火焔街道(津南・十日町・長岡) (新潟県)


信濃川沿いに、火焔型土器を展示する博物館・資料館を訪ねた。
信濃川は、山梨・埼玉・長野県境の甲武信ケ岳に源を発し、千曲川として長野県を迂回し、長野・新潟県境の栄村から信濃川として、長岡市を経て新潟市で日本海に流れ込む。全長367km(千曲川214km、信濃川153km)の日本最長の河川とされる。

新潟県に入っての信濃川流域である津南町・中里村・十日町市・長岡市・三島町を結ぶ街道散策を基軸とした「信濃川火焔街道連携協議会」が発足し、周辺の文化を提供している。これらの市町村の縄文中期遺跡からは、火焔型土器と呼ばれる秀麗豪華な深鉢土器(火焔型土器)が出土する。

火焔土器は、昭和11年(1936)に馬高遺跡(長岡市)で発見された土器に冠せられた名称である。その後、信濃川中流域で同型の土器が出土され、これらは火焔型土器と称せられている。岡本太郎が「これこそ日本の独創的な爆発的造形だ」と絶賛された土器である。

縄文土器大観(小林達雄編、小学館 1989)では、火炎土器様式の中で新潟県地方で独自に発達した型式として、火焔型土器と王冠型土器が分類されている。火炎土器様式は、北陸の新保・新崎様式に続く時期、中部の勝坂様式と曾利様式に跨る時期に位置づけられている。

十日町市
十日町市博物館   入館料¥300
十日町市博物館は、雪と織物と信濃川をテーマにして、十日町地方の歴史を紹介する総合的な博物館である。

  入館券に見る笹山遺跡出土の国宝「火焔型・王冠型土器」の数々。
口縁部の四つの突起の大小やその形状(鶏頭冠王冠)、口唇部のフリルなどの時期による変遷が見られる。
笹山遺跡は、十日町市中条にある縄文時代中期・後期と中世の集落遺跡である。昭和55年~60年に発掘調査され、112棟の住居跡や多数の土坑、埋設土器などがみつかっている。当地域を代表する縄文時代中期の火焔型土器・王冠土器が、当地をとりまく他地域の土器を伴って多数出土している。
火焔型土器(No.6) 王冠型土器(No.17)
特設展示として、笹山遺跡出土品を展示したコーナーは見事である。火焔型土器・王冠型土器など深鉢形土器57点は、その他の土器・土製品、石器・石製品、ベンガラなど871点の出土品とともに平成11年に国宝に指定された。 火焔型土器にも時期による様式があり、その幾つかを見ることができる。 火焔型土器の誕生と展開、分布・出土状況・用途、同時期の土器などの説明パネルがある。ほかに、配石墓と埋葬のコーナがあり、栗ノ木田遺跡の立石配石遺構模型と埋葬状態が興味深い展示となっている。
栄村
国道117号は、長野県長野市から新潟県小千谷に至る。長野県・栄村(手前)から新潟県・津南町の宮野原橋を越え新潟県に入る。 信濃川上流を宮野原橋上から見る。長野県では千曲川と名を変える。
津南町
沖ノ原遺跡
沖ノ原遺跡は、津南町歴史民俗資料館から中津川を挟んでの東側の河岸段丘上にある。昭和47と48年に発掘調査され、直径約120mの環状集落で、長方形大型家屋跡3基、敷石住居跡1基が確認された。少なくとも200基以上の住居跡が埋蔵されていると推察されている。
津南町歴史民俗資料館    入館料¥210
江戸末期(文政11年(1828))に、名著「北越雪譜」で知られる鈴木牧之は、津南から秋山郷に入り、山間の秘境に眠る風物・民俗を「秋山紀行」に残した。 この地域特有の生活はつい最近まで踏襲され、その遺品の数々は日本の原風景を彷彿させる。

津南町歴史民俗資料館には、これらの民俗資料と、津南町一帯に広がる縄文遺跡からの出土品を展示してある。資料館入口には、昭和49年まで実際に人が住んでいた雪国特有の茅葺民家が保存・展示されている。資料館自体は、鉄筋3Fで、貴重な資料を守っている。

周辺遺跡から出土した火焔型土器のほかに、卯ノ木南遺跡の縄文時代草創期後半(約12.000前)の爪形文土器や道尻手遺跡の中期中葉(約5,400年前)の東北の影響を受けた大木式8a式土器なども展示されている。

津南駅から約4kmの船山地区にある。秋山郷への新潟県側の入口である。
2Fには、堂平遺跡出土の火焔型土器と王冠型土器(いずれも重文)を中央にして、資料館周辺の幾つかの遺跡から出土した土器・石器類が展示されている。 3Fには、土地の考古学者・石澤寅二氏の業績や国指定沖ノ原遺跡から出土した火焔型土器を含む土器・石器類が一括展示されている。
なじょもん  入館料¥300

津南町に新設された「農業」と「縄文時代」をテーマにした体験実習館。15haの広大な敷地内には、楢ノ木平遺跡、縄文ムラ、畑地、ブナ原生林などがある。
火焔型土器と王冠型土器がロビー中央に展示されている。
長岡市
長岡市立科学博物館     長岡市柳原2番地1   入館料無料
昭和26年開館の植物・昆虫・動物、考古、民俗、地学、歴史の各部門を持つ総合博物館である。昭和53年、旧庁舎を改装した長岡市役所柳原分庁舎)に移転した。

考古の部では、火焔型土器の総本山である馬高遺跡出土の火焔土器(実物)が展示されている。越後先史時代遺跡の遺物を時代順に並べるとともに、近年発掘された岩野原・横山遺跡などが展示されている。

旧石器時代の津南町貝坂・楢ノ木遺跡、縄文時代の小瀬ケ沢洞窟遺跡、室谷洞窟遺跡、馬高遺跡
などの出土品などの数々が展示されている。

歴史の部では、中世では河田長親、近世の長岡藩の名家・名医所蔵の資料などがある。河井継之助など北越戊辰戦争に関する資料は、悠久山公園内の長岡市郷土史料館にある。
火焔土器(馬高遺跡出土) 平成2年重文指定 左から、馬高遺跡出土の火焔型土器、中央に馬高遺跡出土の王冠型土器(重文)、右に大木式土器。
 


史跡 馬高・三十稲葉遺跡
(長岡市関原町1丁目)
(右が北)

  国道8号・関原5丁目交差点の西南隅に位置する。
「東藤沢」と呼ばれる小さな沢を挟んで、東側に縄文中期(約5,000~4,000年前)の馬高遺跡、西側に縄文後期(約4,000~3,000年前)の三十稲場遺跡が広がっている。
北東隅から南方を見る。手前が馬高遺跡で、右端の辺りから火焔土器が出土した。先方の林の麓に三十稲場遺跡(ヒスイや滑石などを加工した玉造りのムラ跡)が広がる。昭和54年に国史跡に指定された。 東側の道路を約1.5km行くと県立歴史博物館に到る。
新潟県立歴史博物館   (新潟県長岡市関原町1丁目字権現堂2247番2)   入館料¥500
常設展示として、「縄文文化を探る」、「縄文人の世界」、「米づくり」、「雪とくらし」、「新潟県のあゆみ」 の5テーマが展示されている。広い展示場を利用しての大掛かりな展示が目立つ。
「縄文文化を探る」の”火焔土器の世界”には、多数の火焔型土器と、同時代の関東中部と東北地方の土器が一括展示されている。”縄文の祈り”には、土面や土偶に興味深い展示がある。
特別展示室では、”山古志 ふたたび”と題して、平成16年の中越大地震からの復興への経過が展示されていた。
県の総合的な歴史博物館らしく、新潟県の遺跡・出土土器についての総合解説と展示がある。新収蔵資料も公開している。 土器のコーナーでは、火焔型土器(レプリカが多い)を中心に、縄文土器(本物が多い)を一堂に並べ、その全体像を明らかにしている。土器一般の展示の一隅に、火焔型土器の創作工程を空間配置して示していた。
藤橋遺跡(藤橋歴史の広場)
長岡技術科学大学の東裏に位置する。縄文時代晩期(約3,000~2,300年前)の大集落跡で、高床式の掘立柱が立ち並ぶ玉造りの工房跡とされる。遺構の柱跡が露出した状態で見せる展示がある。ふじはし歴史館では出土遺物を展示する。