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「触らせろ」
「え、…は? …──はいィ!?」

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 夏のインハイも終わって一週間、いつもだいたいそこらが日向の誕生日だなという認識はあった。
 要はお盆のド真ん中だ。町中に人影が増えたり場所によっては減ったり、ガキが真っ昼間からそのへんを走り回ってたり、寮の中も人数が幾分減ったり、たまに「こいつ寮生じゃないよな?」な顔が堂々と談話室でトランプしながらテレビ見てたり。
 なんとなーくこの頃になると寮の規則も漠然とゆるゆるになって、届け出がされていない寮生以外の学生が出入りしてても、そこまで厳密には突っ込まれない。(※飲酒・喫煙・馬鹿騒ぎは別) 寮生にはどうしてもスポーツ部所属が多いせいで、インターハイ直前はどことはなしにピリピリしたムードがあったりもするが、終わっちまえば兵どもが夢のあと。「お前いつ帰んのー」「んー、明後日から一週間ぐらいー」てな呑気な会話があちこちで交わされる。
 サッカー部員も例外ではない。インハイ終了翌日から自主トレを開始した日向みたいな化け物はともかく、まず1日は爆睡、その翌日から各自が走り込み程度、やがてポロポロと自主練開始(一年生は半強制的に出頭)、この辺りで帰省ラッシュ、月末にはまた練習試合があるので全員出頭、時期によっては若島津と日向と反町はユース合宿にお呼びがかかったりもして──と、おおまかに言えば夏休みのスケジュールは毎年こんな感じだった。
 
 あ、ヤベ。日向の誕生日って昨日じゃなかったか。
 思ったのは18日の深夜、しかも布団の中でだった。頭をズラして見た時計の蛍光表示は、今日という日があと30分もない事を告げていた。
「………日向?」
 そうっと声に出して呼んでみた。暗い部屋の中で返事はなかった。ま、そりゃそうかと寝返りを打つ。消灯時間は何時間も前で、自分も今はふと目が醒めただけで、こんな時間に起きてるほうが絶対におかしい。
 無理に起こすほどの気持ちはなかった。まず第一に「ギリギリ今日!」ってんでもなく既に遅刻申告になる事柄だったし、第二に深夜に叩き起こしてまで言うほどの事じゃねーなと思ったし、第三に若島津は眠かった。
 後々に後悔する羽目になる事をこいつは知らない。あの時に日向を叩き起こして、少なくとも「俺、一日分しか忘れてなかったぜ!」アピールをしておけば良かったと。そうすれば多少は日向の態度も違っていたのじゃないかと。
 でもそれはまだ未来の話。もしそれを誰かが耳打ちして教えたとしても、この時の若島津に理解するほどの脳ミソの巡りがあったかどうかは疑わしい。
 とにかく眠かった。瞼はまた勝手に落ちていった。
 明日、一応は謝っとこ。明日。
 その思考すら長くは留めていられなかった。
 
 
「お前、いつ帰んの? てか、ひょっとして今年は帰らない気?」
 頬杖をついて隣の勉強机に座っている日向に尋ねる。んー、と日向は参考書を片手で捲りながら、逆に「そっちは?」と尋ねてきた。
「俺、は……まあいつもの通りにあんまり帰りたくはないんだけど。なるべく姉貴の帰省に合わせたいんだよね。方向性がバラけるから」
 この『方向性』とは、親父殿の意識の鉾先を指している。少しでも自分個人への攻撃性が緩む頃合を見計らいたいと。でなくても、早くから手放した末っ子の事を母親はなんやかやと構いたがる。兄貴は兄貴で久し振りに合う末弟になぜか妙な遠慮を見せる。ぶっちゃけ、実家とは若島津にとってあまり居心地のいい場所ではなかった。
「珍しいな。ねーちゃん、まだ帰ってないんか?」
「なんかなー、バイト始めちゃったらしいんだよなー、今年から」
「よくお前んとこの親父さんが許したな」
「だよな!? 俺もびっくりしたんだけど、マジなとこ」
 若島津のねーちゃんは東京某大学2年生である。実家のある埼玉がいくらベッドタウン化した昨今とは言え、毎日通うにはちょっくら厳しい距離の大学に進学を決めた彼女は、民間経営の女子寮に住んでいる。(ちなみに、その選択肢からして本人が意図的に準備したんだろうと若島津は確信している)
「盆はバイトも帰省組多くて稼ぎ時とかって。もうシフト決まってんだから帰れないって。帰省は月末まで引っ張る気らしいんだよね…」
「バイト何やってんだ」
「雑貨屋?、みたいな事言ってた」
「──…男絡みくせぇな」
 ボソリと言った日向に言葉が詰まる。そうなんだよ、あの大人しいねーちゃんが自分から接客業をやりたがるのも不思議だし、親父にゴネてまで帰省を変に伸ばすのも妙な感じがするし、そのバイトはどうも男の臭いがする気がしてならない…。
「日向さ、一度一緒に買い物行かない?」
「どこ」
「ニコタマ」
「そこもう東京じゃねえだろ、神奈川だろー!」
「あ、そうなの」
「路線図と地図見ろよ!」
 ふうん。どうでもいい。とにかく実家とは逆方向なのは知っている。(※二子玉川はギリ東京です)
「そこまで偵察に行く気かよ。だいたい、ねーちゃんを狙ってる男だかねーちゃんが狙ってる男だか、そいつをお前見ただけで分かんのか?」
「偵察って、またそんな人聞きのわりィ」
「悪くても事実だろ」
「や、とりあえずさ……心配じゃない」
「お前さァ、」
 と、日向は椅子を引いて横の若島津に体を向け直した。
「ちょっとヤバめにシスコン入ってねーか? 前から思ってたけど」
 ムッとした。日向に言われる筋合いはない。日向の妹への過剰な構いたがりぶりは、若島津は本人から窮状を訴えられているのでよく知っている。
「日向が言うなよ」
「何で俺」
「はー? お前の直子ちゃんのカレシへの難くせの付け方は尋常じゃねーでしょうが」
「俺はあいつの親父代わりだもんよ」
「あそ。そこは自分で認めるんだ」
「ツマんねぇ男連れて来やがったら相手ぶっ飛ばすし、直子を泣かせたらもちろんぶっ飛ばすし、そのへんに居る並の男でもぶっ飛ばすね。認めるも何も俺は最初からそう決めてっから」
 最初ってそれはいつだ。どう転んでも直ちゃんのカレシは一度はぶっ飛ばされる覚悟を決めねばならないらしいと、若島津は他人事ながら心から同情した。
「だからそこまで言う日向が、俺に突っ込み入れられる立場かっつーの」
「だーかーらー、俺は親父ポジションだろ! お前のは……聞いてても方向違う感じが満々にしてんぞ」
 ん、とそこは指摘されて初めて眉が寄った。試しに真面目に色々と考える。
 誰ならいいのか。どんな男なら自分は納得するのか。
 イケメンはまずイカンね、イケメンは。本人の性格はどうあれ、ねーちゃんが後々苦労しちゃったりするのは困るから。ブサイクもイカンね、ブサイクは。ねーちゃんと並んで似合わないから。強引すぎるようなタイプはねーちゃんが疲れるし、気弱なタイプなんかは男として当然ダメだし、優しいってのも重要だが威厳?みたいなのはやっぱなくちゃイヤだし、
「おお! すげぇ、許可出来る男が誰1人として思い付かねえ」
「試しに自分と並んで買い物なんかしてるねーちゃん思い浮かべてみな」
「……わ。違和感なくてコワイ」
「だろ。お前の場合はヤキモチ系ってーか、嫉妬要素が多すぎんだよ。ただでさえお前んとこは親父がウルサ型なんだからよ、弟くらいはよき理解者で居てやれ」
 なぜか捨て台詞っぽく言うと、また日向はくるりと参考書に向かい直した。うーむ、としばらく若島津は腕を組んで考え込んだ。そうしてピカリと閃き、
「じゃ、日向は!?」
「ああ?」
「日向、マジでウチのねーちゃんにアタックかけない? とりあえず俺と一緒に出かけるだけでもいいから! 日向ならいいや、むしろ日向でお願いしますってカンジ!?」
「あー!? お前なに言ってんだよッ 葵ちゃんの意見も訊けよ!」
「日向ならねーちゃんも納得するって! うまくいきゃ日向と親戚になるし、一生のお付き合い決定じゃん! 日向以上に俺がオッケー出せる奴は居ない気がするし! 下手な女と日向がくっつく心配もないし!」
 もしかして俺、天才じゃなかろうか。その瞬間は本気でそう思った。
 おまけに日向なら将来性もバツグン。その上、チャラチャラした女が日向にちょっかい出すのにイラッと来ないで済むし(たまに居るんだ、これが)、冷静に考えて『日向以上にイイ男』もそうそう居ない気はするし、ねーちゃん的にも日向的にも良縁ではなかろうか! そこそこ単純でそこそこ朴念仁なのもいいカンジ。浮気なんかしそうにない。
「日向がメンクイなのは分かってるけど、ねーちゃんならオッケーっしょ? あ、年上ダメ? そういう根本的なとこ言われると困りますが」
「年上どうより、──お前、葵ちゃんとほとんど同じ顔してて自分でよく言うな…」
「そこは事実だからしょうがないでしょ。俺の場合は単に女顔ってだけな気も……」
 付け加えるなら若島津は自分の顔に少々コンプレックスがある。ねーちゃん見てると「美人だなあ」と嬉しくなれるのに、これが男の顔になった途端に貧弱というか、迫力に欠けると思っている。理想?、──理想はそうねえ、やっぱ日向みたいな強面かなぁ。
「俺が女だったら日向には惚れるな」
「……どーも」
「な、俺本気で言ってんだけど。そのノリの悪さはダメって事? 俺と兄弟になるのとかってヤかなあ? 俺は日向と一生付き合うのって嬉しいけどなあ……」
 バシィッ!、と音を立てて日向は参考書を机に叩き置いた。
 そこに何か見えない害虫が居て、怒りを込めて叩き潰さんとするような仕種だった。
「な、なに…?」
「───俺、時々お前のその無神経さがすげーイヤだ」
 いきなり吐き捨てられて驚愕した。
「俺が? 無神経!?」
 その逆なら言われた事があるが。細かすぎるだの神経質すぎるだのと、いつも反町たちにはからかわれていたが。




……続くッ 

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