紛争の当事者と法律家の関係
                    弁護士 溝手康史


本稿のテーマ
 本稿は、紛争の解決過程における当事者とその代理人としての法律家の関係を扱ってい
る。ここで言う紛争の解決は、交渉での合意、調停成立、裁判の中での和解、判決、審判
などをさしている。個々の紛争とそれを引き起こす人間はすべて個性があり、法的紛争の
内容と解決過程は個々の事件で異なる。本稿は、私の経験に基づいて書いているが、「こ
うすればうまくいく」という経験の一般化は危険である。一般的な経験則に基づく判断よ
りも、現実に基づく臨機応変の判断の方が大切である。しかし、さまざまな経験を、個々
のケースごとの臨機応変の判断の参考にすることは可能だろう。

適正な紛争解決とは何か
 紛争の解決に当たる法律家は、「適正な紛争の解決」をめざすが、その内容を一義的に
決定することは難しい。法律家が考える「適正な紛争の解決」と当事者の考えが異なる場
合がある。
 ある土地の境界紛争のケースで、その地域は、何筆かの土地の公図上の土地の地番と現
実の占有状態が混乱していた。公図上、隣家の所在地の地番と私の依頼者の住居の地番が
入れ替わっていた。公図は測量図面ではなく、地番の混乱は明治の初期の不動産登記法施
行時から始まっていた。土地所有権の範囲の確認と公図を訂正する必要があり、話し合い
が行われたが、合意できなかった。合意できなかった理由は、田舎の隣人同士の関係によ
く見られるように、昔から隣人同士の仲が悪かったことにある。
 調停を経て訴訟になったが、裁判では、江戸時代に遡る占有に基づく時効取得の成否が
争点になったほか、公図訂正のための和解協議に時間が費やされた。この係争不動産は、
田舎にある住居の敷地であり、依頼者の生存中に売却する予定がなく、かりに売ろうとし
ても買い手がつかない物件だった。私の依頼者は、自分の住居の居住の権利を確保したい
と考えて、土地の所有権確認訴訟を提起した。公図訂正をすることが望ましいが、公図訂
正ができなければ、土地の所有権確認だけでもよいというのが、そもそもの私への依頼の
動機である。依頼者は、「安心して土地を使用できれば、それでよい」と考えていた。
 しかし、裁判官と相手方代理人は、「公図を訂正しなければ、紛争が解決されたことに
ならない」と考えた。裁判所の中で公図訂正のための和解協議が、1審で1年間、高裁で
2年間行われ、裁判所は実に粘り強かったが、合意できなかった。合意できなかった理由
として、相手方が公図訂正に金銭(いわゆるハンコ料のようなもの)を要求していた点が
ある。相手方が公図訂正に金銭を要求したのは、両家の仲が悪かったからであり、私の依
頼者がそれを拒否した理由も同じである。このような状況を高裁の裁判官は、「私には理
解できません」と述べた。
 「土地の所有権を確認するだけでは、紛争を解決したことにならない」という法律家の
考えが、裁判を長期化させた。「土地所有権を確認するだけでは、あなたの子供が困るこ
とになる」と言う裁判官に対し、私の依頼者は「余計なお世話だ」と反発した。親子の関
係はさまざまであり、親と子供の利害が同じとは限らない。土地所有権を確認する内容で
紛争の早期解決を主張する私に対し、高裁の裁判官は、「代理人として無責任である」と
非難し、私は、「弁護士は裁判所の代理人ではない」と述べた。相手方が最高裁まで争っ
て確定した判決は、100年以上も前に始まる占有による取得時効を理由とする所有権確
認の判決だった。
 最初の交渉から判決の確定までに約6年かかったが、土地の所有権の範囲を確認する内
容で終わった。結局、法律家が考える「望ましい紛争解決」は実現できなかったが、依頼
者は、所有権確認の判決に満足し、判決の後、しばらくして70代後半の年齢で亡くなっ
た。紛争が長期化したために、依頼者は人生の最後の時間の多くを裁判のために費やすこ
とになった。
 法律家は、ともすれば、法律に基づいて望ましい紛争解決を考えるが、望ましい紛争の
解決内容は多様である。法律家からみて、「それでは紛争を解決したことにならない」と
考えられる場合でも、当事者にとってはそうではないことがある。法律家と当事者で、望
ましい紛争解決の内容が異なるのは、判断の基準が異なるからである。上記のケースでい
えば、法律家は、「土地の地番を実態と一致させるべきである」と考えたが、依頼者は、
紛争を早く終わらせることを望んでいた。
 
どこまで当事者を説得すべきか
 何年も別居している夫婦間の離婚紛争では、法律家は、「離婚相当の事案である」と考
え、その方向で紛争を解決しようとすることが多い。裁判になれば離婚判決が出ることが
想定されるケースでは、調停委員や裁判官は、その方向で調停や和解を成立させようとす
る。当事者の代理人もその方向で当事者を説得することが多い。
 しかし、現実には、絶対に離婚に応じないという当事者がおり、代理人は苦労する。別
居中の夫婦の一方が、離婚に応じない理由は、婚姻費用をできるだけ多く取得したいと考
える場合や相手方から慰藉料を取得したいと考える場合などさまざまである。相手方が有
責配偶者ではない場合でも、相手方を困らせたいという復讐心から離婚に応じないケース
もある。このような理由は、法律的にナンセンスであり、受け入れがたいと考える法律家
が多い。「それは離婚に応じない理由になりません」と述べる法律家は、依頼者から反発
を受けやすく、代理人を解任する当事者もいるだろう。
 私は、当事者に法律的なアドバイスはするが、離婚するかどうかの選択は当事者の自由
意思に委ねるべきだと考えている。「離婚相当の事案」であっても、離婚するかどうかは、当事者の人生の選択の問題である。法律家は、当事者の自由意思を損なうような強引な説得をすべきでない。
 当事者を強く説得しない代理人は、「離婚相当の事案」で調停や和解をめざす裁判所か
ら嫌われやすい。代理人の中には、裁判官の意向と当事者の意向の板挟みで悩む代理人や、裁判官の意向に基づいて当事者を説得できなかった場合に、裁判官に謝る代理人もいる。しかし、代理人と裁判所では、その立場が異なり、考え方が異なるのは当然である。裁判所がめざす紛争の解決内容と、当事者が望む紛争の解決内容は、もともと、同じではない。裁判所は、「紛争の早期解決」や「適正な解決」をめざすが、当事者がそれを受け入れないことが多い。別居の継続によって婚姻費用の支払を受け続ける配偶者や、建物からの明け渡し請求の被告は、紛争の長期化を望むことがある。紛争の早期解決や和解を望まない当事者については、代理人は当事者の意思を尊重すべき立場にある。
 このような代理人の立場を理解しない(と言うよりも、否定ないし批判する)調停委員
や裁判官が少なくない。私は、民事、家事の調停委員を20年近く務めているが、しばし
ば、同僚の調停委員から、「代理人が当事者を説得してくれないので困る」という不満を
聞く。私は同僚の調停委員に、「代理人は、そういうものです」、「当事者を説得するの
は、調停委員の仕事ですよ」とアドバイスしている。
 調停や和解時に代理人を説得する調停委員や裁判官が多いが、代理人が納得しても、当
事者が納得しないケースが多い。代理人が依頼者の意思に反する行動をとることは委任契
約に反する。実態としても、代理人は当事者から金銭をもらって受任しており、経済的に
依頼者に従属しやすい。代理人は、自営業者としての経済的側面を無視した行動が成り立
たない(ボランティアでの仕事の場合は別である)。裁判官が直接当事者に話をすること
なく、代理人を通して当事者に裁判所の和解案を伝えると、当事者の中には、自分が依頼
した代理人が「相手方に買収されたのではないか」と疑う者が時々いる。当事者は、自分
にとって納得できない和解案を代理人から伝えられると、代理人に対し不信感を持ちやす
い。このような代理人と当事者の関係の経験は、調停委員として調停を担当する時に非常
に役立つ。
 「復讐心から離婚に応じない」ケースでは、私は、「そうですか」と述べるだけで、そ
の考え方を否定することはしない。相手への復讐心を持つことは、それがストーカー行為
等の違法行為に出ない限り、憲法が保障する一般的な自由の一部であり、否定することは
できない。私は相談者や依頼者に、「離婚するかどうかは、あなたの自由ですよ」と言う。相手への復讐心から離婚に応じないことは、法律的な理由にならないが、人間の行動を決定づける十分な理由になる。私は、離婚の相談時に相談者から反発を受けることは、最近ではほとんどない(若い頃は別だが)。また、調停委員として事件を扱う場合も、当事者から反発を受けることが少なく、比較的、スムーズに解決できることが多い。
 カウンセリングでは、受容が必要だと言われており、これは相談者の考えや感情を受け
入れることをさす。法律相談でも、感情が関係するケースでは、カウンセリング的な受容
が必要である。ただし、法律相談は、カウンセリングと違い、受容で終わることができず、さらに紛争解決の方向をアドバイスする必要がある。私は、別居の継続という選択も、紛争の解決過程の一部だと考えている。紛争の解決方法は多様であり、法的な解決方法は、多様な紛争解決方法のひとつに過ぎない。別居を継続するかどうかは、人生哲学の問題であり、法律だけで解決できる問題ではない。一般に、法律家は、法律の視点だけからものを考える傾向があり、視野が狭い。
 相手への復讐心から離婚に応じないケースでは、別居期間が継続すれば、いずれ裁判で
離婚判決が出る。離婚判決が出れば離婚を受け入れるが、それまでは協議離婚や和解での
離婚を受け入れない人が少なくない。どこが違うのかといえば、離婚判決は、強制される
ことなので諦めがつきやすい。一般に、自分の意思で決めたことは受け入れやすく、強制
されたことは受け入れにくいと考えられているが、裁判の和解手続で、離婚を望まない人
が説得されて離婚する場合は、仕方なく離婚する場合が多く(もちろん、そうではない人
もいる)、これは自発的な選択ではない。「仕方なく同意する」ことが、「紛争解決」後
の悔恨と紛争の再発をもたらすことがある。
 法律家の間に、判決による離婚よりも、協議離婚、調停離婚、和解での離婚の方が望ま
しいという考え方がある。同僚の調停委員の中に、「調停不成立は調停の失敗である」と
考え、調停不成立になると、「私の力不足です」と言う人すらいる。しかし、法律家が当
事者を「強く説得する」ことは、裁判終了後に多くの紛争をもたらすことがある。しかし、そういう人でも、判決が出ればそれを受け入れざるをえない。
 多額の借金をかかえ破産申立をするしか方法のないケースでも、破産申立を受け入れな
い債務者は多い。多くの法律家は、「破産した方がよい」とアドバイスするが、「破産す
べきである」と強引な説得をすることは弊害をもたらしやすい。「債務者が破産するかど
うかは、弁護士が決定すべきである」と述べる弁護士がいるが、これはかなり危険な考え
方である。法律家は、選択した法的手段の結果に関して、その人の人生に降りかかるすべ
ての問題の責任を負えるわけではない。破産申立をするしかないというアドバイスを聞い
て絶望し、自殺する自営業者がいる。破産申立も債務整理もせず、借金を放置することは、法律的には望ましいことではないが、当事者が法的手段を選択できない結果として、借金を放置することになったとしても、それはやむをえない。借金を放置した結果、借金がすべて時効消滅するケースや、債務者が死亡後に相続人が相続放棄をして問題が解決されるケースもある。あらゆる法的手段の選択にはリスクがあり、結果的に何が災いし何が幸運をもたらすかわからない。したがって、法律家の当事者への説得は、あくまで当事者の自由意思による選択の援助にとどまるべきである。

当事者の主体性とパターナリズム
 紛争は、あくまで紛争の当事者の自由意思で解決すべきものであって、当事者の主体性
が重要である。しかし、現実の紛争当事者は、紛争の解決方法を自分で選択できないこと
が多い。人間の意思決定は、経験、感情、偏見、権威、教育、利益、マスコミ報道などに
支配され、厳密には自由ではありえない1)。「自由な」意思決定は、しばしば賢明でな
い判断をもたらす。この点は、人類の歴史が証明している。これが、従来、「裁判所や法
律家が当事者に代わって決めることが当人の利益になる」というパターナリズム(お節
介)をもたらしていた。
紛争解決の過程において、どの程度のパターナリズムが必要かという点は、個人差が大
きい。法律家のアドバイスに基づいて考え、自分で解決方法を選択できる人もいるが、そ
ういう人は、一部の人に限られる。多くの庶民は、「自分で考えて選択しなさい」と言わ
れても、何をどのように考えればよいのか、皆目わからない。私は、調停委員として事件
を担当する時に、自分で考えて判断できない当事者が多いことを感じることが多い。代理
人がついているケースでは当事者は代理人まかせになり、代理人がつかない調停事件では
(代理人がつかない事件の方が多い)、感情にまかせるだけの人や、調停委員に「どうし
たらよいですか」と尋ね、調停委員の指示通りに動く当事者がいる。このようなケースで
は代理人が必要だが、代理人に要する費用が大きな障害になっている。
 このような現実があるために、紛争解決の場面でパターナリズムが重要な役割を果たし
ている。法律家が紛争解決の方向性を示し、それに従って紛争を解決する人が多い。それ
は当事者の自由意思に基づく解決であるが、法律家に支配された自由意思である。
 他方で、「代理人にまかせたのにうまくいかなかった」、「代理人に無理やり合意させ
られた」、「代理人が和解のリスクについて説明をしなかった」などの苦情や不満は、今
も昔も、多い。私は、弁護士になって間がない頃、裁判所の和解協議に「当事者が同席し
て成立した和解」に関して、後日、私の依頼者が裁判所に和解無効の申立をするという苦
い経験をしたことがある。
 主体的な選択が困難な当事者には、パターナリズムが必要であるが、それはあくまで当
事者の主体的な選択を援助するものでなければならない。主体的な選択とパターナリズム
は、矛盾しやすく、代理人の仕事は、それらを両立させようとする苦労の過程だと言って
もよい。紛争の解決内容の大半が法律家のアドバイスによるものであっても、当事者に
「自分が選択したという実感」があれば、たとえ結果がうまくいかなくても、当事者がそ
れを受け入れることが可能である。
 
どこまでリスクを説明すべきか
 あらゆる紛争の解決方法の選択に必ずリスクがあり、当事者にリスクをどこまで説明す
べきかという問題がある。交渉、調停、裁判上の和解等をしても、それが履行されず、民
事執行がうまくいかないケースは多い。訴訟では常に敗訴の可能性がある。
 法律家は依頼者や相談者にこれらのリスクを説明する必要があるが、あらゆるリスクに
ついて懇切丁寧に詳細な説明をすれば、事件の依頼がなくなるだろう。法律相談時にリス
クを説明し過ぎると、相談者は不安と不満を抱きやすい。たとえば、破産手続での免責不
許可事由に関する説明を丁寧に行えば、破産申立をためらう相談者が続出するだろう。
 逆に、リスクをまったく説明することなく、「必ず解決できますよ」と言えば、うまく
いかない場合に「代理人に騙された」という苦情が出やすい。
リスクの説明は必要であるが、リスクの程度に応じた説明のバランスが重要である。リ
スクの説明のバランスは、説明を受ける当事者の属性が大きく影響する。リスクの説明を
受け入れることができる人とそれが難しい人がいる。少しでもリスクを説明すると、「そ
れでは、何をやってもだめなんですね」と言う人が少なくない。債務整理事件では、これ
を感じることが多い。離婚紛争でも、神経過敏になっている当事者はその傾向がある。D
V事件では、「うまくいかない可能性がある」と言うと、相談者は大きな恐怖感を持つだ
ろう。このような人については、最初からリスクの説明をすることは避け、時期を見て少
しずつリスクの説明をする必要がある。リスクの説明をしかけた途端に相談者の顔に不安
が生じるようであれば、リスクの説明を中断した方がよい。たとえば、夫の暴力から逃げ
て別居している妻に、「裁判所の保護命令に限界があり、離婚までに時間がかかる可能性
がある」などと説明すれば、当事者が不安を持ちやすい。しかし、「すぐに、離婚できま
すよ」と説明すれば虚偽の説明になる。「早く離婚できるように努力する」としか言えな
いだろう。しかし、単に性格が合わないという理由から別居したケースでは、「離婚まで
に何年もかかる可能性」の説明が必要だろう。サラ金からの債権取り立てに怯えている相
談者に、リスクの説明はすべきではなく、安心感を与える説明の方がよい。法律家が受任
通知を出して、債権者の取り立てが無くなった段階で、その後の手続上のリスクの説明を
すればよい。
 他方で、詳細なリスクの説明を歓迎する人もいる。医師、研究者、高学歴の人、企業経
営者、法律関係の仕事に従事している人などは、リスクをきちんと説明しても、リスクを
受け止めることができることが多い。リスクの説明を聞いてもそれほど不安にならず、む
しろ、リスクを知らないことに対して不安を持つ。このような人たちは、リスクへの対処
方法を考える力があるので、リスクを知ることを拒否しない。残念ながら、今の日本には、リスクを受け止めて対処方法を考えることのできる人は、それほど多くないように感じている。

法的な見通しの説明について
 当事者に法的な見通しを説明することは必要であるが、それを説明すれば、紛争の解決
につながるというものではない。しばしば、調停委員や裁判官が、「この和解案を飲まな
ければ、あなたは裁判で負けますよ」と述べ、和解案に同意させようとするが、うまくい
かないことが多い。多くの場合、当事者は、「しかし、・・・・・」と反論し、調停委員
や裁判官との間で議論になる。ほとんどの当事者は、自分が正しいと考えて調停や裁判の
申立をしており、調停委員や裁判官から自分の主張を否定されれば、反論をするのが当然
である。
 法律相談では、法律家から法的なアドバイスを得るために訪れる相談者が多いが、中に
は、「自分の主張は正しい」と確信している相談者がいる。そのような相談者に、「あな
たの言い分は法的に成り立たない」と説明すると、腹を立てる人が少なくない。自分の子
供を事故で亡くし、相手方に責任があると確信している相談者や、遺産分割事件で感情的
になっている相談者に対し、「あなたの主張は法的に成り立たない」という法的な説明を
するには、慎重さが必要である。
 また、法律家は、比較的気軽に、「裁判をすればよい」と言うことが多いが、裁判がも
たらす経済的、精神的負担のイメージが大きく、「裁判をしなければならない」ことは、
事実上、相談者に紛争の解決を放棄させることがある。庶民の紛争は少額紛争が多く、裁
判は庶民にとって一般的な紛争解決の手段ではない。庶民間の紛争では、裁判で得られる
経済的利益以上に裁判費用がかかるケースや、裁判で勝っても民事執行で目的を達成でき
ない紛争が多い。このようなケースでは、裁判をした場合の見通しの説明はあまり意味が
ない。交渉での紛争解決は、法律の規定通りにいかないことが多く、社会の現実に基づい
たアドバイスが必要になる。
リスクの説明と同じく、法的な見通しの説明が紛争解決のうえで有効かどうかは、人に
よって異なる。法的な見通しの説明を聞いて、紛争の解決内容を選択できる人には、法的
な見通しの説明は大きな効果を持つ。しかし、そのような人は限られ、多くの庶民はそう
ではない。
 私は、法律相談や調停委員をする場合には、法的な見通しの説明はするが、当事者がそ
れに反論をしてきた場合には、「そうですか」と言い、説明を打ち切る。それ以上の法的
な説明をしても、当事者との間で議論になるだけだからである。当事者との間で議論をし
ても、説得につながらないことが多い。
当事者に法的な見通しを説明することは必要であるが、それは、当事者の選択を容易に
するためであって、当事者を説得するための手段ではない。

紛争が生じるには理由がある
 あらゆる紛争は、それが生じるだけの理由がある。なぜ、その紛争が生じたのかという
理由を把握することは、紛争を解決するうえで重要である。
最初に述べた土地紛争のケースでは、土地の占有は明治以前に始まっているが、最近に
なって紛争が起きたのは、当事者が高齢になり土地の利用権を確保しようと考えたからで
ある。当事者に先祖代々受け継いだ土地を手放す考えがなかったので、この当事者は、公
図を訂正して交換価値を確保することよりも、隣人に対する感情の方を優先させた。
 相続不動産の分割について相続人間で合意できない場合に、紛争解決に金がかかるので、紛争が放置されやすい。しかし、何十年も放置された紛争が、ある日、突然、現実化することがある。何年も別居している夫婦の一方が離婚の相談に来る場合には、なぜ、今になって離婚しようと考えたのかという点が重要である。その理由が紛争解決の方向性を決定するからである。何年も放置されていた貸金返還請求、借金、賃貸借、土地の境界に関する紛争などについても、「なぜ、今頃になって依頼するのか」という点が重要である。隣人間で何年も前から境界をめぐる主張の食い違いのあるケースでは、法律家に依頼がなされる理由が、「土地を売却する必要が生じた」場合と「隣人との人間関係の悪化」の場合では、紛争解決の方向性がまったく異なる。紛争が生じた理由は、「紛争解決にどこまで時間と金をかけるか」の違いにつながり、これが紛争解決の方法を左右する。
 隣人間の嫌がらせや脅迫行為、通路の通行妨害、境界紛争などの場合、もともと隣人間
の仲が悪いことが紛争の原因になっていることが多い。しかし、隣人関係が円満であれば、これらの紛争が現実化しないことが多い。このような事件では、境界の主張の食い違いが紛争の原因ではなく、隣人同士の仲の悪いことが境界紛争の原因である。
 感情的な対立から生じた民事紛争は、法的な解決だけをめざしてもうまくいかない。感
情的な対立を除去できればよいが、それができなければ、和解協議に時間をかけても無駄
である。粛々と手続を進めて判決を得るほかない。最初に述べた境界紛争のケースはその
典型である。どうすれば人間関係が改善されるかは、法律家の手に負える問題ではない。
 逆に、民事紛争があることがもたらす感情的な紛争がある。隣人間のストーカー的紛争
では、土地の争いなどの民事紛争が原因になっていることがある。そのような事件は民事
紛争を解決することが、ストーカー的紛争の解決につながる。交通事故の被害者が加害者
に対し激しい脅迫や嫌がらせを繰り返す事件があった。これは、物損事故の加害者が弁償
もせずに、逃げ回り、被害者が激怒したという事件だった。内容を聞けば、被害者が激怒
するのも当然、という事件だった。加害者が代理人に依頼して、被害弁償に誠実に対応し
たところ、被害者が納得し、嫌がらせがなくなった。かりに、加害者の代理人が被害者に
対し、「今後も嫌がらせをすれば、刑事告訴するぞ」と対抗すれば、紛争がエスカレート
するだろう。資産に関する経済的な利害が紛争の理由の場合には、利害に対する打算が紛争解決の方向を決定するので、比較的対処しやすい。
 一般に、「紛争の理由」と考えられるものが、紛争の原因とは限らない。夫からの暴力
を理由に妻が別居した場合、長年の夫婦間の関係の結果として暴力を振るうことが多く、
夫の暴力は結果であって原因ではない。妻の不倫が夫の暴力の原因である場合もある。
「夫の暴力は違法である」と言うだけでは、紛争を解決できない。
 紛争の原因を把握することは、簡単なことではない。当事者がすべての事実を代理人に
話すとは限らない。当事者が紛争の原因を自覚していないこともある。法律家は理屈に基
づく論理的な思考に慣れているが、事実の認識は、理屈に基づく論理的思考ではなく、も
っぱら五感を通した認知能力による。

紛争の解決には理由がある
 紛争は、当事者が納得すれば解決するが、当事者が納得しない場合でも、紛争はさまざ
まな理由から解決に至る。「裁判になれば、時間と費用がかかりますよ」という言葉が、
交渉でも調停でも強力な説得手段になることが多い。少額事件では、紛争解決に費用をか
けることができない結果として紛争を放置し、消滅時効が完成するケースが多い。労働紛
争では、裁判をすれば今後の生活や再就職が難しいので、不本意な内容でも和解に応じる
当事者が多い。これらは望ましい紛争解決形態ではないが、それが今の社会の現実である。
 紛争の解決過程に、代理人と当事者の関係が大きく影響する。当事者が代理人に支払っ
た費用の額が高額な場合には、和解が難しくなる傾向がある。つまり、紛争当事者として
は、代理人に依頼するために使った費用以上の金員を回収しなければ、元が取れないとい
うことである。紛争が長期化すると代理人に要する費用がかさむことが、早期解決の動機
になることがある。他方、当事者が代理人に支払う費用が低額な場合や無償の場合には、
紛争が長期化しやすい。当事者が、紛争の解決内容に納得して紛争の終結に同意すること
が望ましいことは言うまでもないが、現実には、それ以外のさまざまな理由から紛争が解
決される。また、当事者の「納得」の程度に幅がある。
 企業間の紛争のように、もっぱら経済的な利害が紛争の原因の場合には、利害を調整す
る打算的な計算が紛争解決の動機になる。そこでは、「得か損か」という結果が重要であ
る。しかし、感情的対立が紛争に関係している場合には(庶民間の紛争はこれが多い)、
経済的な打算だけでは紛争が解決しない。そこでは、気持ちのうえで当事者が「納得する
過程」が必要である。紛争解決の結果ではなく、紛争解決の過程が重要である。結果は同
じでも、過程が違えば、当事者が納得しないことがある。自分の子供が亡くなった事故の
親は、交渉、裁判の過程が納得できるものでなければ、示談や和解に応じないことが多い。当事者が、事件や事故の真相究明や相手方の謝罪を要求するケースでは、損害賠償金の話だけをしても和解は難しい。紛争解決の過程に、当事者が納得できるような過程を盛り込むことが和解の前提になる。
 展望の有無が紛争解決に大きく影響する。離婚後の生活に展望が持てない人は、離婚の
決断ができにくい。人生や仕事に自分のやりたいことを持っている人は、法的紛争に時間
をとられることを嫌い、紛争解決の決断が早い。判決や審判などを除き、法律の理屈だけ
では紛争を解決できないことが多い。紛争の背後にある社会・家族・友人等の関係を理解
することが、法律家にとって必要である。

格差と法律家の役割
 一般に、紛争解決の方法を考える場合に、万国共通の合理的な行動をとる人間像が想定されることが多い。しかし、実際の紛争の解決の場面では、現実の人間を前提に考える必要がある。ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンは、合理的な意思決定をする人間像を「エコン」、現実の人間を「ヒューマン」と呼び、対比させた2)。現実の人間は、常に、感情と過去の経験に縛られ、再三、ミスを犯し、しばしば、不合理な行動をとる。紛争の当事者も同様である。人間の感情はもともと不合理なものであり、感情は不合理な行動を正当化する理屈を簡単に見つけ出す。
 人間は社会や環境の影響を受けるので、国、地域、時代、職業、年齢、生活環境が異な
れば、考え方と行動様式が異なる。私は、人口100万人以上の都会と人口4万人(開業
当時)の都市での弁護士の経験があるが、地域的な格差が、経済的・文化的な格差、紛争
内容と紛争解決の格差をもたらすことを感じている。
 紛争の解決のうえで、問題を解決する能力を含めた人間の格差が大きく影響する。紛争
解決における人間の格差は、生物としての多様性の表れである。ロールズが述べるように、誰でも生まれた瞬間に格差が生じるが3)、格差には、経済的な格差だけでなく、能力差も含まれる。ノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・センは、人間の「ケイパビリティ」(潜在能力)を指摘し、その格差の解消をめざしたが4))、湯浅誠は、アマルティア・センの言う「ケイパビリティ」を「溜め」と言い換えている5)。紛争解決のうえでも「ケイパビリティ」の差が大きく影響する。紛争解決における格差は、経済的格差、知的能力の差だけでなく、合理的な選択の能力の差なども含まれる。紛争解決のうえで、さまざまな格差がもたらす不利益を解消し、当事者の主体的な選択を援助することは、法律家の重要な役割である。
 
(注)
1)「不自自由」論、仲正昌樹、ちくま書房、
2)「ファスト&スロー」、ダニエル・カーネマン、早川書房、
3)「正義論」、ジョン・ロールズ、紀伊国屋書店、
4)「正義のアイデア」、アマルティア・セン、明石書店、2011、不平等の再検討」、同、岩波書店、1999、等
5)「反貧困」、湯浅誠、岩波書店、2008、p78


「月報 司法書士」540号、p25、日本司法書士連合会、2017


                           


「登山の法律学」、溝手康史、東京新聞出版局、2007年、定価1700円、電子書籍あり

               

               
  

 「山岳事故の責任 登山の指針と紛争予防のために」、溝手康史、2015
        発行所 ブイツーソリューション 
        発売元 星雲社
        ページ数90頁
        定価 1100円+税

              

                      
  
 「真の自己実現をめざして 仕事や成果にとらわれない自己実現の道」、2014
        発行所 ブイツーソリューション 
        発売元 星雲社
        ページ数226頁
        定価 700円+税