気が付くと、オスカーは自分の側にいる。
気が付くと、自分はオスカーのいる場所を確認している。
これをどう受け止めればいいのか、リュミエールとしては悩み所だった。
 
それでも見つめられるのは、気が付いてもらえるのは心地いい。
そのリュミエールの心地よさが判るのか、体内の「何か」は、日を追う事に育っていく感触がある。
 
最近では、ごく当たり前のように、オスカーはリュミエールの腹部に手を当てる。
そうすると、体内の「何か」は喜んででもいるように、さらに大きくなっていくような感じがする。
一時的に、だけではなく、確かにそれは成長しているのだとわかる。
心地よいと思う反面、リュミエールは落ち着かなくなる。
 
――わたくしの中にいるのは、一体何なのでしょう。
そしてオスカーはどうしてこんなに優しいのでしょうか。
…オスカーはどうして、こんなにもわたくしと、この体内の「何か」にこんなにも興味を持つのでしょうか。
ぐるぐると同じ事ばかり考え続け、リュミエールはため息をつく。
判っている、これは現実逃避。
本当に考えなければならないのは、オスカーが自分をどう思っているか、ではなく、自分がオスカーをどう思っているか。
 
一緒にいてくれると嬉しい、心地よい。
そこまでは確かなこと。
では、どうしてそう思うのか、と考えるとリュミエールの思考はどこかに逃げて行きたがる。
恋愛なれしていないリュミエールには、それがオスカーに対して「友人以上の親しみを感じている」以上の
結論を導き出すことは出来ない。
友人以上――つまり、恋心に近い感情だという事には思い至らない。
当然、オスカーが自分に対しても同じような感情を持っていて、それで進んで側にいてくれるのだと
いうことにも思い至らない。
 
結局、ぐるぐるの堂々巡り。
リュミエールがため息をつくと、体内の「何か」も何か不安そうに収縮していく。
それを感じると、リュミエールは自分の不甲斐なさに苦笑しながら「何か」に語りかけるように考える。
 
『あなたの方が不安なのですね…あなたを安心させられるよう、もっと強くなれればよいのですが…』
 
訪ねてきたオリヴィエと庭でお茶を楽しみながら、リュミエールは自分の不可解な感情について、出来るだけさりげない調子で相談してみた。そのリュミエールの顔を見ながら、オリヴィエはおかしそうに答える。
 
「別にわからないなら判らなくていいじゃない」
きょとんとしたリュミエールに、オリヴィエはにこりとすると、身を乗り出した。
 
「気持ちよければ気持ちがいい、それだけでいいんだよ。リュミちゃんは今は我が儘言っていいの。
普段みたいに、人に気を遣ってたんじゃ駄目なんだよ。
リュミちゃんがオスカーに側にいて世話してもらうのが気持ちいいと思うなら、素直にそう言って、世話かければいいの。自分一人なら我慢も美徳かもしれないけど、今はそうじゃない。
リュミちゃんは、自分のお腹の中の「それ」が何か判らなくても、育つ様子が楽しみなんでしょ?
だったら、それを優先しなくちゃ。これは普通のお母さんに言う台詞かもしれないけど、
あえてリュミちゃんにもいっとくね。『お腹の子供を守れるのは、貴方だけなんだ』優先すべきは、その1人じゃなんにもできないお腹の中の子なんだから、さ」
それにね、とオリヴィエはウィンクしながら続ける。
 
「オスカーは世話役のが楽しそうだよ。絶対に面倒くさがってなんていないから、世話やかせときなって」
「ですが…」
それでもまだ煮え切らない様子のリュミエールに、オリヴィエは可笑しそうに笑うと冗談めかした。
「あのさ、あんまりそんな風にしてると、世話やく方だって気詰まりなんだよ。自分のやり方が気に入らなくて、
迷惑がられてるんじゃないかってさ。とくにリュミちゃんは口に出して言わないからねぇ」
「そんな事ありません。やり方が気に入らないなんて」
間髪入れずに否定の言葉を放ったリュミエールに、オリヴィエはきょとんとした。
「おや、さっきまで、随分とあーだこーだ悩んでたのに、これだけはきっぱり言い切ったね」
「え…」
リュミエールは自分でも驚いたのか、顔を赤くして口を覆った。
くすくすとオリヴィエは笑う。
 
「いやじゃないんだね、だったら悩むことないじゃん。ありがとう、ってお礼を言って、世話やかれていなよ。
お礼を言うのは、得意でしょ?リュミちゃん」
そう言って子供にするようにリュミエールの額を突っつく。
リュミエールは少し肩を竦ませたあと、おそるおそるといった風に言う。
「お礼を言って…それでいいんでしょうか…」
「いーの、いーの、それが一番。ほら、世話焼き男が来た」
オリヴィエが指差した方向から、オスカーがやってくる。
「よう、極楽鳥。あんまりリュミエールをからかうなよ」
「からかってなんてないよ。おしゃべりを楽しんでいただけだもんね」
ねーっとオリヴィエは同意を求めるようにリュミエールの顔を覗き込む。
困ったような笑顔になりながらも頷くリュミエールに、オスカーは穏やかな顔を見せた。
その顔に、オリヴィエは1人うんうんと頷きながら立ち上がる。
 
「じゃ、私は帰るね。リュミちゃん、また遊びに来るから身体大事にしてよ。オスカー、ちゃんとお世話するんだよ」
「お前に今更言われるまでもない」
「あ、そ。じゃね」
送ろうと立ち上がりかけたリュミエールを手で制し、オリヴィエはさっさと1人で帰っていく。
リュミエールは腰を浮かしかけたままでそれを見送り、オスカーをちらりと見た。
オスカーは苦笑してはいるが、気分を害しているようではない。
以前であれば、あんな風にオリヴィエに言われたら、きっと苦々しげな顔をしていたのに。
じーっと見つめている視線に気がついたのか、オスカーが顔を向けた。
 
「どうした、何か言いたいことがあるのか?」
そう言われてリュミエールは顔が赤くなるのを感じた。
なぜそう感じたのか判らない。
「い、いいえ」
慌てて首を振ってから、ふと思い直す。
 
『判らなかったら、判らなくていい。世話を焼かれたらお礼を言って、また世話を焼かれていればいい』
…そう言えば、ちゃんと気持ちが伝わるようにお礼を言ったことがあったのでしょうか…。
動揺ばかりが先に立って、肝心なことを忘れていたような気がする。
リュミエールは思い切ってオスカーの顔を見返すと、しっかりと目を見つめたまま言った。
 
「いつもありがとうございます。感謝しています。…これからもご面倒をおかけするかも知れませんが、
よろしくお願いいたしますね」
口に出してそういった途端、リュミエールはすっと気分が楽になるのを感じた。
動揺して、緊張して、普段と違う精神状態でバタバタし続けて、忘れかけていた本来の自分の姿をようやく取り戻せた気がして、リュミエールは心の底から安堵した笑みをみせた。
 
すると。
今度はオスカーの方が動揺したらしい。
思わず小首を傾げるリュミエールの前で、オスカーはそわそわとおちつかなげに視線をさまよわせ、
少しの間手をあげたりさげたりしたあと、一つ息を吐いて納得したように頷く。
訳が分からず首を傾げたままのリュミエールに、オスカーも持ち前の不敵な笑顔になった。
「よろしくお願いされてやるから、どんどん面倒をかけてくれ」
その言い様に思わずリュミエールが吹き出すと、オスカーはにやりとする。
ひとしきり笑ったあと、リュミエールは不思議と自分が納得しているがわかった。
 
『わたくしは、こうやってオスカーと過ごす時間が――好きなようです』
結局それが結論。
リュミエールは、自分がオスカーを好きだと思っているのだと素直に認めることにした。
むろん、それが恋かどうかは別なのだが。