伝来の品々 (金谷町教育委員会主催「御林守展」資料所載)
貴重品は、銀行金庫に保管されている。
(1)銅壺(どうこ)
銅、鋳鉄などでつくった湯沸かし器。
竈(かまど)の側壁や長火鉢の灰の中に埋め、側にある火気を利用して、中にある水が沸くようにしたもの。
(2)会席膳(かいせきぜん)
会席料理(一品ずつ皿に盛って出す上等な料理)を出すために用いる膳のこと。
この膳にも「丸に違い箸」の家紋がある。
(3)柄鏡(えかがみ)
『天正・藤原吉重』の銘があり、天正期(1573〜1591)の作と考えられる。
鏡の歴史は古く、弥生時代に中国から伝わってきたが、その後、日本でも作られるようになり、
鎌倉期に和鏡として完成する。
室町期に宋鏡の影響を受けて柄鏡が作られ、江戸時代にその全盛を迎えた。
(4)槍(やり)
鎌倉末期からもっぱら戦場に用いられるようになった武器で、相手を突き刺すのに用いた。
刀身の下に螺鈿(らでん)が施されている。
(5)古銭(こせん)・<銀行金庫保管>
江戸時代に流通した貨幣。
*天保小判=天保8年から発行された一両通用金貨。
*甲州金=文政9年頃まで甲州一円にのみ流通した。
*寛永通宝 *一分銀 *一朱銀
*明治期の金・銀・銅貨
(6)矢立(やたて)・<銀行金庫保管>
墨壺に筆を入れる筒が付いて帯にはさんで携行できるようになっている筆記具で、
江戸時代街道を行き来する旅人たちには欠かせない道具であった。
(7)提燈(ちょうちん)
江戸時代、携帯用の外出燈火具として、折りたたみのできる提燈が一般的に普及した。
この提灯は、高張提燈(たかはりちょうちん)である。
(8)香時計(こうどけい)
香が燃える長さにっよって時間を知ることができた。
当時は、まだ時刻を明け六つ、暮れ六つなどと呼んでいた時代である。
(9)枕箱(まくらばこ)
箱形の木枕をいう。
御林の御用木の伐り出しや炭焼きに従事する人たちが寝泊まりしたときに使われたものと思われる。
(10)戯画(ぎが)・<銀行金庫保管>
十返舎一九は、江戸時代後期の戯作者。
一九といえば「東海道中膝栗毛」をすぐに思い起こさせるが、この種の風雅に浸る心を思う反面、
「御林守」の職務の厳しさが伝わってくる。
(11)河村家住宅(かわむらけじゅうたく)金谷町指定文化財
寛政5年(1793)建築。南北6間半、東西9間、茅葺き、寄棟造りであり(現在は茅の部分はトタンで保護してある)、
建物の中の造りは、太い大黒柱に支えられた、ちょうなで削っただけの太い梁や桁などすべて頑丈な骨組みになっており、
土間の上は天井裏を利用した物置になっている。
奥座敷の天井板の張り方は「武者張り」といい、表側から張り、次々に合わせてあり、合わせ目がすべて表に向いている。
この工夫は、襲撃されたとき矢が合わせ目にささり、奥までとどかない方法であるといわれている。
(12)裃(かみしも)
一般的には、江戸時代に武士の礼服として着用された。
河村家は御林守の身分として家紋(丸に違い箸)入りの裃を着用し、威儀を正して領主や代官をお迎えした様子が窺える。
(13)陣笠(じんがさ)
陣笠は、もともとは、陣中で使用したものであるが、太平の世となった江戸時代には武士の外出時に使用した。
御林を見回る折りには、この陣笠を着用したものと思われる。
(14)小柄(こづか)・<銀行金庫保管>
刀の鞘(さや)の副手(そなえて)の櫃(ひつ)に入れる小刀の柄または、小刀をいう。
刀の飾り金物として珍重されていた。
(15)鍔(つば)・<銀行金庫保管>
鍔は、刀剣装備のための重要な金具。
柄と刀身の間にあって柄を握る拳を護る金具で、形や大きさは様々である。
(16)茶器(ちゃき)
九谷焼。当時は、庶民には手のとどかぬ道具であり、苗字・帯刀を許された御林守の力が窺える。
(17)刀掛け(かたなかけ)
刀(大刀)や脇差を掛けて置く台。
(18)冑佛(かぶとぼとけ)(写真)・<銀行金庫保管>
「御先祖様が戦場で冑(かぶと)の中に入れて戦った仏さま」
河村家に伝わるこの伝説から、全国各地に伝わる冑佛の存在が明らかになった。
武将たちは戦場に臨む時、自身の守護あるいは一族の安全を願って日頃から信仰する仏像を秘仏として
冑のなかに納めて出陣したのである。
(19)拝領刀(はいりょうとう)(銘 兼住)・<銀行金庫保管>
室町初期と江戸初期にこの銘を有する二人の刀工が存在する。
寛政元年(1789)河村市平が御林守拝命時に拝領した短刀である。
目貫に「三つ葉葵」の紋が使用されている。
(20)管打ち式銃(かんうちしきじゅう)
江戸時代末期、1867年の年号が刻まれている。
また、銃床に、「濱松縣壬申八六八号」とある。
(21)御林守由緒書(おはやしもりゆいしょがき)
河村家は、代々名主を勤め、寛政元年9代目河村市平が御林守を拝命、御給扶持米を賜った。
明治初年に御林守が廃止されるまでの八十年間御林守を勤めてきた。
この文書には、御林守の任命や苗字帯刀が許される経緯などが記されている。
(22)本家普請帳(ほんけふしんちょう)
現在の河村家住宅が、寛政五年(1793)に建てられた時の記録。
(23)代官所宛連判状(だいかんしょあてれんぱんじょう)
寛保3年(1743)、 代河村市平が病死し、その子八十吉に名主役を嗣がせるために、
大代村のすべての百姓たちが連署して代官所に宛てた連判状。
「市平は、草切以来の名主にて御座候」とあり、
河村家は大代村の草創期から名主であったことが分かる。
(24)勲章(くんしょう)
14代河村勝弘が、戦時中に接収した上海キャセイホテルに置かれていた
日本軍第13軍司令部参謀部将校として勤務していた当時に受勲した勲章類。
(25)志戸呂焼(しとろやき)
小堀遠州(1579 1647)に由来し、主に金谷町志戸呂の窯で焼かれた陶器。
「きれい」と「わび」の調和がそこに見出される。
(26)掛軸(如是)(かけじく・(にょぜ))・<銀行金庫保管>
幕末の書家として名高い三舟(勝海舟・山岡鉄舟・高橋泥舟)の師、伊佐新次郎の書。
(27)刀剣(とうけん)・<銀行金庫保管>
主に鎌倉時代から室町時代にかけての刀剣類。河村家の祖先が実戦に使用したもの。
(28)御屠蘇用器具(おとそようきぐ)
儀式の場で用いられた盃とその台座。
(29)燭台・百目蝋燭(しょくだい・ひゃくめろうそく)
江戸時代に用いられた燭台と蝋燭。
(30)洋燈(らんぷ)
明治時代に用いられた洋燈。
(31)鉄扇(てっせん)(お茶の郷博物館へ貸出・展示中)
鉄扇とは、親骨(扇の両端の太い骨)を鉄製にした扇で、江戸時代には護身用として使われていた。
この鉄扇は、鉄扇の形を模し堅い木で作られている。
明治期に、山岡鉄舟から中條景昭に贈られたものを、河村家十三代小次郎が、
中條景昭(かげあき)の子中條景明(かげあきら)から武芸の指南を受け、
皆伝の暁に頂戴したものである。
刻銘には、「敵をたヾ打つと思ふな身を守れをのづからなる賤か家の月」とある。
(32)委嘱状(いしょくじょう)(お茶の郷博物館へ貸出・展示中)
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