業務用炭酸

随時更新

東京の下町大衆酒場でよく見かける、業務用の炭酸を取り上げてみました。小規模で地域密着型が多く、広域を廻らない限り知り得ない謎多き世界であります。

◆ ニホンシトロン 千葉県松戸市 下町酎ハイの定番商品!力強い泡パワ-を誇る業務用炭酸の王者。ごくまれに酒屋で入手可能で50円から60円程度。中身(焼酎)につきビン一本なるが、下町酒場の正式スタイル。

 

◆ キクスイ炭酸  株式会社菊水商会 東京足立区千住 ニホンシトロンに対抗しうる力強い炭酸。明治創業の歴史あるメ-カ-である。現在はブランド名だけが残り製造は委託されている。 曳舟 岩金酒場にて

 

◆ アズマ炭酸 株式会社興水舎 東京墨田区吾妻橋 吾妻橋アサヒビ-ルのまん前に工場を持つ。故に守備範囲は浅草地域がメイン。稀に千葉でも見かける。 浅草 ヤマニにて

 

◆ ドリンクニッポン 野中食品工業有限会社東京葛飾区新小岩 工場の位置関係により、葛飾、江戸川の酒場に多い。パワ-溢れる泡が自慢だ。生きがいいので吹き零れに要注意。 小岩 銚子屋にて

 

◆ ウィルキンソン炭酸 炭酸の老舗現在はアサヒ飲料取り扱い品 大手メ-カ-取り扱い品という事もあり、比較的良く見かける。口当たりの柔らかな炭酸と表現しておこう。 立石 えびす屋食堂にて

 

◆ ハイサワ- ハクスイ炭酸 株式会社博水社東京目黒区目黒本町 テレビCMでお馴染み。業務用のリタ-ナブル瓶も比較的入手し易い。市販品でサワ-という名称を初めて使った、歴史有るメ-カ-の商品。

 

◆ コクカドリンク コクカ飲料㈱ 東京赤坂 ご存知ホッピ-ピバレッジ取り扱い品。知名度高く広範囲で見かける炭酸だ。

 

◆ ホッピ-ドリンク コクカ飲料㈱ 東京赤坂 ホッピ-ピバレッジ取り扱い品と思われるが、ラベルには「KOKUKA」では無く「HOPPY」の文字が...。社名変更に伴い、2種類のリタ-ナ壜が出回っているのだろう。

 

◆ ヤングホ-プ (有)富岡商店 東京台東区根岸 下町酒場でよく見かける。四つ木 えびす お花茶屋 喜八にて

 

◆ パレ-ド 川崎飲料株式会社 神奈川県川崎市川崎区 泡立ち穏やかで、きれいな飲み口。 五反野 加賀広にて

 

◆ オリオン飲料株式会社 東京江東区深川 委託により現在は「アズマ炭酸 株式会社興水舎」が製造担当している。気のせいか?パワ-は落ちテル印象。

 

◆ コダマサワ- 株式会社コダマ飲料 東京大田区大森 ウィルキンソン ジシジャ-エ-ルを彷彿せさるデザインに特徴あり。刺激はイマイチ、大人しい印象。 新宿 赤提灯にて

 

◆ 新日本炭酸㈱ 埼玉県 赤い王冠が印象的。ビンを見ると何も印刷されていないシンプルなものだ。力強さはニホンシトロンに負けない(それ以上の)素晴らしい泡立ちで、ピリピリ感が暫し口を駆け巡る。 尚、生産は「野中食品工業有限会社」東京葛飾区新小岩が請け負っている。 亀戸 伊勢元酒場 にて

 

◆ フジカサワ- ㈱静水社 東京麻布 穏やかな飲み口。炭酸らしいシュワシュワ感はイマイチ。 小岩 小野内酒場 三軒茶屋 伊勢元 にて

 

◆ K・N 河野飲料

 

◆ Kagetsu 花月 ㈱長田商店 東京都台東区根岸

 

◆ SANYO DRINK 東京都足立区東綾瀬 花月と似た色使いやデザインなので、関連付けして良いと思う。炭酸以外にも、焼酎割り用飲料等を販売している。パワ-いまいち。穏やかかな~。

 

◆ ト-イン 東京西の横綱。強炭酸。東京飲料合資会社 東京都中野区新井  ついに憧れの「ト-イン」を口にした。どこで?ナント立石の鳥平だった。

 

◆ ハイピッチ 神奈川飲料KK 神奈川県横浜市 店ではレモンサワ-しか無かったが、ドライな炭酸も存在するハズだ。極めてマイルドな飲み口。 野毛のおでん屋「あさひや」にて

 

◆ 有限会社共栄社 東京都荒川区東尾久 ビンを見ると、「東京飲料株式会社 東京ドリンク」 と書かれている。東京ドリンク(ト-インとは違う)。そして王冠には、あの野中食品工業有限会社の文字が刻まれていた。OEMなのだろうか...謎多し。 お花茶屋 ゑびすにて

 

◆ 木村飲料 男のちょい割る強ソ-ダ 新参者と侮るなかれ。「弊社基準量より10%ほど、ガスボリュ-ムを多角設定しております」とあるように、力強い泡を放つ。居酒屋じゃ滅多に見かけないが、通販で入手可能なので、自宅飲みはもっぱらコイツ。 木村飲料

 

◆ ノセミネラル 薄っすらと白濁した関西に多いレモン風味。関西にもこのようなリターナブル瓶が存在している証拠。中でもこの「ノセミネラル」は比較的多いとの情報アリ。 大阪天王寺 「円」 にて

 

◆ ヌノビキ 兵庫県西宮市 普通に頼むと業務用サワ-になるのだが、目敏く冷凍ショ-ケ-スに置かれているのを発見。「これ旨いです」と、褒めると返事は、「そうでしょう、さっきのより美味しいでしょう」だって。指定しないと出さないらしい... 大阪大正 「畑分店」 にて

 

◆ 7マウンテン ヤマモリ株式会社 三重県桑名市 静岡市内の居酒屋で2回、その後熱海でもみかけたことから中部圏に多いと推測。果汁10%入りのレモンサワ-の素。

 

◆ YAESU 東北ビバレッジ株式会社 山形県山形市 初めて飲んだのが大阪の立ち飲み屋。その後世田谷区や量販店「河内屋」でも見かけたので、かなり広域に渡り販売されていると思われる。果汁10%入りのレモンサワ-の素で、やや酸っぱい。

 

 

炭酸飲料関連用語解説


これより先、企画、内容、文章等に、オリジナルを努めてますが、膨れ上がったネット社会故、探せば似たものがあるかも知れません。また年表作成に於いては確認困難な為、資料を基に自分なりに分り易くまとめただけのものです。

内容は以下のサイトを勉強し、数箇所で言葉を少し変え引用させて頂きました。随時許可確認中ですので、今後多少内容の変更もあるかと思います。「 社団法人 全国清涼飲料工業会 SUNTORY 三ツ矢サイダ- キリンビバレッジ株式会社 アサヒウィルキンソン 」


ソーダ

ミネラル水に炭酸ガス(二酸化炭素)が含んでいる飲料水のこと。
炭酸水ともいう。ただ時代の変化に応じて、甘味料、香料の含む透明な炭酸類も総じてソ-ダと呼ぶらしく、その辺り定義が曖昧である。

トニックウォーター

ソーダ水(炭酸水)に、香草類、レモン、ライム、オレンジなどの果皮のエキス分と糖分を配合した、イギリス生まれの飲料。無色透明で、ほろ苦さとさわやかな風味を合わせもっている。(引用 SUNTORY様)

ラムネ

ラムネとは、定義上「びんの口にビー玉で栓(せん)をした炭酸飲料のこと」で、語源はレモン味の飲料水、レモネードが訛ったもの。
中小企業による生産が多く、国内ソフトドリンクの元祖といえる。

サイダー

炭酸にシロップを加え甘くしたものがサイダーだと思っていたが、調べると違うようだ。
サイダーの語源は、シードル(CIDRE、リンゴの果汁を発酵させたフランスのリンゴ酒の意)で、世界的にはサイダ-とはリンゴ味の飲み物を指すという。しかし日本では、三ツ矢サイダー=サイダ-として認知度が高い為、フレーバーの付いた透明炭酸飲料を総称して「サイダー」と呼んでいるようだ。
ラムネの生産が中小企業主なのに対し、サイダ-は大企業が多いというもの特徴のようである。

--- 以下引用 ----
サイダー類とラムネの区別は、日本では内容によるものではなく硝子玉で内側から栓をしたものが「ラムネ」、ガラス瓶に王冠栓をかぶせた物がサイダーとされる。

シトロン

フランス語で「レモン」のこと。
一歩違えばネ-ミングは、リボンシトロンがリボンレモンに、キリンレモンはキリンシトロンになった?(ややこしい)



炭酸年表

炭 酸 年 表


 世 界
1750年 (仏)エレーテッド・ウォーター
フランス人ヴェネルが水に炭酸塩類(重曹等)を加えて「エレーテッド・ウォーター」という炭酸水を製造。
だがそれは医療用として提供されていただけであった。

1760年? (英)炭酸水
その十数年後、イギリス人のジョセフ・プリストリ-が炭酸ガスを水中に入れ炭酸水を製造。
この事によりジョセフ・ブリートリーは炭酸飲料の発明者として世界に名を残した。

1808年 (米)炭酸飲料
炭酸水は大西洋を渡り、アメリカ人薬剤師「タウンゼント・スピークスマン」が味付けをしたもの(果汁等)を販売し始めた。それが今の炭酸飲料の元祖とされる。

 国 内
1853年 ラムネ ペリ-と共に上陸
「ラムネ」(レモネード)がペリーの黒船とともに日本に上陸。炭酸飲料の幕開けとなった。

1865年 藤瀬半兵衛レモン水/長崎
長崎の藤瀬半兵衛という人物が「レモン水」の名で売り出す。これが日本初のラムネ(レモネードがなまって『ラムネ』)とされている。

1868年
(明治元年) ノース・アンド・レー商会/横浜
わが国での清涼飲料の製造元祖とも呼ばれる英国人ノースレーは、横浜で「ノース・アンド・レー商会」と称する薬種商を開業し、1868年(明治元年)横浜居留地でレモネード、ジンジャーエール、ミネラルトニック、シャンペンサイダー等の炭酸飲料の製造を始めた。
(社団法人 全国清涼飲料工業会より)

1884年
(明治17年) 三ツ矢平野水
/兵庫県
炭酸飲料ブームとともに、各地で鉱泉水(天然炭酸水)の掘削が行われる。これを先駆けたのが「摂津三湯(兵庫県川西市)に数えられた名湯平野水」で、1884年(明治17年)に「三ツ矢平野水」として発売される。
現在の三ツ矢サイダ-の元である。

1890年
(明治23年)
仁王印ウォーター
/兵庫県
イギリスのクリフォード・ウィルキンソンが兵庫県有馬附近で天然鉱泉(*1)を発見、本国より資材を取り寄せ「仁王印ウォーター」として生産を始める。
1904年(明治37年)には、「ウィルキンソンタンサン」と名付け、本格的な炭酸飲料(*2)の生産に入る。

(*1)天然鉱泉=ミネラル分を一定量以上含んでいる湧き水、ミネラルウォーターのこと。

(*2)炭酸飲料=製造工程から「人工的な飲み物」の印象を与えるが、もともとは天然鉱泉を指すモノだった。

1899年
(明治32年) 布引礦泉所
/兵庫県
神戸市布引山麓に湧出する天然鑛泉を原料として、炭酸水の製造を始めた、屈指の歴史を誇る企業。
(株式会社 布引礦泉所サイトより)

1901年
(明治34年) 金線サイダー
/横浜
ノース・アンド・レー商会の西村甚作のすすめにより、横浜扇町の秋元己之助がリンゴのフレーバーをつけた金線サイダーの製造を開始。

1904年
(明治37年) ウィルキンソンタンサン
/兵庫県
仁王印ウォーターの流れを汲み、1904年(明治37年)には「ウィルキンソンタンサン」と名付け、本格的な生産に入る。その後炭酸、ジンジャーエール、トニックウォーター等の製造に至る。
現在はアサヒ取り扱い品

1907年
(明治40年) 三ツ矢サイダー
/兵庫県
炭酸飲料ブームとともに、各地で鉱泉水(天然炭酸水)の掘削が行われる。これを先駆けたのが「摂津三湯(兵庫県川西市)に数えられた名湯平野水」で、1884年(明治17年)に「三ツ矢平野水」として発売される(前述)。
1907年(明治40年)本格的なサイダ-「三ツ矢印の平野シャンペンサイダー」を発売。

1909年
(明治42年) リボンシトロン
大日本麦酒(*1)は日露戦争後の不況から、ビール以外の新製品の開発を考えていた。そこでビール製造で発生した炭酸ガスを使用できることもあり、この年炭酸飲料「リボン・シトロン」の開発.販売に至る。ちなみに資料によると、ブランド名を「リボン」にした理由は、女学生の頭につけたリボンからとったという説、「高級そうに聞こえるから」という説があるが、詳しい由来は不明という。
(リボンシトロンサイトより)

(*1)大日本麦酒=1949年(昭和24年)集中排除法に基づきサッポロ、アサヒの2社に分割され、リボン・シトロンはサッポロビールに引き継がれ現在に至っている。

明治?年 富岡商店キクスイ
/東京
都内屈指の歴史を誇るらしいが、現在は廃業。
キクスイブランドは早川商店にて受け継がれている様子。(詳細不明)

1924年
(大正13年) 興水舎
アズマ炭酸
/東京
炭酸ガス含有量の極めて多い、東京下町酒場向き炭酸を作っている。他社が「フレ-バ-付き清涼飲料水」など手広く事業を広げる中にあって、ピュアな透明炭酸に拘り、現在も主力商品であり続けている。


1928年
(昭和3年) キリンレモン
明治時代に発売されたサイダーがりんご酒の香りであったのに対し柑橘系の香料を使用した新しい味と香りを持った清涼飲料水として誕生。人口甘味料や透明の瓶を用いた事もキリンレモンの大きな特徴。
(キリンレモンサイトより)

昭和?年 ニホンシトロン
/千葉県


1971年
(昭和46年) スプライト
コカ・コーラから、透明炭酸飲料「スプライト」が発売される。

興水舎訪問記

 

 

◆ 興 水 舎 訪 問 記

2004年某月 大正13年創業の興水舎さんを訪問。興水舎さんは「アズマブランド」で知られ、特に浅草界隈の大衆酒場でよく見かける清涼飲料メ-カ-である。場所は浅草吾妻橋近くで、あのアサヒ飲料株式会社の本社前という恵まれた立地。こんな都心なのでここでは事務、配送程度を行い、生産は地方の工場かと思いきや、全ての業務をこの地で行っているそうだ。規模は家族+αのこじんまりしたものだが、その設備は大変立派なもので驚かされた。生産量は1日7時間フル稼動すると、ナント約3万本の生産が可能とのことだが、実際は売れずに在庫を抱えてしまうので、生産調整してそこまでは作らないとのこと。尚、卸の主は問屋で、店との直取引はほとんど無し、残念だが直販もしていない。ちなみに一番遠くは荻窪に1軒取引があるらしいが、「納入の手間(時間や経費)を考えたら、近所しか無理」との返事も尤もであろう。

◆ 本社 兼 工場 「モノが安いからね」とは社長さん。その為まとめて生産すると生産効率が良いので、同業同士の業務委託も多く、ここ興水舎でもブランド名はそのままで、2社ほどの生産を担当している。但し炭酸といえど、ガスの含有量など独自の調合レシピがあるようで、各ブランドに合わせて微妙に調整をしているらしい。--- 軽く話しを伺った後は、早速工場へ(1階) ---洗浄されたビンに、次々と注入される真新しい炭酸を見てつい出た質問が、「炭酸も出来たてが一番旨いのですか?」ところが返事は意外。「詰めたてはガスが荒れてるから、1.2日置いた方が旨くなる」だ、そうだ。ただ大衆酒場での我々は受身、それを選ぶことは出来ないのが残念である...もう1つ旨い飲み方として、「炭酸は扱いが荒いと、折角のガスが飛びやすいからね。そっと注いだ方がいいよ」「え...」180度反転注ぎや、マドラ-での過度なかき回しはあまり良くないようでした...(今更)製法はミネラルを加熱殺菌し冷却、そこへ炭酸ガスを圧力を加えた状態で溶けこませるというシンプルなもの。(この工程をカーボネーションと呼び、その装置はカーボネ一夕ーと呼ばれる)冷却温度が低く、かつ圧力が高いほど溶けこむ炭酸ガスの量は多くなるという。自家製炭酸機や他社製品との一番の違いは、このカ-ボネ-タ-にあり、「ガスの強弱に最も影響を与えるもの」とのことであった。ちなみに下町の大衆酒場で好まれるのは、泡立ちの強い炭酸。なので興水舎の製品は、「炭酸ガス含有量の極めて多い」力強い一品に仕上がっている。下町大衆酒場で見つけたら、その辺意識して味わってほしい。

話は飛ぶが、このような炭酸文化は何故東京下町に根付いたのだろうか?思うに関西は三ツ矢に代表される炭酸文化発祥の地であったが、同時に良質な清酒に恵まれ、「焼酎など2流」の意識が根強かった土壌がある。(あくまで時代背景であり、現在の本格焼酎ブ-ムはあてはまらない。)結果「清酒の出来が良くない」東京では(*1)、焼酎を使ったハイボ-ル文化が進み、膨らんだ炭酸需要を支えるべく、大衆酒場に供給したのが中小、零細のこうした企業達であった。細やかな供給、価格はとても大手の採算に合うものではなく、故に守備範囲は狭いながらも、今日の様な「大衆酒場との良好な位置関係」が形成されたと思われる。(*1 異論もあろうが、これまた時代背景からすると事実の部分も多い)ちなみに関西ではこうしたケ-スは皆無ではないが(*2)、東京下町ほどではなかった。裏返すとそれは完成された上方の清酒文化と、その誇りの現れなのかも知れない。(*2 知る限りでは少ないが、探せば「ノセミネラル、ヌノビキ」など業務用炭酸はまだありそうである)