※2005年2月2日に裁判所宛に提出された奥西勝さんの意見書(抜粋)です。
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                  再審請求意見書(抜粋)

                                       再審請求人  奥  西   勝

@この度はたいへんお忙しいところ、証人調べを決定し、調べをしていただき、ありがとうございます。
 私は確定判決で死刑判決を受けましたが、無実えん罪です。どうか、一日も早く再審開始をして下さって、えん罪を晴らして下さい。お願いいたします。

A私は、再審請求を今まで何度も請求してきましたが、願いが叶えられませんでした。これまで、私は何度も地獄を見ています。今、頭に浮かぶことを思うまま述べさせていただきますと、

イ)T取調官から、「家族の者を救うためには、お前が早く犯人だと自白する事よりほかにないのだ」といって自白を強要されたときのこと。

ロ)警察でのかなり初期頃に、私が「ことわり」続けるのに、記者会見を警察から強要されたこと。この時は、家族の者を救うために、私が、記者会見をして謝罪することだといわれ、涙で記者会見をしました。
 そこでの話は、T取調官が紙に書いた文を朗読したのでした。そしてこれ以外に記者には何言も答えるなという条件でした。

ハ)母が津拘置所の初面会で、私が、面会室に入るなり、「勝、なんでやっていない事をやっていないと、よういわなかった」と言われ、母が泣きくずれた姿やさけび声を、今も忘れる事ができないこと。

ニ)私は、無実なのに常に死刑囚としての恐怖と苦悩の毎日を送らざるを得ず、そして私以上父母はじめ肉親たちが私では想像することも出来ない苦しみを味わい、味わい続けていること、そして、離散生活を強いられていることなど、考えただけでも、地獄の日々であります。

B地獄の始まり
 私は、事件発生後、連日連夜取調べを強いられておりますが、当時の私の状況は、早く、家に帰り、妻が亡くなったこと、妻の亡くなった後の家のこと、長女が小学校に入学する予定の4月4日も迫っていたこと、長女入学の準備のことを妻と一緒に少し準備をしていましたが、まだまだ残っていたことなど、私には事件のこと以外に妻のいなくなった後にやらねばならないことが沢山あり、心休まる暇も無い状態で苦しんでおりました。

 夜遅く自宅に車で送られ、私は家に帰りましたが、私を送ってきた刑事が私宅に入り込んで座ったまま帰ろうとしないのでした。刑事は、私を迎えた母にも一言もあいさつもしないし、私が母の支度してくれた遅い夕食をとっていても帰らないのでした。子供達も、母がおらず、私も遅くまで取調べを強いられていたため、不安だったと思います。でも刑事は帰らず、私たちの居間の障子戸を開けろといって其の入り口に座って番をし続けました。また、朝、私が便所に行くと一緒について来て、便所の戸ビラを開けたままで用便せよと命じるのでした。

C私の子供達のこと
 私が、今でも思い出すのは、子供達が「お父ちゃん」と何度も叫ぶ姿や声です。公判が始まり現場検証も度々あり、私も現地に赴きました。私が検証に立会いのため連行され、公民館の方に登りかかろうとした時、自宅の方から長女と長男の二人が、私の方に走り寄ってきて、私に向かって大声で「お父ちゃん、お父ちゃん」と何度も叫び続けておりました。その声は今も耳の奥に残って昨日のことのように感じています。私は、「手錠」「引きナワ」付の姿で連行されており、そんな父(私)の姿を、二人はなんと思っていたであろうか。大勢の部落民が立ち見している中で、たった一人声をかけてくれた長女や長男はどんな思いをしていたのであろうか。二人は未だ幼く、その幼い心では支えきれない重圧が降り掛かっており、本当に可哀想でなりませんでした。

 私は、どうしてやることも出来ませんでした。まして、無実の罪でこんなことになり、くやしくて、くやしくて・・・、本当に辛い思いをしました。

 母は、どうしてでも息子の無実をはらしてやりたい一心で、80歳を過ぎても、安アパートで貧しい生活でなりふりかまわず、アルバイトをしつづけて、私に月1回の面会と衣類やお金を差し入れ、激励のため遠い名古屋まで来続けてくれました。これまで、手紙というものを書いたことがなかった人ですが、週1回欠かさずに自分や離散している息子、娘、孫、等の近況を、手紙でも激励し続けてくれました。それも死の二日前まで手紙の発信しつづけてくれ、そうして亡くなりました。

 私は、父母、まして母が元気なうちに、再審を開いて頂いて、無実を晴らして頂きたい一念一心で、がんばっていました。現在はそれが叶いませんが、父母の墓前に、なんとしてもえん罪を晴らし、よい報告をさせていただきたいものです。せめて父母を成仏させてあげたいです。

D私ももう死刑確定して33年で、80歳という高齢になり、先年は胃手術で2/3を切除という体調で、お粥食の毎日となり、体重も10Kgあまり減りました。

 今振り返れば確定から、死刑囚ということで、恐怖と苦悩の日々でございます。よく人は地獄を見た、とかいいますが、私は確定判決以来は地獄の連日で、この33年間の生活は休庁以外は午前中に処刑や獄死を名古屋拘置所で、2ケタ余りも見送るという目にあいました。

 確定者は有無実の分けへだてなく処刑をされると聞いているので、私にとっては、そんな事で今日まで、33年間の生活は休庁日以外、午前中は恐怖と苦悩の時間で、大変きびしいのです。

 私にとっては、昼食の配給があるとホッとし、それ以外の時間帯は、地獄の中で生きているようなものです。ですから、夜寝る時間になり、布団の中に入ると、このまま夜が明けてくれなければいいのにと思う事がよくあります。

E私も80歳という年齢になりましたので、今回は最後のお願いになるのではと思ってお願い申し上げました。

 右の通り意見を申します。
   平成17年2月2日
                                              奥 西    勝
名古屋高等裁判所刑事第一部
裁判長裁判官 小出ソ一 殿


※東京守る会より
この奥西さんの願いを叶えるために、是非、署名にご協力下さい。
こちらから署名用紙をダウンロードできます。

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