相模の前方後円墳 (神奈川県)
(秋葉山古墳群と長柄・桜山古墳群)
暮れも押し迫った一日、相模国の二つの古墳群を散策した。秋葉山古墳群(海老名市)と長柄・桜山古墳群(葉山・逗子市)である。秋葉山古墳群には、出現期(3世紀前半)を含む前期(4世紀)の古墳(墳長50m前後)が5基ある。長柄・桜山古墳群は、前期後半の80m級の前方後円墳が海を見下ろす尾根上に2基ある。


奈良時代末期から明治までの地域図
相模国は現在の神奈川県で川崎市と横浜市の一部を除く地域である。相模国の大墳丘墓としては、三角縁神獣鏡の出土した真土大塚山古墳(前方後方墳)が著名であるが、それに先行して座間・海老名の丘陵地帯に秋葉山古墳群が、真土大塚山古墳と時期的に相前後して長柄・桜山古墳群が三浦半島の付根の丘陵に築かれたことが、最近明らかにされつつある。

秋葉山古墳群の秋葉山3号墳は、奈良盆地の纒向・箸墓古墳群や上総の神門5号墳などと同時期の古墳として注目されている
長柄・桜山古墳群
(2基)は、4世紀後半に前後して築造された前方後円墳である。相模湾と東京湾・房総半島を見渡す尾根上に築造されている点に注目が集まる。

(註1)秋葉山古墳群と長柄・桜山古墳群については、広瀬和雄「相模の二つの古墳群」、季刊考古学・別冊15、p.68-76、2007、雄山閣 に分かり易い解説がある。

秋葉山古墳群 
秋葉山古墳群は、大正年間から知られていたが1988~2003年に発掘調査され、3世紀後半から4世紀にかけて継続的に造られたことが分かった。出現期の古墳を含むことが注目される。現在は、古墳公園になっており、入口に平成18年設置の海老名市教育委員会の説明板がある。以下のデータはこれに従った。

秋葉山古墳群には、小田急座間駅から線路沿いに歩き、上星小学校を目指し、老人ホームへの坂道を上って行くとよい。ホームを過ぎると、1号墳があり、新しい案内板が立っている。

小田急線路越に座間丘陵を見る
中央アンテナの右側に秋葉山古墳群が広がる

秋葉山1号墳から相模川を挟んで大山が見える
史跡・秋葉山古墳群の入口
古墳群は標高75~80mにある
案内板に丁寧な解説がある。
古墳の並び・墳形を知ることが出来る。
6号墳は4号墳から更に北に歩き、
上今泉配水場の向こうにある

 1号墳

4世紀前半~中頃築造の前方後円墳。墳長59m(区画溝含まず)、後円部径33m(2号墳と同じ)。区画溝がある。小型丸底土器、鉄鏃出土。

前方部先端にだけ溝がある。(註1)
① 1号墳 南側前方前面から ② 1号墳 後円部に上った所から前方部を見る。
③ 1号墳 後円部墳頂から ④ 1号墳 北東側面 手前の後円部を周って2号墳へ

 2号墳

3世紀末~4世紀初頭築造の前方後円墳。墳長50.5m(区画溝含まない)、後円部径33m(1号墳と同じ)。区画溝、くびれ部墳裾溝、くびれ部焚き火跡がある。円筒形土製品、大型壺、片口鉢(水銀朱付着)出土。

前方部前端に溝がある。複合口縁壺・広口壺・底部窄口壺・甕・水銀朱の付着した片口鉢などのほか、特殊器台型埴輪と関連を持ちそうな円筒形土製品が注意をひく。(注1)

焚き火跡の炭化物は、炭素14年代法で、250~325年の年代が測定されている。(註1)
① 2号墳 東前方部前面から ② 2号墳 前方部に上り、後円部との境から①方向を見下ろす。
③ 2号墳 後円部頂上 慰霊碑が立っている。 東側から ④ 2号墳 後円部全景 西側から

 3号墳

3世紀後半築造の前方後円墳(環状は円形)。墳長推定51m(大正時代)、後円部(不整円形)約38~40m。周溝、墓坑がある。片口台付鉢(水銀朱付着)、高坏(水銀朱付着)、大型壺出土。

墳丘上に大きな墓坑があり、その直上で土器祭祀ー壺・高杯などの供献土器ーは、定型化以前の弥生墳墓の様相をみせている。(註1)

3世紀前半、纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)に、石塚、勝山、矢塚、ホケノ山古墳などの前方後円墳が出現した。前方部が後の前方後円墳に比べて短く低い。纒向遺跡はヤマト王権成立の鍵を握る遺跡である。関東では、上総国(現千葉県市原市)の神門3、4、5号墳(5号墳が復元)が、3世紀中葉の出現期古墳とされている。相模国(現神奈川県海老名市)に、3世紀後半の出現期古墳が築かれ、その保存状態も良いことは注目に値する。周辺の遺跡・出土品のあり方に興味が注がれる。
① 3号墳 南側(2号墳側)から見る。 ② 3号墳 西側から見る。短い前方部がこちら側 
③ 3号墳 頂上 祠がある。 ④ 5号墳から見た3号墳

 5号墳

4世紀前半築造の方墳。一辺約20m(周溝含まず)。
  周溝がある。小型丸底土器、小型器台、小型壺出土。

出土した土器は1号墳と相似した時期とみている。(註1)
① 5号墳 北側から ② 5号墳 南側から

 4号墳

3世紀後半築造の前方後方墳。墳長37.5m。周溝がある。大型壺出土。

後方部に沿う竪穴状遺構から小型器台や壺が出土している。(註1)
① 4号墳 南前方部から ② 4号墳 前方部の上から後方部を見る。
③ 4号墳 後方部頂上 ④ 4号墳 後方から前方の北西側面 竪穴状遺構のある所
6号墳
4号墳から住宅地をアンテナ設置箇所を目指し、上今泉配水場を過ぎてその裏手に周る。6号墳は未調査で詳細は不明である
配水場からの入口。 公園になっているが、荒れている。こんもりした部が古墳

長柄・桜山古墳群 
1999年に携帯電話のアンテナ建設工事の際に、地元考古学愛好家によって発見された。神奈川県教育委員会、かながわ考古学財団による試掘・測量調査が行われ、現在も発掘調査が引き続き実施されている。地元(葉山・逗子)の考古学愛好家は「古墳を守る会」を結成してボランティア活動を行っている。これまで逗葉地域には古墳が存在しないとされていたが、墳丘の崩れのない大形の前期古墳が見つかったことは、相模国の成り立ちを考える上でも重要である。1号墳が2号墳より先行して築造されたとされる。現在、1号墳の発掘調査が継続して行われ、現地説明会も近い中にあるという。
関東・東北の4世紀築造の前方後円(方■)墳としては、関東では、武蔵に宝来山古墳、亀甲山古墳、房総半島に今富塚山古墳、姉崎天神山古墳、上毛野に前橋八幡山古墳(■)、前橋天神山古墳、正六浅間山古墳、下毛野に上侍塚古墳(■)、甲斐に甲斐銚子塚古墳、東北では、陸奥に雷神山古墳、観音塚古墳(■)、遠見塚古墳、越後に山谷古墳(■)、菖蒲塚古墳、会津に亀ケ森古墳、鎮守森古墳(■)、杵ケ森古墳、舟森山古墳(■)、堂ケ作山、会津大塚山古墳、山形(置賜)に稲荷森古墳、宝領塚古墳(■)、天神森古墳(■)などを見てきた。平野部に颯爽と威容を示すものもあれば、丘陵の山裾を巧みに利用して造られたものもあり、山頂・丘陵尾根上から下界を見渡すものもある。長柄・桜山古墳は、1号墳、2号墳ともに、丘陵・尾根から下界・海を見渡す設定で、房総の今富塚古墳、姉崎天神山古墳、越後の菖蒲塚古墳、名取(陸奥)の雷神山古墳や会津の大塚山古墳を含む一箕古墳群などを思い出させた。

JR逗子駅前バスノリバ番から「葉桜」行きに乗る。終点「葉桜住宅」下車、西へ真直ぐ住宅街を抜ける。突き当たりに、古墳群への登り口がある。1号墳への上りと2号墳からの下りは短いが急である。

葉山団地から古墳群への登り口


1号墳説明板に写真ポイントを追加)
墳丘には円筒埴輪や壺形埴輪が樹立されていたとされる。(註1)

坂を登りきった所に1号墳がある。墳頂部の標高は約127m。
① 側面の道はロープで仕切られている。 ② くびれ部から後円部を眺める。
③ くびれ部から前方部墳丘を見る。 ④ 前方部 左前から
⑤ 見回りをしていた「古墳を守る会」ーボランティアの許しを得て、墳丘の一部に入らせてもらった。  ⑥ 前方付根から後円部を見る。 
⑦ 後円部のすぐ近くまで入らせてもらえた。墳頂保護のため一部金網が張られていた。  ⑧ 後円部直下から前方部を見る。墳丘がよく残されている。

樹々の隙間から逗子の町が見える。
1号墳から2号墳へは約500mの尾根上の快適な散歩道。
この丘陵上からは、東京湾・房総も見える。



2号墳説明板に写真ポイントを追加)
葺石、段築、円筒埴輪、壺形埴輪の外部表飾をもつ。(註1)
① 2号墳は自由に墳丘に入れる。墳頂を横切る散歩道がある。 
② 墳頂附近  ③ 墳頂から前方部を見る。前方部が長く続く。
④ 前方部。 先端に展望台が設置されている。 展望台からは、相模湾・江ノ島(晴れれば富士山も)が見える。
⑤ 前方部の先端
葺石がこの辺りから検出された。 
急な下り坂を下りたところに、郷土資料館がある。古墳からの出土品の一部や、桜山丘陵北側の持田遺跡(弥生遺跡)の模型・出土品が展示されている。