イライラついでに車をぶっ飛ばしたら、高速使用必須で二つお隣りの県の割には、ホテルには思いがけず早い時間に辿り着いた。日向の到着時刻にはまだ間がありそうで、ラウンジで先にコーヒーをすすってはみるものの、すぐに半端に時間が余ってしまう。よほどのこと本屋にでも行こうかと思ったが、その隙に携帯が鳴ってもいかにも間抜けだ。だいたい近辺のどこに本屋があるのかも存じ上げない(地元じゃないんで!)
 バータイムを待つにも時間が余るし、昼飯はきっちり腹に入れて来ちゃってるし…。
 結局、我ながら信じられないと思いながら、若島津の足はフロントへと進路を取る。そして数分後には、ホテルのやや上等な一室で、ベッドに仰向けに転がっていた。
 何だかなぁ。何やってんだろうなあ、俺は。
 シングルベッドが苦手で、習慣通りにダブルの部屋を借りちゃったのだが、時間潰しの休憩程度に本当にダブルベッドが必要なのか。まさか、無意識に『必要』の事態を踏まえて借りたんだったら怖すぎる。
 と、言うか、アホすぎる。
 脱ごう脱ごうと思っていた上着は、寝転がっている内にだんだんどーでもよくなってきた。ベッドサイドから流れるFM放送は、どこかで聞いたような気がする英語の歌だ。無音よりはマシな気がして、若島津はぼんやりとその歌詞に耳を傾けていた。
 ───私は何も持っていないわ。
 ───私の心の中をあなたは真直ぐに見通すのね。
 ───私は今まで知らなかった、こんな気持ちを。
 声量のある声で女が歌い続ける。わたしは、なにも、もっていない……。
 そうして自分でも知らない間に、若島津はうとうとと眠りこけていたらしい。胸ポケットの携帯のバイブレーションで飛び起きた。
 う、うわぁ。上着を脱がずにおいて正解だ。切り替えるのを忘れていたし、でなけりゃ気付かないとこだった。
 着信画面も見ずに取った電話の相手は、予想通りに日向だった。ラウンジに居るらしいざわめきがバックに聞こえて、「どこ? どの辺りに座ってんの、見つかんねえよ」と少し焦った響きで問いかけてくる。
 今、今ここで電話を切ったら、まだ引き返せる気がするのは卑怯だろうか。
 若島津はふと思った。おまけにもちろん、自分がそんな真似を出来ないことも知っていた。つくづく俺って人間は馬鹿の見本だ。
「部屋に居る。16階、1623号室」
〈へやァ!? 何だってンなとこに居るんだよ!?〉
 うるさい、と一言叫んでこれも一方的に通話を終了する。
 ノックは三分も待たない内だった。若島津は立ち上がり、誰何もせずにドアを開けた。そこには僅かに息を切らせ、怒ったような、何かに耐えるような、複雑な顔で日向が立っていた。
「…なんで」
「いいから入れよ」
 問答無用の若島津の口調に、仕方なく日向も言葉を飲み込んだ。つられたように仏頂面で、若島津の脇を通って室内に入る。
 ドアを閉めた手のまま上着を脱いでいると、ひょいと腕が伸ばされてそれを奪い去り、横のクロゼットの中のハンガーに吊るし掛けた。
「ンだよ皺クチャじゃんか、あんたらしくねえ。着たまま寝てたのかよ?」
「寝るつもりじゃなかったんだよ」
 つい言い訳じみて小さく呟く。それを聞いてどう思ったのか、日向はどさりとベッドの端に腰を下ろした。
「───ごめん」
「なんだ?」
「疲れてるみたいだからさ。顔色あんまよくねぇし。…無理させたんだなって」
 若島津は首を振って、日向からほんの少し離れた隣りに座った。
「長距離運転が久し振りで。それが応えたって程度の話だから。意外と早くこっちに着いたし、時間持て余して、もう面倒でさ。この方が落ち着いて話が出来るとも思ったしな」
 こちらに身体を向けようと日向が動く。察し、若島津はさり気なくFMのボリュームを絞る振りをしながら姿勢をズラした。
「……。ごめん」
「もういい、それは」
「違う、これはさっきの電話の分だよ。…オレ…八つ当たりだって判ってたんだ。なのにあんたに電話した。電話で怒鳴るなんて真似しか、できなかった。頭冷えたら、オレ死にそうに恥ずかしかったよ。だからその分、…ごめん」
 日向の顔をどうしてだか見たくなくて、若島津は大袈裟に背後のベッドに倒れ込んだ。スプリングが勢いよく弾み上がり、日向が驚いて手を付き直す。
「バーカ!」
「えぇ!?」
「参ったな…。お前、全然成長してないよ。変わってない、最初と全然」
「わ、……るかったなぁ! クソ、知ってるさ! ンなこと自分でもッ」
 真っ直ぐで、馬鹿正直で、最初から何も。
 変わってない。
「だいたい、なんで、さっきからちゃんとこっち見ないんだよっ?」
 ───こんなことだけ、勘のいいのも。
 日向に言われて初めて自覚した。日向の顔を見たくないんじゃない、俺がお前に見られたくないんだ。お前にだけは知られたくないよ。こんなに自分が色ボケるなんて、ほんとに俺は自分でもまだ信じられないでいるくらいなんだから。
 何も、持ってないんだ。お前が俺を欲しがるような理由を、何も。五年先や十年先の約束になるようなものを、何も。
 お前がお前自身の当然の価値として、手に入れるであろうこの先の未来。そこに俺が要るかどうかも自信がないなんて、まったく。
 笑おうとしたのに失敗して、若島津は両腕で顔を覆い隠した。上等すぎるスプリングがいっそ居心地悪い。どうしようもないほど世界が苦しい。
「…若島津?」
「前言撤回だ。……疲れてるんだ、俺は」
 お前の晴れの舞台に付き合えなくて、お前の後ろを守ってやれなくて、一番つらいのは俺なんだろう。取り残されたように切ないのは俺なんだ。
 でもそれはきっと言わない。決して、そんな言葉をお前にだけは言いたくない。
 乱れた髪を優しく梳く気配が伝わった。
 若島津が思わず息を止めた一瞬、次にはもの凄い力で抱き締められる。防ごうとした腕も取られ、もつれた勢いのまま、いささか乱暴に口付けが交わされた。
「…バ…ッ」
「何でだよ、何であんたがそんな顔してんだよ! オレが嫌いじゃないんだったら…っ、頼むから、そんなしんどそうな顔しないでくれよ! オレを、少しでも嫌いじゃないんだったら…!」
 嫌いになんか。
 なれるわけがない。なり方を教えて欲しいくらいだ、バカヤロウ。
「疲れてるんだ…。だから、俺はお前に会いたかったよ」
「今さら何言ってんだよ! 信じらんねえよ」
「信じろ、バカ。…お前の傍で、眠りたいと思ったよ」
 しばらく黙って、日向は若島津の顔を見つめていた。それから、つらそうに顔を歪めて、うん、と若島津の肩に顔を埋め直した。
 嘘じゃない、本当に。この熱い粗暴な腕が恋しかった。
 恋しかった。

 日向の息遣いを耳にしながら、ゆっくりとまた眠りの淵に引き込まれながら、若島津は目が覚めたあとのことを考えていた。
 ルームサービスでシャンパンを取ろう。カードがあるから支払いは大丈夫だろう。おめでとう日向、そう言ってグラスを合わせて、多分少し互いに笑うだろう。
 ムードに流され、キスの一つや二つも交わし合い、そんなのだってたまには悪くはない。

 

END

 

 



 

  

 

【PASSION 2002 -準備号-】(コピー本)より。
【Sugar..】と【PASSION 2002】(本誌)の間を埋める一本…のハズです。確か。そのつもりで【Sugar..】の方のネタを切ってたハズ!
穴があったらこっそり教えて下さい………。

ところでこの中で若島津がラジオで聞いた曲はホイットニー・ヒューストンの【I Have Nothing】か!? と、今になって妙に驚きました。まったく記憶に残ってなかっただけに。どうして唐突に出て来てんでしょう。私がたまたまこの時にCDでもかけてたんだろうか。曲のリリース時期と書いた時期は全然合わないので余計に謎。(この曲の入ったホイットニーのアルバム、私は一応所持してます。買ったばかりの頃は確かによく原稿やりながらかけてたけど、うーん…?) 

 

 


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