PASSION 2002

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若島津健26才、日向小次郎21才。それぞれ違うチームに所属するJリーガー。
という設定の許に成り立っているシリーズ、ここでは全日本代表ネタ絡みのバージョンで。
時系列的には【Sugar&Spice】の直後、【PASSION 2002】の前に当たります。

 

        

  



〈何でそーいうことになっちゃってんだよッ!〉
 携帯電話からの大音声の怒鳴り声に、若島津は大袈裟でもポーズでもなく、一度耳を遠ざけた。
 ええい、何でもくそも。
「……間が悪かったよ。確かにな」
〈そーいう問題かよっ?〉
 頭ごなしにこう返されては、じゃあどういう問題なんだよと、こっちも一瞬キレかかる。かかったが、そこは何とか自制した。代わりに口をついたのは深々としたため息だった。
 それは電話を通して向こうにも聞こえたらしい。電話のお相手、日向小次郎君(20)は、ちょっと複雑な数秒で黙り込み、
〈───…。ごめん〉
「いいけどさ…」
 慣れましたよもう。こいつの爆発的感情の起伏には。
 お前どこから電話してんだよと尋ねると、「クラブハウス」と簡潔な答えが戻ってきた。時計を見るとまだ午後も早い時刻で、時間の余裕はありそうだった。
「だったら、…練習引けたあとに俺の顔見る気はあるか? こっちはオフに入ってるから」
〈あるよ! あるに決まってんだろ、誰に訊いてんだ!〉
 ───しょーがねえな、ったくもー…。
 日向の本拠地のそばの大きな駅、今までにも何度か待ち合わせに使ったホテルを告げて、若島津の目は既に車のキーを探している。
「あ、念のため言っとくけどな! お前はタクシーか何か使って来い」
〈なんで?〉
「目立つからだよ、あの車が!」
 最後に結局こちらからも怒鳴りつけて、そのまま若島津は返事を聞かずに叩き切った。「どーして目立っちゃマズいんだよ」なんて訊き返されようものなら、なけなしの自制がふき飛びそうで。
 まったく、常々あいつには自覚ってものが欠如してんじゃないかと思う瞬間がある。何のって? だから…だからそれは「秘めたるレンアイ」とか、そーいうものに対しての自覚っつーかね。
「…ったくもー!」
 無意識だったが今度は声に出して吐き捨てていた。
 サイドボードの上に置きっぱなしだった車のキーを握り、薄手のジャケットを羽織りながら、ここでやっぱり若島津健氏の口から漏れるのは、───…
 …ため息。

 彼と知り合ってから二年弱、その間にはまぁ色々とありました。あったさ、そりゃぁ! 色々と!!
 まずとにかく凄いのが、6つ歳下のこの坊やと、自分がレンアイ関係に陥ったということだろう。凄すぎる。言っちゃ何だかこっちは有名人だ。日向もサッカー業界内では有名と言えるが、若島津に至っては国民的に有名人だ。
 前回の五輪での活躍が拍車をかけて、TVCMが一本、時計のイメージキャラクターが一本。それでも同期の反町に比べれば、サッカー以外の活動をなるべく控えるべく日々戦っている(ちなみに断りきれなかった某CM出演は、チームのメインスポンサー企業のもの)。
 それがアナタ、年下の、しかも男とレンアイ沙汰だよ。相手もユース代表キャプテンまで務めて、次回五輪代表選出はほぼ確実っつうJリーガーだよ。
 プラス、若島津個人にとっては、もう一つデカくショッキングな事実が判明した。ああ知らなかった、びっくりした。
 ───けっこー…俺ってば色ボケるタイプ、…だったらしい。
 色ボケとしか言い様がない。今もせっかくオフだってのに、高速使って車飛ばして、わざわざ自分からあのガキに会いに行こうとしてるんだから。
 今回の事の始まりは次期代表選出で、広報さんからリストを見せてもらった、本日の午前に発端する。ワールドカップを半年前に控えた親善試合、海外遠征含めて連続三戦、これは小手試しと言うか監督の選手選出お試し期間と言うか。
 実は若島津自身は、メンバー発表前に代表を辞退した。
 国内リーグ戦中に痛めた膝の調子が思わしくなく、ここらは無難にお休み頂いた方がよさそうだった。今、無理をして後々に祟るより、それが大人の判断ってものでしょう?
 どこに自分のテンションのピークを持って行くかは意外と大事だ。プロでもそう易々とはこなせない。まさか年中無休で気を張ってるわけにもいかないので(やはり人間なもんですから)、緩和と緊張の波と体力の波には、ポジション柄、若島津も人一倍気を遣う。
 残念だけど、そりゃ悔しくないと言ったらウソだけど、チームドクターとも相談の上、今度の辞退は冷静に出した結論だった。そうして今までの実績を考えれば、これくらいで次回の選には漏れるまいといった自信もあった。
 んで。問題は。
 リストを見た瞬間、あちゃーと若島津も眉をしかめた。ユースではバリバリ活躍していた日向君、今回は彼がFWとしてめでたく初選出を果たしていた。
 あちゃー。これはまた何て…間の悪い。
 ベテランFW陣が頑張っていたせいで、これまで日向が全日本に選ばれたことは一度もなかった。実力から言えばいつ来てもおかしくはなかったが、いかんせん波が激しいのが災いしてか、代表合宿所で若島津と顔を会わせる機会はまだ訪れていなかった。
 それをどれだけ日向が悔しがっていたか若島津は知っている。口にはハッキリ出さなかったが、どれだけそれに歯痒い思いを味わっていたか。
 ───お前が代表に選ばれたらさ。
 いつだったか、あれは前回の代表選出のあとだったか。半ば冗談めかして、若島津から話題を振ったことがある。
 ───シャンパン一本空けてやるよ。合宿所の俺の部屋で祝い酒だ。
 ───なんだよ、それ。酒類持ち込み禁止じゃねえの?
 若島津のマンションで相も変わらず夕食を作って食って、確か夜のニュースを眺めながらの会話だった。
 ───そりゃユースはな。こっちはビールその他、特に禁止はされてないよ。ほどほどにしか飲まないのは当たり前だけど。
 ───あーそっか。カズさんなんて練習後にビールがないと、騒いで死ぬ死ぬ言うもんなぁ…。
 いや、反町は反町でちょっと異常なまでのビール好きだが、まあ大概はビール程度は飲んだりする。
 ───でもさ、シャンパン一本は多すぎじゃねえ?
 ───言えるな、じゃあミニボトルで勘弁願おう。
 ミニかよ、と日向は吹き出して、それから急に真顔になって若島津を見た。
 ───オレ、行くからな。いつか絶対、あんたに追い付く。色んなものに、多分追い付いてく。そのことは疑ってないんだ、オレ、割と冷静だよ。一つ一つだって、自分でも判ってて…でも、何でだろう。やっぱ焦るのもホントなんだよな…。
 それは、お前がきっと若いからだ。走り続ける力があり余って、その余分な力が、それだけでお前の熱量だからだ。
 口にしては若島津はそうは言わなかった。愛おしさと、ほんの少しの妬みを胸の片隅に感じたせいだ。その年頃に、自分がどうしていたかはもう思い出せない。きっと誰かをこうして妬ませもしただろう。知らず、傲慢さを振りかざしもしただろう。
 そうやって、いつか日向も知る時がくるのだろうか。分別ついた大人の目で、そいつは若さの特権だよ、などと、したり顔で言うのだろうか。
 見たいような、見たくないような。
 だけど多分、と若島津はこのことについては最近もよく考える。日向は他とは違う。多分、何一つも失わずに、彼は辿り着くに違いない。目的の場所、約束の場所へ。失ったなんてただの一度も思わずに。
 それはそれで、やっぱり若島津には彼を妬まずにはいられないのだ。なーんて、日向は気付いてもいやしないだろうけど。

 

  


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