ツアー登山における法律上の問題2(安全配慮義務を中心として) 1、はじめに (1)ツアー登山中の事故としては、谷川岳遭難書類送検事件(昭和50年)、八ヶ岳静岡文体協遭難事故(昭和53年4月)、穂高岳ガイド登山事故(昭和63年11月)、春の滝雪上散策ツアー事故(平成10年1月28日)、羊蹄山ツアー登山事故(平成11年9月25日)、十勝岳ツアー登山事故(平成14年6月9日)、トムラウシ・ツアー登山事故(平成14年7月12日)、屋久島沢登り事故(平成16年5月4日)、白馬岳登山事故(平成18年10月7日)などがあげられる。 ところで、一般に、ツアー登山とは、ガイドもしくは添乗員(以下、ツアーガイドという)が客を引率する形態の登山を指すが、これには、@山岳ガイドが客を引率する登山、A旅行会社が主催し、ツアーガイドが多数の客を引率する登山、B自治体や山岳団体等が主催する公募型の登山などがある。本稿でいうツアー登山は、上記@ないしBを含むガイド登山、旅行会社主催のツアー登山、公募登山を念頭に置いている。 前記の春の滝雪上散策ツアー事故、屋久島沢登り事故、トムラウシ・ツアー登山事故、白馬岳登山事故は@の形態であり、羊蹄山ツアー登山事故、十勝岳ツアー登山事故はAの形態、八ヶ岳ツアー登山事故はBの形態の登山中の事故である。最近は、@とAの形態の登山事故が増えているが、@とAの違いは、Aは旅行業法の適用のある旅行会社が主催するが、@は旅行業法の適用のない山岳ガイドがガイドするという点にある(@の形態でも山岳ガイドがツアーガイドになる場合があるので、@とAはツアーガイドの経験や技術の差による分類ではない)。 本来、ガイド登山は、登山の技術や経験を有する山岳ガイドが数名程度の客を連れて登山をするという形態が想定されていたように思われる。しかし、中高年を中心とする登山者の数が増加し、その多くは山歩き主体の登山であることや、100名山ブーム及び旅行会社が旅行の延長として登山ツアーを企画するようになったことなどにより、ツアーガイドが多数の客を引率するツアー登山が増えている。 ところで、ツアー登山ではしばしば「添乗員」という肩書の旅行会社の職員が客を引率し、「添乗員はガイドではない」との主張がなされるの、添乗員の法的性格が問題となる。 契約の実態、登山の形態からすれば、添乗員は客を案内することが契約内容になっていると考えられるから、案内する者という意味では添乗員もガイドの一種である。本稿では、山岳ガイド、添乗員、ツアーコンダクター等ツアー登山を案内する者をツアーガイドと総称している。 ツアーガイドの注意義務の内容は具体的な状況に応じて異なるので、添乗員の注意義務として山岳ガイドと同等レベルのものを要求できないことは当然であり、例えば、危険な場所ではロープで客を確保すべき義務を添乗員に要求することはできない。ただし、今までの裁判で問題となっているツアーガイドの注意義務は、ツアーガイドとしての基本的な注意義務であって、高度な登山経験、技術、知識を必要とする注意義務ではない。そういう意味では、ここで扱っている問題に関してはツアーガイドに共通する問題だと言えよう。 (2)このようなツアー登山は、少数のツアーガイドが多数の客を連れて登山を行うこと、ツアー登山の参加者の中には登山の初心者が多く含まれていること、引率するツアーガイドの登山経験や技術が必ずしも十分ではないケースがあること、営利目的で行われる場合には、ツアーの内容や行動、ガイドの数などが営利的な観点から決められることが多く、営利優先のために安全対策が軽視される傾向があることなどの事情から、遭難事故につながる危険性がある。 八ヶ岳ツアー登山事故、羊蹄山ツアー登山事故、十勝岳ツアー登山事故、トムラウシ・ツアー登山事故は、いずれも多数の参加者を少数のツアーガイドが引率しており、引率者が初心者の安全管理ができる体制にはなかった。また、引率者のガイドとしての能力に関して明らかに問題があったケースもある。 今後、営利的ツアー登山は増加すると考えられるので、安全な登山を実現するうえで、軽視できない問題があるように思われる。そこで、以下では、営利的ツアー登山に関する問題について、法的問題を中心に検討したい。 2、ツアー登山における法律関係 ツアー登山において、ツアーガイドと参加者の間に存在する法律関係は契約に基づくものである。旅行会社が募集したツアー登山であれば、旅行会社と客の間に旅行契約が存在し、ツアーガイドは旅行契約の履行補助者と考えられる。ツアーガイドは、旅行契約に基づいて客を案内し、客の安全に配慮する義務を負う。 しかし、ツアー登山においては、客相互の間には何ら法律関係がないので、客相互間で、互いに援助したり、事故の場合に通報する義務はない。通常の登山パーティーにおいて遭難事故があった場合に、参加者が関係機関に通報せず、放置すれば、保護責任者遺棄罪等に問われたり、損害賠償責任が問題となるが、ツアー登山ではツアーガイドを除く参加者にそのような責任は生じないのはこのためである。 これに対し、ツアー登山以外の通常の登山パーティーにおいては、パーティーを編成するという行為に基づいて参加者が互いに安全に行動するために援助、協力、補助する義務を負う。この義務は努力義務と呼ぶべきものであって強制できるような性格のものではないが、通常の登山パーティーでは、リーダーを含めた参加者が協力し合うことによって、参加者の安全面を補完することが期待できるのであり、いわばパーティーの安全性が集団的に担保される面がある。登山パーティーにおけるこのような機能を集団的安全チェック機能と呼ぶことができる。登山パーティーを編成する主な意味は、参加者が互いに協力することにより登山能力が増すこと、及び、集団的安全チェック機能により安全性を高める点にあると考えられる。 ツアー登山においては、集団的安全チェック機能が働かないので、ツアーガイドはすべての参加者の安全面に配慮しなければならず、ツアーガイドの負担は極めて重い。この点から、ツアー登山においてはツアーガイドが引率できる参加者の数にはおのずから限界がある。引率者が引率できる参加者の数は、登山の内容、危険性の程度、参加者のレベル等によって規定され、一義的に定めることはできない。もっとも、ツアー登山において集団的安全チェック機能が皆無かというとそうではなく、実際には、ツアー登山の客相互間で多少の援助協力関係が存在することが多いと思われるが、それは単に事実上の人間関係でしかなく、また、常にそれが期待できるというわけではない。したがって、例えば、リーダー1名、参加者10名のグループであっても、それが登山パーティーであるか、ツアー登山のグループであるかによって、そのパーティーの安全面に大きな違いが生じる。もっとも、たとえツアー登山以外のパーティーであっても、リーダー以外の参加者がすべて初心者であるとか、リーダー自身が初心者であるようなパーティーでは、集団的安全チェック機能はほとんど働かないだろう。 3、ツアー登山における引率者の注意義務 ツアー登山における引率者と参加者の法律関係は契約によって規律されるが、安全面に関しては契約内容が曖昧なことが多い。ツアー登山におけるツアーガイドの注意義務は、契約内容、登山の内容、危険性の程度、登山の時期、参加者の数、登山経験などによって定まる。 一般に、ツアー登山におけるツアーガイドの注意義務としては以下のようなものが考えられる。 @登山コースを案内する義務 A宿泊を伴う登山の場合には宿泊場所を手配し、確保する義務 B参加者が登山中に安全に行動できるように配慮し、アドバイスする義務 C登山の途中で参加者にトラブルがあれば援助、補助する義務 D事故が発生した場合には救助のための連絡等を行う義務 E遭難者を救助することが容易な場合には救助する義務 等 かかる注意義務は具体的な状況に応じて態様が異なる。ここでは、羊蹄山ツアー登山事故を取り上げて具体的に検討したい。 羊蹄山登山当日は、台風の通過直後であり山頂付近は悪天候の可能性はあったが、登山口付近では雨がやんでいたので、この時点でツアーガイドに登山を中止すべき注意義務を課すことはできない。また、登山を中止すべきかどうかという点が、遭難と直接の因果関係を持っているわけではない。 9合目付近で2名が遅れたが、ツアーガイドはその2名を放置して登山を継続した。客を案内することはツアーガイドの基本的な職務であるが、これを怠った点が直ちにツアーガイドの過失となるものではない。天候が良ければ、体力経験がある客は、ガイドが多少放置しても自力で登頂でき遭難などしないからである。 当時の羊蹄山山頂付近の気象状況は、風速毎秒15メートル、気温3度、視界は10〜30メートル、山頂付近は登山道が錯綜し、地形的にも迷いやすいこと、客が集団から離れてしまうと迷う危険性があること、集団のペースについて来れない2名は体力等に劣ることが明かなことは容易に認識できた。 したがって、ツアーガイドはパーティーが分散しないように注意し、仮に、パーティーから遅れる者がいれば、その者を待ち、集団から離脱する者がいないようにしてパーティーを統率する義務があった。ツアーガイドの法律上の注意義務としては、客がパーティーから離脱することがないように注意し、仮に、離脱する者がいればその者を待って、客がルートに迷うことがないように配慮する義務があった。ツアーガイドがこのい義務を尽くしていれば、2名が道に迷い遭難することはなかったから、この義務が遭難と直接の因果関係をもつ結果回避義務である。このようなツアーガイドの義務は、あくまで、事故当日の気象状況や参加者の状況という具体的な状況のもとで生じる注意義務である。 4、ツアー登山における自己責任の範囲 いかなる登山でも一定の危険性があり、登山に参加することはそのような危険を了解していることを意味する。道路を歩く歩行者は、自動車の通行による危険を承認したうえで歩行するわけではないから、原則として歩行者に危険性の承認はありえない。しかし、歩行者といえども、横断歩道以外の場所で車道を横断すれば一定の危険性を承認しているとみなされる。 ツアー登山においては、契約に基づいてツアーガイドが安全に引率することが前提となっているので、参加者の危険性の承認はあくまでツアーガイドの安全配慮義務を前提としたものとなる。そこでは、ガイドが一般的なレベルの能力、技術、経験を有し、一般的なレベルの安全配慮義務を尽くすことを前提としたうえで、それでも通常予想される程度の危険性は参加者が承認しているとみなされる。 例えば、冬に北アルプスの登山を行うのであれば、参加者は冬山の寒気や危険を承認して参加したものとみなされる。冬山など自然の持つ危険性は、ガイドがついていてもいなくても変わりはないからである。したがって、通常程度の冬山の風雪の中で疲労と寒さのために体力を消耗し、悪天候による停滞中に疲労凍死したとしても自己責任である。また、天候が悪化したために、荒れ狂う風雪の中を下山中に動けなくなり、凍死しても自己責任とされる場合が多いだろう。もっとも、このような事態をガイドが容易に予見できるだけの事情があり、容易に回避できるような状況があれば、ガイドが予見義務違反、結果回避義務違反の責任を問われることがある。( では、風雪が強い中で冬山経験の豊富な客が敢えて登頂することを望み、山頂アタックを試みたが、予想以上の悪天候のために遭難した場合、風雪が強い中で敢えて山頂アタックを試みたガイドに法的責任が生じるだろうか。 「ガイドは客の安全を守る義務がある」という点を形式的に理解すれば、「現実に天候が悪い中で行動をし、そのために遭難したのだから、ガイドには登山を中止すべき注意義務があった」と結論づけることは容易だろう。しかし、ここで重要な点は、一定の程度の危険を承認したうえで客が行動を選択した点である。現実には、悪天候は予想以上であり、そのために遭難したのであるが、山岳という自然の持つ危険性を予め正確に予測することは不可能であり、ある程度の冬山経験のある客が悪天候の中で行動することを敢えて選択したことは危険の承認といえる。ただし、ガイドが行動中に遭難の危険を容易に予見できたとすれば、ガイドは途中で登山を中止して下山すべき注意義務を負う。この場合、悪天候の中で登山を決行したことがガイドの過失になるのではなく、遭難の危険を容易に予見できたのに、途中で登山を中止しなかったことが過失となる。 他方、冬山登山の参加者が初心者であるような場合には、客が「どうしても登りたい」と言っても、天候が悪ければガイドは登山を中止すべき注意義務を負う。この場合、初心者の客が「どうしても登りたい」と言ったとしても、登山の危険性を十分に判断できるだけの能力に欠けるので、危険の承認があったということはできない。 一般的には、悪天候であれば、当然にガイドに登山を中止すべき注意義務を負うというものではない。客にそれなりの体力や技術があれば、少々の悪天候でも登山を決行できないわけではないからである(現実に、羊蹄山ツアー登山、十勝岳ツアー登山事故、トムラウシ・ツアー登山事故でも、遭難することなく行動できた客がいる)。しかし、一般にツアー登山では客はガイドにとって初対面であることが多く、ガイドが客の体力や技術を正確に判断することが難しいことが多いので、ガイドは客にそれほど体力や技術がないことを前提としたうえで行動を考えなくてはならない。したがって、少々の悪天候でも行動をすることが許されるのは、ガイドがそれまでに客と行動を共にしたことがあり、客の力量を正確に把握できる場合だけだろう。その場合でも、万一、ガイドの予想に反して客が悪天候に耐えることができず遭難に至ればガイドの判断が的確だったかどうかが問題となるので、ガイドとしては敢えてこのようなリスクを犯さない方が賢明である。 羊蹄山ツアー登山事故の場合で言えば、台風の通過直後であり、登山当日は悪天候が予想され、出発前に2人の客は登山を断念した。他の客は参加することにしたのだが、参加者はある程度の悪天候を予想していたと言え、その限りでは出発時点では一定の危険を承認していた。しかし、9合目付近で風速毎秒15メートルくらいあり、パーティーが崩壊状態となったのであるから、そのままでは安全に客をガイドできないことをツアーガイドは予見できたはずである。この時点で、登山を続行するか、あるいは、どのように行動すべきかはツアーガイドの判断によって決定されるべきことであり、客には選択すべき能力もそれだけの状況にもなかった。そのまま登山を続行したことは極めて危険なことであったが、それを客が自ら決定したとして危険の承認があったと言うことはできない。 羊蹄山ツアー登山事故、十勝岳ツアー登山事故、トムラウシ・ツアー登山事故は、いずれも、ガイドが、客の体力やルートファインデイング能力を見誤ったことが遭難に繋がっている。「この程度であれば、この客はついてこれるはずだ」とか、「この客はまだ歩けるはず」とガイドは考えたのだが、それに反して客の状態はもっと悪かった。ガイドはその客とほとんど初対面であるにもかかわらず、なぜ、そこまで客の能力を過信することができたのだろうか。恐らく、トムラウシ・ツアー登山事故の場合には、「できれば、他の客を登らせてやりたい」などのガイドの心理が働いたのではないかと思われる。羊蹄山ツアー登山事故の場合には、最初に登頂したのは添乗員と客1人だったという状況からすれば、この添乗員自身が個人的にどうしても登頂したかったのではないかと思われるフシがある。 ガイドは、客の能力を冷静に観察し、判断に迷えば、客の登山能力を低めに見積もって判断すべきである。 ガイドが下山を決定したにも関わらず、客がそれを無視して登山を続行する場合は、その後の客の自己責任に属する。あるいは、ガイドが雨具を付けるように客に指示したにも関わらず、雨具を着用しない場合には、それは客の自己責任に基づく行動である。 ガイドと客が冬の岩壁登攀をするようなガイド登山とか、ヒマラヤの高峰のガイド登山など極めて危険性の高い登山では、ガイドが客の安全を確保することが困難なことが多いので、客の自己責任の範囲が広くなる。 5、免責条項の効力 消費者契約法8条は包括的免責条項を無効としている。羊蹄山登山ツァー事故では「会社は一切事故の責任を負いません」という条項があったが、これは無効である。 また、故意または重大な過失に基づく行為については、責任の一部を免除する条項も無効である。 ツアー登山においては、契約書に「主宰者は一切の責任を負わない」という条項を入れているケースが多いが無意味である。それよりも、登山の危険性について詳しく説明をし、参加者の危険性に対する自覚を促すことの方が意味がある。 6、ツアー登山における危険性の説明義務 一般に、旅行業者は客に対し、サービスの内容を説明する義務があり(旅行業法12条の4)、契約内容に関して必要な情報を提供するように務める義務がある(消費者契約法3条)。また、旅行業者やツアーガイドは客に対し、契約上の信義則に照らして、客がツアー登山に参加するかどうかを決定するうえで必要な情報を提供する義務がある。したがって、旅行業者やツアーガイドは客に対し、登山の危険性に関する情報を提供する義務がある。 羊蹄山登山ツァーでは、秋の北海道の2000メートル近い山に関する危険性についての情報の提供が十分ではなかったようである(ツアーガイド自身がこの点を十分に認識していなかったようである)。 説明義務違反が慰藉料請求の対象となる場合があるが、契約の重要な事項に関して虚偽の説明がなされた場合には契約の取消が可能である(消費者契約法4条)。 また、予め客に登山の危険性を説明することが客の危険の承認の内容となり、ツアーガイドの注意義務の内容に影響する。例えば、パンフレット等で事前に、登山では下山が遅れる可能性があること、下山が遅れればヘッドランプが必要となること、ヘッドランプなしに行動することが危険であることを説明しておくことが必要である。そして、このような事前説明をしておけば、客の歩くペースが遅いために下山の途中で日が暮れて、ヘッドランプを持参しなかった客が転倒して怪我をしても、ツアーガイドに特段の不注意がない限り、客の自己責任とされることが多いだろう。この場合、客が小学生でない限り、ツアーガイドが出発前に客がヘッドランプを持参したかどうかの所持品検査をする義務はない。 7、ツアー登山における問題点 (1)ツアー登山などの引率登山と自主登山はまったく異なる形態の登山である。 両者では自ずから登り型が異なってくる。自主登山では、通常、5月の北アルプスに冬用ヤッケを持っていかず、カッパのみ持参し、シュラフは3シーズン用を使用し、冬にテントを持参せず常にツェルト使用する登山者がいる。しかし、ツアー登山やガイド登山でこれを行えば、装備不足となり、それが原因で事故が起きれば、損害賠償責任が生じる。 仲間同士の登山では、悪天候でも登山を中止しないことは多く、台風が来ることがわかっていながら剣沢で幕営したことがある。テント2張りのうち1つはテントがつぶれ、ポールが曲がり、フライシートなどが千切れた。シュラフカバーに水が溜まった状態で一晩を過ごし(夏にはシュラフなどは持っていかない)、翌日は八ツ峰、チンネの登攀に向かったが、ツアー登山では無謀登山ということになる。 もともと、登山には冒険的要素があり、冒険的要素のない登山は登山ではないとも言えるが、ツアー登山には冒険はあってはならない。そういう意味で、引率登山は面白みのない、つまらない登山になるが、それは仕方ない。ヨーロッパアルプスでの現地ガイドの行う登山の話を聞くと、「面白くも何ともない登山だった」という感想をよく聞くが、日本人ガイドの場合はサービス精神が旺盛で、客の満足度がけっこう高いようである。ヨーロッパのガイド登山では、「ガイドが高圧的」、「冷たい」、「命令口調」、「やたらと急がせる」、「すぐに登山を中止する」という感想をよく聞く。 マッターホルンで日本人ガイド2名が6人の客と1本のロープで登ったケースで、現地ガイドから轟々たる非難を浴びたという記事を読んだことがあるが、これで事故が起これば法的責任が生じることは明かである。 日本のガイドが客に満足させようとすればそれだけ危険を冒しているのではないかと思われるが、客へのサービスよりも安全性の方を優先させなければならない。 (2)日本におけるツアーガイドの地位 ツアーガイドの権限と義務は一体のものであり、ツアーガイドが重い安全配慮義務を負うということは、他方で、ツアーガイドには客に対する指示命令権があることを意味する。ツアーガイドは客がガイドの指示に従わなければ、叱りとばしたり、客に下山を命じることができるはずのが、果たして日本の添乗員にそのようなことができるだろうか。そんなことをすれば、その添乗員は後で会社の上司から叱責されたり、最悪の場合には解雇までされかねない。日本の労働法制等における労働者の地位が保護されていないという問題(例えば、日本の企業は簡単に労働者を転勤、リストラ、昇進差別をしているが、これを訴訟で争うにしても、法律扶助制度等が不十分な日本では庶民が弁護士に依頼すること自体が容易ではない)も関係しており、地位が保障されていないツアーガイドは客に迎合的な態度をとったり、客の世話係兼案内係というのが実情だろう。 ツアーガイドの地位を保障するためには資格を国家資格とし、資格取得要件を厳しくすることによって、その資格が何らかの付加価値を持つようになり、ガイド組合等が一定の力を持てば、ツアーガイドという職種が売手市場を形成し、その待遇が改善されるはずである。 また、平成16年6月に旅行業ツアー登山協議会が「ツアー登山運行ガイドライン」を制定したが、このような業界の自主規制では実効性がない。金融庁が「貸金業に関するガイドライン」を制定し、これに違反すれば貸金業者を行政処分しているように、実効性のあるガイドラインを国が制定することが必要である。長い目で考えれば、このような国の政策によって、ツアー登山の質が向上し、健全な旅行業の発展に寄与するはずだ。 (3)引率される者のレベルを把握することの重要性とその難しさ ツアーガイドの安全配慮義務の前提として、客の体力や技術、経験のレベルが重要であるが、ツアーガイドがこれを把握することは容易ではない。特に、旅行会社主催のツアー登山の場合には参加者する者と初対面のことが多いので、この点が問題となる。 ツアーガイドとしては、客の体力や技術、経験のレベルが低いものと想定して対応することが必要となる。 (4)引率者の登山能力と事故を防止する能力 日本のツアーガイドは、添乗員は旅行会社の一社員でありガイドとしてのレベルの保証がなく、山岳ガイドも従来は資格が統一されていなかった。現在、山岳ガイドの資格が統一されたとはいえ、ヨーロッパ山岳ガイドにの較べれば資格付与は雑である。従来から、日本ではそれなりの登山の実績があれば簡単に山岳ガイドの資格を与えてきたが、登山の能力とガイドの能力は別のものである。 登山技術、経験、知識は自分が登るための能力であるが、ガイドは他人を安全に登らせるための能力が要求されるので、自分が登るための能力がどんなにあっても、客の安全を守れるとは限らない。客の安全を守るためには、登山応力(これは当然必要である)とは別に、ガイドとしての経験や技術が必要となる。プロの登山家とプロのガイドは異なる。 ところで、誰でも、自分のことはよく理解できても(それすら自分で認識できないことも多いが)、他人の技術、経験、心理、考え方、感情などはわからないものであり、他人がどんな時にミスを犯すかを判断することは容易ではない。客の安全を守るために必要なノウハウは、仲間同士の登山でも初心者がいればある程度経験で身につけることができるが、互いに力のある者同士のパーティーでは絶対に身につかないだろう。これを身につける訓練としてはガイドとしての修養がもっとも確実であり、一人前のガイドになるためにはガイドの補助者として何年間か経験を積むことが必要である。客の経験や技術、体力の程度を素早く見抜く訓練、客がどのような場所でどのような時にどのような勘違いやミスを犯しやすいか、客の状態の応じて客に要求できることと要求できないことを見分ける能力等は、ガイドとしての経験によって身につくものである。 医師は、医師免許を取ればすぐに手術ができるというものではないし、裁判官は10年間は判事補であって単独で裁判を担当できないし(ただし、現在は便宜的に5年間判事補をすれば単独で裁判ができる運用がなされている)、弁護士も資格をとっただけですぐには一人前に仕事はできない。どの職種においても、それなりの経験を積むことによって一人前に仕事ができるようになるのである。 (5)人間はミスを犯す動物である。 人間は必ずどこかでミスを犯すものであり、山岳事故は必ず起きる。これは、交通事故は絶対になくならないこと、「飛行機は二重、三重の安全対策があるから安全」と言われるが、それでも人為的な事故が起きること等を考えれば容易に理解できる。 人工物はすべて人間が作ったものなのでその構造がわかっており、そのメカニズムを理解することが可能であるが、自然のメカニズムは完全には解明されていないので、予測不可能な部分が多い。それだけに登山においてはしばしば人間の予測が狂い、ガイドの判断ミスが生じる。人間自体が自然物なので、客の行動が予測に反することが多く、例えば、ガイドが客に体力が残っていると判断しても、実際には客が体力の限界だということがある。客自身がガイドに「もう体力の限界だ」と告げればわかりやすいが、客自身が「まだ、大丈夫 」と考えている場合も多い。ガイドがこの程度の箇所は誰でも簡単に通過できるはずだと思っていても、その客にとっては心理的な恐怖感から足がすくみ、転落してしまうケースがありえないわけではない。 危険な登山では、ガイドも客も含めて、人間は必ずどこかでミスをする前提で考えておくことが肝要である。事故は人間の1つのミスで起こるよりも、むしろ、いくつものミスが複合的に重なって起こることが多いので、常に人間がミスを犯す可能性を想定しておくことによって事故の確率を減少させることができる。 (6)事故が起きる客観的要因と心理的要因 山岳事故が起きるのはそれなりの要因があり、事故の客観的要因と心理的要因を分析することが非常に重要である。 (7)事故が法的紛争に至るメカニズム 山岳事故によって法的紛争が生じるのではなく、人間が法的紛争を引き起こすのである。人間と人間の関係が法的紛争に至るメカニズムを解明することは、山岳事故に限らず、あらゆる紛争に関して重要な課題である。 一般的には、事故前及び事故後の人間関係、事前の想定と結果のギャップの大きさ、謝罪や金銭賠償の有無等が法的紛争の顕在化に大きく関係する。事故後の被害者との対応が重要な所以である。 (8)損害保険に加入すること 事故を防ぐために最大限の努力をすべきであるが、それでも人間はミスを犯すことが絶対にないわけではない。そして、運が悪ければそれが法的なミスとみなされ、損害賠償責任が生じる。その場合は潔く責任を認めて謝罪し、損害賠償責任保険で損害を補償するしかない。それも人間の運命の1つかもしれない。 |
「登山の法律学」、溝手康史、東京新聞出版局、2007年、定価1700円、電子書籍あり
「山岳事故の責任 登山の指針と紛争予防のために」、溝手康史、2015
発行所 ブイツーソリューション
発売元 星雲社
ページ数90頁
定価 1100円+税
「登山者ための法律入門 山の法的トラブルを回避する 加害者・被害者にならないために」、溝手康史、2018
山と渓谷社
230頁
972円