「登攀路」の概念と登山ルートの管理
        
Concept of ‘Touhanro' and management of mountain route

溝手康史
Yasufumi Mizote

キーワード:登山道、登山ルート、登攀路、責任、山岳事故
Key word :mountain trail、climbing route、Touhanro、liability、mountain accident

 登山ルートについて、歩いて登ることができるルートとよじ登るルートを区別し、前者を登山道、後者を登攀路と呼ぶ必要がある。歩く登山道と長い鎖などが設置されたルートでは要求される能力が異なり、これを区別するために登攀路の概念が必要である。登山道と登攀路では、整備に関する考え方が異なる。登山道では、鎖や梯子は、歩く行為の補助的な設備であるが、登攀路では鎖や梯子は登るための手段である。登山ルートの形態を区別すれば、管理責任はそれに応じたものになり、責任の範囲を限定できる。登山ルートの形態やグレードは、ルートの理念とルート上の鎖、梯子などの人工物の量と設置方法によって変わる。それを決定するのはルートの管理者であり、管理者が明確であることが必要である。

溝手康史(広島県)Yasufumi Mizote 
弁護士、広島山岳会、日本山岳文化学会遭難分科会
Lawyer, Hiroshima Alpain Club


問題の所在 
 日本の登山道のほとんどは、歩いて登ることができるが、登山道にある岩場に鎖や梯子などが設置されていることがある。鎖や梯子を使わなくても登ることができる場合もあれば、それらを使わなければ、クライミングの技術が必要になる場合もある。前者の場合は、鎖や梯子などはあくまで歩く行為の補助的設備であるが、後者は、鎖や梯子は登山の手段としての設備になっている。前者は、「鎖や梯子があっても信用するな」が可能だが、後者は、鎖や梯子を信用できなければ、クライミングルートになる。剱岳の別山尾根、槍ヶ岳の頂上直下、槍穂縦走路、北岳八本歯コル、八海山、石鎚岳、戸隠の蟻の戸渡り、妙義山の縦走路などの鎖や梯子は、後者の例である。
 歩く行為はもっぱら足の筋力を使うが、鎖や梯子などを登る行為は、足の筋力だけでなく腕の筋力やバランスが必要になる。登山道という言葉に含まれる「道」は、人が利用する場合には、「歩く」ことを想定している。鎖や梯子などが多数設置されたルートに、歩く能力を前提とした登山道という言葉を使用することは、登山者に「歩いて登ることができる」という誤解を与える恐れがある。よじ登る能力が要求されるルートでは、それを表現することが必要である。
 登山道という言葉の弊害がもっとも典型的に現れるのは、妙義山の縦走路である。ここには、多数の長い鎖が設置されており、毎年のように重大な事故が起きている。この縦走路では、長い鎖が多数あるため、「鎖を使ってバランスよく岩場を登降する能力」が要求される。それは、歩く能力とは異なる能力である。そのため、縦走経験が豊富だというだけでは、この縦走路は危険である。垂直に近い岩場に長い鎖があるので、岩に対して足をうまく使うことなく腕力に頼る登山者は、すぐに腕力を使い果たしてしまう恐れがある。ガイドブック等に、「岩登りの経験を必要とする上級の縦走路」と記述されているが、鎖を利用する限り、クライマーではなく、岩場に慣れた登山者のためのルートである。
 妙義山の縦走路で事故が多発するため、鎖を撤去すべきだという主張がなされている1)。鎖を撤去すれば、クライミングルートになるが、妙義山では、長年、鎖を利用した登山が行われており、それがここの登山文化になっている。それを、簡単に廃止することはできない。問題は、妙義山のルートにあるのではなく、ルートにふさわしくない登山者が登る点にある。妙義山の縦走路に不向きな者が縦走すれば、事故が起きやすく、ルートにふさわしい者が縦走すれば、それほど難しいルートではない。妙義山の縦走路を、歩いて登る縦走路の延長で考えることに問題がある。
 この点は、妙義山だけの問題ではなく、剱岳の別山尾根や槍穂縦走路でも同様の問題がある。剱岳の別山尾根や槍穂縦走路は、鎖の長さが妙義山ほど長くないというだけのことであって、程度の違いである。剱岳の別山尾根や槍穂縦走路でも事故が起きやすいが、鎖や梯子を撤去すべきだという主張はなされていない。槍ヶ岳の頂上直下でも同じ問題があるが、このルートは、梯子の数を増やし、今では、もっぱら梯子を登降するルートになっている。
日本の山のほとんどは、山頂まで歩いて登ることができる。しかし、一部の山は、歩いて登ることができず、登山ルートに鎖や梯子を設置して、誰でも登ることができるように整備されてきた。日本では、登山道の整備は、誰でも登ることができるように整備することを意味した。しかし、クライミングの対象となるような岩場に鎖や梯子を設置しても、もともと危険性のある場所なので、完全に安全にはならない。妙義山の縦走路のように、多数の鎖で整備しても、事故が起きる。槍ヶ岳の山頂直下のように、鎖で整備するだけでは危険なので、多数の梯子を設置する状況をもたらす。しかし、それでも、梯子から転落する危険性がある。クライミングの対象となるような岩場に鎖や梯子を設置した場合、これは歩く道ではない。これを「登攀路」と呼び、その性格、特徴を明確にし、管理のあり方を考える必要がある。
 登山者の嗜好と能力は多様であり、それに合わせて多様な形態の登山ルートが必要である。しかし、登山ルートを誰でも登ることができるように整備することは、登山ルートを可能な限り登りやすくすることを意味し、利用者の多い登山道は、年々、ルートがやさしくなる傾向をもたらしている。もともと、鎖や梯子がなくても登ることができる個所でも、登りやすくするために鎖や梯子が設置される傾向がある。
 歩く登山道では、鎖や梯子は歩く行為の補助物であり、どうしても必要なものではない。登山道の鎖や梯子を最小限のものにすることで、登山道の多様性を維持できる。登攀路では、鎖や梯子がなければ、クライミングルートになるが、鎖や梯子などの量と設置方法により、登攀路の難易度が変わる。槍ヶ岳の頂上直下も妙義山の縦走路も登攀路であるが、槍ヶ岳は、多数の梯子の設置により、誰でも登ることができるルートになっている。妙義山は、梯子ではなく、長い鎖があるために、危険性のあるルートになっている。槍ヶ岳の頂上直下の梯子を撤去し、最小限の鎖にすれば、ルートの難易度が増す。妙義山では、鎖をすべて梯子に変えれば、ルートの危険性が減るが、同時に梯子の登降に終始するつまらないルートになるだろう。このように、登攀路は、整備の仕方によって、ルートの性格とグレードが大きく変わる。
 登攀路を含めて登山道の管理者を明確にし、そのルートはいかにあるべきかという「理念」に基づいて、登山ルートを管理する必要がある。

「登山道」という日本語の特性
 登山道という日本語は、「登山」と「道」を結合させたものだが、日本語の「登山」は、もともと、ハイキングからクライミングまで含む広範な意味を持つ。登山に相当する英語は、mountain climbing、または、mountaineeringであるが、climbingには、hikingやwalkingと違って、よじ登るという意味がある。climbingを「クライミング」という日本語に訳せば、これは、岩登りやアイスクライミングを意味し、climbingと「クライミング」は同じ意味ではない。同様に、hikingと「ハイキング」も意味が異なる。
 このような広範な意味を持つ「登山」と「道」を結合させたところに、登山道という日本語の特殊な性格がある。クライミングルートは登山道には含まれないが、climbing、すなわち、「よじ登る」行為が要求されるルートは、登山道に含まれる。しかし、登山道は、「道」である以上、歩く行為をする場所のイメージが強く、もともとクライミングルートであるような岩場に鎖や梯子を設置した場所も、「歩いて登ることができる」というイメージが生じやすい。
ヨーロッパアルプスでは、岩山が多いので、hiking(歩く行為)とclimbing(よじ登る行為)を区別するのは、自然なことである。そこでは、山頂をめざす行為のほとんどがclimbingであるが、日本では、ほとんどの山が歩いて山頂に行けるので、hikingやwalkingの対象になる。
 ヨーロッパアルプスでは、ハイキング道以外に、クライミングルートではない登攀的なルートがあり、ドイツ語では、Klettersteig(クレッターシュタイク)、イタリア語ではVia Ferrata(ヴィア・フェラータ)と呼ばれ、フランスでは、Via Ferrataの方が通じやすいとされる2)。これは、険しい岩場に梯子やワイヤーが設置され、登山者はハーネスを装着して、ワイヤーにカラビナを掛けながら登るスタイルのルートであり、クライミングルートとは別の形態のルートである。これは、「登攀路」と和訳され、本稿でいう登攀路に似ている。しかし、ヨーロッパアルプスの登攀路では、ワイヤーにカラビナをかけて自己確保しながら登るスタイルが採用され、日本の登攀路の鎖を手で掴んで登るスタイルとは異なる。また、ヨーロッパアルプスの登攀路は、歩くルートとはまったく別のルートと考えられている3)。日本の登攀路は、日本特有の形態であり、対外的には、touhanroと表示するほかない。
 ヨーロッパアルプスやニュージランドでは、登山ルートの形態を区別し、それぞれのリスクを登山者に認識させる工夫がなされている4)。日本でも、日本の山岳地形に応じて登山ルートの形態を区別し、それに応じたリスクの表示と管理が必要である。本来、クライミングの対象となる岩場を誰でも登れるように人工物で整備したルートは、歩く道とは形態が異なるので、これを、登攀路と呼び、歩く道と区別する必要がある。
 従来、日本では、登山ルートをクライミングルートと登山道に分け、クライミングの対象でなければ、すべて登山道に分類されてきた。登山や登山道という日本語の内容が包括的であるため、「登山は自己責任である」と言えば、遊歩道での観光やハイキングもすべて歩道の管理責任が生じないようなイメージをもたらしやすい。登山道は、歩くルートのイメージがあり、登山道は誰でも登ることができるというイメージが、妙義山の縦走路に多くの縦走登山愛好者を惹きつける。妙義山の縦走路や剱岳の別山尾根の鎖場は歩く道ではなく、これらを、「登山道」、「縦走路」と呼ぶことは誤解を与える。
 明治の頃は、登山ルートに鎖や梯子がほとんどなく、妙義山の縦走路や剱岳の別山尾根の鎖場のようなルートは登山不可能と考えるか、クライミングの対象だった。しかし、その後、そのような登山ルートに多くの鎖や梯子が設置され、誰でも登ることができるルートになり、そのようなルートの整備が登山の大衆化の大きな力になった。しかし、それは事故の多さの大きな要因にもなった。
 通常の縦走路は、体力さえあれば誰でも歩くことができるが、妙義山の縦走路や剱岳の別山尾根などは、体力があっても明らかに不向きな人がいる。妙義山の縦走路で鎖の途中で腕力が尽き、鎖から手を離して墜落するケースがその例である。これらのルートでは、クライミングの技術は不要だが、岩に慣れていることやバランスよく鎖や梯子を登降できる能力が必要である。他の登攀路でも、同様である。歩く行為とよじ登る行為を区別し、それに応じて登山ルートを区別することが、ルートにふさわしい登山者を選別するために必要である。
 また、妙義山の縦走路や剱岳の別山尾根の鎖場では、鎖や梯子を信用しないとすれば、クライマーでなければ登ることができない。このようなルートを登る一般登山者に対し、「鎖や梯子があっても信用するな」と言うのはナンセンスである。このようなルートでは、鎖や梯子が信用できない状況はあってはならず、そのように鎖や梯子が管理されなければならない。登攀路における鎖や梯子の管理は、歩く登山道の鎖や梯子の管理とは異なる扱いが必要である。

登山ルートの形態と整備
 登山ルートに関して、誰が整備をするのか、どの程度まで整備すべきか、整備に伴う管理責任の範囲などの問題がある。これらについては、登山ルートの形態によって異なる。
 登山ルートは、歩く登山道、よじ登る登攀路、クライミングルートなどに区別できる。
(1)歩くための登山道は、@遊歩道、A整備されている登山道、B整備されていない登山道、C自然状態に近い道に区別できる。登山道の分類は、体力、技術、危険性などに基づく分類が一般的であるが、上記の分類は、歩道の管理責任を意識した分類である。 
 「登山道が整備されている」とは、定期的に登山道が手入れされ、標識、鎖、梯子などが点検されていることを意味し、困難度や危険性とは関係がない。登山道が手入れされ、標識、鎖、梯子などが点検されていても、体力、技術を必要とし、転落の危険性のあるルートがある。なだらかな低山は、道が整備されていなくても、もともと困難度が低く、転落、滑落の危険性が低い。標識が整備されていなければ、道迷いしやすいが、たとえ道迷いをしても山麓が近い山では、遭難のリスクが低い。
 日本では、登山ルート上に管理されているかどうか不明の鎖、梯子、ロープなどがあまりにも多い。低山に設置されたロープのほとんどは、管理がなされていない。点検・管理されていない人工物を信用することは危険であり、上記のAとBの区別は、「登山ルートにある人工物を点検・管理する必要がある」という視点に基づく分類である。Aは、登山道の設備の管理責任が問題になるが、Bは問題にならない。
@遊歩道
 多くの観光客やハイカーが利用する歩道であり、危険性のほとんどない歩道である。奥入瀬渓流の歩道、上高地付近の歩道、立山の室堂付近の歩道、北八ヶ岳坪庭付近の歩道などがこの例である。遊歩道で、転落、落石、落木などの事故が起きれば、管理責任が生じやすいので、それに対応した整備、管理が必要である。
A整備された登山道
 1年に1回程度、登山道が手入れされ、標識、鎖、梯子などが点検、整備されている登山道である。登山者は、登山道にある標識、鎖、梯子、階段、柵などを信頼することができる。歩いて登ることができるルートであり、鎖や梯子はあくまで補助的なものである。@と異なり、落石、落木、転落などの山岳固有の危険性があり、これについては管理責任は生じない。
B整備されていない登山道
 定期的に登山道が手入れされず、標識、鎖、梯子などが点検されていない登山道である。登山道に設置された標識、鎖、梯子などは点検されていないので、信用できない。登山者は、鎖や梯子を信用せずに登る必要がある。本来、登山道に信用できない鎖や梯子を設置すべきではないが、登山道に誰が設置したかわからない鎖や梯子が多数あり、これらが定期的に点検されているかどうかが不明な場合がある。登山道の管理者は、登山道の標識、鎖、梯子などについて、「整備不良」、「信用できない」旨の危険性の表示をし、登山者は、これらを自己責任で利用する必要がある。
C自然状態に近い道
登山道に人工的な設備がほとんどなく自然状態に近い道である。あくまで登山者が歩くことのできるルートであり、よじ登る行為が要求されるルートは自然状態に近い登攀路に分類される。剱岳の長次郎雪渓や三の窓付近の道がこれに該当する。山岳の管理者は、自然状態に近い道として管理する必要がある。
(2)登攀路についても、整備された登攀路、整備されていない登攀路、自然状態に近い登攀路に分けることができる。
 剱岳の別山尾根や妙義山の縦走路は、整備された登攀路であり、管理者が定期的に鎖や梯子を点検することが必要である。これらは、鎖や梯子が点検されている前提で登山者に利用されている。もし、これらの鎖や梯子が、定期的に点検されていないとすれば、非常に危険である。歩く登山道では、鎖や梯子は補助的なものなので、信用できない鎖や梯子を使わないことが可能だが、登攀路では、鎖や梯子を使用しない場合には、クライマーでなければ登ることができない。
 登攀路は、人工物によって管理され、その量と設置の仕方によって、難易度が変わる。槍ヶ岳の頂上直下は、登攀路としては、誰でも登ることのできるルートになっているが、それは、そのように整備してあるからである。このルートの梯子を撤去して、すべて鎖にすれば、剱岳の別山尾根に近いレベルの登攀路になる。妙義山の鎖をすべて梯子に変えれば、梯子を登降するルートになる。登攀路をどのようなルートとして維持するかは、ルートの管理者が決定する(しかし、日本では、ルートの管理者があいまいである)。
 登攀路に設置された鎖や梯子は、必ず、管理者が毎年点検していることが必要である。整備されていない登攀路に鎖や梯子が設置されていることは危険であり、撤去するか、クライミングルートにすべきである。
 登山道や登攀路に設置する鎖や梯子は、必要最小限であることが望ましい。なぜなら、登山道に設置された鎖や梯子の量が多ければ、点検、整備に要する労力、費用がかかるからである。点検、整備されていない鎖や梯子は事故の原因になる恐れがある。
 槍ヶ岳の北鎌尾根、前穂北尾根、剱岳源治郎尾根などは、自然状態に近い登攀路(ただし、一部にクライミング部分、懸垂下降部分がある)の例である。これらも、そのようなルートとして管理されなければ、ルートの状態を維持できない。
(3)日本では、上記の@、A、Bの区別が明確でなく、歩く登山道と登攀路の区別がされていない。ヨーロッパアルプスでhikingとclimbingを区別することは、管理責任の区別に対応していると思われる。また、hikingとclimbingの区別は、ガイドの安全確保義務の内容を規定する。
 日本で登山ルートの形態の区別が明確でないことは、管理責任の区別と所在のあいまいさを意味する。登山ルートに設置された鎖や梯子などを管理者が責任をもって点検、整備しているかどうかは、人命に関わる非常に重要なことだが、日本では、「誰かが点検しているのだろう」という漠然とした信頼のもとに利用されている。登攀路では、鎖や梯子は登山の手段となっており、歩く登山道でも、鎖や梯子を疑うことなく、全体重をかける登山者が多い。人気のある登山道の鎖や梯子は誰かが点検していることが多いが(地元の山岳会、ボランティア、山小屋、自治体など)、管理者が明確でなければ、定期的に点検がなされる保証がない。自然公園以外の山では自然公園法の規制がないので、鎖、梯子、ロープ、標識、テープなどを誰でも設置でき、それらが放置されやすい。登山道に設置された鎖、梯子、梯子、柵などの管理責任の所在があいまいであれば、引率型登山の引率者の安全確保義務の範囲と設備の安全確保義務の範囲が紛糾しやすい(たとえば、登山道の老朽化した梯子の崩壊事故が起きると、梯子の管理責任とツアー登山のリーダーの安全確保義務の関係が問題になる)。

登山ルートの管理
 (1)以上のような登山ルート(登山道、登攀路)の管理をするためには、管理者が明確であることが必要である。日本では、自然公園法に基づく公園事業として設置された歩道や観光客向けの遊歩道、林道などは管理者が明確であるが、それ以外の登山ルートの管理者があいまいなことが多い。本来、登山ルートのある土地の所有者や管理者が登山ルーを管理すべきであるが、そのようになっていない。
 その原因として、誰が開設したかわからない登山道が多いこと、事故が起きた場合の法的な管理責任(営造物責任、国家賠償法2条、工作物責任、民法717条)の不安があること5)、登山道の管理の費用負担の問題などがある。これらの問題は密接に関係している。日本では、登山道の管理=整備=人工物による安全化というイメージが強く、これは、歩道の際限のない整備につながりやすい。登山道の際限のない整備は、際限のない管理責任をもたらし、登山道の管理を回避する傾向をもたらす。登山道を誰でも安全に利用できるように整備することが、「登山道の管理」だと考えれば、日本中の登山道をすべて遊歩道にしなければならなくなり、莫大な費用がかかり、管理責任も際限がない。しかし、登山道の形態や登山道と登攀路の区別をすれば、管理責任はそれに応じたものになり、責任の範囲が限定される。
 遊歩道は定期的に点検する必要があり、落石や落木について、遊歩道の管理者に管理責任が認定されやすい。転落の危険性のある場所には、転落防止用の柵を設置するか、危険性の表示が必要である。しかし、歩道上の小石などの歩道固有の危険性については管理責任は生じない6)。
 整備された登山道・登攀路は、1年に1回程度の点検をする必要があり、それで予見できない自然に起因する落石や梯子の崩壊等について管理責任は生じない。遊歩道は頻繁に点検すべきであるが、整備された登山道・登攀路では、そこまでの管理は要求されない。国立公園内の歩道の柵が折損してハイカーが転落した事故について、歩道の営造物責任が認定されたケースがあるが、これは、多くの観光客やハイカーが利用する歩道での事故であり、1年に1回程度点検していれば防ぐことができた7)。ドイツでも、ハイキングコースにある柵の崩壊事故に関して責任問題が議論されている8)。
 登山道に設置された橋に関して管理責任を認めた裁判例があるが9)、このケースも、橋の管理者が明確であり、1年に1回程度点検していれば防ぐことができたケースである。堅固な橋は、「橋があっても信用するな」が成り立たず、設置者が明確なので、欠陥があれば管理責任が生じやすい。しかし、誰が設置したかわからない古い木橋については、橋の管理者が不明であり、管理責任が生じにくい。
尾瀬の歩道での落木事故について、損害賠償責任が否定された(福島地裁会津若松支部判決平成21年3月23日判決)。尾瀬の歩道は整備された登山道であり、整備された登山道では、落木や落石については、原則として、登山道の管理者に管理責任は生じない。
 整備されていない登山道・登攀路では、管理責任はほとんど生じないが、その代わりに、設備が点検、整備されていない旨の危険表示が必要である。設備が点検、整備されていないルートは、そのような登山道として登山者に供用され、そのような登山道として管理すれば、事故の損害賠償責任は生じない。
(2)ルート上の鎖や梯子などが点検、整備されていることは、それらが、1年に1回程度の点検を受けているという保証を意味し、それ以上のルートの安全性を意味しない。山岳地形がもたらす危険性を人工物で安全化することに、もともと限界がある。
 登山道は、もともと歩いて登ることができるルートであり(歩いて登ることができないルートは、登攀路である)、鎖や梯子などがなくても通行可能である。登山道に鎖や梯子を設置すれば、登山道を歩きやすくなるが、歩いて登ることができる箇所に鎖、梯子、階段、柵などを設置すれば、それだけ費用がかかり、施設の管理責任が生じる。登山道の鎖や梯子などは、そのルートの理念に照らして必要最小限であることが必要である。
 これに対し、登攀路は、もともとと鎖や梯子がなければ、クライマー以外の登山者は登ることのできないルートであり、鎖や梯子が必要である。そこで、一般登山者のために鎖や梯子が設置されるが、鎖や梯子の量がルートの難易度を決定するという性格があり、その設置方法がルートの重要な管理内容になる。「そのルートはいかにあるべきか」という理念がなければ、「登りやすい方がよい」というパターナリズムと、利用者を増やそうという経済的な動機が支配しやすい。その設備が、その登山ルートの「理念」に照らし、最小限のものかどうかという点が重要である。
(3)日本では、登山ルートの形態の区別がなされていないために、歩道に関する事故が裁判になると、あらゆる歩道について管理責任が問われるのではないかという不安が生じやすい。
 現実には、登山道の多くが、何らかの形で点検、補修されているが(それがなければ、登山道は数年で消滅するだろう)、管理者不明の登山道が多い。登山者が安心して、橋、鎖、梯子などを使用できるためには、登山ルートの管理者が責任をもってこれらを管理することが必要である。
 登山ルートの管理者があいまいで、登山ルートの理念がなければ、ルートの形態やグレードがなりゆきまかせで変わっていく。かつて、「日本のマッターホルン」と呼ばれた槍ヶ岳は、現在では、梯子を登降するルートになっており、誰でも登ることができる。今後、このルートに、転落防止ネットや柵が設置される可能性がないわけではない。
 自然公園では人工物の設置に国や県の許可(特別保護地区、特別地域、自然公園法20条3項1号、21条3項1号)、届け出(普通地域、自然公園法33条1項1号)が必要だが、自然公園法は、「優れた自然の風景地の保護」、「利用の増進」、「国民の保健、休養及び教化」、「生物の多様性の確保」などを目的とする法律であり(自然公園法1条)、環境保護の視点だけでなく、利用の増進の視点も入った法律である。自然保護法には、「登山ルートはどうあるべきか」という視点に基づく管理は含まれていない。登山ルートの管理は、登山ルートの所有権・管理権に基づいて行う必要がある(自然公園以外の山では、自然公園法の規制がない)。
 たとえば、北鎌尾根では、キャンプ地の設置は、屎尿の問題等が生じるので、環境省は簡単に許可できないが、鎖や梯子の設置は、景観や環境への影響が小さく、むしろ、自然公園法にいう「利用の増進」に資する面がある。槍ヶ岳の頂上直下の大量の梯子の設置を許可しているのに、北鎌尾根について自然公園法に基づいて鎖や梯子の設置を許可できない理由がないだろう。しかし、北鎌尾根に鎖や梯子を設置すれば、歴史的に形成されたルートの形態が変わるので認めるべきではない。同様に、前穂北尾根を鎖と梯子のルートに変えるべきではない。槍ヶ岳についても、「日本のマッターホルン」の名にふさわしいルートを維持する必要がある10)。
(4)日本の登山ルートは、「そのルートはどうあるべきか」という理念に基づく管理がなされていない。あらゆる登山ルートを誰でも登れるようにする「大衆化」が国民から歓迎され、それを経済的な要因が推進する。これらが登山ルートを人工物で過剰に整備する傾向をもたらすが、そのような山岳の整備は環境の破壊であり、同時に、自然との関わりが本質である登山の魅力を失わせる。
 「登山とは何か」、「登山ルートはどうあるべきか」というフィロソフィーが重要である。登山ルートを、「便利かどうか」、「得か損か」という点だけで考えれば、登山道が遊歩道化しやすい。北鎌尾根や前穂北尾根は、ルートが管理されず、たまたま登山道開発の関心の対象外だった結果として、現状のルートが残ったのであり、もし、ここに、営業小屋があれば、誰でも登れるように鎖や梯子が設置され、剱岳の別山尾根のようなルートになっただろう。今後、利用の促進と安全性の名目で、北鎌尾根に避難小屋という名の「立派な宿泊小屋」を設置し、鎖や梯子で整備される可能性がないわけではない。あらゆる登山ルートは、理念に基づいて管理されなければ、ルートの改変や維持が、便利さや経済的な利益に左右されやすい。登攀路の概念は、登山ルートの形態のあり方と管理のあり方を考えるうえで重要な意味を持っている。
 登山ルートの理念に基づく管理は、登山道の管理者が行うことになるが、公有地にある登山道では、国、県、自治体などが登山ルートの管理者になるはずである11)。
(5)登山道や登攀路の形態の区別と管理は、登山者が、登山道や登攀路の形態の区別に応じてそれらの危険性の程度を理解し、行動できることが必要である。登山ルートの形態の区別は、登山者の能力差を受け入れることが前提である(この点の否定が遊歩道化である)。
 どんなに登山ルートを整備しても、そのレベルに見合った登山者が登るのでなければ、事故が起きる。鎖や梯子の次に、階段、手摺り、柵、転落・落石防止ネットなどが必要になる。危険性の程度に応じて行動できる登山者の自律性がなければ、際限のない整備と費用がかかり、際限のない管理責任が生じる。韓国では、登山道の徹底した安全化によって事故を防止しようとするが、それでは、登山者の自律的なリスク回避能力が育たない12)。
 設備が管理されていない登山道や登攀路で危険表示をしても、それを気にとめることなく行動する登山者が多ければ、危険表示は無意味である。アメリカの裁判所は、施設の危険表示の有無を重視するが、日本の裁判所は、危険表示を重視せず、事故の回避措置の有無を重視する傾向がある13)。この違いは、危険表示に対する国民の意識の違いから生じるものだろう。
 登山者の自律性は、それに見合った社会的な登山環境によって養われる。登山ルートの形態を区別し、各形態のリスクの程度を明確にすることは、この点に役立つと考えられる。

まとめ
(1)登山道は、歩いて登ることができるルートであり、歩いて登ることができないルートは登攀路と呼ぶべきである。両者はそれぞれ要求される能力が異なり、ルートにふさわしい登山者が登ることが、事故の防止につながる。
(2)登山道は、遊歩道、設備が管理された登山道、設備が管理されていない登山道、自然状態に近い道に区別できる。登攀路も、同様の区別が可能である。ルートの形態に応じて、「そのルートはどうあるべきか」という理念に基づいて、ルートの整備や管理をする必要がある。すべてのルートを人工物で整備する必要はない。
(3)登山ルートの管理責任(営造物責任、工作物責任)は、登山ルートの形態や整備内容に応じたものになる。遊歩道では管理責任が重い。設備が管理された登山道・登攀路では、1年に1回程度の人工物の点検が必要であり、その限度で管理責任が生じる。設備を管理していない登山道・登攀路では、管理責任はほとんど生じない。
(4)登山ルートの上の鎖、梯子などの人工物の量と設置方法によって、登山ルートのグレードが変わる。そのルートの形態やグレードは、「そのルートはどうあるべきか」という理念によって決定される。それを行うのは、登山ルートの管理者である。登山ルートを人工物で過剰に安全化することは、環境破壊、登山の自殺行為である。登山ルートの管理者を明確にし、登山の理念と登山者の多様な嗜好に基づいた多様な形態の登山ルートが必要である。
(5)このような登山ルートの管理は、登山ルートの形態と危険性の程度に応じて登山者が自律的に行動できることが前提になる。

[注、文献]

1)打田^一、羽根田治:妙義山 整備か登山禁止か?、山と渓谷、902号、2010、162頁
2)ヨーロッパアルプスでは、登山ルートは、ハイキング道、安全化された登路、登攀路などに分類されている。ハイキング道は、スイスでは、誰でも行ける道、山に慣れたハイカーの道、山の危険を伴う道(易しい岩壁登攀や氷河あり)に区分されている(金原富士子:ヨーロッパアルプス登山・ハイキング、本の泉社、2009、22頁)。ここでいうハイキング道は日本の登山道に相当する。登攀路は、クライミングの対象となる岩壁にワイヤー、梯子、楔の階段などを設置したイメージである。
3)フランスでは、ある岩壁にVia Ferrata(ヴィア・フェラータ)を設置しようとしたリゾート開発会社の計画が議論の対象になり、地元の山岳ガイドたちの反対により、中止されたケースがある(飯田年穂:語りかける山、駿河台出版社、2011、183頁)。そこでは、Via Ferrataの設置は、アルピニズムと関係のないレジャー開発だという理解があるようである。日本では、登山道の鎖の撤去をめぐり議論になることがあるが、登山道に鎖、梯子、ロープ等を設置するかどうかが公的な議論の対象になることはほとんどない。
4)ニュージーランドでは、トレイルが5段階に区分され、ルートのグレードが切り替わる場所にはそれを表示する看板が設置されている(村越真・長岡健一:山のリスクと向き合うために、東京新聞、2015、159頁)。登山ルートの形態を区別し、登山者がルートのリスクを認識しやすくすることが重要である。
5)「公の営造物」の「設置・管理の瑕疵」があれば、国や自治体に損害賠償責任が生じる(営造物責任、国家賠償法2条)。「公の営造物」とは、公の目的に使用される登山道、橋、柵、梯子、鎖、階段などをさす。「設置・管理の瑕疵」とは「通常予想される危険に対し、通常備えるべき安全性を欠いている」状態をさす。また、「土地の工作物」の「設置・保存の瑕疵」があれば、損害賠償責任が生じる(工作物責任、民法717条)。「設置・保存の瑕疵」は国家賠償法2条の「設置・管理の瑕疵」と同じ意味である。この場合、工作物の占有者(管理者)が損害賠償責任を負い、占有者が注意義務を尽くしたことを証明した場合には、工作物の所有者が損害賠償責任を負う。樹木の「栽植・支持の瑕疵」がある場合にも同様の責任が生じる。登山道付近の樹木が倒れて事故が起きた場合などが、その例である。
6)新潟地裁判決平成3年7月18日(判例時報1402号100頁、判例タイムズ772号100頁)、東京地裁平成18年4月7日判決(判例時報1931号83頁)、東京高裁平成19年1月17日判決(判例タイムズ1246号122頁)、最高裁平成21年2月5日判決、青森地裁平成19年5月18日判決などは、遊歩道の管理責任を認定した。アメリカのある国立公園では、レンジャーが毎日歩道を歩いて障害物を除去していたところ、ハイカーが歩道上の小石のためにスリップした事故に関して、小石は自然の歩道の一部であるとして、管理責任を否定した裁判例がある(Betty van Smissen(1990):Leagal Liability and Lisk Management for Public and Private Entities,Anderson Publishing,§20.31)。日本では、裁判例はないが、同様に考えることができる。
7)東京地裁昭和53年9月18日判決(判例時報903号28頁、判例タイムズ377号、103頁)
8)オーストリアでハイキングコースにある柵が崩壊して起きた死亡事故について歩道管理者の刑事責任が問われ、無罪になったケースがあり、ドイツでも議論がされている(ピット、シューベルト:続 生と死の分岐点、山と溪谷社、18頁)。
9)神戸地裁昭和58年12月20日判決(判例時報1105号107頁、判例タイムズ513号197頁)、大阪高裁昭和60年4月26日判決(判例時報1166号67頁)、最高裁平成元年10月26日判決(判例時報1336号99頁、判例タイムズ717号96頁)
10)マッターホルンのノーマルルート(ヘルンリ稜)は、固定ロープが設置されているのは、全体の中の150メートル分だけであり(クルト・ラウバー:マッターホルン最前線、東京新聞出版局、2015、49頁)、それ以外は、ロープによる確保が必要なルートになっている。マッターホルンでも鎖、梯子、ロープを張りめぐらし、営業小屋を増やせば、誰でも登ることのできる山にすることが可能だろうが、マッターホルンは、「登山者だけに開かれている」(同書216頁)。ここでいう登山者は、hikerではなく、mountain climberの意味だろう。マッターホルンのノーマルルートでは、理念に基づく管理がなされ、ルートのレベルが維持されている。
11)ドイツ、オーストリアでは、山岳地帯の登山道の管理責任は、多くの場合、山岳団体にある(ピット、シューベルト:続 生と死の分岐点、山と溪谷社、2004、18頁)。これは、山岳の所有者である国等が山岳団体に管理を委託しているものと思われる。日本でも、国や自治体が資金を出して、山岳団体に管理を委託することは可能である。
12)韓国の登山道は、石敷、階段、ゴムの滑り止めが敷きつめられ、登山道以外は立ち入り禁止になっている。すべての登山道が標識やマーキングを完備し、韓国では、登山道の形態の区別がないようである(柳澤義光:大韓民国国立公園管理公団国立公園生態探訪研修院との交流事業に参加して、国立登山研修所、登山研修VOL.31、2016、157頁)。
13)アメリカでは、利用者の多い湖で、管理者が、「遊泳禁止」、「飛び込み禁止」の表示をしていたが、わかりやすい場所に、「水面下に岩があり、飛び込みが危険である」ことを表示をしていなかったという理由から、裁判所が管理者に損害賠償を命じたケースがある(RONALD A.KAISER(1986):
LIABILITY LAW IN RECREATION,PARKS,& SPORTS,Prentice-HaLL,p.113)。日本では、ホテルが私的に使用していた海水浴場の近くに危険な場所があるため、ホテルが遊泳禁止を表示する看板を設置していたが、客が看板に気づかず溺死した事故について、裁判所は、ホテルに、客が危険個所で泳がないようにすべき注意義務があったとして、ホテルの管理責任を認めた(大阪地裁昭和61年5月9日判決、判例タイムズ620号115頁)。河川敷にある樋門付近から3歳の子供が川に転落して溺死した事故では、樋門に、「あぶないので、この上であそばないように」という看板が設置されていたが、裁判所は、管理者が柵等を設置しなかった点に管理責任を認めた(神戸地裁尼崎支部昭和62年2月12日判決、判例タイムズ653号142頁)。また、城ケ倉渓流落石事故で、歩道に落石等の危険があるとの看板を設置し、利用者にヘルメットを着用させていたが、裁判所はそれを考慮せず、自治体の歩道の管理責任を認定した(青森地裁平成19年5月18日判決)。

(日本山岳文化学会論集第14号、2016所収)

                        


「登山の法律学」、溝手康史、東京新聞出版局、2007年、定価1700円、電子書籍あり

                                

               
  
 「山岳事故の責任 登山の指針と紛争予防のために」、溝手康史、2015
        発行所 ブイツーソリューション 
        発売元 星雲社
        ページ数90頁
        定価 1100円+税

                               

                      
  
 「真の自己実現をめざして 仕事や成果にとらわれない自己実現の道」、2014
        発行所 ブイツーソリューション 
        発売元 星雲社
        ページ数226頁
        定価 700円+税
                               


                                


「登山者ための法律入門 山の法的トラブルを回避する 加害者・被害者にならないために」、溝手康史、2018
       山と渓谷社
       230頁

      
972円