遠山郷の霜月まつり (遠山天満宮・南信濃村) 2004.12.23                                                              

遠山郷は長野県・伊那谷の東側に聳える伊那山脈と南アルプス連峰の合間を流れる遠山川に沿った山村である。戦国時代から江戸初期までは、遠山氏がここを治めたが、元和元年(1615)土佐守景直が病死した後、お家騒動が起こり、「一家不取締り」として幕府の直轄地に組み込まれた。森林資源が豊富であったことに目を付けられたとも言われている。明治維新後は、山深い遠山郷は交通の便が悪く、産業の近代化と離れて、”日本のチベット”とか”日本最後の秘境”と呼ばれることもあった。最近は飯田市喬木村とは矢筈トンネル、静岡県水窪町とは兵越林道・草木トンネルで、さらに地蔵峠の北側・大鹿村とはしらびそ林道で結ばれ”陸の孤島”の感じはない。むしろ「下栗の里」や「しらびそ高原」は、南アルプス連峰を望む”日本のチロル”としてテレビでよく紹介され、観光資源となっている。

霜月まつりは、旧暦の霜月(11月)に魂の再生を願い行う両部神道の「湯立て神事」のお祭りである。全国の八百万の神々に”お湯に入りにいらっしゃい”と招待する祭りである。両部神道とは、平安時代末に真言密教での金剛界と胎蔵界の仏を神道の神々にたとえて神仏習合させた神道である。したがって、祭りは密教、修験道、陰陽道の要素を多分に含んでいる。遠山郷の霜月まつりは、伊勢神宮の湯立てと遠山氏への御霊信仰が合わさって伝えられたものらしく、昭和54年に重要無形民俗文化財に指定された。宮崎アニメ「千と千尋の神隠し」のアイデアとなったとも言われている。

12月1日の木沢地区・稲荷神社から始まり、和田地区へと祭りは移動し、23日の大町(和田)の遠山天満宮の祭りで終わる。それぞれの神社で少しずつ儀式や登場するお面が異なる。

遠山天満宮は大町の17戸の集落を見下ろす丘の上にある。神様が降臨する目安になる大木が二本ある。付近には茶畑がひろがる。祭りの太鼓の音が鳴り響く。 社は掃き清められ、焚き火が行われている。
午後になると人々が集まりだす。
「水と火の祭り」である湯立て神事を待つ。釜のまわりの四隅には八将神が飾られる。 入口の片隅に楽台が設けられ、祭りは太鼓の音だけで進行する。神楽歌が唄われている。
午後2時30分、本祭りが始まる。


湯飾りと釜の水を清める。正面と四隅から祈りを捧げる。
鈴をふり主座の禰宜と他の禰宜が掛け合って、神楽歌を歌う。神様に道を清めたことを告げ、神様を招待する宣命を唱える。「ナナタマヤ、ヤマタノオユヲクミアゲテ・・・」


湯蓋を取り除く「湯開き」の儀式。湯ぶた(木の枠)と湯たぶさ(葉)を釜の上に置き、これを取り除く仕草をする。”神様がお湯に入りに出かけてくるのを、お待ちしてますよ”と言うのだろう
一の湯が始まる。湯木を持った12人が釜を周回し、湯の上に神様をお迎えする。全国の神社の名前を一々読み上げながら「OO神へお湯めす時のおみかげこぐそ」と太鼓に合わせ唱和し、湯木を湯につけるふりをする。湯木が神様なのだろう。出雲、日光、山住、白山、豊川稲荷・・・、東海道の一社も残らず・・・などと全国の神社を招待するので、大変時間がかかる。それがまた丁寧でのんびりしていて良い。
湯伏せ
夜になって、二の湯が始まる。湯の上に再び神様を招来したあと、いよいよ
水の王の面が神前に飾られ
祭りはクライマックスに

「面(おもて)おろし」の儀式

水干を着た舞人が六方を踏み、煮えたぎる釜の湯に手を入れて掌で掬い、右に左に跳ね上げる。


火の王面は静かに釜の周りを踊る



神々に湯を立て湯を差し上げ、面をかぶった神が、神の息吹のかかった湯を観衆にふるまう。釜のまわりを3周し、立ち止まっては熱湯を跳ばす。湯は飛沫がかかっても熱い。観衆はご利益を求めて浴びたいのが半分、逃げるのが半分で盛り上がる。観衆は社殿中一杯(100人以上)になり熱気がただよう。
         
続いて、様々な面が出てくる。”霜月まつり体験ツアー”の人々も神官に面を着けてもらい、釜のまわりをダッダッダッとリズムをとり足をあげてゆっくり三周する。面をつけることにより神霊を身につけ神に変身する。村の人、校長先生、教頭先生が面をつけて踊ると、やんやの拍手を浴びる
          
ばあさ、じいさ、猿面の登場
ばあさ(細目女命)”は”たぶさ”で湯を跳ね上げ暴れまわる。観衆は裾を捲ったりして、ばあさを怒らせる。
じいさ(猿田彦命)”が現れ、神官と山伏問答のようなことをする。伊勢神宮にお参りすると言う”じいさ”が、刀と扇子を持っているのを神官が咎めて取上げる。
”ばあさ”と”じいさ”を絡ませる。子授祈願・子孫繁栄の図式を表す。 猿面が登場して釜の周りを飛跳ね5周半する。この猿面は足利初期のものという。
中学生の男の子が踊るのだが、沈み込み身を屈めジャンプしての5周半は相当ハード。その疲れた様子を皆が囃す。 「神送り」の儀式 祭りにお出でになった神々に帰っていただくための「神送りの宣命」が唱えられる。
大根と豆腐のカスを膳にのせ、足を上げ「かす舞」を踊り、観衆に「かす投げ」をする。まだ居残っている神様に、”もうご馳走はカスだけですよ、早くお帰りなさい”と言うのが面白い。 ひいな(湯の上の湯飾り)に残っていた神様を追い出すための「ひいな降し」に白紙が破られ、釜の四隅に飾られていた八将神とともに火の中に投げ入れ燃やす。神様は福を呼ぶ神だけでなく、災いを呼ぶ神、御霊の神なども等しく招待するので、もてなした後は帰ってもらわなくては困るのであろう。

「金剣の舞」 湯蓋をしお湯が閉店したことを神々に伝える。湯飾りを全部斬捨て、呪文を唱え、「臨、兵、闘、・・・」と九字を切り印を結んで、災難・邪気を祓い祭りは終わる。
午後10時過ぎに祭りは終わった。

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