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2005.072005.08

日記の フリ 日記というよりは、気になったこと、興味のあることを忘れないようにメモしてる、ってほうが正しいので「フリ」。

日付ごとにアンカー付けています。e.g. http://www5a.biglobe.ne.jp/~nanatsu/diary0508.html#yyyymmdd


2005年8月

その他


8/31(水)
島田荘司『透明人間の納屋』。なんとなく古くさい雰 囲気。辛くて悲しい背景は結局は最後に手紙の中で述べられるだけなので、正直あまり重さは感じなかった。

池波正太郎『ドンレミイの雨』を読み終わった。小説 と紀行が少しずつリンクしていて、「この出来事を小説のあそこへ使った」というのがのがわかって興味深かった。でも、もっと興味深かったのは、おいしそう な料理を食べていたこと。

かぼちゃの形をした丸ごとの冬瓜を初めて見た。「細長いのはよく見るけれど…」などとお店の人と話をしていたら、他のお客さんも 「まあ見事ねー」と言っていて、「でも、切らなくちゃだめですもんね」と買いたそうな様子。そうするとお店の人が、「全然いいですよ。切りますから持って いってください」と、結局私にもおすそわけが。一部分とはいえかなり大きい。


8/27(土)
少し行きにくいところにあるケーキ屋に行った。アルカイク(埼玉県川口市戸塚4105)。埼玉高速鉄道の戸塚安行駅が最寄駅。が、東川口からもなんとか歩 けるのではないかと思ったので、電車賃を少しでも浮かせるために歩くことにした。15分くらい。まっすぐな道なので迷わなかったし、これくらいならば全然 オッケイな距離だった。焼き菓子、半生菓子、生菓子、クロワッサンにショコラも置いてあり、イートインも。どれもこれもおいしそうで目が回る。あーどうし ようー。生菓子は、悩んだ結果、店名のついたアルカイクとカシス、そして半生菓子は少し日持ちするだろうと思い「ここからここまで」という買い方をしてし まった。恥ずかしくて「すみません……」と言うと、店員さんは慣れているのか「いえいえ」とにこにこしてい た。

3つのお菓子を半分ずつ食べる。上品、かつ、素朴、という印象。

アルカイクは、しっとりとしたケーキ生地にナッツとフルーツのジャムがのぞく。生地の重さというか軽さがちょうど良くてものすごく好み。なぜこんなに水分 を感じられる生地に焼けるのだろう。

カシスは、トップにはメレンゲの焼いたものが載る、カシスを染み込ませたムースがメイン。ふわっふわで、じゅわー。ムースの土台には、スポンジではなく しっかり焼いたクッキー生地(?)なのが面白い。そしてもちろん、まったく違和感がない。ガッチリ硬いわけではないからか。焼き(菓子)に自信があるのだ ろうと思った。

そして、焼き菓子(名前がわからない)。中は空洞になっていて、軽くカスタードがしいてある。パイ生地は軽くてしっとり、甘さがほとんどないのがいい。だ から見た目よりもあっさりと食べられた。

アルカイクの生地、カシスの台の生地、焼き菓子の生地、どれも味と食感が異なる。当たり前といえば当たり前なんだけど、“上に乗って いるもの”や“中身”など派手なものに意識がいきがちなところを、生地のおいしさに目を向 けさせられた。そんな小さな気付きをうっとりと味わいました。


8/26(金)
資生堂UNO。素 晴らしい変身だなあ。とくに、おかっぱな人たちの変身度がすごいね。見ていて楽しい。最後に見せる素顔ぽいところまで撮っているのがいい。


8/25(木)
電車を降りると駅から外へ踏み出すのに勇気がいるほどのどしゃぶりで、10分歩いていたらスカートの裾からどんどん雨が上がってきて、目的地に着く頃には スカートの下半分は前も後ろもすっかりびしょぬれになっていた。パンツではベッタリ不快になるだろうと思ってスカートを履いたのに、結局なにを着ていても 同じだったってことか。あまりに私がずぶぬれなので、会ったとたん挨拶と同時にお互い大笑い。

天丼とクリーム白玉あんみつ。


8/23(火)
マリーザ・モンチ『アモール、アイ・ラヴ・ユー』。 いい声。やわらかな音。


8/21(日)
館山にある grass B というカフェを目指すも、行き着くまでが大変だった。何人の人に聞いただろう。ナビがあったらよかったのに。でも、おいしいものが食べられて報われた。店 内にハーブがおいしげっているので、ふわーっといい香りがただよってくる。ピザはトマトの味が濃く、スパイシーババロアは、ミルク味のぶるぶるにスパイス がぱらぱらとかかり、アクセントになっていておいしいし、チーズケーキがレアと焼いたのの間くらいの食感で、軽くてふわふわしていて絶品。キャラメルアイ スも、甘ったるくない大人味だし量もたっぷりめ。チーズケーキはお土産にしたかったけれど、夏だから無理だろうなあとあきらめた。また今度、寒くなった ら。

帰宅。名古屋から帰るのと、かかる時間はあまり変わらないんだなあと気付いた。


8/20(土)
高校野球の決勝を見た。フランス語の勉強がやたら捗る。ほかにはなにもすることがなくて、時間の過ぎるのが遅い。おいしいと評判らしかった回転寿司が全然 おいしくなくてガックリ。


8/19(金)
実家へ向かう高速バスの中で、ほしよりこ『きょうの猫村さん』を 読む。かわいいというより、おばさんくさい猫。だから面白いし、手に取る気になった。へたうまな絵がまたいいなあ。2巻が待ち遠しい!

お昼は、バスの中で21 世紀出陣弁当。おみやげにと大丸の中で買ったキース・マンハッタンのケーキは私には甘すぎた。


8/18(木)
竹本健治『闇の中の赤い馬』。ほんの少し、智久 &類子シリーズを思い出す雰囲気。協力して推理、というところというより、女の子側が添え物に思えたり、男の子側の気持ちが違う方向を向 くようになる、というか、ひとりで思いにふけるようになるところが。動機(となる要因)→事件→解決はもちろん書か れている。でも、本当に描かれていたのはそれ以外のことのような気がする。痛み、喪失、せつなさ、置き去り感、たったひとりで立ちつくす孤独みたいなも の。最後の場面も含めて、そういうところは良かった。


8/17(水)
角田光代『空中庭園』。ある家族と彼らに関わる人、 それぞれの視点から描いた連作。グロテスクだわあと思いながら読んでいたら、文中でも誰かがグロテスクだと言っていた。最後のコウの章があることで、いく らか救われた気分になる。なにも関係のない読者(私)が彼らの秘密を知ること。この形態は、彼らにとっても読者(私)にとってもお互いに気が楽かもしれな い。秘密を話せば楽になるのは本人だけで、つまり、秘密を抱えた側からそれを受け止めた側に「重さ」が移動するだけのことも多いと思う。


8/16(火)
いつも利用しているわけではない電車を待っているときに、この駅に行くにはどうしたら、という質問を外国人の親子から受けた。私が待っているこのホームか ら出ないのはわかるけど、じゃあ何番線かということに答えられない。間違わないかドキドキしながら正しいホームまで連れていった。もう少し会話らしい会話 をすれば良かった。日本人てそっけないと思われただろう。

地震を感じたときには外の通りに面したパン屋さんにいて、他のお客さんや店員さんと顔を見合わせて「地震?」などと確かめあっていた。店員さんに「外でこ れくらい揺れるんだったら相当ですよね」と言うと、「ほら、あそこの街灯が揺れてますよ」と示された。どれくらいの震度なのか、外にいるとすぐにはわから ない。今どきの携帯ならば、ちゃちゃっとニュースを見たりもできるんだろうけど、私のはカメラも付いていない顔文字もできないモノクロのPHSなのだっ た。

BRUTUSの手みやげ特集を買った。近所の洋 菓子店が一軒載っていたのには驚いた。今週末に実家に行く予定で、なにか買っていきたい。でも毎回「もったいないから何もいらない」と言われてばかり。お いしいものにさほど執着がないらしい。まったく張り合いがない。一緒においしいものを食べられれば楽しいのに。


8/15(月)
麻耶雄嵩『神様ゲーム』。読みやすいし複雑さがない 分、逆に、ストレートに毒をくらった。後味悪くて、うぅえ〜吐きそう(誉め言葉)。犯 人に天誅を与えてしまったのだから、実際には真相は闇の中のはず。でも、芳雄とともに私も“神様”を信じてし まってて、「きっとその推理は正しくて、犯人もその人(たち)なのだろう」と半信半疑ながらも引きずられた。“神様& rdquo;という存在を持ち出しても、力を示さなければただの「トンデモ」に成り下がるだろうに、現象を見せてしまっているが故に説得力を持ってしまっ た。どこにも証拠はなくて、芳雄とともに“神様”を信じた、その前提の上に成り立っている推理。でも、最後の最 後で「ほんとにそうなの?」と突きつけられた気分になった……。堅牢なのにどこ か崩れているような感じがたまらない。スゲエなあという感嘆しきりです。


8/14(日)
小倉クリームサンドの消費期限は13日の23時。冷蔵庫を過信してはいけないんだろうが、まったく気にせず食べる。そういえば、普通に小倉+生クリームの どら焼きは売っているし好きで買ってるじゃん……と食べたあとに思い出した。


8/13(土)
朝8時にホテルを出る。

津−伊勢市駅。伊勢神宮外 宮。外宮→内宮とお参りするのが正式らしいのでそうしたけれど、外宮を参る人は少ないのではないか? という閑散さ。正宮の場所の示し方が、なんというか「ここでーす」という感じではなくて、「(象徴)」という示し方なのがぐっとくる。

CANバスで神 宮徴古館。一見、地味でつまらなそうな場所。でも、行って良かった。式年遷宮ご とに新調される神様の調度品や装束を集めて展示していたり、それぞれの詳しい説明があって、神宮を参拝するんだったら絶対見ておいたほうが楽しめる! と思った。いや、見ておくべきだ。時間をかけてゆっくり楽しんだ。

徴古館−内宮。お昼前のいい時間なのか、外宮と比べて人がたくさん。日差しが強くて随分へこたれながら歩いた& hellip;…。頭の中は昼に何を食べよう、冷たいものを食べたい、そればっかりで罰あたり。

この時点で伊賀に行くのは時間が足りないとあきらめた。

内宮−伊勢市駅。まめやに て伊勢うどんを食べる。たまり醤油+うどんは思っていたよりおいしかった。すごく原始的で素朴な食べ物だと思った。駅で赤福の3つ入りを買う。電車待ちの 間に食べる。

伊勢市駅−名古屋−上前津。松屋コーヒーでお茶する。

矢場町−栄あたりまでふらふらと歩いて時間をつぶしたあと、地下鉄で名古屋まで。矢場とん(も のすごい行列!!!)でお弁当を買い、高島屋の食品売り場で小倉サンドを探し回る。モーニングでそういうのを体験できれば一番良かったんだろうけど。小倉 +生クリームのサンドイッチを見つけたので、それを買ってみた。が、お腹にはお弁当しか入らず。みそかつは、みその味を堪能しておいしく食べた。

名古屋から東京は近いとはいえ、日中歩きまわった疲れは感じる。そして少し日に焼けた。


8/12(金)
少し早めに家を出て、指定券を早めの時間に変更できればと思ったけれどだめだった。東京駅は混雑。新幹線の列に並んでいたらNHKのカメラが後ろの家族に インタビューしていた。

目的地に着くまで侵されない自分の席があって、一人でのんびり過ごせることに幸せを感じる。長くても苦ではない。本当は目的地なんてどこでもいいのかもし れないとさえ思う。

行きの新幹線で麻耶雄嵩『まほろ市の殺人 秋』を読 み終わった。いかにも、「らしい」。

名古屋−矢場町。松坂屋本店。千 寿で天むすを食べる。あっつあつでおいしい。小さい天むすが5つで随分お腹がふくれる。食べきれなかったら、ケースをくれるようだっ た。

矢場町−伏見。名古屋市科学館。 ツァイスのレンズを使っているというプラネタリウムを観る。久しぶりのプラネタリウムはしかし、子どもらでわんさわんさしてて、かなーりうるさくて頭に来 た。お姉さんがこまめに小声で注意して回るも意味なし。たくさんの星は、「こわいくらい」と使い古された表現が、悔しいけれど一番ぴったりくる。

伏見−久屋大通。加藤珈琲店。お腹がいっぱいじゃなければ、小倉トーストを食べたんだけど…& hellip;。しゃちブレンドを飲む。

久屋大通−市役所。名古屋城。結構混んでいた。

市役所−金山。名 古屋ボストン美術館。美術館にはあまり行くこともないし、どちらかというとうまく楽しめなくて「ふーん」程度の私が、ここはとっても 気に入った。ボストン美術館のたっくさんの作品群の中からテーマを決めての展示をしているようで、絵画、彫刻、写真、それぞれのおいしいとこどりをした気 分。こういうのが好きなんだ、というのが自分の中で明確になったのも嬉しかった。夏休み中だからか、子ども用に展示物の見方や解説をしたカードを自由に 持って歩くこともできたりする。あまりに良かったので、迷わず、生まれて初めての図録を買った。

津に移動して宿泊。


8/11(木)
『SCHEMA RECORDS PRESENTS:MODERN SOUNDS FROM ITALY』。今の気分ではないのと、人の声をもっと聴きたいと実感した。

セルジュ・ゲンスブール『ゲンスブール・フォーエヴァー』。こ れだけの曲数の中から、それでも「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」がエロくていいなと思うのはダメかなあ。「手ぎれ」も良かったけど。バックに奇声 (?)の入ってるのがあって神経に障ってきつい。

アストル・ピアソラ『タンゴ:ゼロ・アワー』。い い。人の声が入っていなくても、いい。

今どんな曲が聴きたいのかよくわからなくて、でもCD1枚丸ごと自分の好きな曲だらけということはないんだろうから、徐々に自分の好みを把握していってあ たりをつけてゆくしかないと思った。

古雑誌とともにトラックの荷台に乗ってたおじさんが雑誌を読みふけってた。

鼻歌を歌っているおばさんを追い越しても鼻歌が後ろから追いかけてくるので少し早足に歩いた。

お年寄りに席を譲れなかった。

胸の痛みのような夢を見た。

明日あさって名古屋とお伊勢参り(+できたら伊賀まで)行ってきます。突発的。


8/2(火)
内田けんじ『運命じゃない人』(日・2004)(→公式サイト)@ユーロスペース。連作かと思ったら ただの連作ではなく、+α。凝っているのに、ゴテゴテと見せないところがセンスあるなあと思った。一つの物語を違う角度から見られ る、というのは、本人たちじゃなくて観客だけが味わえる醍醐味なんだよな。ベッド下から眺めの表情がおかしくて最高。おまけに、最後まで気が抜けな い。あー楽しかった!


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