助されていないので、遭難ではなく、「下山の遅れ」である。パーティーの行動をコントロールできていれば、遭難ではない。冬山では下山遅れはよくあることだが、2日の下山遅れは、「若干時間がかかり過ぎた」と言えようか。

「提出していた登山届によると、3人は24日に出発し、夏山登山道~弥山~剣ヶ峰~三鈷峰~宝珠尾根を縦走し、24日のうちに大神山神社に帰ってくる行程でしたが、24日には帰らず、翌25日午前8時ごろ、家族と連絡を取ったのを最後に連絡が途絶えたということです。」と報道されたが、三鈷峰は縦走コースではない。三鈷峰にも登る計画だったのか? 縦走では、通常、三鈷峰まで行く時間的余裕はない。報道のミスか?
吹雪のために天狗峰付近でルートに迷ったようだが、この付近は地形が複雑なので、GPSを使ってもルートに迷う可能性がある。GPSの数メートルの誤差でも別のリッジに入り込む恐れがある。無理に下降すれば、東壁、北壁、南壁に転落する危険がある。
雪の量が少ないので稜線で雪洞を掘るのは無理であり、ツェルトビバークをしたのだろう。
2晩のビバークはパーティーにかなりの体力があったことを示している。ある程度の経験のあるパーティーだったので的確な判断ができたようだ。

なお、無雪期の大山縦走は禁止だが、これはおそらく法的拘束力のない行政指導だ。積雪期は縦走禁止ではない。ネットに勘違いの書き込みが多い。



2023年12月26日
安芸高田市長の名誉棄損訴訟判決

裁判で市長が損害賠償を命じられたが、損害賠償請求の可否は事実次第であり、それほど重要なことではない。
市長と市議の喧嘩は、マスコミ受けしやすい。ネットでは市長を支援する声が多いが、そのほとんどは市外の野次馬だ。市外の者には市長と議会にの対立はおもしろいかもしれないが、市民は冷めた目で見ている。
明石市の泉元市長は、議会と対立しても市民本位の市政に市民の絶大な支持があっが、安芸高田市はそうではない。市長を支持する市民がいないこともないが、多くはない。
市長は、市民ではなく、議員と市外のネット民しか眼中にないようだ。市民との対話や市民への発信がない。市長がいくらネット配信をしても、安芸高田市には普段ネットを見ない高齢者が多く、市民は、「自分らは蚊帳の外」だと感じるのではないか。
市長の実績が見えない。「議会が「が反対したから何もできなかった」としても、政治は、結果がすべてだ。



2023年12月25日
ウクライナでの戦争
の行方
この戦争は10年続くだろう。膠着状態が続くが、ロシアの占領地で、ウクライナ人の抵抗、レジスタンスが続けば、人心を支配できず、ロシアの統治は難しい。このレジスタンスは非暴力で可能だ。10年後、ロシアは占領地から撤退することになるだろう。
ソ連やアメリカがアフガンに傀儡国家を樹立しても維持できなかったのは、アフガニスタン人の人心を支配できなかったからだ。人心を支配できなければ、武力で押さえつけるには莫大な軍事費がかかり、兵士の精神疾患も増え続ける。ベトナムから帰還したアメリカ兵の自殺者数は10万人だと言われている。
ベトナムでも、アメリカは南ベトナムを占領したが、ベトナム人のレジスタンスのために結局は撤退した。
イギリスがインドを放棄したのも、インド人が非暴力で抵抗したからだ。
北朝鮮、中国、香港、ロシアなどでは、権力者を支持する国民がかなりいることが、体制を支えている。香港では日本のメディアは反対運動を好んで取り上げるが、メディアが取り上げないところで、政権を支持する香港人がいる。政権を支持するのは、その方が得だからだ。
戦前の日本でも、戦争を支持する日本人が多かった。全国民が反対すれば、戦争はできない。

ベトナム戦争は、ベトナム人によるアメリカ占領地域(南ベトナム)でのレジスタンスだったが、ウクライナの反転攻勢は欧米の援助頼みの戦争であり、これは長続きしない。ロシア占領地域でのウクライナ人による長期間のレジスタンスが必要だろう。

全国民が徴兵を拒否すれば戦争はできない。「そんなことできるはずがない」と言う人が多いが、まさにそこが問題なのだ。ロシア、中国、北朝鮮では支配者に「仕方なく協力する」ことが戦争を支えている。これも「支持」の一形態だ。日本でも、「仕方なく政権を支持する」人がいることが、政権を支えている。
すべての国民が非協力であれば、政権は持たない。全ウクライナ人が抵抗すれば、数十年単位で考えれば、ロシアの支配はいずれ失敗する。
日本が戦争と軍隊を持たないことは、レジスタンスによって平和を維持することを意味する。


2023年12月21日
大学無償化への疑問
専門学校を無償化しないことは不公平だ。
これは大学進学へのススメか。
大学は学費を税金からもらうので、大学はもうかる。大学と政治家の癒着か。
日本のように大学が濫立する国では、大卒の肩書にそれほど価値がない。日本の大学はヨーロッパの高校生よりも学力が劣る。大学は遊びの場所になっている。日本の大学には展望がない。それなのに税金を投入するのか。
日本の学生は遊んでいる。高卒で真面目に働くのがバカらしくなる。
無償化の資金は国の借金でまかなうことになる。
大学無償化よりも、奨学金の貸与、母子家庭などへの支援、社会保障を充実させるべきだ。



2023年12月17日
都道府県は不要

都道府県は国が市町村を統治するための中間管理組織である。
日本には、形骸化した地方自治制度があるが、実態としては地方自治がない中央集権体制に近い。
国が地方に関することをすべて管理する耐性は無駄が多い。管理する側には,その無駄が役立つが、日本の生産性を悪くするだけで、国民にはメリットがない。
東京都は、23区を東京市とし、市町村の自治を認めれば足りる。大阪府を廃止し、大阪市にすればよい。地理の名称として都道府県はあってもよいが、都道府県の役所は必要ない。都道府県庁を維持するために莫大な税金がかかっている。指導要領や教科書検定で国が地方を管理するから、無駄な税金がかかる。国が通達で市町村を管理するから、中間に都道府県が必要になる。

日本で賃金が上がらないのは、効率と生産性の悪さがひとつの原因である。欧米には、日本のような市町村の区別はない。日本の市町村は、欧米では、cityやコミューンなどと呼ばれる。以前、イタリアのの人口2000人の自治体を日本のメディアが、〇〇市、〇〇村などと翻訳していたが、翻訳しようがない。「〇〇自治体」と呼ぶのが正確だ。
日本では国が市町村、都道府県に区分して序列をつける。これは管理の手法である。



2023年12月7日
白神山地の核心部への入山制限

2023年中の白神山地の核心部への入山者数は、28人だそうだ。白神山地は核心部への入山は原則禁止である。日本の環境政策は放任が多い。尾瀬、北アルプス、富士山などは放任。白神山地は、例外的に原則禁止である。
世界では、入山者数の制限をするのがスタンダードである。アメリカの富士山こと、Mt.ホイットニーは1日100人程度、ニュージーランドのミルフォードトラックは1日60人程度である。スイスのマッターホルンのノーマルルートは、予約制のヘルンリ小屋の定員しか登ることができない。アメリカのバックカントリーでは、年間パスを発行し、人数規制をしている。カナダのアニュイトゥック国立公園では、入山料100ドルを課して入山者数を制限している。
世界では、入山者数は、環境保護と利用のバランスを考えて決定する。
日本の環境政策の放任は、経済を優先するからである。富士山で入山料を1万円にすれば、入山者数が激減し、山小屋がもうからなくなる。山小屋は地元選出の議員や与党議員と結びつき、大きな政治力を持っている。
白神山地は世界遺産にするために核心部を原則禁止にした。自由放任では、世界遺産登録ができなかった。白神山地の核心部は、それほど経済的利益を生むエリアではなかったので(営業小屋もない)、簡単に入山禁止にした。
白神山地
で入山者数の規制
をすればよいが、それは経済的利益を損なうので、白神山地の大半を自由放任にした。核心部を禁止ではなく人数制限をすればよいが、それをしないのは、役所にとって面倒だからだろう。核心部への入山許可は地元民をガイドとしつけることを義務づけるなど、地元への経済的配慮も忘れない。政治家が地元の利権と癒着すると、こうなる
環境保護は、自然の回復可能性を維持することをめざす
ので、自然の回復可能性を維持できる範囲で利用を認めればよいが、日本ではそうではない。日本では、自然の回復可能性に関係なく、環境保護は役所の都合が優先される。役所にとって禁止は簡単なのだ。
日本では、社会のあらゆる場面で、管理する側、つまり、役所の都合で制度が作られる。司法制度でも同じである。発展途上国は、みな、そうだが、日本でも、江戸時代以降、「お上」優先の仕組みが続いている。



2023年12月5日
日大アメフット部の廃部問題で大学に欠けているもの
大学のクラブは学生の自立的な活動である。しかし、日大にはその視点はない。日大は大学がクラブを取り仕切るつもりのようだ。
大麻使用は、学生個人の問題である。高校と違ってそれに関して大学の法的な管理責任はない。大学生は子供ではないので、学生の私生活の世話を大学ががするわけではない。大学の管理責任の範囲はかなり限定されている。
これが高校との違いである。高校では、高校が生徒の私生活まで校則で管理する。

しかし、大麻使用発覚後は大学が適切に処理すべき法的責任がある。日大はこの責任を果たさず、むしろ事件のもみ消しを図った点で重大な違法がある。

大学のクラブは学生の自立的な活動なので、廃部するかどうかは学生が決める問題である。大学ができるのは、クラブの公認(資金提供)の取り消しである。クラブの公認の取り消し
後のクラブは、
公認しないクラブとして活動する。イメージとしては解散命令により法人格を失った統一教会のようなものであり、活動ができないわけではない。




2023年12月3日
戦争の時代

ハマスとイスラエルの戦争は10年続くとの予測がある。
ハマスが壊滅したように見えても、第2,第3のハマスが現れるだろう。ガザの被災者が増えれば、ハマス予備軍も増える。
ヨルダン川西岸も同じだ。
イスラエルを作ったのは国連、欧米諸国だが、国連には中東を統治する力がない。
強固な大帝国が中東全域を支配するか、国家連合が中東を統治しなければ、戦争は続く。
イラク、アフガニスタン、ユーゴスラビアでは、強力な国家が崩壊すると、民族間の戦争が起きた。

ウクライナでの戦争もプーチンが死ぬか、ロシアの政治体制が崩壊するまで10年続くだろう。
私は、ロシアの侵攻当初、ウクライナは当面ロシアの支配を認めたうえで、不服従のガンジー主義で抵抗する戦略の方がよいと考えていた。それがウクライナの損害を最小限にする方法だった。

フィンランドが長年独立を保ったのは、ソ連、ロシアと妥協する微妙なバランス外交の成果だった。第二次世界大戦中、デンマークはドイツに簡単に占領されたが、デンマークは不服従のガンジー主義で抵抗し、ドイツは思い通りの支配ができなかった。スウェーデンはドイツに協力することで戦争被害を免れ、それが戦後の福祉国家の繁栄をもたらした。ズルイと言えばズルイが、国際政治は、正攻法の正論がよいとは限らない。

日本が、本土決戦の前に降伏すればどうなっていたか。原爆投下はなく、東京大空襲も沖縄戦もなかった。多くの人が死ななくてすんだ。戦後日本の発展はかなり違っていただろう。賢明な政治家は早期敗北を受け入れただろう。

第二次世界大戦後、多くの国民国家が生まれた。国民国家は対立しやすい。国内の民主主義は国家間の戦争を防ぐことができない。大衆に迎合する政治は戦争を志向する。ポピュリズムが世界を席巻している。
ホッブズは、人間同士の対立する性質を指摘したが、国民国家、民族国家も対立しやすい。政治が大衆に迎合すれば国家間の戦争になりやすい。
絶対王政の時代には、戦争は国王同士の闘いであり、国王間の取引で戦争が終結した。しかし、国民国家では国民同士の闘いになる。古い時代には、民族間の闘いでは、負けた民族は殲滅されるか奴隷にされた。民族大虐殺である。イスラエル人は、パレスチナ人を殲滅するつもりかもしれない。古代国家間の戦争を髣髴させる。

戦前の日本は、軍国政策を大衆が支持し、戦争に突入した。戦後も、日本は、大衆に迎合する政治の結果、莫大な借金を作った。大衆に逆らえない政治家は国を滅ぼす。

長い間、東西の冷戦構造が世界戦争を防いでいたが、それが崩壊し、戦争の時代になった。
残念なことだが、世界中での戦争・・・・・国連の崩壊・・・・新たな国家連合の創設・・・・・世界平和の実現という流れになるのではないか。それは、100年後、200年後の話だ。



2023年12月2日
教師不足、保護司不足、民生委員不足、介護士不足、医師不足、保育士不足、運転手不足、裁判官不足、猟師不足・・・・・
これらはすべて根は同じ問題である。
教師は、その待遇
に魅力があれば、志望者が増える。現状は魅力がない。多忙、無駄な作業、世論からの非難、ストレスなど。会議と報告書作成、保護者対策、部活動指導に追われ、本来の教師の仕事外のことに追われる教師は魅力がない。これは政治の問題だ。
保護司や民生委員も、魅力がないので、志願者が少ない。
介護士や保育士は給料が安いので、敬遠される。
バス、タクシー運転士は、給料が安く長時間労働が嫌われる。同じ長時間労働であれば、トラック運転手の方が給料がよい。
医師は、都会の開業医は多いが、勤務医は収入はよいが、長時間労働が敬遠されて、不足する。
医師数を増やしても、都会の開業医に医師が集中する。儲かるからだ。医師数を増やしても、過疎地では採算がとれないので、開業医がいない。田舎の診療所では役所が払う医師の給料はよいが、忙しい。
裁判官は収入はよいが、長時間労働でストレスが多いので、裁判官よりも大規模法律事務所に人気が集まる。

熊、猪、鹿などを捕獲する漁師猟師が不足しているが、猟師が儲かる職種になれば、猟師志願者が殺到するだろう。猟師への委託金を増やせばよい。現在は、猟師はボランティア的な活動である。
山岳救助隊は、現在は、警察、消防とボランティアの民間人が担っているが、報酬が多ければ、民間人の志願者人が殺到するだろう。

採算が採れない地域では
開業医、病院、法律事務所、司法書士、タクシー、鉄道、バス、コンビニ、スーパー、学校、塾、銭湯、民間の冠婚葬祭所、鉄道がない。もうからないからではなく、採算がとれないからだ。
裁判官は収入はよいが、長時間労働でストレスが多いので、裁判官よりも大規模法律事務所に法曹の人気が集まる。
採算のとれない分野、エリアに人が来ないのは、自由競争の結果だ。
そのような分野では税金を投入することが必要だが、日本ではそれをしない。別の分野に無駄な税金が使われている。

教師不足、保護司不足、民生委員不足、介護士不足、医師不足、保育士不足、運転手不足、裁判官不足・・・・・これは政治が決定する問題である。




2023年12月1日
熊、鹿、猪、キョン被害
これらはすべて根は同じ問題である。
野生生物のの管理の問題だ。
野生生物の管理が軽視されている。金をかけなければ、これはできない。日本では、
野生生物の管理に取り組む人が少なく、ボランティア的な活動が中心だ。狩猟従事者は、収入が少ないので増えない。狩猟の報奨金額が増えれば、狩猟従事者は増えるが、猟銃が普及すれば、それを悪用する犯罪が増える恐れがある。

他方、鹿、猪対策の農家への補助金額は多いので、田舎では田畑全体、山全体を柵で覆っている。何キロにも渡って頑丈な柵が設置されるが、倒木などで簡単に破壊され、税金の無駄遣いが多い。


熊、鹿、猪、キョン被害
の対策は、金さえかければ可能だが、国はそれをしない。それよりも田舎に無駄な農道を作り、圃場整備をすることに税金が使われてきた。 熊、鹿、猪、キョン対策をする研究者や業者は、与党の支持基盤ではない

金で動く政治に問題がある。
熊、鹿、猪、キョン被害の対策はもうからない。


2023年11月30日
日大アメフット部の廃部問題
・・・・大学のクラブは誰のものか?

大学のクラブを廃部する権限は大学にはない。
大学のクラブは学生の自立的な活動であり、大学には、大学のクラブを廃部する権限はない。
大学のクラブは学生が作り、その運営は学生が行う。本来、学生が主体の活動だ。大学がそれを公認して、金を出すことが多いが、そうではないクラブもある。
大学は、クラブの公認を取り消し、金を出さないことは可能だが、クラブの活動を停止する(または廃部)かどうかはクラブが決めることだ。
大学のクラブの廃部には、クラブの部員総会決議などが必要だろう。

高校の部活動の廃部や、企業の実業団クラブとは違う。
仮に、大学のクラブに高校の部活動のような性格があれば、大学に重い管理責任が生じる。一般に、裁判所は、大学のクラブが学生の自立的な活動だという性格から、大学の管理責任を小さいものとみなしている。

もともと、大学のクラブは学生の主体滴な活動だったが、日本ではそれを大学が大学の活動に取り込み、大学の広告塔として利用するようになった。クラブの監督、コーチを大学が職員として雇用する大学すらある。これでは、大学のクラブは大学の組織の一部だと言われかねない。

防衛大学のクラブは、教官が指導し、授業の補習のような性格があり、学生は給料をもらう公務員なので、特別なクラブだ。防衛大学のクラブは、大学の活動の延長のような性格がある。その結果、防衛大学のクラブ活動中の事故について、裁判で、大学に損害賠償責任が認められたケースがある。
しかし、他の大学では、クラブ活動中の事故について大学に損害賠償責任は生じない。大学のクラブは学生の自立的な活動だからである。

大学のクラブの高校部活動化現象がある。
あるいは、大学の高校化、大学生の高校生化と言ってよいかもしれない。
法的には、そして、世界的には、大学は高校生と違い自立した大人だが、日本では、大学生を半人前の高校生と同じ扱いをする風潮がある。法律は、18歳で大人とみなすが、日本の実態はそうではない。
大学のクラブは学生の自主的な組織だというタテマエと実態が異なる。
日本の大学のクラブは、高校の部活動の延長なのか。日本の大学は、高校の延長なのか。日本の大学生の平均的な学力は、ヨーロッパの高校生以下だという実態がある。ヨーロッパの高校では、高校卒業検定合格者は3か国語をマスターしている。のみならず、判断力、思考力の違いが大きい。

大学に学生のクラブ活動を止める権限はない。
スポーツ推薦などで学生を集めた大学が一方的に廃部を決めることは、学生の利益を侵害するので、損害賠償責任が生じるだろう。学生が訴訟を起こせば面白いが、それは、日本では、まず、ない。就職に不利になるから? 18歳になれば、親の同意なしに子供は訴訟を起こすことができる。

大学は、大麻を使用した学生を規則違反などで処分できるが、それ以外の学生を処分できない。
大学がクラブの公認を取り消し、クラブへの資金援助を停止することは可能だが、これは、「公認の廃止」であって、クラブの廃部ではない。大学の資金援助を受けない大学のクラブ、同好会、サークル、絵研究会などは多い。

廃部になっても、学生は自由にアメフット部を作ることができる。
大学のクラブは学生の自主活動であり、大学の許可は不要。学生に憲法上の自由の保障がある。大学はクラブ結成を禁止できない。
ただし、大学がクラブに資金援助するかどうかは別の問題。大学の援助を受けない大学のクラブ、同好会は多い。


大学の体質、レベル
どこで、誰がどのような議論をして廃部を決めたのか。
1,2年後にアメフット部を復活させるという噂がある。廃部は世論の非難をかわすためのテクニックか。
日大は大学のクラブの法的な性格・・・・自主性、自立性を理解していないようだ。日大は、大学が学生の活動を簡単に禁止できると考えているようだ。これは、校則で生徒を縛る高校と同じ発想だ。これでは、主体的で自立した学生が育たない。
日大は、大学の自治や学問の自由なども理解せず、国の言いなりになるような大学かもしれない。そこでは、どんな学生が育つのか。



2023年11月29日
オーバーツーリズムの問題性

単に、過剰なことが問題なのではない。
富士山では、登山者が列をなす方が、県に多額の登山協力金が入る。山小屋や観光会社にとって、過剰な方がもうかる。
日本では、経済滴な観点から、「多ければ多いほどよい」という放任政策がとられ、他方で、混雑するのは困るという世論からの非難をメディアがとりあげる。
 オーバーツーリズムを考える観点が重要だ。
なぜ、過剰がいけないのか。
  
環境保護
 環境を保護すべきエリアでは規制が必要だ。入山規制など。

事故防止 
 富士山では登山者が列をなすようでは、落石事故などが起きやすい。観光客でも登れるように整備すれば事故が起きやすい。事故防止のために規制する必要がある。入山規制など。

利用者の幸福度
 利用者にとって快適であることが、ツア-の価値に含まれる。混雑するツアーは価値が低い。


2023年11月29日
「ルフィ」被疑者の証拠隠滅を図った疑いで弁護士事務所捜索

広島のK弁護士の事務所と自宅を警察が家宅捜索をした。この弁護士はコロナ給付金詐欺事件の被告人であり、裁判中だ。
K弁護士は、東広島市で初めて開業した弁護士である。それまで東広島市は弁護士不在の「弁護士過疎地」だった。当時、K弁護士は過疎地で開業した弁護士として、マスコミで話題になった。現在では東広島市に多くの弁護士がいるが、広島市まで電車で30分なので、広島市内の弁護士に依頼する人が多いのではないか。

証拠隠滅が事実だとすれば、司法に与える影響が大きい。
この種の証拠隠滅は、弁護士は簡単にできるが、弁護士がこれをしないのは、もっぱら弁護士の矜持による。その矜持が最近は低下している。
依頼者のために何でもする弁護士が増えている。
依頼者は無理難題を弁護士に求めるので、それに迎合する弁護士は犯罪スレスレのことをすることになる。
近年、弁護士の横領事件や詐欺事件が多く、弁護士業への管理や規制が強化され、弁護士の仕事が煩雑になる一方だ。
被疑者との接見時の証拠隠滅行為があれば、弁護士の接見の管理、規制がますます強化されるだろう。下手をすれば、接見する弁護士が所持品検査をされかねない。

一般に、規制や管理が強まれば、効率や生産性が悪くなる。規制や管理の強化によって内容が進歩することはない。規制や管理は社会的必要悪のひとつだ。
学問、研究、芸術、文化などの管理・規制を強化しても、優れたものは生まれない。
教師は報告書作成と会議に追われ、これが日本の教育の低下、教師の過重労働、教師の不人気、社会の発展を妨げる。

弁護士は、法律の知識を使った違法行為が簡単にできるので、弁護士の質が重要だ。弁護士の矜持、経験、能力、資質など。
弁護士の管理、規制の強化では、この質を維持できない。
アメリカのように弁護士の競争の激しい社会では、弁護士の質は悲惨なレベルになる。アメリカの弁護士は金のために何でもやる。トランプの弁護団がそのよい例だ。
日本でも弁護士の質が低下
しつつある。


2023年11月27日

登山道管理の問題・・・・新聞記事

先日取材のあった共同通信の配信記事が全国の新聞30紙くらいに掲載された。
私のコメントも載っている。
環境省が全国の国立公園を調査し、国立公園の歩道の約5割が管理者不在だという記事だ。これは、環境省の調査結果を共同通信が情報公開請求をして得た情報に基づいている。この報告書に私の報告も載っている(この調査報告書は、後日、環境省のホームページに掲載される予定である)。
数字だけを聞くと「5割も管理者いるのか」と驚かされる。

しかし、この数字の歩道は登山道だけでなく遊歩道も含んでいる。遊歩道は基本的に管理者が明確なので、遊歩道を含めれば、管理者のいる歩道の割合が高くなる。観光地の歩道はは100パーセント管理がいるだろう。
登山道の管理の問題を検討する場合には、遊歩道を除いて考える必要がある。
また、上記の割合は国立公園の管理計画に記載された歩道が対象であって、管理計画に記載されていない歩道はこの数字に含まないのだろう。
国立公園以外の場所にある山の登山道も、この数字の対象外だ。国立公園以外の低山の登山道のほとんどが管理者不在だ。
感覚的には、全国の登山道の8~9割が管理者不在ではないか。



2023年11月25日
仮契約とは何か
プロ野球で仮契約をしたという報道が多い。仮契約は、契約したのか、しないのか。日本語はあいまいである。内定、内内定なども同じだ。仮契約も契約であり、拘束される。契約内容を細かく詰めていない場合に、仮契約という言葉を使うようだ。しかし、契約をしているのに、契約内容を詰めていなければ、本来、トラブルになりやすいはずだが、日本では紛争は起きない。それは、力関係によって、紛争が処理されるからだ。
一般の庶民でも、法律で処理することを嫌う人が多い。法律ではなく、善人の温情が好まれるが、世に中に善人は少ない。その結果、
力の強い者が勝ち、弱い者は泣き寝入りすることになる。不平、不満を鬱屈させる人が多く、その結果、日本ではうつ病が多い。

日本では、なぜ、このようなあいまいなことが多いのだろうか。それは、あいまいな方が都合がよいからである。都合がよいのは、力の強い者にとって、である。
例えば、家を買う契約をし、契約書を交わすが、売買代金は決めない(仮契約)。その後、売買代金の話し合いをするが(本契約)、金額について合意できない場合に紛争が生じる。しかし、既に家を買う契約(仮契約)をしているので、この点に拘束力が生じる。買主は購入を拒否できないわけではないが、買う約束をしているので、約束違反の責任が生じる。結果的に、しぶしぶ売主の言い値で買うことが多いのではなかろうか。売主の方が力が強い場合に、売買の仮契約をするので責任が生じる。ある。
プロ野球でも、仮契約をするのは、球団にとってその方が都合がよいからである。球団が、選手に早く手を付けて、選手がにげられないようにする手法である。

契約金や年俸が定まっていないのに契約(仮契約)をすることはナンセンスである。

契約関係を有利にするために、あるいは、脱法的な契約関係として、仮契約の仕組みを考え出した。日本の企業は知恵がある。それなら、最初から契約を無視すればよいのだが、法律や契約のない国は先進国の仲間入りができない。30年前のインドですら、「契約のl国」だった。ただし、インドでは、契約は形だけで、実態は契約外の根回しでものごとが決まっていた。欧米からバカにされないために、法治国家の体裁をとるが、実態は、日本は法律ではなく、力関係でものごとが決まる。その点ではインドと同じだ。



2023年11月23日
クレーマー対策

クレーマーの言うことは無視すればよい。聞かなければ、クレームはないのと同じだ。
村八分・・・・自分から交際を断ればよい。差別をするような人間は、相手にしない方がよい。逆村八分である。
ネットでの誹謗中傷・・・・ネットの書き込みを見なければよい。ネットの下らない書き込みを見るのは時間の無駄だ。
クレーマーが業務妨害、脅迫などをすれば、警察への被害届や法的手続が必要になるが、これをしない人が多い。
スマホ・・・・必要な時以外は電源を切っておく。
メールにいちいち返事をする必要はない。必要がある時だけ返事をすればよい。返事をしなければ嫌われるが、それでよい。
営業関係の電話が多いが、私は、「一切、関心がない」と言ってすぐに電話を切る。
弁護士の場合、クレーマーやうるさい依頼者からの電話に居留守を使う弁護士、営業の電話に対し、「今、弁護士は不在です」と電話口で返答する弁護士、すぐに電話を切る弁護士がいる。
以前、私は、うるさいサラ金からの電話の途中で、電話を一方的に切ったことがある。そのサラ金は、すぐに弁護士会に苦情の電話をしたそうだが、それは私には関係のないことだ。応対した弁護士会の副会長には、迷惑なことだっただろう。そのサラ金はまもなく倒産した。



2023年11月23日

日本山岳スポーツクライミング協会・夏山上級リーダー講習会(関西地区、大阪市、神戸市)  実施日 11月23、25、26日  場所 大阪市(座学)、神戸市(実技)  このうち、私は、23日に短時間、法的責任の講義を担当した(オンライン)


2023年11月18日

宝塚歌劇団死亡事故の調査委員会
・・・・弁護士は公正・中立ではない
この事故について、再調査をすることになったようだ。
最初に調査をしたのは、歌劇団から頼まれた法律事務所の弁護士だった。しかし、この弁護士は歌劇団の親会社の関連会社の役員をしていた。当然、歌劇団がその報酬を支払ったはずだ。弁護士はボランティアではない。
顧問弁護士に調査を依頼する自治体や企業もある。そのような弁護士は、無意識に自治体や企業を忖度する。
弁護士は依頼者から金をもらって依頼者のために仕事をするので中立ではない。
アメリカでは、弁護士は公平中立ではないと考える人が多いが、日本ではそうではない。日本では、弁護士は公平中立だと勘違いする人が多い。これは、日本では、弁護士の仕事が国民に理解されていないからである。
アメリカでは、弁護士は、「資産家や企業、社会的強者の利益を守る」イメージが強く、弁護士のイメージがよくない。しかし、日本では、弁護士会が,弁護士を、「正義や社会的弱者の味方」のイメージを宣伝し、そのように勘違いする国民が多い。
ある弁護士が、テレビで、「弁護士は、中立ではなくても、中立らしさが重要なのだ」と述べて、視聴者の反発を招いた。この弁護士は正直すぎた。「弁護士は、中立であるべきだ」とウソを言えば、国民から歓迎されただろう。
弁護士は、「社会的強者」の利益を守ることもあれば、「社会的弱者」の利益を守ることもある。それは法律次第、もしくは金次第だ。弁護士は法律に逆らえない。法律を作るのは政治である。
もし、公平な調査委員会があるとすれば、その委員の選任手続の公平さが必要である。調査委員の弁護士は弁護士会が推が選任するなど。歌劇団や阪急鉄道が報酬を支払う調査委員会で、中立はありえない。誰が委員の交通費や報酬を支払うのか。比較的、中立的な立場にあるのは裁判官であるが、裁判所は事故の調査はしない。


2023年11月14日
苗場山での遭難  苗場山で、登山道から道迷いをして沢に下降し、亡くなった登山者がいる。  苗場山に、間違って登山道から
沢に入り込みそうな箇所があった。夕方や悪天候時に迷って沢を下りそうな箇所。そういう沢には、下部に必ず滝がある。

             苗場山・間違いやすい箇所。左に行くと沢を下降し、フツーの登山者は死ぬ確率が高い。


2023年11月14日

21世紀は戦争の世紀
21世紀になっ戦争が多発している。民族や国家間の対立が激化しているからだが、もともと民族や国家は作られたものであり、虚構である。絶対王政、世界帝国、植民地などの解体とともに民族国家が生まれた。民族国家は対立する。 米ソの緊張関係は戦争を回避する上で役立っていたが、今はそれがない。 戦争を回避する国際法、国際連合、世界共和国が強固でなければ、国家間の戦争になる。 ホッブズは、国内での人間同士の対立の戦争状態について述べたが、国家間でも同じことが当てはまる。 社会主義か資本主義か国内の経済体制の問題であり、国家間の紛争ではどちらも他国を侵略する。 ロシア、イスラエル、パレスチはも資本主義国である。 ロシアとイスラエルは、アメリカのイラク侵攻、アフガン侵攻、グラナダ侵攻などを見て、それを真似たのだろう。 ベトナム、キューバは社会主義国だが、中国、アメリカほど侵略的ではない。 ネイション(国民)は「作られたものであり、幻想である。国家がなければネイションもない。イスラエルを作ったのは国連だが、国連は中東を管理できず、無責任で無力だ。今やガザ地区の国連もイスラエルから攻撃されている。 いずれ、世界中での戦争・・・・国連の解体・・・・新たな世界連合の創設という方向に向かうのではないか。 国家の解消がなければ、国家間の戦争はなくならない。カントが述べた世界連邦、世界共和国 中国は社会主義国とされているが、経済はかなり市場経済化している。市場拡大を求めて帝国主義的路線をとっており、第二次世界大戦前の日本やドイツに似ている。
国家が生産手段を所有するか(国家社会主義)、企業が生産手段を私有するか(資本主義)は、実は、大差ない。どちらも、大多数の国民以外の者(企業、国家)が生産手段を所有している。
2023年11月10日

阪神優勝・・・・公務員のボランティア活動
ネット記事 「阪神タイガースとオリックス・バファローズの優勝を祝う11月23日の記念パレードの際、「無給」で働くボランティアに大阪府と大阪市の職員2400人以上が応募したことがわかりました。府と市は10月19日からそれぞれの職員らを対象に、優勝パレード当日に約7時間にわたり、現地で来場者案内や交通規制などを担当するボランティアを募集していました。目標人数は府と市あわせて3000人で、11月7日の締め切りまでに約2400人以上が集まった・・・・・大阪府関係職員労働組合によりますと、募集は通常業務と同じく、各部局の上司から部下へとメールで周知されており、「断りづらい」と戸惑う職員の声もあったということです。・・・・・大阪府の職員の間からは「兵庫県のように公務扱いにしてほしい・・・・・なぜ大阪府だけボランティアなのか」との不満の声も上がっています。」 これは、日本で多い義務的ボランティアである。無償で働く公務員は、ボランティアであっても、公務とみなされ、公務災害の対象になり公務員に過失があれば、役所が損害賠償責任を負う。教師も部活動指導と同じである。無償の公務ということ。 無償の仕事をボランティアと呼ぶと、ボランティア活動の奨励はタダ働きの奨励になってしまう。政府が、賃金アップを呼びかける一方で、、無償労働を奨励したのでは、賃金は上がらない。役所が、サービス残業はボランティア活動だとして奨励することは、違法である。 公務員の無償労働を歓迎する市民は、自分が会社で無償労働を強いられる。 職員は、「ノー」と言えるはずだが、「ノーと言えない日本人」が多い。その点は、部活動顧問の仕事に似ている。同様に、会社でも無償労働に「ノーと言えない日本人」が多い。 有償パレードは実行委員会主催だが、この手伝いも実質的に公務とみなされる可能性がある。パレードで市民がけがをした場合に役所に損害賠償責任が生じるのかという問題である。 実行委員会主催のサマーキャンプで自治体に損害賠償責任が生じた判例がある。ボランティアや実行委員会形式であれば、役所が責任を回避できるわけではない。詳しくは、拙著「ボランティア活動の責任」(共栄書房)に書いている。

大阪府と大阪市は職員に寄付金を募った。これも、、「ノーと言えない日本人」が問題になる。 また、役所が特定の球団を支援することは公平性の点で問題がある。国が特定の球団を支援したら問題だろう。弁護士会は特定の球団のロゴ入りのパンフレットを使用している。
2023年11月9日

盗掘

早池峰山での盗掘が多いらしい。 ネットの記事:「盗掘は、自然公園法や文化財保護法、森林法に違反する。岩手県は警察に相談したが、証拠がなく捜査に踏み込めない状況だ」 ここに窃盗罪や器物損壊罪の記載がない。窃盗罪は、懲役10年以下の懲役であり、刑が重い。 窃盗罪で被害届を出すのは所有者や占有者だが、高山植物の所有者、占有者が不明なのだろう。山の所有者(おそらく国)が高山植物の所有者、管理者のはずだが、国はそれを認めないのだろう。高山植物の所有者、管理者になると管理する責任が生じるからだ。これは登山道の所有者、管理者不在と同じ状況。 登山道の管理者が定まれば、登山道付近の高山植物の管理者も定まる。
高山植物の所有者、占有者が警察に被害届を出せば、警察は受理して捜査をしなければならない。証拠がなければ被害届を受理しない、ということではなく、被害届を受理した後に証拠を捜すのである。例えば、登山口付近での聞き込み、他の登山者からの情報、道路の監視カメラなどなど。 これが殺人事件であれば、証拠があってもなくても警察は捜査する。自然公園法、文化財保護法、森林法違反では警察は本気にならないのだろう。 「証拠がなく捜査に踏み込めない状況だ」・・・・これは甘い。 盗撮は、世論が激しく叩き、政治家が動き、厳罰化されるが、盗掘は、世論が動かず、政治家も動かず、取り締まりが甘い。 しかし、窃盗罪は重い罪なので、警察が捜査しないわけにいかない。
熊対策

全国で熊が出没している。

法律との関係でいえば、
鳥獣保護法で野生動物の捕獲、殺傷が原則的に禁止されている。野生動物の捕獲、殺傷の許可の要件が厳しい。これをもっと緩和してようのではないか。増えすぎた害獣は保護ではなく、駆除、食用利用が必要だ。
保護一辺倒の政策では、害獣が増えすぎて自然界のバランスが崩れる。
熊については、駆除数を増やすことが難しいが、熊を山に閉じ込める積極的な政策が必要筆だ。この点日本は、無策、自由放任になっている。熊に対する積極的な政策がもたらす経済効果が小さいので、このような結果になっている。

銃刀法・・・・
刃渡り6センチを超える刃物の所持禁止。6センチ以下でも軽犯罪法違反。
しかし、熊対策として大きな刃物持参が必要だ。熊スプレーを持参すべきだが、それだけでは十分ではない。熊スプレーが破損する場合やスプレーが目標から外れる場合もある。熊と格闘になれば刃物がいる。
私は、ピッケル、バイルを護身用に事務所や自宅に置いている。これは、小型ナイフよりも殺傷能力がある。
熊対策としては、大きなナイフが必要だ。アジアの僻地の民族が腰にぶら下げているナタのようなナイフがよい。これで木の伐採もできる。大きなナイフの所持を許可制で認めればよい。
北海道で消防士が刃渡り5センチのナイフでヒグマと格闘し、かろうじて助かったが、小型ナイフではなく、ナタのような大型ナイフであればもっと有効だっただろう。
ナイフ規制が世論の主流だが、これは世論の気休めの安心感を得るための政治家のパフォーマンスでしかない。猟銃さえ許可を得れば所持でき、猟銃を使った犯罪が起きている。ナイフ規制では犯罪を防げない。包丁、ノコギリ、斧、ナタ、大型の鎌などがナイフよりも殺傷能力が高い。ナイフ禁止によって犯罪を防ぐ考えは、気休めだ。
アメリカでは銃規制が必要だが、これは銃の許可をもっと厳しくするということ。銃所持の全面禁止ではない。警察や軍は銃を持っている。アラスカのバックカントリーではライフル銃の携行が常識だ。銃の許可を厳しくしても、銃による犯罪はなくならない。

軽犯罪法・・・・時代に合わない規制が多いので、改正する必要がある。これも、経済効果との関わりが小さいので、法改正に対する法律家、政治家、財界、世論の関心が低い。軽犯罪法はアウトドア活動と密接な関係があるが、日本ではアウトドア活動が軽視されている。

農地、山林、山麓に関わる法律・・・・これにより、熊を人間界に進入させない工夫が可能になる。自然界との人間界の間に緩衝地帯をもうけること。この緩衝地帯に熊のエサが豊富にあれば、熊は人間界に出てこないだろう。熊を自然界に閉じ込めるには知恵がいる。これには、人間の自然との関わりはどうあるべきかを考える哲学が必要だ。日本には哲学がない.。

熊対策の税金
熊対策の国の予算が少ない。国が対策を軽視するから熊被害が出る。いずれ放棄地になる無駄な圃場整備費用の一部でも熊対策に使っていれば。あるいは、無駄な減税、金のバラマキ、回収不能の融資などをするよりも、熊対策に税金を使うべきだ。

抗議電話・・・業務妨害
熊を屠殺した自治体に繰り返し抗議の電話をすることは、業務妨害罪になる。なぜ、逮捕しないのか。被害届を出さない自治体や、抗議内容を取り上げるマスコミはどうかしている。
人間に危害を加えた熊は、それを繰り返すので、
屠殺しない場合には、税金もしくは寄付金を使って動物園などに隔離する必要がある。

責任
もし、学校、キャンプ場などで熊被害が出れば、管理者の損害賠償責任は免れないだろう。学校やキャンプ場は安全でなければならない。裁判所は、熊が出没dすることは予見可能だったと判断するだろう。
この点、アメリカのキャンプ場では、熊が出没する危険性を告知しており、管理者が損害賠償責任を負うことはない。
日本のキャンプ場では、熊が出没する危険性を告知しても管理者の損害賠償責任は免れない。キャンプ場を閉鎖することが注意義務の内容になる。実際に、小梨平キャンプ場は熊被害が生じたので、しばらくの間、閉鎖された。
2023年10月27日
那須雪崩事故刑事裁判
2017年に起きた那須雪崩事故の刑事裁判は、証人尋問を終えて、これから被告人質問に入るようだ。
私の知人が検察側や弁護側の証人として出頭した。
現場にいた教師は、雪崩事故を回避することが容易だが、現場にいない教師は、研修前のミーティングにおいて雪崩回避措置を尽くしたかどうかが問題になる。現場にいなければ、注意義務の内容や予見可能性の有無が問題になり、難しい判断になる。

仮に、有罪になる場合に、執行猶予がつくかどうか。過去の山岳事故の裁判では、有罪になる場合、罰金や執行猶予付きの禁錮刑だ。交通事故では初犯でも2人死亡で実刑になることが多いが、山岳事故では4人の客が死亡したケースでも、執行猶予がついている(屋久島沢登り事故、白馬岳ガイド登山事故)。今回は8人が死亡している。
昔は、引率登山でも無罪になったケースがあるが、最近は無罪判決は出ていない。これは過失事故の厳罰化という世相を反映したものだ。日本は、世界でもっともミスに対し厳しい国だ。
裁判所の判断は世論と無関係ではない。世論の非難が強ければ、刑が重くなる傾向がある。法的責任は、社会の秩序を維持するための国家装置の一部だからだ。






2023年10月25日
二子山、クライミング事故訴訟

9月の二子山のゲレンデでクライミング中の事故について、毎日新聞から取材があった。
毎日新聞山梨版、毎日新聞のネットの有料記事に、僕のコメントが掲載されている。


2023年10月21日
「山岳指導者の責任」(講義)
兵庫県山岳連盟、スポーツクライミングコーチ2、研修会
オンライン




2023年10月11日
洞窟探検ツアー事故
11日に與邦国島で洞窟探検ツアー中に1人が亡くなった。詳細は不明だが、その前後に雨が降っていたということなので、増水の予見可能性が認められるだろう。ツアーガイドの経験は1年ということなので、ガイドの経験が少なかった。ツアー会社(業者)の損害賠償責任は免れない。ただし、通常、これは保険でカバーされる。 2017年の那須雪崩事故でも、自治体は損害賠償責任を認めていたが、民事裁判になった。 また、ガイドの刑事責任が問われる可能性が高い。小雨程度では増水するとは限らないが、もし、増水して事故が起きれば、責任を問われるということだ。 ただし、業務上過失致死罪として起訴されるまでに数年、刑事裁判(責任を争えば)でさらに数年かかる可能性がある。 ガイドが責任を争わなければ、起訴ー裁判が迅速に行われ、判決は、通常、執行猶予付の禁錮刑になる。 2012年の白馬岳のガイド登山事故では、判決確定まで事故から10年以上かかった。私は、事故当時、関係者に、「起訴までに5,6年かかる可能性がある」と説明したが、実際には8年かかった。 検察官は起訴するかどうかひどく迷ったのだが、裁判ではあっさりと有罪になった。これもっぱらは世論の力による。裁判所は世論に勝てない。この点は、戦前の日本でも、ロシアでも、中国でも、同じだ。アメリカでは、裁判で有罪か無罪は陪審員が決める。 ある社会心理学者は、「法的責任は社会の秩序を守るための儀式である」と述べたが、そういう面はある。
洞窟は公有地にあるが、公有地の無断使用も問題になっている。町は、「使用許可は出していないし、アクトプロから使用料などは受け取っていない。今後対応を協議する」と述べている。しかし、ほとんどのアウトドア活動はいちいち所有者の許可を得て行っていない。 公有地の使用に許可が必要であれば、誰も海岸を歩けない。海岸は公有地だ。登山をするのに、公有地でも私有地でも明示的な許可を得ていない。登山道があれば登山を許可したことにはならない。土地所有者の許可を得ずに開設した登山道が多い。多くの登山は黙認だ。 この洞窟の利用も、町がこれまで黙認してきたのであり、法的に問題はない。 この点、イギリスには自然アクセス法があり、自然を誰でも無許可で利用できる。
2023年10月8日
朝日岳遭難

栃木県那須町の朝日岳(1896メートル)の登山道付近で男女4人が遭難し、死亡した。 遭難の原因は悪天候のようだ。 那須朝日岳は45年前に登ったことがあるが、もともと強風が吹き荒れやすい山だ。 冬用ヤッケ、シュラフなどの冬山装備で幕営すれば助かっただろうが、通常の無雪期登山装備では、秋の悪天候に耐えられない。立山や白馬岳での大量遭難も10月だった。 40年前、10月上旬の剣岳では、単独登山だったが、剣岳は初めてだった。風雪で視界がない中で、地図とコンパスで歩き、剣沢付近で迷った。風雪と日没でキャンプ場がわからない。仕方なくそこでテントを張ったが、強風下でテントを張るのが大変だった。 翌日、起きてみると、そこは剣沢のキャンプ場だった。積雪のために、キャンプ場が一変していた。 剣岳は、10センチの積雪があり、ピッケル、アイゼンを使って登った。 それまでの冬山登山の経験は10回程度であり、当時は、まだ冬山登山の初心者のレベルだったが、自信過剰だった。テント、シュラフ、ピッケル、アイゼン、冬山の経験がなければ、99パーセント遭難していただろう。 冬山装備がなければ途中で中止して素早く下山することが、もっとも賢明な対策だっただろう。下山の早さは死との競争である。

2023年10月7日

安芸高田市・・・・市長と議会の対立
あいかわらず安芸高田市では、市長と議会が対立している。
これをマスコミが大きくとりあげ、市長はネットで意見を配信している。
このような状況はネット受けしやすく、ネット上は市長支持者が多いようだ。
しかし、市長を支持する人のほとんどは市外の住人であり、安芸高田市民ではない。
安芸高田市民の多くは、市長と議会のどちらも支持していない。
市長と議会が対立しても、市民には何のメリットもない。
市長がネット配信して市外の人に受けても、市民には何のメリットもない。市長を選ぶのは、市外の住民ではなく市民である
市長の実績は何か・・・・・よくわからない。議会との対立とネット配信が目立つが、これは実績ではない。
「ネット上を通して世論の支持を得る」という手法だが、安芸高田市外」で世論の支持を得ても、安芸高田市民の反応は鈍い。安芸高田市は高齢者が多くネット環境が悪い。NTTのひかり回線はない。パソコンやスマホを使えない高齢者が多い。
市長のネット配信を見ない市民が多い。

安芸高田市の人口減少、高齢化、経済の低迷・・・・・その原因は、安芸高田市の住みにくさにある。
高い公共料金、水道料金、ゴミ処理費用
高く不便なネット環境・・・事業者に不便な自治体
無駄の多い市政。安芸高田市の過剰なお節介行政で無駄な経費を使い、必要な場面で予算を削減する。
市庁舎に一歩入ると、職員が駆け寄ってきて、何の御用でしょうか」と尋ねる。市はこれを「ワンストップ」と称して市民が一歩も動かなくてもよいシステムになっている。この「市民は神様」扱いが職員の人件費のムダにつながる。
行政の効率が悪いので、職員の残業が多い。
安芸高田市では、住民の町内会費、自治会費に相当するものは、すべて市が税金で負担している。
市が、「住民の間でレクレーションをしてくれ」と言って税金を交付するので、市民は、仕方なくレクレーションの景品を買ったりしている。これも税金のムダ。

職員と住民のレベルの低さ。
近隣関係古い体質・・・・これが変わるには、30年はかかるだろう。
広島市に隣接しているが、アクセスが悪い。電車とバスは不便。車道は渋滞する。それで広島市のベッドタウンにもなれない。
市の中心部は川の氾濫の危険がある。
市の商店街は大型店の進出で壊滅状態。
観光資源やアウトドア活動の資源はあるが、それを生かしていない。時々、他の自治体のマネをしてイベントを実施するか、ハコモノを作るかしか能がない。
市は、住民の反発を恐れて、焚火、バーベキュー、キャンプなどに消極姿勢だ。ハイキング向きの山が多いが、ハイキングコースは少なく、荒れている。

市民のレベルが市の政治レベルを決定する。
市民の意識の高さが今の市長を選出したわけではなく、以前の市政に公選法違反があったので、市民はよくわからないままに選挙で今の市長に投票しただけだ。
市民のレベルの低さが現在の議員を選挙で選出している。

私は、いろんな場所で、「安芸高田市は住みにくいので、安芸高田市に住むよりも隣接する広島市の北部に住んだ方がよい」とアドバイスしている。


安芸高田市に対する国賠訴訟
この度、安芸高田市の戸籍業務をめぐる紛争に関して、間違った過度の行政指導が行政手続法違反であるとして、国賠訴訟を提起した。これも過度のパターナリズムの弊害のひとつ。






2023年9月30日

登山届の効用
9月に、北アルプスの不帰の剣で救助された遭難者は、「登山届のおかげで救助された」と報道されている。しかし、遭難の発覚は、遭難者の声を別の登山者が聞いたことによるのであり、この遭難者は運がよかった。登山届で遭難がわかったわけではない。通常、登山者が下山しなければ、家族から警察に通報される。今回は、それはなかったようだ。
家族に登山計画を知らせることが必須である。それをしなければ、警察に登山届を出していても、遭難したことが警察にわからない。
警察が遭難の通報を受けた後は、警察は、警察に提出している登山届を活用できる。警察に提出した登山届は、遭難を防ぐ意味はないが、警察の救助活動をしやすくする意味がある。
登山届は、警察ではなく家族に渡していても、警察が活用することができる。
したがって、家族に登山届を出すことが必要である。そのうえで、警察にも登山届を出しても、かまわない。日本では。

欧米では、登山届は家族に出すべきものであって、警察は登山届を受けとらない。登山届の管理は警察の仕事ではないからだ。遭難した後は警察の仕事になる。それが世界のスタンダード。
欧米では、山岳事故の防止は、山岳団体やボランティア断端が熱心に取り組み、警察の仕事は、事故防止ではなく、事故後の救助活動が中心だ。もともと過失事故の防止は、登山、自然科学、人間科学に関する専門知識が必要であり、警察は向いていない。警察は、禁止や取り締まりは得意だが、過失事故のメカニズムの研究が苦手だ。しかし、日本や韓国では山岳事故の防止に警察が関与する。それは、おそらく日本や韓国では何でもカンでも役所に依存したがる傾向があるからだろう。

外国での登山では、登山届を警察に持っていくと、奇異に思われるだろう。「警察に登山の安全を守ってもらうつもりなのか。それは甘い。事故防止は登山者の責任である」、「遭難したら警察に連絡しなさい」と言われそうだ。
外国人登山者は警察に登山届を出さないのではないか。富士山に登外国人は、役所に登山届を出していないようだ。


2023年9月30日

三原山遭難
9月に、鳥取・岡山県の三原山(1115m)で遭難した登山者は、山頂付近にスマホを落としていた。これが遭難の原因かもしれない。しかし、この登山者は、「ベテラン」、とされているので、地図とコンパスを持っていたはずである。地図とコンパスで確認をすれば、下山路と反対側の他人に降りることはないはずだ。
遭難の原因は、
・スマホを落としたこと
・地図とコンパスを持っていなかった可能性
・地図とコンパスを持っていても、それを見なかった可能性
・地図とコンパスを見てもルートファインディングができなかった可能性
が考えられる。

地図やコンパスを落とさないように紐でぶら下げる登山者が多いが、スマホも落とさないように紐でぶら下げる必要がある。





2023年9月27日
キャンプ場の治安
ネットの記事に、キャンプ場で女性2人でキャンプをしたところ、深夜にテントの近くで足音がし、襲われるのではないかという不安にかられて警察官を呼んだという「事件」が書いてあった。警察官には迷惑な「事件」だ。

キャンプ場では、通常、他のキャンパーがいるので、大声を出せば、誰かが駆けつけてくれるだろう。
警察に通報しても、警察官が山の中のキャンプ場に来るには時間がかかるので、本当に犯罪が起きれば間に合わない。
警察官は、最初、来ることをしぶったそうだが、それは当然だ。「恐い」という程度で警察が出動していたら切りがない。そいう人はキャンプをすべきではない。山の岩稜で「恐い」と感じた登山者が救助隊を要請するようなものだ。そういう人はその山を登べきではない。
テントでは、深夜は、数十メートル離れて、トイレなどに行く他のキャンパーの足音がよく聞こえる。風の音などが足音に聞こえることがある。
安全、安心なキャンプを望む人は、堅固なバンガロー、フェンスやオートロック式の施錠のあるキャンプ場、警備会社が常時パトロールするキャンプ場を利用すればよい。

アメリカではキャンプ場での暴力犯罪が多いが、日本では稀である。アメリカでは、街中での殺人、強盗、強姦事件と同程度の確率で、キャンプ場でも殺人、強盗、強姦事件が起きる。
しかし、日本では、ネットが不安を書き立てるほど、キャンプ場での暴力犯罪は起きていない。
日本のキャンプ場で多いのは、留守のテントでの盗難である。キャンプ場での殺人、強盗、強姦事件は、おそらく街中と同程度の確率であり、少ない。キャンプ場で殺人、強盗、強姦を心配する人は、街中でそれを心配するのと同程度の心配をすれば足りる。
観光地のキャンプ場では、街中と同程度の確率で犯罪が起きる。
したがって、観光地のキャンプ場では窃盗が多い。テントを留守にしないことが必要だ。

他方、登山者が利用するキャンプ場は、車道から何時間もかけて山に登らなければならないので、犯罪はほとんどない。犯罪者は、何時間もかけて山に登る苦労を嫌う。

最近、登山者が利用するキャンプ場でも、観光地に近い場所では窃盗事件が起きることがある。上高地、立山雷鳥沢などは、観光地と同じ窃盗文化がある。

登山者が利用するキャンプ場での殺人、強盗、強姦事件は、サスペンスドラマと推理小説の中では頻繁に起きるが、現実には、99.9パーセント起きない。
登山者が利用するキャンプ場では、女性のソロキャンプも安心してできる。最近、ネットで騒ぐような「ナンパ被害」もない。

観光地のキャンプ場の文化は、街中の文化を反映するが、登山者が利用するキャンプ場では、都会の文化ではなく登山文化が支配する。
登山文化は、殺人、強盗、強姦事件と無縁だ。
犯罪者は、安直に欲望を得られるから犯罪をするのだ。ヤクザに登山愛好者はいない。

アメリカのロングトレイルで、スルーハイカーにアンケートをしたところ、登山者は環境保護派や平和愛好者が多かったそうだ。
キャンプ場で殺人、強盗、強姦を心配する人は、登山の対象となるキャンプ場を利用すればよいが、そういう人は、何時間もかけて山に登ることはしないのかもしれない。


2023年9月26日
オーストリア、ヴィア・フェラータでの事故
オーストリアのダッハシュタイン山のヴィア・フェラータで転落事故が起きた。
ヴィア・フェラータは「鉄の道と呼ばれ、ハシゴとワイヤーで構成された登山路であり、商業施設とされている。利用料が必要だ。ハシゴとワイヤーに不備があれば、管理者に責任が生じる。
日本の妙義山の縦走路でで鎖とハシゴの利用料を徴収すれば、ヴィア・フェラータになる。
ヴィア・フェラータは、ハーネス、カラビナ、スリングで安全確保するが、 ガイドがつかない場合、安全確保の不備があれば、事故が起きやすい。
日本の山の鎖場は無料だが、安全確保をしないので、ヴィア・フェラータよりも事故が起きやすい。
日本の山のハシゴや鎖は、管理者が不明な場合が多いので、不備があっても、管理責任が生じにくい。


2023年9月24日
「山岳指導員の責任」(講義)
広島県山岳連盟、山岳コーチ1研修会、広島市




2023年9月17日
二子山でのクライミング事故
二子山のゲレンデでクライミング中にボルトが抜けて事故になった。
この事故について、自治体と地元のクライミング団体を相手に訴訟が起こされた。
一般的には、岩山やゲレンデでの法的な管理者はいない。ゲレンデの敷地の所有者はいるが、これは管理者ではない。
ゲレンデは通常は、クライマーが個人的にボルトなどを打つべきものである。
しかし、日本では、組織的な行動や団体行動を好む傾向があり、ゲレンデの整備を組織的に行う傾向がある。
その結果、ゲレンデの整備を行った団体がゲレンデの管理をしているという誤解をまねきやすい。

争点1
ゲレンデの管理者(占有者)がいるか

クライミング団体がゲレンデを整備しても、ゲレンデの管理者ではない。
自治体が整備費用を負担しても、自治体は管理者ではない。
日本では、管理者不在の登山道の整備をボランティアや山小屋が行い、自治体が費用を出すことが多いが、自治体、ボランティア、山小屋は登山道の管理者ではない。
登山道で事故が起きても、管理者が責任を負わないのは、①日本では管理者不在の登山道が多いことだけでなく、②登山道は、遊歩道と違って自己責任で利用するからである。
ただし、登山道に設置された吊り橋では管理責任が生じやすい(判例あり)。
ゲレンデは登山道と似た面があり、仮にゲレンデの管理社が定まったとしても、②の自己責任の考え方が当てはまる。登山道でも、登山道の管理者が鎖やはしごの管理責任を負うかどうか微妙だ。

争点2
「通常有するべき安全性」の内容

法的には、「ゲレンデの支点が抜けないこと」は工作物責任でいう「通常有するべき安全性」ではない。
もし、岩場の土地所有者に工作物責任が生じるとすれば、全国の岩場の所有者(自治体、国、個人、企業)が一斉にクライミングを禁止するだろう。穂高岳などでのでのクライミングもできなくなる。
登山道についても、土地所有者に工作物責任や営造物責任が生じることになれば、土地所有者は登山道の通行も禁止するだろう。遊歩道では、国や自治体が営造物責任を恐れて遊歩道を通行禁止にすることがある。
ゲレンデは遊歩道とは異なる。

一般に、ゲレンデや登山道などの登山環境の瑕疵に関して施設管理責任が生じない、というのが世界のスタンダードである。しかし、日本には、特有の安全・安心文化があり、自然の中での活動についても、過度の安全性を求める風潮がある。それが今回のこの提訴をもたらした。

人工壁と違って、ゲレンデは安全なものではない。しかし、〇〇協会などが、「整備しました」などと宣伝すると、協会が安全管理していると勘違いするクライマーが出てくる。
ゲレンデの整備は目立つ形で行うべきではない。
また、自治体は、ゲレンデを、遊歩道のように観光資源として町おこしや経済効果のために利用すべきではない。自然の中のクライミングはもともと危険なものである。

人工壁では施設管理者が明確なので、この種の事故が起きると、ほぼ確実に工作物責任が生じる。
自然のゲレンデでも、施設利用料を徴収すると、裁判所は、とたんに工作物責任を認める方向に向かう。自然の中での危険なレジャーは、アメリカでは多いが、日本では成り立ちにくい。危険を伴うツアー、危険を伴う有料の自然施設は日本では成り立たない。日本はアウトドア活動の後進国だ。


2023年9月16日
外国人の富士山登山
9月11日から富士山は、熟練者以外は登山禁止だ。
しかし、この登山禁止は行政指導であり、法的拘束力がない。
また、この禁止は、自称熟練者にも効果がない。
富士山に登る外国人と日本の冬山登山者がいる。
日本の登山道の多くは、管理者不在であり、また、道路法上の道路ではない。
しかし、富士山の登山道は、例外的に、道路法上の「県道」とされている。したがって、通行止めにできるが(道路法上の罰則がある)、おそらく道路の通行止めは車両の規制であり、富士山の登山道で人間の通行禁止措置はとられていないのではないか。日本でも、工事中で通行止めの道路の脇の歩道を歩くことができる場合が多い。
登山道の閉鎖と通行禁止は異なる。閉鎖された登山道を歩いても違法ではない。
日本の登山道の多くは管理者不在なので、通行禁止にできない。
欧米の登山道は管理者がいるが、閉鎖はあっても、通行禁止はほとんどない。そのため、欧米人は日本での登山禁止を理解できない。
欧米では、登山禁止に法的拘束力がなければ、「登ることができる」と理解するのが一般的だ。
そもそも、山小屋を締めたら登山禁止にする扱いは、世界のスタンダードに照らすと、お粗末な政策だ。文化国家で行うことではない。





2023年9月11日
マラソン大会の死亡事故
9月10日に岩手県盛岡市で行われた啄木ふれあいマラソン大会で、10キロの部に出場した60代の男性がコース中で倒れ死亡した。当時の気温は、29.5度。大会は中止された。

炎天下でマラソンをすれば死亡事故が起きてもおかしくない。
それをわかったうえで「覚悟の大会」を実施しているので、参加者も主催者も死亡事故のリスクを承認していたはずだ。
したがって、欧米では関係者に法的責任は生じない。
しかし、日本ではそうではない。日本では、「そうはいっても重大な事故がおきたのだから、誰かに責任があるはずだ」国民も裁判所も考えやすい。「事故は起きないはずだ」という安全、安心文化が日本にある。
その結果、「事故が起きれば誰かに責任がある」という責任者探しが始まり、大会関係者間で責任のなすり合いが始まる。
第三者委員会を設置して、事故の検証をするかもしれない。

大会主催者は、「安全管理を怠った」として損害賠償責任を負うだろう。本当は、大会主催者は安全管理をしているのだが、こじつけ的に、そうなる。
アメリカではすぐに裁判になるが、日本では、3年後くらいに裁判になることが多い。
大会は、実行委員会などで実施し、法人格がない。大会の実行委員長が損害賠償責任を負う可能性があるが、損害保険に入っていれば問題はない。
それとは別に、日本では、大会関係者が刑事責任を問われる可能性がある。

ボランティアでこのような活動に従事することは、日本では恐い。





2023年8月25日
白馬大雪渓の通行止め

ネット記事

「猛暑で雪解け進み危険 北アルプスの名所「白馬大雪渓」通行止めに 」 「長野県白馬村は25日、白馬岳の主要登山ルートとして知られる「白馬大雪渓」を8月27日の午後3時をもって閉鎖すると発表しました」・・・・・・・


雪渓はどこでも歩けるが、閉鎖するとは、雪渓の端を歩けばよいのか。
欧米では、トレイルのクローズはあるが、これはトレイルの所有者、管理者が決める。白馬大雪渓は白馬村が所有、管理しているのか。
閉鎖と通行禁止は異なる。
登山道の閉鎖ではなく、雪渓の閉鎖とはどういう意味か。立ち入り禁止か。
白馬村は雪渓の立ち入り禁止をする法的権限があるのか。自然公園の一部である白馬雪渓への立ち入り禁止は、簡単にはできない。
それとも災害対策基本法に基づく措置なのか。火山の噴火の恐れがある場合などは、自治体が立ち入り規制できる。浅間山、阿蘇山、御嶽山などがその例だ。
白馬雪渓にそこまでの危険が迫っているとは思えない。白馬雪渓全体が大崩壊する危険があれば、下流住民に避難命令を出すべきだろう。

たぶん、通行止め、閉鎖は、白馬村の「行政指導=お願い」でしょうな。
行政指導で禁止とは、これ如何・・・・遺憾・・・いかん。


2023年8月19日
甲子園の野球の試合は無謀
炎天下で高校野球の大会が行われている。 .熱中症の事故が起きれば、大会主催者に損害賠償責任が生じることは確実だ。
炎天下の練習などでは熱中症事故が少なくない。私は、以前、県立高校の野球の練習中の熱中症事故のケースで県を相手に裁判をし、勝訴したことがある。
もし、重大な事故が起きると、関係者の責任のなすり合いになる。
熱中症が予想される中で起きた事故なので、事故の予見可能性がある。

アメリカでは、陪審裁判なので、故意に近いとして、大会主催者に懲罰的な損害賠償が命じられるのではないか。賠償金額は数億とか数十億とか。
日本では、大会役員の刑事責任が問われる可能性がある。

日本では、サッカーの試合中の落雷事故の裁判で、主催者が高額なな賠償金の支払いを命じられたが、賠償責任保険に加入していなかったので、それを支払うために体育協会が解散したケースがある。
日本では責任を負うことをひどく恐れる人が多い。それなら、炎天下での試合をやめればよいのだが、甲子園の大会を変えることがもたらす「責任」を誰もが恐れるので、現状の変更ができないのだろう。



2023年8月16日
富士山登山の混乱
富士山でさまざまな混乱が生じている。

・富士山の混雑の原因のおおもとを考える必要がある。それは入山が無規制だからだ。入山者数の規制が必要だ。これは子供でもわかることだ。

・ドローン禁止を叫んでいる係員がいたが、その法的根拠は何なのか。条例、土地所有権なのか。それとも行政指導か。行政指導は拘束力がない。警察の道路規制は、道路外ではできない。NHKなどが全国の山岳をドローンで撮影して放映しており、富士山だけが「禁止」であれば、その法的根拠を明確にして、外国人に示す必要がある。外国の山ではドローン禁止がないので。
そもそも、世界的に山岳地帯でドローンを禁止する国はない。富士山は都会並みに混雑するので、ドローン禁止が出てくるのだろう。それなら富士山の混雑解消が先ではないか。根本問題を解決せずに、枝葉末節のことばかり追い求めても、次から次へと問題が頻発する。
ドローンだけでなく、凧あげ禁止、登山道での休憩禁止、登山道での談笑禁止(コロナ対策として)、登山道での携帯電話使用禁止(電車内と同じ扱い)、ランニング禁止、撮影禁止(盗撮予防のため)などが出てくる。
登山道以外の富士山の人のいない場所でもドローン禁止なのか。
係員がドローンを飛ばした外国人を追いかけ、取り押さえて、「注意をして解放する」場面があったが、逮捕権限がないのに「よく、そんな乱暴なことができる」と思った。インドであれば、警察官がこん棒で叩くのかもしれないが。
 中国の世界遺産の黄山では観光客で大混雑し、観光客同士でののしり、殴り合いになっているらしい。アジア的な光景だ。

・テント禁止を叫ぶ係員もいたが、非常時のビバークは違法とは言えない。疲労で衰弱した登山者に、「テントから出て寒い夜を過ごせ」と言うのは、危険なのではないか。ツェルトを被るだけならよいのか。

・「通行の妨げになるので、登山道では寝ないでください」と叫ぶ係員もいたが、登山道以外の場所で眠ることは違法ではない。ビバークは違法ではない。

・マッターホルンでもエベレストでも弾丸登山を禁止しない。弾丸登山は、速攻登山やアルパインスタイルと同じであり、法的に、弾丸登山を禁止するのは無理だ。しかし、入山者数を規制する国では、弾丸登山が問題になることはない。

富士山の現象は悲劇なのか、喜劇なのか。
弾丸登山を禁止する例は世界になく、それは無理だ。それを国や自治体が検討することは、ほとんど喜劇だ。
政治家のレベルが低いと、そうなる。
富士山の混雑、混乱ぶりは、まるで発展途上国のようだ。
ここにはルールがない。ルールとは強制力のある規律をいうが、日本では、強制力のないマナー、ガイドライン、行政指導をルールと混同するので、混乱するのは当たり前だ。コロナ時のマスク着用と同じ現象。

このような混乱の原因は、登山者数の総量規制をしないことにある。それをしないのは、山小屋の利益と観光業者の利益に配慮するからだ。それから政治家への多額の政治献金。
環境保護のために入山者数を1日100人程度にするのが世界のスタンダードだが、ガラパゴス的な日本の放任政治風土ではそれはすぐにできない。とりあえず1日2000人程度にしてはどうか。山小屋による登山客の奪い合いになるが(戦前、白馬駅前で公務員と民間人が各自の経営する山頂小屋への宿泊客の客引き合戦をしていたそうな)、条例でその2000人に山小屋への宿泊を義務づけるのは無理だ。






2023年8月10日
富士山の登山規制の法的根拠

富士山の山梨県側では、11日から登山規制が行われる。
日本では、登山規制のほとんどが行政指導であり、法的拘束力がない。これは、日本の登山道の多くが管理者が不明であり、管理者以外の者が登山道の通行禁止などをするためだ。
しかし、富士山の登山道は、静岡県側も山梨県側も道路法上の道路に指定されて。この点で、富士山の登山道は特殊だ。道路法上の道路は車道とは限らない。階段になっている国道もある。
登山道が県道に指定されたのはかなり前のことであり、県でもその経緯は「わからない」とのこと。これは山梨の新聞記者から聞いた。戦後、長い間、富士山の山頂付近の神社の私有地をめぐる紛争があり(裁判で神社側が勝った)、私有地にある登山道が通行できなくなることを恐れて、県が登山道を道路指定したのではなかろうか。これはあくまで私の推測である。
富士山の登山道は道路法上の道路なので車道にすることが可能だ。道路なので、警察が道路規制できる。混雑すれば警察が規制できる。道路の通行禁止も可能だ。
イメージとしては、イベント実施時に、街中の歩道や車道を混雑する場合に、警察が通行規制をするのと同じだ。

世界では、そのようになる前に、警察ではなく登山道を管理する自治体が、環境保護の観点から登山道の管理規定に基づいて、登山者数を規制するのが一般的だ。

登山道を道路として安全管理すれば、道路に起因する事故が起きると、県に営造物責任が生じる。
県がそれを覚悟しているかどうかはわからない。
登山道では、安全面の過度のパターナリズムは管理責任をもたらしやすい。


2023年8月7日
富士山の登山規制

山梨県が富士山での登山規制を検討している。
これは事故の防止のための規制のようだ。
世界では、環境保護のための登山規制が多い。人気のある山域では、1日の入山者数を100人程度に制限する。これは自然の回復力の範囲で入山を認めるということだ。
それが世界のスタンダードだ。
しかし、日本では、環境保護のためではなく、事故防止のために登山を制限する。これは東アジア的な発想だ。

欧米で、事故防止のための登山規制をしないのは、危険かどうかを国家(自治体)が判断することの危うさを重視するからだ。危険かどうかは人によって異なる。未熟者の富士山登山は危険だが、熟練者はそうではない。国家が、熟練者かどうかを判断するには、個人のプライバシーに介入しなければならず、「危険」なことだ。個人の体力だけでなく、考え方、心理面まで介入することになる。例えば、パニックになりやすい人、考え方の幼稚な人、気分をコントロールできない人は危険である。5合目で体力テストをしなければ、個人の体力はわからない。
欧米では、役所は登山届を受け取らない。登山届は、家族、友人、山岳団体などに提出する。遭難した場合に、家族、友人、山岳団体から警察に通報するためだ。それがあって初めて警察などの役所が関与する。事故が起きるまでは、役所は登山に関与しない。登山は個人の私的な領域だからだ。
日本でも、登山届を受け取った役所は登山届の内容をチェックするわけではない。登山届は箱の中で眠っており、それで国民は安心するのかもしれないが、安心=安全ではない。

多すぎる登山者を5合目で待機させるか、8合目で待機させるかは、50歩100歩のバカげた議論だ。
登山規制をどうするかは、政治家、役所、山小屋、旅行業者が考えるのではなく、登山や環境保護の専門家の審査会などで検討すべきだ。


2023年8月5日
富士山の弾丸登山

富士山で日帰りの弾丸登山が問題視されている。
弾丸登山だから事故を起こしやすいのではない。
トレイルランナーはすべて弾丸登山者だ。
未熟者の登山や、安易な観光登山が問題なのだ。
数字でいえば、事故者のほとんどは山小屋の宿泊者だろう。
高所滞在時間が長い山小屋宿泊者の方が、高度障害が出やすい。
弾丸登山者は、高所滞在時間が短いので高度障害になりにくい。
未熟な登山者が事故を起こしやすいのであって、弾丸登山かどうかは関係がない。
メデイアはもっぱら弾丸登山を叩く世論を煽ろうとしているが、これは弾丸登山が経済的利益をもたらさないからだろう。
山小屋や旅行会社から見れば、経済的利益をもたらさない弾丸登山者を禁止したくなるのは、自然なことだが、弾丸登山の禁止は不可能だ。これをすればトレランを禁止することになる。弾丸登山を禁止しても事故は減らない。富士山の遭難者の大半は、小屋泊まりの未熟な登山者だからだ。
未熟かどうかを判断できないので、欧米では、「未熟者の登山禁止」をすることはない。
しかし、日本では、法的効力のない「禁止」を持ち出すことで「未熟者の登山禁止」を喧伝する。法的に見ればこれは、あまりにも「幼稚」な手法だ。法治国家として恥ずかしい。

他方、登山者数の規制は可能だ。それが世界のスタンダードだ。アメリカの富士山ことMt.ホイットニーでは、1日の登山者数を100人程度に制限している。スイスの槍ヶ岳ことマッターホルンも同様だ。
これは環境保護のための規制であって、事故防止のためではない。事故防止のために未熟者の登山を禁止するという発想は欧米にはない。事故防止のために登山を制限するのは、日本や韓国などの東アジア的な発想だ。
日本では、混雑を防止するために富士山登山の制限をする必要がある。それjほど富士山は混雑しているのだ。そこに至るまで富士山登山を放置していたこと自体が異常だ。




2023年8月3日
伊吹山、登山禁止?

伊吹山の登山道が土砂崩れで「登山禁止になっているらしい。誰が禁止したのかという点に関心があるが、ニュースでは、「禁止されている」としか言わず、禁止する主体を言わなかった。
日本語の特徴・・・・主語をぼかすこと。源氏物語や原爆の日の首相あいさつでは、たいてい主語をあえて示さない。主語を言わないこと・・・・これは責任主体をあいまいにするということ。
ニュース映像を見ると、登山禁止の看板の下に「上野区長」という記載があった。本来、「上野区長」の下に区長の名前を書くべきだが、それがない。名無しの権兵衛ではダメだ。
「〇〇市長」と書いただけの公文書はない。「〇〇市長〇〇」と個人名を書かなければ、有効な公文書にならない。「〇〇株式会社」という名義では預金通帳を作れないのと同じ。「〇〇株式会社代表取締役〇〇」という名称で預金通帳を作ることができる。

区長は、田舎の自治体にみられる行政上の地位だが、田舎では自治会長や町内会長の代わりを務めるが、区長、自治会長、町内会長に登山道の通行を禁止する権限はない。
警察署長にもそのような権限はない。
登山道の通行を禁止する権限を持つのは、登山道の管理者、もしくは土地所有者だ。
おそらく伊吹山の登山道の管理者は「不明」だと思われる。もちろん、区長は登山道の管理者ではない。
権限のない者が「禁止」しても無効だが、いかにも日本的な現象である。


2023年8月2日
JR廃線問題における無責任

芸備線の赤字区間について廃線が問題になっている
JRは、大幅な赤字路線を廃線にしたい。
住民は、廃線は困ると言うが、自分がJRを利用するわけではない。車の方が便利だからだ。

自治体も、廃線は困ると言うが、金を出すつもりはない。
国は、国鉄が赤字だから分割民営化したのであり、赤字路線に税金を投入すれば、分割民営化したことが無意味になる。国鉄の赤字を国が負担しないために国鉄を民営化したのだ。国は金を出さない。
自由競争のもとでは、不採算部門は競争に負けて閉鎖される。
不採算部門を存続させるのであれば、税金を投入するほかない。が、それは、分割民営化の失敗を意味する。
どうしても必要な公的サービスは、もともと市場原理になじまない。赤字を覚悟して運営する必要があるが、誰も金を出さない。まさに無責任。無責任な者と無責任な機関が集まって、ナントカ協議会で議論をしても、進展はないだろう。
問題は、誰が路線維持の赤字を負担するかだ。

「黒字になるように努力すべきだ」という意見は、経済法則を無視する夢物語であり、100年間議論して夢を見るとしても、現実には意味がない。「現実から考える」ことが必要だ。住民がJRを利用したくないのだから、どうしようもない。






2023年7月15日
祭りでの事故
7月15日、福岡市の夏祭り「博多祇園山笠」に参加していた人が山車にひかれて死亡した。 博多祇園山笠振興会は「参加者が死亡した事例は把握していない」としており、初の死亡事故とみられる。

祭りでの事故は多い。
だんじり祭りや御柱祭りでは、繰り返し死亡事故が起きている。
危険な祭りでは、事故は確率的に起きる。
問題は、日本では、「安全管理するので事故は起きない」前提で祭りが実施される点である。関係者は事故が起きない前提で参加する。それが日本特有の安全・安心文化だ。そのため、事故が起きると民事責任、刑事責任が生じる。

欧米では危険な祭りは多いが、スペインの牛追い祭りなどで、毎年、事故が起きるが、責任問題は生じない。関係者は危険覚悟で、命がけで参加している。刑事責任が問われることもない。

盆踊りではl危険性は低いが、激しい山車を引きまわすような祭りはもともと危険である。事故の確率はゼロではない。それを前提に祭りに参加する必要がある。それが嫌なら、静かな祭りに変更する必要がある。

日本特有の安全・安心文化のもとでは、日本では危険性を伴うツアーができない。しかし、欧米では、これが実施されている。


2023年7月7日
「これでよいのか登山道 第2集 めざそう、みんなの「山の道」」、登山道研究会発行
私も、一部執筆したが、いろんな人が好き勝手にいろんなことを述べている。




2023年6月28日
那須雪崩事故民事裁判の一審判決
 2017年に起きた那須雪崩事故の一審判決があった。
 予想通りの判決だった。
 裁判所は、県の損害賠償責任を認め、教師の損害賠償責任を否定した。
 県は調停時から損害賠償責任を認めているので、判決でもそのようになる。
 国賠法上、公務員は責任を負わないので、判決もそれに従った。公務員に重大な過失があれば、役所が公務員に求償できるが、公務員が損害賠償責任を負うということではない。
 裁判官は法律を無視した判決を出せない。

 国賠法上、公務員が責任を負わないのは、欧米の法律がそうなっているからであり、日本の法律は欧米をまねただけである。それが世界のスタンダードなので、それを無視すると先進国の仲間入りができなくなる。
 
 法的責任=正義と考えると、わかりにい。
 法的責任は、社会を統治するための手段であり、政治的・法律的価値判断の妥協の産物である。それが正しいかどうかを議論し始めると、解決不能の議論になる。
 悪いことをしたから法的責任を負うとは限らない。悪いことをしなくても無過失責任を負う場面がある。悪いことをしても公務員は責任を負わない。民間企業でも同様の扱いがなされる場合がある。
 組織の一員として行う活動では、個人的にやりたくないことでもしなければならない。那須の事故でいえば、登山部の顧問教師は義務として顧問をしている。亡くなった教師はほとんど登山経験がないが、仕方なく顧問を引き受けさせられた。他の教師も、登山部顧問は休日出勤が当たり前なので、仕方なく登山部顧問を引き受ける人も多い。
 個人が責任を負わない代わりに生じた結果については組織が責任を負う。これによって個人が組織のために働き、組織にとって得だ。部活動顧問にはその競技の素人も多いが、個人が免責されるからこそ顧問を引き受けられる。そうでなければ、柔道経験のない教師が柔道部顧問をすることは、恐くてできないだろう。警察官や消防職員は個人責任を負わないからこそ、危険な業務に従事できるのだ。この点は民間企業でも同じである。
 法的には、公務員個人が責任を負ったとしても、役所と公務員の責任は連帯責任なので、役所が損害額を支払えば、公務員の損害賠償責任が消える。役所と公務員の両方が責任を負っても、損害賠償額が2倍に増えるわけではない。役所が破産して支払不能になれば、公務員の個人責任が意味を持つが、役所は市民に税金を課せば、税金で支払可能だ。
 役所が支払不能の場合には、公務員が賠償責任保険に加入すれば、保険会社が代わりに払うことになる。現在は、公務員は損害賠償責任を負わないので、職務に関して賠償責任保険に入る意味が少ない。保険で弁護士費用をまかなえる意味はあるが、公務員相手の裁判の確率は極めて低い。今回の裁判はレアケースなのだが、メディアが大きく報道すると、教師が裁判の被告になるケースを「多い」と感じる人が多い。それで教師の保険加入者が増えている。保険勧誘はある種の不安商法だ。

 公務員を免責する考え方は、古くから欧米で国王の特権として存在した。日本でも、戦前は、国家無答責で、国家や公務員は責任を負うことがなかった。民間企業でも、従業員が職務中に起こした事故の損害賠償は会社が行い、事実上、従業員はほとんど負担しない扱いが増えている。
 世界の潮流に反して、日本で公務員に損害賠償責任を課すことは、立法政策的には可能だ。しかし、それをするのであれば、民間企業でも同じ扱いになり、全国民が幅広く損害賠償責任を負うことになる。損害賠償責任保険加入者が増え、保険会社がもうかる。

 以上は、民事責任の話である。
 刑事責任では個人責任が問われるが、民事責任と刑事責任を混同する人が多い。刑事責任のイメージで民事責任を議論する人が多い。
 欧米では、組織的な事故では刑事責任を問わないことが多く、過失事故の処罰範囲が狭い。しかし、日本や韓国では事故の個人の刑事責任を広く問う傾向がある。
 刑事裁判の方は、起訴された公務員3人が有罪になるかどうか、注目される。


2023年6月26日
大西洋、潜水艇の沈没
 タイタニック号をめぐるツアーだが、全員死亡した。
 日本でこのような事故が起きれば、裁判になり、運営会社に損害賠償責任が生じる。また、運営会社の幹部の刑事責任が問われる。日本では、この種の事故が起きると、警察がすぐにツアー主催者を家宅捜索する。韓国では、世論が大騒ぎをし、即、関係者が逮捕される。

 しかし、アメリカやカナダでは免責同意書にある程度の効力が認められるので、損害賠償責任が生じるかどうか微妙だ(日本では免責同意書は無効)。陪審員次第だ。
 ネットの配信記事に、「消費者問題に詳しい」日本の弁護士が、この事故の免責同意書は無効だと書いていたが、これは日本の法律の話である。当たり前のことだが、この事故に日本の法律は適用されない。日本以外の国では、免責同意書や危険性を承認したことにある程度の効力が認められる。そのため、欧米では、冒険の主催者に損害賠償責任が生じないことが多い。
 この弁護士は、欧米の消費者問題に詳しくないらしく、それで外国で起きた事故について日本の法律の解説をしたのだろう。ピントはずれの解説でも、日本の法律の解説としては間違っていない。このような「ミスを冒さない」テクニックは、日本の試験中心の学校社会で培われる。日本の裁判官も同じである。

 潜水艇は安全上問題があったが、欧米では、それを覚悟のうえの冒険では裁判所が介入しにくい。
 日本では、免責同意書は無効であり、裁判所や警察が事故に介入する。
 世界の中で、日本の法律と裁判所が特殊なのだ。日本は、特有の「安全、安心文化」の国だ。韓国はプチ日本。
  
 今回の潜水艇の事故に関して、関係者を厳罰に処すべきだというのが、多くの日本人の感覚だろう。が、欧米では、そうではない。欧米では刑罰を科すという発想が出てこないだろうが、韓国では関係者の世論叩きと逮捕になるだろう。韓国は日本の文化の縮図だ。
 欧米でも、この事故について民事責任が生じる可能性がないわけではないが、日本、韓国のように損害賠償責任が「自明」ではない。

 欧米では参加者の自己責任を前提にした冒険的なツアーがあるが、日本では無理である。欧米では、1人800万円くらいの参加費でエベレストでのツアー登山が実施されているが、日本ではツアー主催者やガイドに損害賠償責任や刑事責任が生じやすいので、できない。日本でも冒険的なツアーの需要があり、そのような日本人は外国のツアーに参加するほかない。
 危険なことやリスクを嫌う日本の文化は、安心の国をもたらしたが、新しいことへの挑戦をしない傾向をもたらす。新しいことへの挑戦には必ずリスクを伴うからだ。
 欧米で冒険や冒険精神が称賛されるのは、そのような精神が社会を発展させるからだ。
 新型コロナ用のワクチンの認可では、欧米ではリスク覚悟で迅速に認可したが、日本ではリスク覚悟の早期の認可はしない。急いで認可すれば、何かあった時の責任問題を気にする役人が多い。従前同様に時間をかけて認可するのが、日本の役所のスタイルだ。たぶん、大災害の時でも同じだろう。日本では、人類存亡の危機でも、役所の定めたマニュアルが重視される。

 日本では冒険が嫌われる。損得計算をすれば、冒険は「損」だということのようだ。日本人は冒険をせず、外国の冒険精神がもたらした成果をとりいれ、それをマネるのが上手い。それが明治以降の日本のの発展を支えてきた。
 


2023年6月13日
救急搬送中の落下事故

 2023年4月、広島県、三次市で救急隊の搬送中にストレッチャーから患者が落下し、入院していた女性が死亡したことが判明した。警察は、業務上過失傷害の疑いで捜査を続けている。
 救急搬送中の落下事故としては、富士山で遭難者を防災ヘリでピックアップ中に落下した事故、積丹警察の救助隊が遭難者をストレッチャーで搬送中にストレッチャーが落下した事故がある。民事責任は、前者は無責、後者は有責となった。いずれも、刑事責任は問われていない。    街中と山岳地帯では異なると考えがちだが、理屈は同じである。
 山岳事故の救助活動を有料にすれば、山麓、川、海、街中の救助活動も有料になる。
 沢登り中の事故の救助活動を有料にすれば、沢での釣り人の救助活動も有料になる。
 山麓での登山者のの事故の救助活動を有料にすれば、山麓での観光l客や林業従事者のの救助活動も有料になる。


2023年6月10~11日
日本山岳スポーツクライミング協会・夏山上級リーダー資格講習会の講師養成講習会
神戸市

今回、JMSCA(日本山岳スポーツクライミング協会)の夏山上級リーダー資格の講習会の講師を要請するための講習会が開催された。講師を養成する講習会ということ。
私も参加し、法律に関する話をした。

UIAA(世界山岳連盟)が考えるマウンテンリーダー資格は、危険性のある山歩きでのリーダーが対象である。参加者の安全を守ることが重視され、日本で考えるリーダーのイメージよりも厳格だ。夏山上級リーダー資格では、簡単なロープ技術や臨機応変の判断力が求められる。
また、夏山上級リーダー資格では、セルフレスキューも要求されており、これは日本特有の内容ではないかと思われる。UIAAマウンテンリーダー資格では、セルフレスキューは講習内容になっていないようだ。

公募登山などのボランティアリーダーは、法的な安全確保義務が課されるが、法的な安全確保義務の内容として、ロープ技術やセルフレスキューの技術が要求されるわけではない。
つまり、夏山上級リーダー資格の講習内容=法的な安全確保義務の内容ということではない。夏山上級リーダー資格は、法的な要求のレベル以上のものを含んでいる。、

もし、夏山上級リーダー資格が国家資格になれば、夏山上級リーダー資格の講習内容=法的な安全確保義務の内容になる。

            




2023年6月8日
軽井沢バス事故、刑事裁判判決・・・・日本の安全、安心文化
 2016年のツアーバス事故で15人が死亡した事故で、ツアー会社の社長と運行管理をしていた社員の刑事裁判で、実刑の有罪判決を受けた。
 今後、高裁、最高裁と審理が続くのだろう。

 バスの運転手の過失はまちがいないが、管理者も刑事責任を負うのか。
  20年くらい前までは、このような者が刑事責任を負うことはなかった。
 しかし、JR尼崎事故の強制起訴事件などを契機に、管理者の刑事責任が問われるようになった。
 福島原発事故の東電役員の刑事責任を問う裁判もその例だ。
 無罪判決も出ているが、今回は有罪になった。

 明らかに裁判所の刑事責任の対象が拡大している。
 その是非は別として、明らかに、日本では、過失事故の処罰の厳罰化傾向がある。この点は欧米の傾向とは異なる。
 これは安全、安心を求める世論が強まっていることを反映している。「安心」は外国語に翻訳できない日本特有の文化だ。
 厳罰化で事故を防ぐことができると考える法律家が多いが、過失犯には当てはまらない。事故を防ぐには注意能力が必要であり、能力は刑罰では身につかない。能力は訓練が必要だ。
 子供に千罰を与えて勉強させても、能力は身につかない。嘘をつく子供に罰を与えれば、嘘をつかなくなる。これは故意行為なので罰の効果がある。
 しかし、刑罰を重くすれば、国民が安心し、応報感情を満たすので、社会が安定する。
 責任は、社会秩序を維持するための儀式だと述べる社会学者がいる。

 この傾向からすれば、大規模な山岳事故が起き、世論の非難が強ければ、事故現場にいなかったツアー会社の役員、山岳団体の役員、ボランティア団体の役員、登山道を管理する自治体職員などの刑事責任が問われる可能性がある。
 
 城ヶ倉歩道での落石事故について、歩道を管理していた自治体の担当課長が業務上過失致死罪に問われたが、不起訴になった。 


2023年5月5日
ラフティングでの事故 群馬県でラフティングのツアー中に死亡事故が起きた。 ライフジャケットを着用し、ヘルメットを被っていても、運が悪ければ事故になる。 ゴムボートが転覆したので、後知恵で考えれば、ガイドのミスを見つけることは容易だろう。通常、転覆しないはずのものが転覆すれば、どこかにミスがある。 そのミスを法的な過失と考えることも簡単だ。 事前に参加者は免責同意書に署名をしているだろうが、日本では、それは無効とされる。 ツアー業者の損害賠償責任は避けられないが、問題は、ガイドや主催者に刑事責任が生じるかどうかだ。
最近は、刑事責任を問う傾向が強い。




2023年4月25日
水泳教室での溺死事故
水泳教室で5歳の子供が溺死した。
事故後に、注意が足りなかったなどとされる。
「もっと注意すべきだった」、「危機感が足りなかった」・・・・そのようなレベルの安全管理をしていたことが、事故につながった。
これでは、事故が繰り返される。
これは安全管理システムの問題である。5歳の子供が対象の場合、マンツーマンで安全管理しなければ、事故は防げない。
人間は、同時に2人以上の監視ができることもあれば、できないこともある。動き回る2人を同時に監視できるのは、伝説上の聖徳太子だけだろう。
海水浴では、親は5歳の子供から数秒間といえども目を離してはいけない。子供にロープをつけておくという方法がある。

これまでの小学校の学校登山で繰り返し事故が起きている。登山でもマンツーマンで安全管理しなければ、子供の事故は防げない。学校では、教師の数が少ないので、マンツーマンでの児童の安全管理は無理だ。したがって、児童の学校登山はできない。危険性のない場所での遠足程度にとどめる必要がある。山以外の場所でのハイキングであれば、教師の目が届かなくても、重大事故が起きにくい。

中学校や高校では、生徒の自己管理能力がある程度はあるので、一定の学校登山は可能だ。
子供会での川での水遊びでの子供の事故もある。ここでもマンツーマンで安全管理しなければ、事故は防げない。それができないのであれば、川や海では子供会活動をしないことだ。プールでは、低学年ではマンツーマンに近い管理が必要だろう。

冬山での高校登山部の安全管理も難しい・・・・・そのため文科省は高校登山部の冬山登山を原則として禁止している。


2023年4月20日
安芸高田市の行政の過剰なパターナリズムがもたらす間違った指示
安芸高田市の窓口で、事件処理に必要な戸籍謄本の申請をした。
事務員が依頼者の改製前原戸籍の謄本1通を取りに市役所に行き、改正前原戸籍謄本1通の申請をした。
これは、単に、依頼者の改正前原戸籍謄本1通が必要だったからである。
しかし、市の窓口の職員は、依頼者の「祖父、曾祖父の原戸籍を取る必要がある」と教示をした。
当職事務員は戸籍の知識がないので、市職員の指示通りに申請書を訂正し、祖父、曾祖父の原戸籍計4通が交付された。このうち3通は、当初、申請していない書類だった。
市職員の間違った教示により、3通の無駄な書類が交付された。

市の窓口の職員が「祖父、曾祖父の原戸籍を取る必要がある」と教示をしたのは、依頼者の相続人を調査するためだろう。これは相続人全員を把握するために必要な書類である。
市の職員は、弁護士が相続人調査をしていると勘違いをし、このように言ったと思われる。
しかし、弁護士の受任事件は相続とは関係がない(依頼者は相続放棄をしていた)。
市の職員は「祖父、曾祖父の原戸籍を取る必要があります」と言う前に、事務員に相続人調査をするのかどうかを確認する義務があった。
市職員が「相続人調査をされますか」と尋ねれば済む問題である。
事務員は相続という言葉を言っていないし、その発想はまったくないので、「申請は相続と関係がありません」と答えるはずだ。
職員がその確認をすることなく、、「祖父、曾祖父の原戸籍を取る必要があります」と言えば、戸籍の知識のない事務員は「改製前原戸籍謄本1通ををとるには、それが必要なのか」と思ってしまうだろう。
職員に、確認義務違反の注意義務違反があった。

翌日、この件について、市役所窓口に苦情を言ったら、市役所は「申請者の同意があった」ことを理由にまったく取り合わない。
市の職員に間違った教示、裁量権を超える不適切な指示、確認義務違反があれば違法であり、申請者の同意は違法性を阻却しない。この場合の同意は無効である。
市には、問題解決能力がない。
市の間違った教示自体はよくあることであり、それ自体はそれほど問題ではない。すぐに是正措置をとれば、問題は生じない。しかし、それに適正に対処しないことの方が問題が大きい。
マニュアル的な思考しかできない市の職員には、問題を解決できるだけの能力がない。

こんなことが当たり前になれば、弁護士は戸籍の知識のない事務員を雇用できなくなる。事務員が弁護士の指示通りの申請をしても、市職員の間違った教示により必要な謄本をとることができないからである。
事務員は市の職員に対し、「これは相続人調査ではありません」と言い、市の職員が勘違いしないようにしなければならないのか。
市職員の思い込みに基づく間違った教示を是正できるだけの知識・・・・それは弁護士並みの知識・・・・がなければ、改製前原戸籍の謄本1通すらとれないことになってしまう。
安芸高田市では、毎回、事務員ではなく、弁護士が窓口に行かなければならないのか。
しかも、問題が起きた場合に、市職員にはそれを解決できるだけの能力がない。
これが安芸高田市のレベルだ。

これはささいな問題だが、このようなことが市と市民の間で日常的に行われているはずであり、看過できない重大な問題だ。
市に対し内容証明郵便を出し、国賠訴訟の提起を検討している。
裁判になれば、市は顧問弁護士に高額な費用を払い、これは税金から支出される。


2023年4月20日
宮島の入島制限
 先進7カ国首脳会議(G7サミット)で首脳訪問の候補地となっている広島県廿日市市の宮島で5月中旬の3日間、観光客の入島制限が計画されている。 これは行政指導による制限だと思われる。行政指導には法的拘束力がない。したがって、入島制限による店舗等の休業補償もしないことになるのだろう。法的拘束力がなくても、事実上、強制するというのが日本的なやり方だ。無法治国家、日本。行政指導に法的根拠はいらない。

 宮島はフェリーでなければ入島できない。フェリー会社は、施設管理権に基づいて、許可証がなければ乗船させない扱いができる。これは法的根拠のある規制だ。フェリー会社は行政指導に従う義務はないが、役所に逆らうとどんなひどい目に遇わされるかわからないので、フエリー会社は行政指導に従うだろう。
 フェリー会社の施設管理権に基づくこの運用が、憲法14条、移動の自由、一般的自由権などにに違反するか。憲法の私人間適用の問題になるが、間接適用説が通説だ。フェリー会社の運用が公序良俗に違反するかどうか。裁判所は違法とはしないうだろう。

 フェリーを使わずに個人的に船で宮島に入島する場合には、フェリー会社の管理権は及ばない。これも、行政指導に従うかどうかは、個人の自由である。漁民は自分の船で自由に宮島に出入りできる。
 

2023年4月19日
「山岳ボランティア活動で生じる注意義務」、溝手康史、日本山岳文化学会論集20号、2023年3月


2023年4月18日
キャンプ場で木が倒れた死亡事故
神奈川県の新戸キャンプ場で倒木委による死亡事故が起きた。
キャンプ場に安全管理する責任がある。この工作物責任は、無過失責任制度。キャンプ場に設置管理の瑕疵があれば、管理者に損害賠償責任が生じる。設置管理の瑕疵は、「通常有するべき安全性」を欠くことを意味する。木が倒れることは、「通常有するべき安全性」とはいえない。倒れるような木を放置していたことは、設置管理の瑕疵に該当する可能性が高い。
また、日本では、この種の事故で刑事責任が問われることもある。
木の近くでキャンプをしたいという人もいる。ハンモックを使うには、近くに木が必要だ。リスクを覚悟のうえで木の近くでキャンプをする人もいるが、そのようなリスクの承認は、日本の裁判所と世論はほとんど認めない。結果的に事故は起きれば、責任が生じやすい。
アメリカでは、キャンプじゃにしばしばクマが出没する。「熊の出没に注意」の看板が掲示されており、裁判所は、キャンパーが熊に襲われても管理者の責任を認めなかった。
日本では、このような事故が起きれば、裁判所は、損害賠償責任と管理者の刑事責任を認めるだろう。それがキャンプ大国アメリカと違う点だ。
アウトドア大国のカナダやニュージーランド、ドイツ、北欧でも、自然の中での利用者の自己責任の範囲が広く、アウトドア活動が法的に保障されている。
日本では、自然の中での利用者の自己責任の範囲が狭く、アウトドア活動が法的に保障されていない。

今後、キャンプ場の木が撤去されるのではないか。キャンプ場は、焚火禁止、犬の持ち込み禁止、ハンモック禁止、自転車禁止・・・・日本は禁止国家だ。これではアウトドア活動は発展しない。
街路樹、公園や学校の木も撤去されることが、加速されるのではないか。
神社の木も倒れれば管理責任が生じるが、神社の樹木をすべて撤去するわけにはいくまい。
個人の住居でも、庭の樹木が倒れて、配達員が下敷きになれば、住居の施設管理義務違反に問われる。

このように倒木の危険性を考えるとm切がないが、一般論としては、倒木の確率が低いので、それほど心配する必要はない。施設管理保険や個人賠償責任保険に加入しておけば足りる。個人賠償責任保険は火災保険に付帯していることが多い。


2023年4月17日
だんじり祭りでの事故
祭りでの事故は昔から多いが、リスクマネジメントがない。
祭りの関係者は、ボランティア活動であり、それで事故の刑事責任を問われるのは割に合わない。
危険な祭りは、リスクを覚悟のうえで実施する必要がある。
観客も危険性を理解して、見物すること。
危険性の承認・・・・日本ではこれが理解されにくい。日本の裁判所もこれを認めない。
したがって、日本では、危険な祭りを実施すべきではない・・・・・これがリスクマネジメントになる。日本では、だんじり祭りや御柱祭りなどはしない方がよい。欧米であれば、可能だが。
高校の登山部は、ハイキングとスポーツクライミングだけにし、高校生の本格的な登山は学校外のクラブで行った方がよい。欧米には、高校に「登山部」はないと思われる。


2023年3月29日
保津川川下り事故

京都の保津川の川下りで船の転覆事故が起きた。
事故の原因は船頭の操作ミスにある。
雇用主は使用者責任を負うが、このケースでは、個々の船頭が事業者であり、管理する組合は雇用主ではないようなので、組合は使用者責任を負わない。
最近の傾向として、雇用主企業の代表者や管理責任者の刑事責任も追及されることが多いが、組合や組合理事者の管理責任jが生じるのかどうか不明だ。

人間のミスは必ずどこかで生じ、それは確率の問題だ。
廃業になった天竜川の川下りもそうだが、保津川の川下りはラフティングの一種である。
しかし、アウトドアスポーツとしてのラフティングと違い、伝統的な川下りはリスク対策が不十分である。
木船は転覆しやすく、客はそのスリルを味わうのだが、事業者と参加者にそのリスクの認識がない。
客観的な危険性と危険性の認識の間に大きなギャップがある。

問題点として、
激流を下るのに転覆しやすい船を使ったこと。ゴムボートではないこと。
いつ転覆してもよいように、ライフジャケットは膨らませる方式ではなく、常時、空気が充満していることが必要だ。カヤックやヨットではそのようなライフジャケットを使う。
伝統的なオールが操作しにくい。
無線機を携帯していなかったこと。
などの点で、リスク対策が不十分である。

伝統的な川下りは客を乗せなければ問題はないが、客を乗せて観光用にレジャー化した時点で(おそらく数十年前)、既にリスク対策が不十分だった。
それが長年、継続されてきた。
それがこの事故で露呈された。
伝統的な形態の川下りではなく、現代のラフティングとしてゴムボートを使用する必要がある。
アメリカでは免責同意書が有効だが、日本の裁判所は免責同意書の効力を認めないので、日本では伝統的な形態の川下りを実施するのは無理である。

日本で多く行われている伝統的な危険な祭りも、日本で行うのは無理である。
欧米では、関係者や観客が危険を了解したうえで実施されているが、日本の裁判所と世論はそのような考え方を認めない。日本では、事故が起きれば、関係者が刑事責任を厳しく問われる。
日本は、危ないことしてはいけないという世論が強く、冒険に否定的な社会だ。


2023年3月26日
日本のアウトドア活動のモヤモヤ感
3月に発行された「アウトドア六法」、山と渓谷社を読んで、「モヤモヤ感が解消しなかった」という感想があった。
この本を読んで、モヤモヤ感を感じたということ・・・・これがこの本の目的でもある。
日本では、アウトドア活動は不法ではなく、「無法」であると述べた研究者がいる。無法・・・法律がないということ、あいまいだということである。
アウトドア活動に関して日本の法律はあいまいである。違法かどうかよくわからない。アウトドア活動はほとんど黙認行為として行われている。目立てば、世論から叩かれ、世論の圧力で制限されるが、目立たなければ黙認されることが多い。
その点が、日本のアウトドア活動の特性である。これを理解することが大切だ。
この本は、「日本のアウトドア活動が法的にあいまいである」ことを「明確に」書いている。

あいまいなことをあいまいなものとして理解することが必要だ。それにモヤモヤ感を感じる人は、「ものごとは明確であるはずだ」という思い込みや願望が強いからだろう。
日本人は、小さい頃から、規則に縛られて管理されて育つ。そこでは、「できるかできないか」が細かく規律される。会社や役所でも、規則に縛られる。しかし、実は、そのような規則の多くが、法的根拠があいまいなのだが、それに気づかない人が多い。かりに、気づいたとしても、組織や集団、世論の圧力にさからうことができない。

アウトドア活動でも、役所の行政指導や世論を「ルール」だと考えれば、似たような状況になるが、法的にはそうではない。
法的にあいまいなものを明確に書くのは、無理である。
それにもかかわらず、「アウトドア六法」という本の出版を企画した山と渓谷社は、かなり大胆だ。私がこの本を企画したわけではない。私は原稿の監修を頼まれただけだ。

問題は、あいまいな日本の法律にある。
アウトドア活動に関する法律が何故あいまいなのか・・・・それは、その方が役所にとって都合がよいからだ。
新型コロナ対策と同じである。日本では、欧米と違って、新型コロナ対策法律ではなく、法的にあいまいな行政指導で対処した。この点を理解いている日本人は少ない。法律と行政指導の区別ができない人が多い。どちらも「お上」が決めたことfだと考える人が多い。それだから行政指導が政治的な効果を持つのである。
日本が欧米並みの法治国家になるには、あと50年かかるのではないか。

現状では、アウトドア活動は、法的にあいまいなので、目立たないように行うことが必要だ。
今後、アウトドア活動を明確にする新たな立法が必要である。


2023年3月25日
「新・高みへのステップ」発行
国立登山研修所発行「新・高みへのステップ」4部、5部が発行された。
「高みへのステップ」の新版である。
旧版の「高みへのステップ」は、持っていても内容的に使うことがない本だったが、裁判で引用されることが多く、知名度だけが目立つ本だった。それに対し、新版は現実に役に立つ本だ。
1~3部は発行済み。計5分冊。
私は、1部と5部の一部を執筆した。

書籍の購入が可能だが、、デジタル版は下記サイトで無料で閲覧できる。

 国立登山研修所ホームページ(https://www.jpnsport.go.jp/tozanken/home/tabid/213/Default.aspx)


2023年3月14日
「アウトドア六法」、山と渓谷社

2023年3月刊、1980円
私も監修者の一人になっている。

監修とは何か・・・・・よくわからない。監修を英訳すると、編集、監督になってしまい、監修に見合った英語がない! これもあいまいな日本語とあいまいな日本文化のひとつか。

監修者は著者とは別であり、著述内容の責任は著者にある。著作権は著者にある。しかし、内容の責任は監修者が持つことになるのではないか。
監修時にすべて書き直したくなる場合もあるが、監修者は著作者ではないので、それはできない。
監修者は、編集者でもない。
監修・・・・・これもあいまいな日本の文化のひとつだろう。

従来、この種の本はなかった。それは、法的にあいまな分野だからだ。アウトドア活動は、法律の無法状態、法律の隙間で行われている。
あいまいな分野を本にすること・・・・これはかなり勇気と大胆さが必要だ。あいまいなことを「正確に」記述することは難しい。
法律のあいまいさ・・・・これは、自然に対する法律のあいまさだ。従来、経済的利益中心の日本では、経済的利益をもたらすことが少ない自然は、法律の対象外だった。法の無関心。
しかし、ヨーロッパでは、かなり前から自然へのアクセスが国民にとって重要な問題として意識され、自然へのアクセスを容易にする法的な努力がなされてきた。
日本でも、近年、アウトドア活動人口が増えているが、法的な扱いがあいまいなので、トラブルが続出している。
そのようなトラブルは、世論の非難と、これまた、あいまいな行政指導で対処しようとするが、うまくいかない。
川原でのバーベキュー問題。バイクで川原に乗り入れる行為をマスコミは「迷惑行為」とするが、法律はあいまいである。犬連れ登山の可否。
日本でも、「自然アクセス法」が必要である。

分厚い本ではないので、詳細な解説をするのは無理だが、法律の概要を知るには手頃な本だろう。


     


2023年2月5日
グローバル化と世界のスタンダード

グローバル化した社会では世界のスタンダードを学ぶことが必要になる。
従来、日本の社会は世界から孤立していた。
企業、政治、経済、法律、裁判、教育、スポーツ、労働などにおいて、日本はタテマエとしては欧米と似た制度を持っているが、その運用は日本独自のやり方が多い。
欧米のような残業規制があっても、ザル法である。
議院内閣制や選挙制度があっても、日本は、投票率が低く、国民の意志が政治に反映されない。実態は、利権で動く野合政治だ。
裁判制度は欧米と同じでも、実態は裁判官の独立がなく、検察主導の刑事裁判だ。
教育制度は欧米のマネをしているが、実態は、戦前から引き継いだ知識偏重の発展途上国型の管理教育だ。

 今回、JMSCAの夏山リーダー資格がUIAAの認定資格になった。
従来、日本では、山歩きではロープ技術は必要ないという考え方が強く、JMSCAでも夏山リーダー資格にロープ技術を必要としていなかった。しかし、UIAAの夏山リーダー資格は簡単ロープ技術を必要としている。
 JMSCAが夏山リーダー資格にUIAAの認定を得る過程で、夏山リーダー講習にロープ技術の講習を付け加える必要があった。
 
 従来、日本で、山歩きでロープ技術は必要ないという考え方が強かったのは、登山道の整備の仕方と関係がある。日本の登山道は、岩場に梯子や鎖が設置され、誰でも歩いて山頂に登れるように作ってある。日本の山はすべてロープ技術がなくても山頂に登ことができるようになっている。そのような登山道の実態が、夏山リーダーにロープ技術を不要とさせたのだろう。
 しかし、UIAAの基準では、ロープ技術がなければ、山歩きリーダーができない。
 登山がグローバル化しなければ、日本固有のリーダー観でも、それほど問題は顕在化しなかっただろう。リーダーにロープ技術がなければ、岩場でリーダがロープでパーティーのメンバーを援助することができないが、誰もがそれが当たり前だと考えていれば、不満は出ないだろう。
 しかし、登山がグローバル化すれば、外国の登山者が多く日本に来る。日本のリーダーがロープでパーティーのメンバーを援助することができなかったために事故が起きれば、事故が国際問題化しかねない。そのような技術不足の日本のリーダーを訴える外国人登山客が出てくるかもしれない。
 リーダー資格を国際的な水準にすることは、そういう意味がある。
 リーダーはどうあるべきかという議論において、日本固有の議論ではガラパゴス化しやすい。
 リーダーはどうあるべきかという議論に正解はない。欧米のリーダー観が「正しい」ということではない。しかし、欧米の水準が世界水準になるので、それを無視すると多くの紛争が生じやすい。

 日本では、バックカントリースキーを「コース外滑降」として世論が非難するが、これは世界の中で特異である。ガラパゴス。世界では、バックカントリースキーは公認されたスポーツだ。それで山岳スキーがオリンピック種目になった。
 バックカントリースキーの事故防止の問題は、バックカントリースキーを「コース外滑降」として非難することとは別問題だ。バックカントリースキー以外にも、クライミング、スキューバダイビング、パラグライダー、乗馬、体操、ラグビー、柔道など危険なスポーツはいくらでもある。



2023年2月1日
大山でのバックカントリースノボ事故

大山でバックカントリーでのスノーボーダーの事故の報道があった。
山頂から二ノ沢を滑降中に、3人が雪崩に巻き込まれたらしい。スキー場と関係ない場所での事故だが、マスコミは「スキー場のコース外滑降」と報道していた。
二ノ沢は雪崩の巣・・・・・近づかないのが登山者の鉄則。3月に雪が締まり、気温が低ければ登攀可能かも。しかし、二ノ沢は3月にはたいてい落石の巣になる。
三ノ沢であれば、3月に滑降できる。
新雪時に二ノ沢を滑降する発想は、命がけの冒険家なのか、単に無知なだけなのか。世界にはそういう冒険家はいるが、たいてい長生きできない。


2023年1月28日
アウトドア活動のグローバル化と法文化、
従来、日本は欧米との交流が少なく、日本の文化は独自の発展をとげてきた。
「日本の常識は世界の非常識」ということが多かった。
これに気づかない日本人が多いのは、世界を知らないからである。知っているつもりで知らない。
世界の潮流は欧米の文化がスタンダードになっている。
それがよいかどうかではなく、現実にそうなっているというだけのことだ。
英語が世界の共通語になりつつあるが、これは、英語が、ドイツ語、フランス語、中国語などよりもすぐれているからではない。
パソコンのWordが主流になっているのは、それがすぐれているからではない。日本語ソフトとしてWordは使いにくいが、世界でそれが主流になったので、使わざるをえない。
アウトドア活動でも、欧米の文化が世界を支配している。

アウトドア活動も欧米化せざるをえない。
日本、中国、韓国の文化は、「禁止されない範囲でアウトドア活動を行う」というものだが、欧米ではそうではない。日本、中国、韓国は禁止国家である。これでは、世界の潮流から取り残される。
具体的には、日本でアウトドア活動をする欧米人が増えると、日本では規制が多いので、トラブルが増えるだろう。日本に来る欧米人が増えると、日本の禁止や規制が世界の潮流にそぐわないことが次第に明らかになるだろう。アウトドア活動でも「規制緩和」が必要なのだ。

従来、クライミングは日本では危険な行為として世論からの非難の対象だった。しかし、クライミングがオリンピック種目になると、クライミングに対する世論が一変し、一気に非難が減った。
今の日本ではバックカントリースキーに対する世論の非難が強いが、山岳スキーがオリンピック種目になったので、今後、これは変わるだろう。
欧米では、バックカントリースキーがさかんであり、今後、日本でバックカントリースキーをする欧米人が増えるだろう。
日本の外国人登山者の主流は韓国人であり、韓国の法文化は日本に似ている。しかし、今後、日本で登山をする欧米人が増えるだろう。欧米欧米の法文化は日本とは異なる。
日本では、アウトドア活動中の事故に刑罰を科すことが少なくないが、欧米ではそうではない。
日本では、「危険なことをしてはいけない」という文化が強いが、欧米には冒険を称賛する文化がある。
決められたことをミスなく遂行することを重視する文化。指示されなければできない文化。型にはまったことしかできない文化。冒険を恐れ嫌う文化。テストの成績で能力を判定する文化。
これでは、社会が発展しない。

アウトドア活動は自然がもたらす危険性を承認したうえで行う活動だが、それにふさわしい法解釈をする文化が日本にはない。

刑事裁判でも、日本で逮捕される欧米人が増えれば、日本の刑事裁判の特異性が世界から叩かれる。司法の分野では、「日本の常識は世界の非常識」が多い。
そのような外圧によって日本の刑事司法が変わる可能性がある。言い換えれば、そのような外圧がなければ、日本の司法はなかなか変わらない。司法におけるペリー来航が必要なのだ。日本では、内圧をもたらすべき国民の力が弱く、管理する側の力が強い。


2023年1月27日
白馬乗鞍岳での雪崩事故
白馬乗鞍岳で雪崩が起き、外国人ツアー客5人が被災した。
マスコミが「スキー客」と報道したので、ガイドツアーかと思ったが、そうではなく、ガイドはいないようだ。
ガイドがいるから客なのだが。紛らわしい報道だ。
ネットを見ると、バックカントリースキーを禁止しろ、救助費用を有料にしろなどの意見がある。
しかし、このスキー場はバックカントリースキーヤーがスキー場のリフトを利用することを認めている。

欧米でバックカントリースキーを禁止していないこと、山岳スキーがオリンピック種目になっていることから、先進国の中で日本だけが禁止することはできない。中国、韓国などの「禁止国家」とは違う。
マスコミがバックカントリースキー中の事故をことさらに大きく報道するので目立つが、バックカントリースキーでの死傷者は多くない。アウトドア活動でもっとも死傷者が多いのは、海水浴だ。海水浴での死亡事故は非常に多いので、大きく報道されず、国民から叩かれない。
事故件数が
バックカントリースキー中の死傷者が少ないから、世論から叩かれるのだ。出る杭は打たれる。
遊泳や釣りを禁止しろという意見はない。
「許可された行為だけができる」と考える人が多いが、そうではなく、原則自由、禁止が例外的なのである。それが世界のスタンダードだ。
バックカントリースキーの禁止は、冬山登山の禁止、キャンプの禁止、夏山登山の禁止、海水浴の禁止、釣りの禁止などにつながる。
法的には、バックカントリースキーと、雪の中をスキーで歩いて山の中でキャンプすることを区別できない。
少しでも降雪があれば雪山になるので、冬山登山の禁止は降雪の可能性のある時期の登山禁止になる。
12月以降は高尾山が登山禁止になるか。
山の中にある神社に積雪があれば、正月の参拝は雪山登山だ。
川や海での遊泳や釣りを禁止せず、冬山だけを行動禁止にするのは、平等ではない。

救助費用の有料化は、救急車の有料化を意味する。
救急ヘリの有料化をすると、災害時や観光客、離島での活動なども有料になる。
御嶽山の噴火事故で多くの登山者が被災したが、これは山岳事故である。救助費用をすべて有料にするのか。
アメリカでは、街中の救急車は有料だが、山岳救助費用は無料である。アメリカの民間人の救助活動はボランティアであり、無料だ。




2023年1月13日
羊蹄山雪崩事故

 北海道の羊蹄山で、13日午後2時半前、羊蹄山の中腹で雪崩が発生、ガイドを含むヨーロッパ国籍とみられる外国人10人のうち女性1人が巻き込まれ、死亡した。バックカントリスキー中の雪崩事故のようだ。
 
 羊蹄山ではバックカントリースキーがさかんであり、ツアーもある。これは「コース外滑降」ではない。
 通常、この種の事故では世論が激しく非難するが、被害者が外国人の場合は、世論はあまり反応しない。
 雪崩事故が起きたということは、通常は引率ガイドの判断ミスがある。
 日本では、この種の事故では民事責任だけでなく、ガイドの刑事責任が問われる。
 しかし、外国人ガイドの場合には、それはないだろう。不起訴の可能性が高い。世論が激しく非難しない場合には、検察の対応が緩い。日本の司法は世論で動く。 

 欧米では、日本と違い、バックカントリースキーの人気が高い。それで、今後、これがオリンピック種目になる
(スキーマウンテニアリング)。今、日本はあわててオリンピックの準備しているが、日本のスキーマウンテニアリング人口は約150人程度である。

 欧米では、日本と違い、バックカントリースキー中の事故で刑事責任を問うことはほとんどない。
 欧米では、過失刑事責任を問う範囲が日本よりも狭いのだ。日本は過失に対し厳しい国なのだ。
 日本と欧米で法文化が異なる。
  
 登山がグローバル化する、とこういう問題が生じる。
 日本特有の法文化を外国人に適用しにくい。

 子供連れ去りの問題でも、日本と欧米では裁判所の対応が異なる。
 日本では、裁判所は、父親による子供の連れ去りには厳しいが、母親による子供の連れ去りを容認する傾向がある。これは、「子供は母親が育てるもの」という社会的価値観が強いからだ。日本ではハーグ条約を骨抜きにする傾向がある。



2023年1月4日
JMSCA上級夏山リーダー資格のUIAA承認
 JMSCA(日本山岳スポーツクライミング協会)の上級夏山リーダ資格がUIAA(国際山岳連盟)の承認を得た。JMSCA上級夏山リーダー資格の検定講習会を、UIAAの担当官のスティーブ・ロング氏が来日して審査し、JMSCA上級夏山リーダー資格がUIAA認定資格として承認された。これは、ボランティアの夏山登山のリーダーの資格である。
 講習会は日本語で実施するが、資料の作成やUIAAの担当官への説明は英語で行うので、大変だ。

 従来の日本夏山リーダー資格は、リーダーにロープによる安全確保技術を必要としていなかった。
 しかし、UIAAのリーダー資格は、リーダーにロープによる安全確保技術を必要としている。これが世界ではスタンダードだが、日本ではそうではない。
 これまで、日本での夏山縦走のリーダーに簡単なロープ技術が必要だという考え方は、山歩き中心の山岳会などになかった。それは日本特有のリーダー観だ。

 私がJMSCAの上級夏山リーダー資格に関わるようになったのは2020年からだが、それよりも何年も前から多くの人が、JMSCAの夏山リーダー資格をUIAAの認定資格にするために尽力していた。
 さらに言えば、JMSCAの夏山リーダー資格の創設、それ以外のJMSCAのさまざまな資格の創設、運営に、何十年もの間、多くの関係者が従事してきた。それらはすべてボランティアである。
 UIAAの理事者、担当官も、一部の専従事務職員を除き、ほとんどが無報酬のボランティアである。多額の報酬を受け取っているIOCやFIFAの理事者とは違う。UIAAは営利事業を行っていないので、利権が生まれる余地がない。
 JMSCAや山岳団体の役員もたいてい無報酬のボランティアである。
 
 なぜ、多くの関係者がボランティアでこのような活動をするのだろうか。
 「なぜ、人は、ボランティア活動をするのか」は、「なぜ、人は生きるのか」に似た難問もしくは愚問である。ボランティアをするのに理由はいらない。

 登山をしない人は、山岳団体の役員が道楽で活動しているくらいにしか考えない。また、登山者には、「山岳団体の役員が活動するのは当たり前」くらいに考えて山岳団体から無償のサービスを受ける人が少なくない。ボランティアのリーダーを安上がりのガイドと考える人もいる。
 しかし、ボランティア活動の恩恵を受けた人の中に、やがて自分がボランティア活動の中心を担う人が出てくる。そこには、「恩返しの気持ち」がある。
 社会への恩返し・・・・これは大切だ。北欧などでは、それがボランティア活動の精神を支えているのではないか。
 他方、アメリカなどの富裕層の慈善事業は、競争の勝者であることに対する後ろめたさの気持ちが根底にあるのではないか。弁護士の「プロボノ活動」も似たようなものだろう。これは金を稼いでいる弁護士の慈善事業のイメージが強い。普段、ボランティア活動をしている弁護士は、「プロボノ活動」という言葉を使うことはない。必要ないからだ。

 それでもボランティアでの講習会などで事故が起きると、講師などに損害賠償責任が生じることがある。
 これでは、登山関係のボランティア活動などできないと考えても、不思議ではない。
 それで、私は、「ボランティア活動の責任」(共栄書房)という本を書き、「山岳ボランティア活動で生じる注意義務」(日本山岳文化学会論集20号、2023、予定)を書いた。