いくら悩んでようが、苦悩しようが、室内を一晩中うろついていようが、夜が明ければ朝になるものである。
体力的には一晩や二晩の徹夜でへたばるわけもないのだが、窓ガラス越しに射し込む朝日がやけにまぶしくて、
オスカーは乱暴に目をこすり上げた。
 
(朝になったか…朝になったら…とりあえず、シャワーだな…目を完全に覚まして、頭をすっきりさせて、
食事をして、濃いコーヒーを飲んで…)
ぼーっとしながらバスルームに入り、いつもより熱めの湯を頭から浴びる。
そのままかなり長い間、滝修行のように流れる湯に打たれていたオスカーだったが、
急に今目が覚めたような動作で顔を上げた。
今度は湯が上向きの顔を直撃する。
オスカーは湯を止めると、勢いよく頭をふり、気合いを入れるように頬を軽く叩いた。
 
「らしくないのはまっぴらだ!俺は、俺なりにやる!」
 
 
★★
 
 
「はあ…」
ベッドの上に座り込んだ姿勢で夜明けを迎えてしまったリュミエールは、疲れたため息を付いた。
もともと体力がない上に、体調不良が続く今の状態では、完徹はかなり堪える。
のろのろとカーテンを開け、差し込む陽射しのまぶしさに、急いで元通りにカーテンを閉める。
目を実際に刺されたような、物理的な痛みさえ光に感じてしまう。
 
「何をやっているのでしょう…、本当に情けない…」
立ち上がったときと同じくらいにのろのろとした動きで、リュミエールはまたベッドの上に座り込んだ。
 
判っている。
夕べのことは、自分が悪い。
 
…狼狽えて、オスカーに八つ当たりをしてしまった…。
 
女王命令で、自分の自由時間をすっかりなくしたも同然のオスカーにたいし、普段の行動を
当てこするようなことを言ってしまった。
 
「なんという心ないことを言ってしまったのでしょう…、甘えるにも程があります…。
本来ならば、私の方から『いつもお世話になっています。今夜はどうぞ、ご自由になさってください』と
送り出すべきなのに…」
 
一晩経って冷静になった…とは、まだ言いがたいようである。
妙に混乱気味の頭をふって、リュミエールはぽふっとベッドに横になった。
 
(…オスカーは夕べは出かけてしまったのでしょうか…)
確認も何もしていない。
電話で執事を呼びだし、簡単な質問をするだけではっきりするのに、なんとなく気後れしてしまって
聞くことが出来ない。
自分はずいぶんと我が儘な甘えん坊になったような気がする。
 
「とりあえず、次にオスカーにあったら、失礼な事を言ったことを謝りましょう…」
むりやりに結論づけ、リュミエールはまたのろのろとした動作で体を起こした。
出仕する必要はないが、だからといってあまり不規則な生活をするのも、リュミエールの性格では
気がひける。
身体も頭も疲れてぼんやりしているが、とりあえずシャワーでも浴びようかとベッドから下りる。
 
その直後、ふらりと目眩がした。
近くなる床をみながら、(あ…倒れる…)などと人事のようにぼんやりとした考えが頭をよぎった。
「おい」
声と同時に、鼻先にせまっていたはずの床が今度は逆に遠ざかる。
ぼんやりしていると、腰と肩に回った2本の手がリュミエールをまっすぐに立たせた。
「何をぼーっとしている。気分が悪いなら、寝ていろ」
オスカーが軽く眉を寄せた顔で言う。
リュミエールはきょとんとした。
 
「オスカー、早いお帰りだったのですね…」
思わず間の抜けたことを言ってしまうリュミエールに、オスカーの眉がますます寄る。
「俺はどこにも出かけてないぞ?」
「え…?」
なんとなくそれ以上言うのが憚られて、リュミエールは口を閉ざしてしまった。
 
(出かけてなかった…)
「おい、また何をぼんやりしてるんだ?具合が悪いのか?」
オスカーの声が少し慌て気味にリュミエールの耳に響いた。
はっと気が付くと、自分はオスカーの顔を凝視したまま、その状態で固まっていたらしい。
声だけ聞くと、なんとなく怒ってるような硬質の声音だが、自分を見るオスカーの目は妙に優しい。
かといって、夕べのような危なさもない。
 
固まったまま、リュミエールは内心で首を傾げた。
一見惚けて見えるリュミエールに、オスカーの方は穏やかではない。
「おい、声も出せないのか?」
「はい?」
思わず間の抜けた返事をするリュミエールに、オスカーはしみじみため息を付いた。
 
「…おまえな…」
唐突にリュミエールはさっき自分が考えていたことを思い出した。オスカーに謝ろうと思っていたのだ。
「オスカー、わたくしは昨夜のことを謝りたくて…」
脈絡なく言い出したリュミエールに、オスカーは苦笑する。
「お前、やっぱり、今日はどこかヘンだな。とにかく、寝ろ」
「いえ、わたくしは…」
「寝ろと言ったら、寝ろ!」
苦笑混じりにオスカーはすぐ隣のベッドにリュミエールを追い立てた。
 
「あの…」
ちゃんと謝ろうとベッドの中からリュミエールが呼びかける。
それに気が付いているのかいないのか、オスカーは何事もなかったようにさっさと隣室にいって、手際よく
朝のお茶を入れてきた。
 
「ほら」
手渡されたカップをリュミエールが大人しく受け取ると、オスカーは機嫌よさげににんまりと笑った。
「どうだ。茶の入れ方も、だいぶ上手くなっただろう」
確かに一口飲んだお茶の味は、確かにオスカーが自慢するほどまろやかだった。
それにしてもなんでそんなに嬉しそうなんだろう、とリュミエールが不思議に思うくらいの機嫌の良さだ。
夕べ夜遊びしてストレス解消してきたからか?と考えても可笑しくないくらいの。
「あの、…本当に夕べ、どこにも行かなかったのですか…?」
おそるおそる訊くと、オスカーは「ん?」と聞き返してきた。
「なんでそう思うんだ?」
「…いえ、何やら、とても機嫌が良さそうですので、何か良いことでもおありだったのかと…」
嫌みに聞こえなかったか、と、だんだん低くなる声に、オスカーは可笑しそうな顔をした。
 
「良いことか?まあ、いい事…といえるかもしれんな」
あっさりと答えたオスカーに、リュミエールは不思議そうに首を傾げた。
 
良いこと?何があったのだろう…。ひょっとして、この館の中に誰か気に入った娘でも見つけたのだろうか?
そう考えたとき、リュミエールの胸にきゅっと痛みが走った。
(館の者だとしたら…注意しなければ…)
その考えが主としての責任感とは別の場所から出たことに気が付き、
リュミエールはすっと自己嫌悪にとらわれた。
 
自分はオスカーに対し、独占欲のような物を感じているのでしょうか…。
 
それは自分で認めるには、かなり勇気を必要とする認識だった。