山岳救助における組織的救助活動の法的課題  

                                                       溝手康史(弁護士)
はじめに
 2009年1月に北海道の積丹岳(標高1255メートル)で、警察の遭難者の救助活
動中に遭難者が死亡する事故が起きた。積丹岳に登ったスノーボーダーが山頂付近で悪天
候のために遭難し、翌日、警察の救助隊の救助活動中に、遭難者を乗せたストレッチャー
をハイマツに固定してその場を離れた間にストレッチャーが落下し、遭難者が死亡した。
 国家賠償法の規定により、公務員に過失がある場合には公務員個人は原則として損害賠
償責任を負わず、代わりに国や自治体が損害賠償責任を負うため、北海道を被告とする損
害賠償請求訴訟が起こされた。裁判所は救助活動にあたった警察官に過失があったとして
北海道に損害賠償を命じたが、この事故とそれに対する裁判所の判断は、山岳救助活動に
おける多くの問題点と課題を提起している。

積丹岳事故の裁判の判決
 1審判決は、ストレッチャーの落下ではなく、それよりも前に警察官が雪庇を踏み抜い
て遭難者を滑落させた点に警察官の過失を認め、北海道に1200万円の損害賠償を命じ
た(8割の過失相殺)注1)。
 控訴審判決は、山岳遭難救助活動は警察の責務であるとし、二次遭難の恐れ等により救
助が不可能ないし極めて困難だったとは認められず、警察官に遭難者を救助すべき職務上
の注意義務(救助義務)があるとした。裁判所は警察官がストレッチャーとハイマツを結
束する際に、ストレッチャーがハイマツから抜け落ちないように注意義すべきだったとし
て、北海道に1800万円の損害賠償を命じた(7割の過失相殺)注2)。
 これに対し上告がなされ、最高裁は、上告を受理しないとの決定、および、上告事由に
該当しないとして上告を棄却をした 注3)。

積丹岳事故の裁判が提起する問題
(1)山岳救助活動の担い手
 現在、山岳地帯での救助活動は、?消防組織(消防本部、消防組合、消防団など。以下
、消防という)、A警察組織(以下、警察という)、B民間人の救助組織、山岳団体によ
って担われている。
 消防の任務はもともと消火活動が中心であり、救急活動は消防の任務ではなかった。し
かし、いくつかの地方自治体(以下、自治体という)が自発的に救急業務を行うようにな
り、それが次第に他の自治体に広がり、1963年に救急業務が消防の任務として法制化
された 注4)。山岳救助活動は消防の救急業務の一部であるが、消防の山岳救助体制は
自治体によって異なる。
 警察の山岳救助活動についても、警察が取り組むようになったのは、それほど古いこと
ではない。群馬県警察谷川岳警備隊、岐阜県警察山岳機動隊、長野県山岳救助隊、富山県
警察山岳警備隊が発足したのは1958年〜1966年頃であり 注5) 、いずれも自
発的な業務として遂行された。警察官職務執行法3条は、警察官に、病人、負傷者等で応
急の救護を要する者を保護する義務を課しており、遭難者もその対象に含まれる6)。し
たがって、山岳救助活動は警察の業務に含まれるが、警察の山岳救助体制は自治体によっ
て異なる。
 民間人の山岳救助活動は、有償、無償を問わず、ボランティア活動である。ここでいう
ボランティアは、職務に属さず、それを行うかどうかが行う人の自発性に委ねられている
という意味である。
  従来、消防、警察、民間人が山岳救助活動を行うかどうかは、それぞれの「任意」とさ
れてきた。積丹岳事故の裁判で、警察は、山岳救助活動は任意的活動であり、職務上の注
意義務が生じないと主張したが、たとえ任意的活動であっても、それを職務として行えば
職務上の注意義務が生じる。この点は、教師は学校のクラブ活動(課外活動)の顧問を引
き受ける義務はないが、いったん顧問を引き受ければ職務上の注意義務を負うことに似て
いる。
 問題は、警察や消防が山岳救助活動に職務上の注意義務が生じる点ではなく(この点は
ほぼ異論がない7))、警察や消防の山岳救助活動がそれぞれの「任意」とされている点に
ある。現状では、警察や消防が山岳救助活動を行うかどうか、どの範囲で行うかは自治体
の裁量に委ねられている。静岡市では2016年に防災ヘリの活動範囲を3200メート
ル以下とする規定を設けている。山岳救助活動の装備を持たない自治体や、事故が起きれ
ば地元の山岳団体に山岳救助活動の協力要請を行う自治体もある。この点で、上記高裁判
決が山岳救助活動が警察の責務であると述べたことは注目される。山岳救助活動が警察の
責務であれば、それは行っても行わなくてもどちらでもよい「任意」の職務ではないこと
になる。
(2)山岳救助活動の専門性
 山岳遭難者の救助活動は、専門的な技術、経験を要し、専門的な訓練をしなければ従事
することが困難である。消防の消火活動、街中での救急活動、警察の犯罪捜査などは専門
的な技術、経験を必要とするが、消防、警察は常にこれらの訓練を実施し、全国均一の水
準を維持している。山岳救助活動は、救助技術に加えて登山の経験、技術が必要であり、
かなりの訓練が必要であるが、自治体間の格差が大きい。いわゆる山岳県では専門的な山
岳救助組織を持っているが、全国的にはほとんど登山経験のない警察官や消防職員を対象
に1年に1、2回程度の山岳救助訓練をする自治体が少なくない。消防や警察が、消火活
動や犯罪捜査などの職務と並行して山岳救助活動の訓練をすることは時間的にも人員の点
でも容易ではない。そのため、高裁判決のように、山岳救助活動が警察の「責務」である
と述べるだけでは、問題を解決できない。
 山岳救助活動に従事する民間人の場合には、救助の専門的な技術、経験の習得、維持が
個人の努力に委ねられ、時間的、経済的な制約が大きい。また、警察官、消防職員、消防
団員の場合には、救助活動は給与の対象であり、被災した場合には公務災害の補償がある
が、民間人のボランティア活動ではそのような補償がない。
(3)法的な注意義務がもたらす萎縮効果
 さらに、山岳救助活動で法的な注意義務が生じることが警察、消防、民間人の山岳救助
活動を委縮させやすいという問題がある。国家賠償法により公務員個人が原則として損害
賠償責任を負わないのは(公務員を雇用する組織が責任を負う)、公務員の活動が委縮し
ないためである。民間人の山岳救助活動は、有償、無償を問わず、ボランティア活動であ
り、ボランティア活動では警察官のような職務上の注意義務を負わない。ただし、ボラン
ティア活動でも、事務管理に基づく注意義務(民法687条)が生じが8)、これは、公務
員が負う職務上の注意義務よりも軽く、緊急事態では重大な過失がある場合にのみ損害賠
償責任が生じる(緊急事務管理、民法698条)。したがって、民間人の山岳救助活動に
関して事務管理に基づく注意義務違反が問題となることはほとんどないと思われる(アメ
リカやカナダでは、民間人がボランティアで行う救助活動について、よきサマリア人法に
より責任が軽減、免除される)。
  どこの国でも山岳救助活動中の事故が少なくないようだが9)、公務員が負う職務上の注
意義務や民間人のボランティア活動で生じる注意義務の内容は、日本でも欧米でも大きな
違いがない。しかし、日本では、救助活動に責任が伴うことは、公務員と民間人の山岳救
助活動を委縮させやすいようだ。
 
山岳救助活動のあり方
 あらゆる制度は、その理念が制度を支える。スイスの航空機による救助組織(スイス航
空救助隊、REGA)は、山岳地帯かどうかを問わずスイス国内のどこでも15分以内で
ヘリを派遣するシステムを構築しているが、思想、信条、人格、人種、宗教を問わず誰で
も平等に扱う赤十字の理念が制度の根底にある。スイスのREGAは、非営利の民間団体
であり、国民の寄付金や保険料で維持されている10)。マッターホルンの山岳救助隊は山
岳ガイドで構成されており、給与の支給や事故時の補償などがあるようだ11)。
 フランスでは航空機による山岳救助が中心であり、ロッククライミングやスキーなどの
専門的な訓練を受け、厳しい選考を経て選抜された250人の救助隊員がフランスの全山
岳地帯をカバーしている12)。
 日本の山岳救助体制は、統一的な理念に基づく統一的な組織ではなく、必要に応じて各
地で自発的に発足した組織が担ってきた。各地・各部門で制度や団体が分立する点は、日
本の社会全体に見られるが(日本の山岳組織や資格制度などもその例である)、これは国
がリーダーシップを発揮して制度を構築することをしないことに原因がある。ひとたび五
月雨的に多数の組織が発足すると、組織間の利害や感情が対立し、これらを統合するうえ
で困難が生じる。統一的な山岳救助組織は、効率的に資金を運用し、組織の専門性を高め
るうえで不可欠である。警察、消防、民間人が担っている役割を統合し、全国的に均一の
一定の水準を維持した山岳救助体制を構築するためには、国が主導的な役割を果たす必要
がある。
  スポーツ基本法14条は、国及び自治体がスポーツ事故の防止、軽減のために必要な措
置を講ずる義務を負うことを規定し、同24条で野外活動やレクリエーション活動のため
に必要な施策を講ずる義務を負うことを規定している。山岳救助のための制度を構築する
ことは国等の責務と言えよう。

[注]
1)札幌地方裁判所平成24年11月19日判決、判例時報2172号77頁。過失相殺 
は、被害者側に落ち度がある場合に損害賠償額を減額することをいう。
2)札幌高等裁判所平成27年3月26日判決
3)最高裁平成28年11月29日決定
4)「新版・救急活動と法律問題・上巻」、丸山富夫、東京法令出版、20頁、2009
5)「山靴を履いたお巡りさん」、岐阜県警察山岳救助隊、山と渓谷社、1992、「ザイ
ルをかついだお巡りさん」、長野県警察山岳救助隊、山と渓谷社、1995、「ピッケル
を持ったお巡りさん」、
富山県警察山岳救助隊、山と渓谷社、1985。
6)「注釈 警察官職務執行法(再訂版)」古谷洋一、立花書房、229頁、2007。 
 同旨、札幌高裁平成27年3月26日判決。
7)「警察の山岳遭難救助隊による救助活動について国家賠償請求が認容された事例」、
戸部真澄、TKCローライブラリー、2015。その場合でも、職務上の注意義務を履行
することが極め て困難な状況があれば過失が否定される。積丹岳の事故では裁判所はその
ような状況はなかったと判断した。2013年12月に富士山で遭難者を防災ヘリが吊り上
げ中に遭難者が落下した事故について、京都地裁平成29年12月7日判決は救助隊員の
過失を否定した。落下防止措置をとることが極めて困難な状況があれば、過失は認められ
ないだろう。
8)事務管理とは、義務がないのに他人に関してさまざまな援助的な行動や手伝いをする 
 ことをさす。
9)生と死の分岐点、ピットシューベルト、山と渓谷社、1997、284頁以下、続生 
  と死の分岐点、ピットシューベルト、山と渓谷社、2004、229頁以下
10)西川渉、航空情報、1998、2月号、「欧州ヘリコプター救急の現状と日本のあ
り方」、 HEM-NeT欧州ヘリコプター救急システム調査団、
 www.hemnet.jp/databank/detail/post-55.html、2001
11)マッターホルン最前線、クルト・ラウバー、東京新聞、2015、51、55頁。
 「かつてはボランティア精神で救助活動を行っていた」との記述があり、かつてのスイス
では山岳救助活動は無償奉仕だったようである。
12)消防防災ヘリコプターによる山岳救助の あり方に関する検討会報告書、消防庁、
2012
(登山研修vol.33、国立登山研修所、2018) 

      

                            


「登山の法律学」、溝手康史、東京新聞出版局、2007年、定価1700円、電子書籍あり

                                 

               
  
 「山岳事故の責任 登山の指針と紛争予防のために」、溝手康史、2015
        発行所 ブイツーソリューション 
        発売元 星雲社
        ページ数90頁
        定価 1100円+税

                                 

                      
  
 「真の自己実現をめざして 仕事や成果にとらわれない自己実現の道」、2014
        発行所 ブイツーソリューション 
        発売元 星雲社
        ページ数226頁
        定価 700円+税
                                


                                

「登山者ための法律入門 山の法的トラブルを回避する 加害者・被害者にならないために」、溝手康史、2018
       山と渓谷社
       230頁

      
972円