第三点.原判決には、つぎのとおり安全配慮義務の考えについての解釈を誤っ
た違法があり、判決に影響を及ぼすこと明らかである。
1. 原判決は、一般企業における従業員に対する健康診断のレベルについ
て、一般医療水準に照らして相当と認められる程度の健康診断を実施あ
るいは医療機関に委嘱すれば足りるので、右診断が明白に水準を下回り
かつ企業側がそれを知り得たという事情がない限り、 安全配慮義務の
違反は認められないとした。
その上で本件について、昭和61年及び62年の健康診断において明
白に一般水準を下回ると認めるに足る証拠はないとの理由から、上告人
の主張は採用できないとした。
2. 確かに一企業が、健康診断における医師の個々具体的な医療行為につ
いてまで指揮監督すべきでないのは、その通りであろう。
しかし一方、労働安全衛生法が事業者に対し、定期的に医師による健康
診断を従業員に受けさせるよう要求している趣旨からすれば、水準的な
診療をなしうる医師に健康診断を委嘱すべき責任があることは間違いな
いと思われる。
そして一般診療と違って、大量の被検者を短時間に大量に診断し病的
異常の有無を検診(スクリーニング)するという特殊性からすれば、こ
うした特殊性に通じた専門能力を備えたと通常考えられる医師に健康診
断を委嘱しなければならないのは当然である。
大量の胸部レントゲンフィルムを読影させるにもかかわらず眼科や精
神科の専門医に委嘱するのは非常識であるし、大量の胸部レントゲンフ
ィルムの読影経験に乏しい者に委嘱しても、その責任を果たしたことに
はならない。
一方、労働者従業員からすれば、水準的医療を保証しうる健康診断の
実施を要求する権利を事業者に対して有し、診断能力に欠ける等の事情
があると考える場合には事業者が指定した医師の健康診断を希望しない
権利まで留保されている。(労働安全衛生法66条5項)
こうした法の趣旨から考えれば、事業者が検診機関に健康診断を委嘱
して実施している場合であっても、その検診能力に客観的な疑義が生じ
うるような設備形態にかかわる事項であれば、その是正を図るべき義務
が事業者に課せられている。
3. そこで本件について述べれば、昭和60年及び61年は被上告人〇〇
海上が本社ビル内診療所において被上告人小〇外1名を直接雇用して、
健康診断の胸部レントゲン撮影の読影に当たらせていた。
被上告人小〇らがどの時間帯にどこで何枚のフィルムを読影しなければ
ならないかの読影体制は、被上告人〇〇海上と被上告人小〇らとの契約
関係から帰結し、その作業は事業者の指揮監督下で行われた。
そして当時の読影体制は、読影ミスを誘発しやすい極めて劣悪な診療
環境にあったことは注目されるべきである。
大量のレントゲンフィルムを短時間に読影するという作業の性質上、読
影者の注視能力を保持する必要から注視時間及び年齢や疲労度との相関
関係から読影環境がおのずと制限される。
ところが被上告人小〇は
a.2時間以上の読影は行わないとされるのに4時間半連続して行った
こと
b.午前9時から午後5時までの別企業での勤務終了後の残業で読影す
る。
c.昭和61年当時、注視力が著しく衰える67才と高齢であった。
事情が認められるから、読影ミスを起こす条件は揃っていた。
4. まゆみのレントゲンフィルム上の異常陰影を昭和61年9月に被上告
人小〇が見落とした事実も、過失とは評価しないと原判決は言う。
しかしこの見落としは読影時の注視力減退が原因であり、それは右の
aからcという悪条件が影響していることは否定できない。
したがって被上告人〇〇海上の安全配慮義務違反が昭和61年の見落と
しを招いたと考えてよい。
見落としを防ぐために要請されている注意事項を遵守しない事実があり
一方で見落としが生じたのなら、注意事項の不遵守が見落としを招来し
たと考えるのが健全な常識である。
よって原判決が示す判断基準を前提にしても、レントゲンフィルムの
読影水準を維持するために通常要求される前記aからcの条件懈怠とい
う事実を知りうるべき立場にあった被上告人〇〇海上には、労働安全衛生
法66条に定める水準的健康診断を受けさせるべき安全配慮義務に違反
したことが明らかである。
5. 本件昭和61年の健康診断に限れば、まゆみの使用者である被上告人
〇〇海上はおそらく雇用コスト節減の観点から、老齢のアルバイト医師
に一般に限度とされるよりはるかに長時間の読影を指揮監督下に行わせ
ていたのである。
このことは個々の医療行為について指揮監督するものでなく、過酷な
診療環境でフィルム読影を強いた雇用主として従業員の権利である健康
診断の水準を低下させた責任を負担するだけである。
コスト削減による危険負担は、削減による利益を享受した事業者に負
担させるのが、公平な法の適用である。 以上。
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